プロローグ
私が最初に死を意識し始めたのはいつだろうか。
祖父母や両親の死は、受け入れるしかなかった。特に両親の死については、精神的にも衝撃がありすぎて、今後の生活の事などを考えると死について考える暇などはなかった。
一番初めに死がどういうものか意識し始めたのは、家で飼っていた文鳥のハナコの死がきっかけだった。
父がお祭りで買ってきた文鳥で、ハナコと名付けて可愛がっていた。真っ白な身体で、手にのる姿はお餅のようにも見える可愛い子だった。
しかし、ハナコを飼い始めた3ヶ月後。近所の野良猫に襲われて死んでしまった。
お餅のように可愛いハナコの姿はどこにもない。
ぺしゃんこにつぶれ、血だらけだった。触ってもピクリとも動かない。目もかたくつむり、羽もむしられてしまっていた。
「ハナコ…」
当時、5歳ぐらいだった私は一日中泣き続けていた。
あんなに可愛がっていたのに。
どうしてこんな無惨な姿のなってしまったのだろう。もうハナコに会えない。
勝手口の扉を開けっぱなしにし野良猫を招いてしまった事も後悔し、罪悪感で胸がいっぱいになってしまう。
「もう泣くな、志乃」
「だって、ハナコが…」
父が寄り添って慰めてくれたが、私の涙はしばらく乾かなかった。
「またお祭りで買ってきてやるよ。そうだ、ヒヨコも良いだろう。大きくなったら鶏になって卵を産むぞ」
「お父様、死んだらどうなるの?」
慰める父を無視してこんな質問を投げかけていた。ハナコの死は悲しい事だ。罪悪感も感じる。
でもそれ以上に、死んだらどうなるのか考えると怖くもなる。
誰もその事を教えて貰っていないし、母にははぐらされた。父ならその答えを知っているのではないかとも思う。
「そうだな?」
父はあまり私の話は真剣の聞いてはくれなかった。ちょっと笑いながら、この世の中にある宗教について教えてくれる。
「仏教なんかだと輪廻転生っていう考え方がある」
「りんねてんせいって何?」
はじめて聞く言葉だった。
「人間は死んだら何度でも生まれ変わるという考え方だよ。ただ、この考えはちょっと危険だ。インドのカースト制度とか……」
父は輪廻転生の問題点を説明してくれたが、幼い私は何の事だかさっぱりわからない。ただ、あまり深刻でない様子で話す父を見ていると、心は冷静になってきて涙も止まってきた。
「ふうん。だったらハナコは何か別のものに生まれ変わっているの?」
父の話ならそうだが、私はあまり納得できない。だとしたら自分には前世があるはずだが、1秒たりともその記憶が無いし、記憶が無い理由も父は教えてくれない。何となく目を逸らされているというか、現実逃避的な夢物語にも感じてしまう。
「だったら他の考え方もあるよ。耶蘇教っていう宗教は、自分が悪かったと悔い改めてイエス・キリストという神様を信じる事によって永遠の命を与えてられるんだ」
「永遠の命?」
「そう」
そう父に言われてもピンとこない。
「ハナコもきっとイエス・キリストのそばにいるさ」
「そうかな」
輪廻転生は一つも納得できなかったが、ハナコがその神様のそばにいると思うと、少しは悲しみが癒されて行くような気もする。
その後、父はヒヨコをもらってきて想像以上に大きな鶏に育ってしまい、毎日大騒ぎ。ハナコの事も死の事もすっかり忘れてしまった。
ただ、両親が死に親戚の家で下働きをするようになってから、時々死について考えるようにもなった。
辛い生活の中で、自然と死というものを意識いたのかもしれない。前世が悪いからこうなってしまったとも考えたが、いくら考えても前世の記憶は思い出せず解決もしなかった。
私は、死んだらどうなるの?