友達編-4
「マリアの涙っていうのは、東京で流行ってる宗教なのさ」
「名前からして胡散臭いが、一応話を聞こうじゃないか」
隆さんは足を崩して座り直し、向井さんの話を聞いていた。
私は場違いかとも思ったが、向井はお茶をがぶ飲みし、そのたびに急須に注ぎ直すので、結局出にくい雰囲気になってしまった。
向井がいうには、東京でマリアの涙という宗教が流行っているのだが、詳しく聞くとその中身が酷かった。教祖は松崎亨という50代の男性だが、前世や輪廻転生をとき、数々の「善行」を信者に強制しているらしい。
「善行」といってもゴミ拾いなどの良い事ではない。驚いた事に、より苦しめて人や動物を殺す事によって来世良いものに生まれ変わるという思想から、虐めや暴力、殺人も肯定されている宗教らしい。
「そんな宗教って……」
私は思わず絶句してしまう。キリスト教ではそんな善行はあり得ない。そもそも前世も輪廻転生もない。イエス様が私達の罪の身代わりに死んで下さったから、地獄に行かずにすむ。それどころか罪を許されて天国にまで迎えてくれる。本当はそんな身分ではない孤児が女王様になる様なものである。もちろん、善行などでは罪は解決できないものだが、マリアの涙の「善行」は理解しがたい。
イエス様の十字架以上の恵みは感じられず、前世とか輪廻転生と言われるものが全く信じられない。
「まあ、クリスチャンの奥様には理解できない話だと思うが、人間っていうのは弱いんだよ。耶蘇教っていうか、キリスト教みたいに死後に神様の裁きがあるっていう怖い教えよりは、輪廻転生して何度でもやり直せるっていう方が、現実逃避できて都合が良いんだろう」
向井はそういって八重歯を見せて笑ってはいたが、その気持ちはわかる。聖書には死んだ後、裁きがあると書かれているが、自分の罪を認められず逃げてばかりの人は耳を塞ぎたくなる内容だろう。
「そんなカルトは放って置いて良いのかよ? なんか事件に発展したりしないか?」
隆さんは意外と冷静にマリアの涙についての疑問を投げかけていた。私にはそこまで考えは至らなかったが、確かにそう言った事件の発展してもおかしくない思想である。
「今のところはないな。でもカルトに連中は何をしでかすかわからないからな。一応気をつけて置いた方が良いと思って忠告したよ」
「確かに向井の言う通りだな。死後の問題を放置している人間は、現実逃避してる。その為だったらどんな事もするだろう」
隆さんは深く頷いてお茶を啜った。
「こんな話してたら暗くなってしまったよ。話題変えるわ!」
向井はそう言って、以前請け負った仕事の内容を話し始めた。とある金持ち御曹子の不倫話。なんでも50人以上も不倫相手がいて、奥様の怒りも凄まじかったのだという。
「ごめん、その話題、全く面白くないな。むしろとても不快なんだが」
隆さんははっきりと言った。確かに不倫が罪であるクリスチャンからしたら一体どこが面白い話なのか不明である。
「本当に隆は真面目だな。お前、妾はいないの?」
「いる訳ないだろ」
隆さんは鋭い視線を向井に投げる。この話題は確かに少し不快であるが、向井の少し浮ついた雰囲気からしたら、仕方ないのかも知れないと思う。一体隆と向井はなぜ気が合って友達なのか私には見当もつかない。
「おぉ、本当真面目だねぇ。まあ、奥様がこんな別嬪さんだったら、夢中になるよな」
「俺は志乃が醜い容姿でも気にしない」
「は?」
向井は目が点になっているが、私も似たような顔をしてしました。
「あはは、面白いねぇ。そうか、あんな真面目な隆が……。まあ、隆の浮気疑惑があったら、いつでも俺の所に相談しに来てね」
呆気にとられている私に向井は名刺を手渡してきた。どうやら東京の本郷あたりで探偵をしている様だった。私が通っていたミッションスクールにも住所が近い。
「俺は浮気なんてしないぞ」
隆さんは憮然としながら腕を組む。
「あの、この名刺はどうすれば……」
「志乃、そんなもの捨ててしまって良いだろう」
「おぉ、こわ!」
そう言って向井は大笑い。私は笑って良いのか微妙なところではあったが、向井の明るい笑顔につい笑ってしまった。