サンタ ✖ キャバ嬢
イルミネーションで活気溢れる街並みの中、喧噪に近い話し声があちらこちらで繰り広げられている。
「なんだか喧しいな。神罰でも落ちたのか?」
「そんなもの落ちてたら辺り一面焼け野原ですよ。ただの会話じゃないですか?」
「マジで? あそこの奴らとか喧嘩してない?」
「会話ですよ。先程まで山にいたから、耳が敏感になっているんじゃないですか?」
そんなもんか、とヨシオは自分の耳を訝しんでいると、目の前に虎、シマウマ、ヒョウのそれぞれを着こんだ三人のおばさんが立ち塞がる。
「アンタ、気が早いわ!」
「トナカイ忘れてるがな!」
「慌てんぼすぎやで!」
獣柄三連星はそれだけ言い終わると、笑いながらヨシオを通り過ぎていった。
「おいおいおい、これもある意味通り魔だよな?」
「……ただの挨拶でしょう」
「はぁ? お前、はぁ? さっきのが挨拶? 俺にはトナカイの皮を寄越せって聞こえたんだけど?」
「それはヨシオの幻聴です、あの三人の服装から勝手に脳が判断したんでしょ。まあ、トナカイの皮を差し上げるのはやぶさかでもありませんが」
「……怖いよお前。トナカイには俺も恨みはあるけどさ、そこまでの殺意はないわ」
「はぁ? ヨシオ、はぁ? 本気で言ってます? この時期に有給使うトナカイなんて、普通の会社だったらリストラですよ?」
「お、おう。分かったから、取りあえず落ち着こう、な?」
興奮してぴょんぴょん飛び跳ねるキラの頭を強引に抑えつけて、人目を避けるように歩き出す。誰もヨシオの独り言など気にしてはいなかったが、警察を呼ばれる恐怖を知ってしまったヨシオにはトラウマが蘇る。
「今回の対象者はどこで会うんだ? あんまり目立たない所が良いんだが」
「そこのビル二階です」
キラが指で示したのは、四階建てのレンガ造りのビルで、それぞれの階に装飾が施されていた。
近くで確かめると、一階がイタリア料理店で他の階は怪しげな蛍光色の文字が羅列している。
「このビルの、何だって?」
「二階です。ちゃんと聞いてくださいよ、バカですか?」
キラの言い方に苛立ちながらも、ヨシオは足を運ぶことができない。ヨシオの内にあるニートの本能が告げている。ここは危険だと。
「……なあ、俺はどんな人に会うわけ?」
「藤井皐月、二十歳、キャバレークラブのスタッフです」
「キラさんや、キャバレークラブとは?」
「女性が主に接客をし、男性が楽しくお酒を飲むお店です。どうしたのですか? そんなに震えて」
「無理無理無理! ほら、金なんて持ってないし!」
キラが数枚の札を無言で手に握らせてくる。
「いやいや、俺が店に入っちゃうと、騒ぎになるから」
キラは無言で視線を移す。ヨシオもつられて見ると、看板に『本日先取りクリスマスデー! サンタコスのスタッフがお出迎え!』と書かれてある。
「いや、そう言えば医者にお酒止められてて」
消え入りそうなヨシオの声を遮るように、キラは無言で店に入れようと体を押す。
エレベーターに向かうヨシオの足取りは重く、最終的にはキラに引きずられながら押し込まれる。傍から見れば、不可解極まりない動きである。
チーンと扉が開くと、暗闇から漏れ出す光の道しるべがドアに続いており、まるでヨシオの絶望と比例しているようにそれは煌いていた。
「いらっしゃいませぇ! お客様は初めてでしょうか?」
いつの間に来たのか、茶髪の男がヨシオに話し掛けてくる。しかし、ヨシオはあ、う、あうとカオナシまっしぐらな受け答えしかできない。
「サツキですよ、ヨシオ。サツキちゃんを指名しないと駄目ですからね」
キラがヨシオの頭を叩きながら助言する。
「サ、ツキ、ちゃん」
「品格に続いて知能指数まで落とさないでくださいよ。言葉覚えたてのゴリラですか?」
「あっ、サツキちゃんご指名っすね。わっかりましたぁ! 新規一名様入りまーす、サツキちゃんご指名でぇす!」
ボーイの機転でヨシオは入店することができたが、覚束ない足取りは酒乱のそれだった。ボーイやキャストは見慣れたその姿に動揺する者はおらず、ヨシオの手を取って席に案内する。
「サツキでぇす、本日はご指名ありがとうございまぁす。横、失礼しますね」
ポニーテールにミニスカートのサンタコスプレをした皐月は、ヨシオの隣に座る。
「あのぅ、初めまして、ですよね? それともどこかで会いました?」
「え、いや、初めて、でしゅ」
「うわ、キモいですヨシオ。近寄らないでください」
「うわぁ、でしゅってカワイイですね。ウチも使っていいですか?」
なんだこの陰と陽のコントラスト。つうか、天使が陰ってどういうことよ。
「はい、ウィスキーの水割りです。ウチも飲んでいいでしゅか?」
ヨシオはぎこちなく頷く。キラの顔は怖くて見れなかった。
「かんぱーい、お客さんのこと、何て呼べばいいですかぁ?」
「えっと、ヨシオで」
「ヨシオさんですね、良い名前ですぅ」
「世界のヨシオに土下座してください」
「さ、サツキちゃんも、良い名前だ、よ?」
「ありがとぉ、ヨシオさんやさしぃ。サンタの恰好も似合ってるしぃ」
「本当に似合いすぎているので、神辞めてもらっていいですか?」
キラうっせぇよ! 勝手にサラウンドシステムやってんじゃねぇよ!
