死の足音編-1
翌朝、私はいつものように朝早く起きて牧師館の子供達に朝食を食べさせて、身支度も手伝う。その後、自分の家に帰り、朝食を作って起きてきた隆さんと一緒に食べた。
「また菜の花か」
「今日で終わるから」
「そうか…」
朝食の時も二人の間の会話は全く盛り上がらなかった。
食卓の上は、塩むすび、菜の花のおひたしと味噌汁。味噌汁はじゃがいもとニンジンをたっぷり入れて具沢山だ。これだけでも私は満足してしまった。もっとも、私達の会話はあまり盛り上がらず、ご飯もあまり美味しいとは感じられなかったが。
ついに沈黙が落ち、会話が消える。隆さんは、新聞を捲りながら箸を動かし、私は下を向きつつ食べるだけの時間になってしまった。
当然、昨日の事を聞ける様子はない。聞くつもりは無いが、やっぱり隆さんに隠し事をされていると思うと、不安になってしまう。
ちょうど自分の気持ちを反映するように窓の外は曇り空だ。新聞の天気予報では、今日は曇りで夜から雨が降るらしい。
「ごちそうさま…」
「ごちそうさま。うまかったよ」
重い空気の朝食ではあったが、隆さんから褒め言葉をもらってしまった。その言葉通りに皿は全て空になっているので、少し嬉しくはあるが、表情は無表情のままだった。
その後、身支度を整え隆さんは仕事に出掛けてしまった。
いつもだったら玄関先で別れると名残惜しい気持ちになるのだが、今日は胸がつかえたように重い気持ちになってしまった。
朝食で使った食器を台所で洗いながら、夫婦間で秘密があるのが嫌なものは無いとしもじみと思ってしまった。
確かに仕事の事は妻が口出す問題では無いが、あからさまに何か隠されている状況は不安だけが深くなっていくようだった。
こうしてスッキリとしない気持ちを抱えたまま、いつものように朝食の片付けと部屋の掃除や家計簿をつけ終わると、牧師館の方へ行き子供の面倒を見る事にした。
「志乃姉ちゃん!」
「志乃姉ちゃんだ!」
牧師館に入ると、小さな子供達に囲まれる。
文子ちゃんと、春人くんだ。二人ともまだ5歳だ。他の子供は、小学校に行ってしまった為、牧師館の中はだいぶ静かだ。この時間は、牧師さんも教会の方で信徒さんの相談にのっているはずだ。
「ねえ、ねえ、志乃姉ちゃん。一緒に遊ぼう」
「ええ、いいわよ」
文子ちゃんに言われて、子供達と一緒に近所を散歩する事にした。今日は天気は曇りであるが、雨も降っていないし気温も高いので問題は無いだろう。
文子ちゃんも春人くんも上機嫌だった。二人とも川に行きたいというので、ゆっくりと歩きながら向かう。
途中すれ違った主婦らしき女性に「可愛いお子様ですねぇ」と声をかけられたが、どう反応して良いのか微妙なところだった。どうやら私をこの子達の母親だと勘違いしていたようだが、わざわざ訂正しるのも微妙である。私はとりあえず頷きながら、女性と別れて川辺の向かう。
「志乃姉ちゃんは私のお母ちゃんなの?」
川辺につくと文子ちゃんが聞いてきた。私の着物の袖を掴み、ちょっと寂しそうな表情を浮かべている。春人くんも文子ちゃんにつられてそんな表情を見せていた。
「私はお母さんじゃないけど、あなた達のお母さんと同じぐらい愛しているわよ」
私は、苦笑しながら二人の頭を撫でながら答えた。二人の母親も父親ももういない。
自分もかつては孤児だった。
でも、当時働いていたお屋敷の女中頭の真野さんにはとても優しく接してくれたし、奥様は厳しかったけれど決して不幸ではなかったと思う。
そう思うと、文子ちゃんや春人くん気持ちもよくわかってしまい、気づくと昔の自分がかけて欲しかった言葉を二人に口にしてしまっていた。
「そうなの? 志乃姉ちゃんもお母ちゃんみたいなものと思って良いの?」
文子ちゃんが目を輝かせて聞く。
「血の繋がりはないけどね。牧師さんもうちの隆さんもみんなそう思ってるよ」
私が優しく言うと、文子ちゃんも春人くんも気がすんできたようだ。さっきまでの寂しそうな表情は辞めて、川遊びを始めてしまった。
私はもうイエス様から十分に愛をもらっている。今はこんな状態だが、隆さんもいるし恵まれていると言って良いだろう。
もう一人で悲劇の主人公のように泣いている孤児では無いのだ。今度は自分から子供達に愛を与える番なのだと思った。