尾行編-8
列車に乗った清美さんは、一体どこに行くかは不明だったが、予想外の場所に向かっていた。
なんと、私達の住む江田町の駅に降り、川沿いの道をずっと歩いていた。
東京と違って人が少ないこの町での尾行は気を使いながら向井と二人でしていたが、これは一体どういう事だろう。
私と向井は川沿いの桜の木に隠れながら、清美さんの背中を見つめる。西洋風のオレンジ色の派手なワンピースは、この町ではやっぱり目立つ。この町にもモガが全く居ないわけではないが、少数派だ。やっぱり和装の女性が多く、洋装を着て仕事に出かける隆さんもちょっぴり目立っている事は事実だった。
「向井さん、清美さんどこ行くんでしょうね。このままだと火因村っていう村に着いてしまいますよ」
私は呟くようの言ってみたが、向井は何か手帳に書きつけて居て、返事はなかった。やはり、仕事中で集中しているようである。
これ以上話しかけても無駄だと思い、二人で清美さんを尾行する事に集中した。
清美さんはどんどん火因村の方に歩いて行く。
私はあまり良い気分ではないかった。火因村は、かつて私が住んでいた村だ。両親が死んで親戚の家で下働きをして居たわけだが、楽しい毎日ではなかった。今はもう詳しく思い出せないが、お金の困った親戚達が神社に私を捨てた。そこで龍神という悪魔か悪霊に幻を見せられ、しばらく困った事になっていた。あの教会に保護された後は、神様を信じて、隆さん達に祈って貰ったので、今は全く問題が無いわけだが、当時の事を考える良い気はしなかった。
それに火因村の連中は、田舎ものらしく下品なところがある。体調を崩していた親戚に、西洋の疫病を広げていると執念深い嫌がらせにあっている事もあった。今はもう親戚達は引っ越してしまって空き家になっているが、積極的に行きたい場所でもない。実際、親戚との問題が解決してからは一度も足を踏み入れていない。噂ではあの龍神が祀られていた神社を改装し、再び立派な本堂を作ったと聞いてはいるが、これから火因村に行くのは怖い気持ちは拭えない。
清美さんはそんな私の気持ちなど知る由もなく、火因村に足を踏み入れ、どんどん龍神が祀られている神社の方に向かう。清美さんも何か思い詰めているようで、一度も後ろを振り返らなかった。私達が尾行している事は全く気づいていない。
そんな清美さんの背中を見ていると、嫌な予感しかしなかった。
「もしかしたら…」
向井は手帳を上着のポケットに入れ、渋い顔で呟く。
「実は火因村の『マリアの涙』の信者達の拠点があるんだ」
「えぇ、本当?」
初耳だった。
「うん。関東では都内を除くとあそこだけみたいだ。何でも火因村の連中もかなり信者が増えているそうだよ」
「そんな…」
清美さんは、夏実さんにマリアの涙の勧誘を受けていると聞く。清美さんが信者かどうかはわからないが、現在は火因村に向かっている。何も関係が無いと思う方が不自然だろう。
私はズレてきた伊達メガネを掛け直しながら、隣を歩く向井を見上げる。
「マリアの涙はカルト教団よ。善行と称していじめみたいな事もやっているみたい」
「だろうね。清美嬢が信者かどうかはわからないが……」
向井も清美さんについて心配しているのか、言葉が濁る。
このまま火因村から引き返して欲しいとも思ったが、清美さんは村の中心部にあるとある日本家屋に入っていってしまった。
かつては私達が住んでいた土地だ。今は親戚がその土地を手放し、別人が住んでいると聞いた。私達が住んでいた家はすっかり取り壊され、この村のよくあるような木造の広い日本家屋になっている。
玄関の門には『マリアの涙』という看板も出ている。ここがカルトの集会所である事は事実で、清美さんがそこに入ったという事はその関係者と見て間違い無さそうだった。
「清美さん、どうしてカルト教団になんて……」
私と向井は、門に掲げられた看板を見ながら、唸ってしまった。
「これからどうするんです?」
「まあ、ちょっと音漏れでも聞いていこうでは無いか。ちょっと、行くぞ」
向井は私の手をひき、この家の裏手の方に回る。清美さんの事が気がかりで、夫以外の男性の触れられた事はあまり気にならなくなってしまった。
私と向井は、家の裏手に行き、生垣の裏手に隠れるようにしゃがむ。
「なんか変な音がしないか?」
「何の音?」
よく聞こえなかったが、家の方からお経のようなものを唱える人の声がする。
風か強く吹き、その音のせいで聞こえにくかったが、耳に手を当ててじっくりと聞いてみる。
「何だ? 中でお経か呪文みたいなものを唱えているようだが」
向井もよく聞き取れないようで、顔を顰めている。
「ちょっと待って、『呪う』とか『呼ぶ』とかって聞きえない?」
「うん?」
「わからない。何か聞いていると気持ち悪くなってきたわ」
「ちょっと大丈夫か?」
私はその場でうずくまってしまった。何を言っているのかはわからないが、胸に石でも詰まったような息苦しさも感じ始めた。
向井はお慌てながら側にしゃがみ、私の背をさすって居たが、苦しさは消えず、呼吸も荒くなってきた。
やや雑に向井に背をさすられるのも、余計に気持ちが悪い。
「あ、この声…」
今まで聞こえなかった声がはっきりと聞こえる。中の人達は「龍神様を召喚する祈り」と言っていた。何か意味のわからない言葉を唱えているのは、その為だ。
「き、気持ち悪い……」
その声はどんどん大きくなり、自分の周りに付き纏っているようだった。意識も薄くなり、突然別の声が聞こえた。
「よぉ、志乃。俺を呼んだか? 迎えに来たぞ、馬鹿な人間の娘」
すっかり忘れていたあの龍神の声だった。隣にいるはずの向井が何か叫んで居たがその声は次第に聞こえなくなり、意識も消えてしまった。