浮気疑惑編-2
春の川辺は、とても晴れていて平和な空気だ。川に水は太陽の光に反射して綺麗だ。
子供達が遊んでいて、鈴子はあっという間仲間に加わってしまった。母親に似て人懐っこい性格のようだ。父親は西洋人であるが、母似なのかあまり容姿の違和感はない。長男の瑛人くんは、ハンスさんにそっくりで日本人離れしているが。
私と初美姉ちゃんは、土手の芝生の上に座り膝の上に和菓子を広げる。
初美姉ちゃんはもうすっかり主婦という雰囲気で木綿の着物に丸髷だ。私は、まだ丸髷にはせず、一つの縛って丸めていた。丸髷は隆さんに似合わないと言われて、まだまだ女学生の様な髪型にしていた。確かにまだ学生さん気分が抜けていないのかも知れないと初美姉ちゃんの姿を眺めながら考える。
「ちょっと鈴子、和菓子は食べないの?」
「母ちゃん、和菓子はいい! みんなで遊ぶ!」
初美姉ちゃんは、鈴子に声をかけるが、川遊びに夢中になってしまい、もう和菓子には目もくれない。初美姉ちゃんはため息をついていたが、小さな子供達のはしゃぎ声を聞くだけで、私の気分もちょっとは落ち着いてくる。
「ところで、志乃。ちょと顔が暗いけれぢど、どうしたの?」
「それが…」
言葉が濁ってしまう。
こんな天気がよく、和菓子も美味しく、子供達のはしゃぎ声や春の花も明るいのに、私の心はさっきの店主の言葉が頭にこびりついていた。
「それが、ちょっと隆さんのついて悪い情報を聞いてしまい」
「え! まさか異端教会の転移するとか言っていたの?」
初美姉ちゃんの予想は、外れている。ただ、東京で流行っているカルト・マリアの涙の噂も初美姉ちゃんの耳に届いているようだ。どうやら官僚や警察上部にも信者が多いらしく、カルトの悪業も握り塗り潰されるという噂もあるようだ。
「隆さんは、そんなカルトにいく心配はないんだけど」
「それもそうね。カルトの噂聞いて私もちょっと神経質になってた。それで、何が原因なの?」
「実は、この和菓子屋の店主が……」
私は思い切ってこの件を初美姉ちゃんに相談する事にした。
美味しい草団子や素甘のおかげで口が軽くなっているのかも知れない。
あの店主も和菓子だけ作っていて欲しいと切に願ってしまうぐらいだ。
「まあ、それは…」
さすがの初美姉ちゃんもちょっと言葉を失っていた。
「でも隆兄ちゃんに限ってそんな浮気何てしないわよ。隆兄ちゃんは、志乃の事が大好きなのよ」
「そ、そうかな…」
確かに結婚してからの隆さんは、自分に甘すぎるぐらい甘い。でも、店主からの情報や最近の不審な行動を思うと、その自信も揺らいでしまう。
「そうよ。前、隆兄ちゃんがうちに遊びに来た時言ってたわよ。志乃と結婚できてとっても良かったって惚気てたんだから。真面目そうに見えて、案外あの人も腑抜けねってハンスさんとうちでは物笑いの種よ」
そう言って初美姉ちゃんは、大笑いしていた。ハンスさん一家に笑われていると思うと、居た堪れない気持ちになるが、こうして笑い飛ばしてくれると少しばかり心も軽くなってくる。
「まあ、何かの勘違いよ。忘れなさい」
初美姉ちゃんは、バンバンと私の背を叩く。自分を励ましている事が伝わり、これ以上愚痴も言えない雰囲気になってしまった。
「たぶん仕事関係の人とかよ。出版社の人とコネ作りでしょう」
「そう、そうね。隆さんは作家も兼業しているものね…」
最近、隆さんは作家業をしていないので、その事をすっかり失念していた。その可能性も高いかも知れない。後でちゃんと隆さんに直接の確認すれば大丈夫だろう。和菓子屋の主人の言葉にいちいち惑わされた自分がちょっと恥ずかしくなってくる。
「まあ、聖書通りの奥さんやっていれば大丈夫よ。妻は夫に従えってあるでしょう?」
私は初美姉ちゃんの言葉に深く頷く。
確かに聖書通りにやっていた方が良かった事の方が多い。家も最初は新しく建てるにのは不安があり反対だったが、やっぱり隆さんの言う通り建ててよかったと思う。ちょうど牧師館は孤児の子供達で手狭のなってしまったし、運の良いことに隆さんの原稿料も想像以上に頂く事もできた。
「まあ、志乃もエバのようになったらダメよ?」
聖書に書かれてている夫婦を引き合いに出して初美姉ちゃんが忠告する様に言う。
エバは蛇に騙されて神様の言いつけを破って善悪の木の実を食べてしまい、それを夫のアダムにも与えてしまった。この事がきっかけで人類に罪がはいり、男性は仕事の苦しみ、女性は出産の苦しも与えられた。そして何より「死」が入り、人類に寿命が生まれてしまった。
この事から、牧師もクリスチャンも女性が自立心などを持って騒ぎ立てるとろくな事にならないという暗黙の了解もできている。実際、女性が偉そうにしている所の夫婦はあまり上手くいっている様にも見えない事が多かった。聖書には、教会で女が口出しするなとも書いてあるが、それなりの理由があるように私は感じる。
今の時代は新しい女として女性が外で働く事や自己主張する事も推奨されているが、あまり上手くいく気はしなかった。
「そうね。エバにならないように気をつけなくちゃ」
私はしみじみと頷き、草団子や素甘を完食した。
久々の初美姉ちゃんに会えた嬉しさもあり、和菓子屋での不快な出来事は、ほとんど忘れていた。