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尾行編-2

 今日の向井は書生姿ではなく、洋装姿だった。眼鏡をかけていて、書類仕事の途中だったらしい。


「ごめんなさい。お仕事の邪魔をしてしまったみたいで」

「あはは、いや、良いんですよ」


 向井は笑いながら、テーブルにカップに入った紅茶を置く。


 向井から案内された探偵事務所の面談室は、意外な事に洋風の部屋だった。


 ソファのテーブルが置いてあり、小さな棚の上には花瓶の花がいけられていた。


 いかにも客向けといった雰囲気の綺麗な部屋で、庭に面した窓からは明るい日差しが差し込んでいた。紅茶のカップも花柄で繊細な取手がついている。


 お明らかに客用で、私はソファに座りながら緊張してしまった。やっぱり洋風の部屋には慣れていない。畳の上に正座する方が楽ではある。着物でソファに座るのも何となく合っていない様に感じてしまう。


 向井は私に向き合うように座っていたが、かなり砕けた様子で紅茶をカブ飲みしていた。


 紅茶だけでは飽き足らず、別の部屋から金平糖やビスケットまで持ってきて皿に盛ってきた。


「奥さんも甘いもの好きでしょ」

「え、何でわかったんですか?」

「いや、そんな驚かないでくださいよ。甘いものは女性は全員好きです」

「それでも当てるなんて凄いわ」

「いやいや、これはインチキ占い師がよくやる手段なので、気をつけてくださいよ」


 そう言って向井が大笑いしている。別にとくに面白いわけではないが、私もつられて笑ってしまった。


「どうぞ、ビスケット食べてくださいよ」

「ありがとうございます」


 私は、ビスケットを一枚いただく。ほのかな甘みとサクサクとした食感に少し心も落ち着いてきた。


 しばらく向井と甘いものの話をしていた。夏にはアイスクリームが最高などと言う話などで盛り上がる。特に向井は、アイス最中が好きらしい。


「あれは本当に日本人の大発明ですよ。あんぱんも」

「そうね。パンにあんこを入れようなんてよく思いついたわよね」

「パン種がないから、酒種で代用して開発したみたいですよ。木村屋はあんぱんを開発するのに五年もかかったとか。木村屋のちんどん屋の宣伝も面白いな」


 向井はあんぱんについて語った後、米騒動の事なども話し、米の代用品として日本人は食パンを食べるべきだと熱っぽく語っている。どうやら向井はかなりの食いしん坊のようだ。今度家に遊びに来た時は、ご飯を多めに炊いた方が良いかともしれないなどと考える。


 そんな下らない話をしたお陰で、私の緊張はすっかり解けてしまった。おそらく向井はわざとこんな雑談をしたのだろう。探偵に頼る客の心中は痛いほどわかってしまう。雑談でもしないと口が割れない事は、向井も承知している事だとは思う。


「ところで奥さんは、今日何を話しに来たんですか?」

「いえ、その…」


 いよいよ本題にうつったが、やっぱり言葉に詰まる。下を向きながら、床に引かれたカーペットを見つめてしまう。


 少し落ち着かせるための紅茶を一口啜る。


「とても言いにくいのですが、やっぱり隆さんは浮気していると思うんです…」


 思い切ってそう言ったが、向井さんはくすくすと笑っていた。目尻が下がり、まるで子供に接するかのような表情だった。


「隆がそんな浮気なんてしませんよ。そもそもクリスチャンの彼が浮気するわけないでしょ」


 それもそうだった。


 冷静に考えれば神様を第一にしている隆さんが、浮気をする理由はない。そこを疑ってしまったのは何故だろう。


「だって隆さんは美男子ですし。優しくて、カッコよくて……」

「は?」


 向井は口をあんぐりと開けて絶句していた。


「あんなにカッコ良い男の人はいないです。世の中の女の人はみんな好きになっちゃいますよ!」


 私は涙目になりながら叫ぶように言う。


 隆さん以上に良い方がいるとしたら神様ぐらいなものだ。私はそれぐらい隆さんが素敵に見えていた。不幸で惨めだった自分にちゃんと注意してくれて所作も綺麗になったし、勉強も辛抱強く教えてくれた。ちゃんと出来ると優しく褒めてくれるし、安易に甘やかさない所の愛情も感じる。真面目だし誠実だし、ちょっと怖い雰囲気で真面目すぎる事以外は目立った欠点が見えなかった。


「おいおい、奥さん。これは本当に隆に惚れてるな。あの男の顔をよく思い出しなよ。目も細めだし、鼻も丸い方だし黒子もあるし、ちょっと毛深いし。別に二枚目とか美男子っていう雰囲気じゃないよ…」


 向井はため息をつきながら、金平糖をシャクシャクと齧る。


「いえ、隆さんは美男子です!」

「まあ、そう見えるんだったら良いけど……。あいつは別に女性にモテないよ」

「嘘です!」

「奥さん、意外とはっきり否定するな。酒もタバコもしないし、金も滅多に使わないだろ? はっきり言ってケチだと思うのだが」

「私のためにはよく使ってくれますよ。この着物も隆さんが買ってくれました」


 着物やバッグなどの服装品は自分で買った事がない。私に似合いそうなものを買ってくれる事ばかりだった。もっとも散財という風ではなく、季節の変わり目にだけ買ってくれるわけだが。


「おぉ、あの男は奥さんには甘かったのか……。とにかく女に好かれやすい男ではないぞ。真面目過ぎるし、会話がつまらないと女性からよく文句をつけられた」

「嘘、そうなの? 確かに真面目過ぎる所はあると思いますけど……」


 話がつまらないというのは、初めて聞いた。私と隆さんの会話では聖書や讃美歌の話が多い。確かにキリスト教信者でもない人が聞いたら面白くない話題かも知れないが、私よりもよっぽど知識が豊富で一緒に話しているととても勉強になった。


「だろう。俺らの仲間内では、逆にこんな美人なお嫁さん貰えた事の方がおかしいって話しているんですよ。隆が浮気をするなんて無いでしょ」

「あ、あの。別に普通だと思いますが…」


 また美人と言われる。居た堪れない気持ちになる。そんな事を言われた事は隆さん以外に無いので、信じられない。


「いや、俺はあいつから奥さんの護衛も依頼された事あるんだよ」

「え?」


 さらに信じられない事を言われて、私の目は点になっていたと思う。


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