「ヨシオさんは、普段どんなお仕事されてるんですかぁ?」
「きましたね、ヨシオの唯一のアピールポイントが。ほら、答えてあげないと、自宅警備員ですって」
「……警備員だよ」
「えっ?」
「東京で警備の仕事をしてるんだ」
「ちょっ、ちょっとヨシオ?」
「そうなんですねぇ、大阪には仕事で来られたんですか?」
「まあ、本来なら俺が来るほどの仕事じゃないんだけどね、部下が使えない奴でさ」
「ヨシオ? 聞こえていますよね? 取りあえず嘘は止めましょうか」
「ヨシオさんは頼りにされているんですねぇ」
「まぁ? 一応部長だし? 嫁もいるし? 人生豊かみたいな?」
「へ、へぇ。ヨシオさん、か、カッコいいなぁ」
「……ヨシオ、さっさとプレゼント渡して帰りましょう。私も言い過ぎました、反省しますから。汗で言い訳ができないほど、目に水滴が溜まってますから」
ヨシオはコップを傾け、無言で酒を飲み込む。カランと氷の音だけがやけに響く。
「あ、おかわり作りますね」
皐月が慣れた手付きでコップにウィスキーを注ぎ、水を足してマゼラーで混ぜる。カラカラと氷がぶつかり合う音を聞きながら、ヨシオは素に戻る。
やばい、早くここから逃げ出したい。なんでここにいるんだっけ? なにしてるんだっけ?
「ヨシオ、ヨシオ! 聞こえますか? プレゼントを渡してください! それで悪夢も覚めますから!」
キラの往復ビンタでヨシオは正気になるが、今度は皐月が変質者の目でヨシオを見る。何もない場所で顔を左右に振る男がいればそんな反応になるだろう。
「あの、サツキ、ちゃんは欲しいものある?」
「えっ? 急にどうしたんですか?」
「いや、ほら、俺、サンタだからさ」
「いやぁ、ちょっと、思いつかない、です」
「ダイヤ、ダイヤモンドなんていいんじゃない? 女性は好きでしょ? ダイヤモンド」
「い、いえ、初めてお会いした人にダイヤを渡されるのは、ちょ、ちょっと」
「ちょっと?」
「ホラーやな」
今、初めて、皐月の真面目な顔をヨシオは見た。さっきまでのふわふわした喋り方とは違って、断固とした決意が感じられる。
「じゃ、じゃあ花は?」
「は? キショいわ」
「香水は?」
「ほんまにムリ」
「……ハンカチ」
「あんたが使うたいだけやん。涙拭きや? それと、もうすぐ一時間経つけど、どないする? 延長しよか?」
「いえ、帰ります。お世話になりました」
ヨシオはすっと立ち上がり、頭を下げた。
「ちょっとヨシオ、まだ何も渡してないですよ」
「いや、お前、さっきのやりとり見てただろ。死体蹴りやめろよ」
「じゃ、じゃあ、訊き方を変えましょう。欲しいものじゃなくて、あったらいいな、というものに変更しましょう」
「……はぁぁ、最後だからな? これで訊いて駄目だったら、マジで泣くからな? 大人のギャン泣き舐めんなよ?」
「脅しの偏差値低めな所が、本当に限界だと感じさせますね。了解です、これで駄目でしたら、普通に帰りましょう」
ヨシオは振り返り、皐月に訊こうとするが、皐月は煙草の煙をくゆらせていた。目が合い、あん? という皐月の声が今にも聞こえてきそうだ。
えっ? いつから俺は獣の檻に入れられた? つーか、草食動物の擬態してんじゃねーよ、思いっきり肉食じゃねーか。もうサンタのコスプレが返り血にしか見えねーよ。
「あ、あの、最後にお尋ねしたい事がありまして」
皐月は顎を上げ、話せ、という意思表示をする。彼女は目を逸らさず、ヨシオをじっと見つめる。恐怖がヨシオに伝播した。
「あ、あったらいいな、というものが、あったらいいな、なんちゃって」
「は?」
「い、いえ、あっても困らない物は、何かありませんか?」
皐月は煙を宙に吐き出し、少しの思案後、答える。
「ティッシュかな。当たり前やけど、未使用な。封切ってない状態なら、貰ってもええで」
ヨシオは過去一番の素早い動作で、袋から新品のティッシュ箱を取り出す。
お納めください、と言わんばかりに皐月に差し出し、すぐに会計を済ませる為に移動する。
一刻も早く、この動物園から抜け出したい。それだけを考えた。