サンタ ✖ 子役
「お帰りなさいヨシオさん、お疲れになったでしょう。まずはお風呂に入ってきたらいかがかしら」
「お、おう」
ヨシオは何もない場所で、ドアを開ける動作をする。
「あらあら違うわよ、そこはトイレ。ヨシオさんってばお茶目なんだから」
クスクスと笑う幼女を見て、ヨシオはなぜこんな事になっているのか理解が追いつかない。
埼玉県のさいたま市に訪れたヨシオは、今回の対象が子供だとキラから聞かされて、楽勝だと考え意気揚々と臨んだ。
キラに先導され行き着いたのは、公園だった。遊具の類は見当たらず、ベンチとトイレがあるだけの小さな公園。そこには体操をする老人をよそにベンチで静かに目を瞑っている子供がいた。
「おい、あの子か?」
ヨシオはキラに訊ねる。
「そうです、神崎乃愛ちゃん五歳。可愛いですね」
キラは子供が好きなのか、ややテンションが高めだ。可愛いとかどうでもいいだろ、とヨシオは思いつつ子供を観察する。
白のマフラーを首に巻き、淡い緑色のポンチョを着こなす姿は、幼くても女性だなと思わせる。肩甲骨まである長い黒髪からは、日差しが当たる度にキューティクルが反応する。
「あの子は、こんな時間に何してんの? まだ朝の七時だろ?」
「彼女は子供とは言え、芸能プロダクションに所属している女優なのですから、何か目的があるのでしょう。ニートのヨシオと一緒に考えないでください」
「女優ねぇ、子供は子供だろ?」
「子供でも働いているのですから、ニートとは大違いです」
「お前、ニートに厳しすぎない? ニートになんかされたの?」
「ええ、現在進行形で迷惑を掛けられていますが何か?」
キラが蔑むような視線をヨシオに向ける。ヨシオはさっと視線を受け流し、子供の方に意識を向けさせようと試みる。
「親は来てないのか? 朝とは言え、ちょっと不用心じゃないか?」
「そうですね、これから不審者に声を掛けられるのですから、心が痛みます」
キラの嫌味がこのまま延々と続きそうな勢いなので、ヨシオはさっさと用を済ませようと子供に近づいていく。
「ヨシオ、気を付けてくださいよ。彼女には私が見えないのですから、いつものように突然話し掛ければ一発です」
「一発? 何が?」
「一発でアウト、警察がやってきます。というより、私が呼びます」
「ふざけんな! 勝手に呼ぶんじゃねえぞ! いいか、絶対だぞ!」
「あ、それ知っています、フリってやつですね。押すな押すなで押しちゃうやつ」
「いや、これはマジのやつ! 本当に呼ばないでくださいお願いします」
「だったら、くれぐれも怯えさせないように」
ヨシオはちらりとキラを盗み見るが、目が本気だった。下手な事をしたらすぐに警察がやってくるだろう。
緊張した面持ちで、ヨシオは少女の前に立つ。
「お、おはようございます、本日はお日柄も良さそうで何よりですね」
乃愛は瞑っていた目を開け、目の前のサンタクロースを認識した後、左右に誰もいないことを確認してから、自分に向けられた言葉だと理解する。
「すみませんが、知らない人と話してはダメだと教えられていますので、ご理解いただけると助かります」
乃愛が丁寧にお辞儀をする姿を見て、ヨシオは混乱した。
えっ? 五歳だよな? 五歳ってこんなに賢いっけ? いやいや、絶対輪廻転生してるだろ、人生何回目だよ。
「お、お嬢さんは、サンタクロースって知らないかな? おじさん、それなんだけどね」
「サンタクロースですか……四世紀のセントニコラウスという人物が由来だということは知っていますが、サンタクロースは架空の存在ですよね?」
あ、もう無理。何なのこの子供、全然子供らしくない。由来とか使ってんじゃねーよ! 架空とか言ってんじゃねーよ! セントニコラウス? 誰だよそれ!
ヨシオは助けを求めるようにキラを見るが、彼女は我関せずといった様子で頻りに乃愛を観察している。
ああ、そうかとヨシオは思い至る。この子供らしからぬ言動が、誰かに似ていると感じていたが、キラに似ているのだ。言動のせいで忘れがちだが、キラは子供だ。まったく可愛気はないが、子供である。さすがに年齢まで同じだとは思わないが。
キラに似ていると考えてしまったことで、ヨシオは途端に面倒臭くなった。そのせいで、乃愛に対する扱いが雑になる。
「あーはいはい、ニコラウスさんね、俺の近所に住んでるよ。で、君はどんなプレゼントが欲しい?」
「知らない人から何かを貰ってはいけないと言われています」
「あーそうね、じゃあ自己紹介だ。俺はヨシオ、どうよ? もう知ってる人になっただろ?」
「ヨシオさんですか、私は乃愛と言います」
「はいはい乃愛ちゃんね、それでプレゼントは何が欲しい?」
「……私、実は今悩んでいるんです」
「へー、大変だな、で、プレゼントなんだけど」
「私、このままお芝居を続けていいのか分らなくなって……でも、周りの期待には応えたいじゃないですか?」
「いや、うん、だからプレゼント――」
「でもでも、私の人生だから――」
なんだよこの子! 全然話聞かねえじゃん! さっきまでの余所余所しさどこいった? 名前教えたのがいけなかったか? つーか、どんだけ悩んでんだよ! 子供だろお前! そんな問題をさっき会ったばかりの奴に訊いてくんな!
「あー、うんうん、わかるわー。俺もそういう時期あったわー」
「ヨシオさんもですか? そうですよね、こんなに悩んでいるのって私だけじゃないんですよね」
ねーよ! 悩んだ時期なんてねーよ! お前は悩みすぎだバカ! お前ほど悩んでる子供なんていねーよ!
やるせない怒りを乃愛にぶつけようとした矢先、キラの鋭い眼光がヨシオを射抜く。ひぇ、と情けない声がヨシオの口から出る。
「そ、そっか、乃愛ちゃんは大変だなぁ。そんな乃愛ちゃんに申し訳ないんだけど、おじさんこれから仕事に行かなくちゃいけないから」
ヨシオは諦めた。今回の事は無かったことにしようと決めた。他で頑張ればいい、と身勝手なことを考えた。
「帰ってしまう、のですか?」
乃愛が涙を浮かべて、ヨシオを見る。
まずいまずいまずい、ヨシオの中で警鐘が鳴る。後ろから殺意の込められた視線を感じる。
「な、なぁんちゃってぇ、冗談冗談、ほら乃愛ちゃんも涙拭いてさ、何か楽しいことでも考えようか」
「楽しいこと、ですか。やっぱり私はお芝居が一番楽しいです」
「そっかそっか、じゃあ、お芝居しよう」
「何でこうなった? 何でお芝居が夫婦設定? 俺がおかしいの?」
「乃愛ちゃんが設定したのですから、あなたは文句言わずに付き合えばいいのです」
「……お前は乃愛の味方か」
「失礼な、それじゃまるで、過去にあなたの味方になったことがある言い方じゃないですか」
憮然としたキラの言い方に、ヨシオはうなだれるしかなかった。
「ヨシオさん、どうかしたの? あ、他の女の匂いがするわ! 酷い! 浮気してたのね!」
「おいおいおい、これ以上設定を加えないでくれ」
ヨシオが嘆いていると、道路に一台のパトカーが止まった。
「お、俺、出張行ってくるから! 乃愛、元気でな!」
ヨシオは血相を変え、走り出した。後ろから、乃愛のお土産待ってるわという呑気な声が聞こえた。