友達編-1
「隆さん、おかえりなさい」
私は笑顔で夫である隆さんを出迎えた。
隆さんは、今は作家業と女学校の先生という二足に草鞋の生活をしている。そばでいるだけの私は、なかなか大変そうではあると感じるが、作家の仕事も継続的にある訳ではないので、今の状態が一番良いのかもしれない。
最近は小説の依頼は無いらしいので、隆さんは学校から帰ってくると、ゆっくりと過ごす日々を送っている。
「ああ、ただいま。志乃」
「今日は、先にご飯たべましょう。五目ご飯が炊きたてなんですよ」
「ああ。私ももう腹が減って死にそうだ」
そんな事を話しながら、茶の間に行き、ちゃぶ台を囲むように座る。
ちゃぶ台の上には、五目ご飯はもちろん、サバの塩焼きと菜の花のお浸しも載っている。菜の花は、神谷教会の信徒からのお裾分けで、毎日食卓にあげてもなかなか減らない。
「天のお父様、イエス様。毎日の糧を本当にありがとうございます。あなたのお陰で生きていけます。ありがとうございます。アーメン」
食前の祈りをする。
クリスチャンである私達夫婦は、不自然な事ではなく、至って当たり前の事だった。
この後、「いただきます」と言って食べ始めるものばかり思っていたが、まだ隆さんは目を閉じて祈り続けていた。
「天のお父様、イエス様。こんな料理上手で器量の良い妻を与えて下さり感謝します。私のエバはとても素晴らしいです。アーメン」
隆さんの祈りの内容に私の顔は恥ずかしくて真っ赤になってしまう。
「あ、もう。いただきましょう?」
私は顔を赤くしながら、なんとかそう言うが、隆さんは涼しい顔を崩さない。至って普通の表情である。
結婚して一年生たつが、私達夫婦は恋人のように初々しく仲がよかった。
色々わけがあって身寄りがなかった私を保護してくれた神谷教会。その牧師の息子である隆さんから神様について教えて貰い、クリスチャンになった。同時に隆さんとも仲が良くなり、婚約も決まった。
私はミッションスクールに通う事が決まっていたが、結婚も卒業を待ってくれた。この教会の隣の土地に新しく家を建ててくれて、生活費にちゃんと入れてくれているので、現実的なお金や生活も不自由なかった。
結婚した後も、目立った喧嘩などもなく、こうして時々びっくりするぐらい甘い言葉を言ってきたりもする。
まあ、私はちょっとした失敗をするとちゃんと注意してくるわけだが、料理も残さず食べてくれるし、お礼の言葉も忘れない。こちらこそ自分には勿体無いぐらいの夫であった。
「ところで、次の土曜日の半ドンに友達が遊びに来るんだが、良いか?」
隆さんは夕飯を食べながら、思い出した様に言う。
「友達? 高梨さんや廣瀬さん?」
二人は隆さんの学生時代からの友達で、時々我が家にも遊びにくる。結婚式にも参列して貰ったので、二人の事はよく知っていた。残念ながら私の友達である美加子さんは札幌、櫻子さんは神戸に嫁いでしまった為、滅多に会えなくなってしまったが。
「いや、向井新だよ。前に言わなかったけ? 探偵やってるやつだよ」
「向井さん?」
確か隆さんには探偵の友達がいるとは聞いていたが、その名前は初めて聞く。結婚式でも会った事の無い人物で私も面識がない。
「変わり者だよ。仕事大好き人間」
「そうなの。隆さんとよく気が合ったわね」
隆さんは、変わり者とは正反対のタイプで、誠実で真面目な人だ。酒もタバコもしないし、妾も一人もいない。まあ、それらはクリスチャンにとっては忌むべくものではあるが。特に妾というか不倫をする事は、神様を悲しませる行為でもある。
「まあ、正反対だから余計にお互い興味を持ってしまうんだろうな」
隆さんはちょっと苦笑しながら、緑茶をすする。すっかり湯呑みの中身がなくなってしまったので、私はすぐの急須から湯呑みに緑茶を注ぐ。
「何か好きなお菓子とかあるかしら、向井さん」
「そうだな。饅頭や草団子が好きだったな。悪い、土曜日に用意してくれ」
「わかったわ。隆さんのお友達なんですもの。ちゃんと家も綺麗にして、準備します」
「おぉ、本当に志乃はよくできた妻だ。嬉しいぞ」
隆さんは、そう言って私の前髪を撫でた。ちょっとくすぐったいが、暖かい手の感触のちょっと私もホッとしてしまった。
「私も隆さんと結婚できて、とても幸せです。神様に感謝します。ありがとう」
「そうだな」
茶の間に隆さんの機嫌が良さそうな笑い声が響いた。