尾行編-4
向井探偵事務所の二階は、資料室と何故か衣装部屋があった。
衣装部屋と呼んでいいのかはわからないが、そう呼ぶのが一番適切だと思われる部屋だった。
まるでお店のようの和服はもちろん、洋服もぎっしりと詰め込まれている。しかも女性の服も一部あり、ブーツや帽子、指輪などの小物も置いてある。
思わず声が出てしまう。
「一体この部屋はなんですか?」
「ここは俺の変装部屋だよ」
「変装部屋?」
聞き慣れない言葉である。確かに向井は探偵だ。おそらく何処かに潜入するための服だろう。なぜ女性ものがあるかは、聞かないでおこう。想像するとちょっと気持ち悪くなる。
「今日は俺は、清美嬢を尾行する予定だが、向こうも警戒しているしな。やっぱり変装しようと思うね」
「どの姿の変装するんですか?」
ちょっとワクワクした気持ちのなってしまう事は否定できない。たくさんの服を眺めていると非日常感の感じる。普段の生活でこれほどまで沢山の服は見た事が無い。
最初はお店のような印象も受けたが、変装部屋と聞くと舞台の楽屋にでも迷い込んでしまった気持ちにもなる。
「今日は奥さんと夫婦設定でいこうと思うよ。俺は洋装を着て……」
「ちょっと待って下さいよ。夫婦設定ってあなたが夫という変装なんですか?」
思わず不愉快な表情になってしまう。変装とはいえ、自分の夫でも無い人間とそんなフリをするのは、正しい事とは思えなかった。
「えー、いいじゃない。奥さんは頭硬いなぁ」
「よく無いです。不倫は聖書でも罪です。罪です。神様が悲しみます」
「別に不倫じゃないんだけどさ。やっぱり隆の奥さんだけあるね。奥さんもとっても真面目だ」
向井は苦笑しながら、言う。たとえフリだとしても不倫のような真似をするのは、気分が良くない。
「わかったよ。聖書に書かれているとか言われてしまうと何も言えないな。だったら兄妹のフリしよう。俺が兄で奥さんが妹。君は女学生の格好をする。いい?」
「それだったらいいです」
「じゃあ、その矢絣の着物の着替えて。僕は下で待っているから」
「ええ」
向井はそう言って下の降りてしまった。私は変装部屋の扉を閉めて、着替えの取りかかった。
ミッションスクールを卒業して以来、久々に矢絣と袴という姿になる。卒業して一年ぐらいしかたっていないわけだが、姿見の中にいる自分はあまり違和感はない。髪を下ろし、マーガレットに結ったり大きなリボンをつけてしまえば、女学生の集団に混じっても違和感は無いだろう。今更こんな格好をするとは思わなかったが、ちょっとワクワクもしてきてしまう。
ついさっきまでは隆さんの浮気を疑ってしまい憂鬱だったが、この誤解も解けてしまったので、ちょっと心は軽くなっているのかもしれない。私は実際に髪を下ろし、三つ編みに編んで、頭にリボンをつけてみた。
リボンが何故ここにあるかは深く追求したくはないが、鏡の中にいる自分は違和感はない。三つ編みは幼く見えるのでミッションスクールに通っている時はしなかったが、こうして見ると意外と似合っているし、普段と少し雰囲気も変わったようだ。普段は大人っぽく見られる事が多いが、今は実年齢より下の見えた。
着替えると向井がいる一階に降りる。
「奥さん、意外と似合っているな」
「そう?」
私はちょっと浮かれてしまい、向井の前でくるりと回って見せた。
「でも、もうちょっと野暮ったい感じにしようか。やっぱり奥さん美人だよ。このままだとちょっと目立つ」
「えぇ、そう?」
また美人と言われてしまったが、やっぱり自分にその自覚は持てない。ミッションスクールには、歌劇団の舞台女優のような先輩もいたし、親戚の絵里麻や初美姉ちゃんも美人だったから、自分がそういう風にはとても思えない。
ちょっと戸惑っている私を無視し、向井は二階から黒縁メガネを持ってきた。いかにも真面目そうな人が使っていそうな眼鏡だった。
「これ、度が入っていない伊達メガネなんだ」
「何でもあるんですね」
「ま、ちょとかけてみてよ」
私は向井から伊達メガネを受け取って、さっそくかけてみた。
「いいぞ。ちょっと芋臭い女学生という雰囲気ピッタリだ。そうだ、俺も似た雰囲気に着替えてくるわ」
再び向井は二階に行き、しばらくして戻ってきた。
茶色のスーツ姿で洋装ではあったが、ヨレヨレでよく見ると毛玉のようなものもついている。肘はつぎあてもされている。
それに私と似たようなメガネもかけているので、ちょっと野暮ったい雰囲気も漂う。いつもの向井明るさや人懐っこい雰囲気が消えている。別人とは言えないが、道ですれ違ったらわからないかも知れない。
確かにこの二人が並んでいたら兄妹か親戚に見えても、夫婦には見えないかも知れない。その事に私はかなりホッとしてしまった。
「じゃあ、さっそく出かけるか。情報筋のよると清美嬢は銀座で昼過ぎに編集者と会うらしい」
向井は八重歯を見せてニヤリと笑う。
「銀座。でもその前に腹減ったなぁ」
その言葉を裏付けるようの向井の腹が鳴った。