サンタ ✖ 捨てられない女
「……なあ、なんか見られすぎじゃないか?」
「そうですか? 自意識過剰ですよ」
「いや、見られてるって! この前のスキー場と違って、不審者を見る目なんだけど、なんで?」
「それは、まだ十二月に入ったばかりで、クリスマスには早すぎるからですね」
「えっ? そうなの? じゃあ、今の俺は……」
「職質には気を付けて下さいね。職業の事を訊かれたらニートと答えて下さい」
すぐさまヨシオは走り出し、人気のない路地裏へと避難する。
「おいおいおいキラさんよぉ、そういうことは初めに言ってくれないと困るんだわ。どいうつもりなの? 俺を困らせたいの?」
「わざわざ私が一から十まで説明しないと動けないのですか? 疑問に思ったことをなぜその場で確認しないのですか? 受け身体質ですか? だからニートなんですよ」
キラはやれやれと首を左右に振る。
「あー、そういう態度ですか、オーケーわかった、それならこっちにも考えがある。お前ら天使の評価は、俺ら神が判断するんだったよなぁ? つまり、お前の評価を上げるも下げるも俺次第ってわけだよ。んー? どうした? 嫌悪が顔に表れてるぞ? それほど俺に評価されることが気に食わないか?」
ヨシオはニヤニヤとした顔を少女に向ける。見る人が見れば警察沙汰である。
「はぁ、初めて会ったときから屑だと思っていましたが、ここまで屑だと逆に清々しいですね。まず、その評価について訂正しておきますが、私の評価はあなたのお母様に委ねられており、あなたではありません。加えて、あなたのお母様から救済措置を頂いております。それは魂の歪みが改善されない場合やあなたが権力を用いて私を脅した場合、私は任務を放棄し帰還しても許されるというものです」
ヨシオは母親という言葉を聞いただけでビクッとし、内容が頭に入ってこなかった。
「えっと、つまり?」
「私は帰還します。短い間でしたが、お疲れ様でした」
「お、俺は?」
「さあ? このまま日本で暮らすのでは? それか、人間以下の存在になるか。どちらにしろ、私がいなければ天界には帰れません」
ヨシオは素早く土下座をした。日頃から母親に繰り返し行っていたので、それは見事に完成された土下座だった。
「俺が悪かった! もう一度チャンスを!」
キラは憐れな生物を見るような眼差しで、ヨシオの土下座を見下す。
「はぁ、分りましたよ。二度目はありませんからね」
その言葉を聞いたヨシオは、すぐに立ち上がる。膝についた埃を払い、何事もなかったかのように振る舞う姿に、キラはイラッとする。
「本当に反省しているのですか?」
「あん? してるしてる。要は、お前を脅さなけりゃ良いんだろ? もうしないから安心しろ」
「なぜ私が安心しなきゃならないのですか。それは私が遣う立場ですよ」
「細かいことは気にすんなよ、それでここはどこよ?」
あなたはもっと気にした方がいい、という言葉をキラはぐっと堪える。
「ここは、北海道の札幌です」
「へー、北海道か。天界から覗いた時はもっとド田舎だったけど、結構都会じゃん」
「そういう事は口に出さないで下さい。道民にぶち殺されますよ?」
「へいへい、それで、今回の相手は? また待ち時間が長いのは嫌だぞ?」
「三木敦子、二十六歳のOLですね」
キラはリストを確認しながら告げる。
「場所は? 予定で決まってるんだろ? 会社に行くのか?」
「そんなに捕まりたいのですか? 会社にいきなり行っても通報されるだけです」
「じゃあ、会社付近で仕事終わりまで待つのか?」
「いいえ、今日は日曜日ですから会社は休みです。なので、彼女の自宅に向かいます」
「はぁ? 自宅って、それこそ通報されるだろうが」
「知らないのですか? サンタクロースは自宅に忍び込むことを生業にしているのですよ」
「いや、それただの空き巣! お前のサンタ情報、ちょっとおかしくないか?」
「失礼な。私はちゃんと予習をしてから仕事に臨んでいるのです。サンタクロースとは、夜な夜な住居に忍び込み、プレゼントを子供の枕元に置いて立ち去る奇怪な存在だと資料にありました」
ふんす、と自慢げなキラを見て、ヨシオは口を噤む。
「そ、そっか、じゃあ、今回はこっそりとプレゼントを置いてくるだけなんだな?」
「何言ってるのですか? そんな簡単なわけないでしょう? 仕事を舐めないで下さい」
「おまっ、自分で意味不明な事言ってるって自覚ある?」
「しょうがないじゃないですか、意味不明な相手をさせられる私の身にもなって下さいよ! 普通のサンタクロースではダメなんですよ!」
キラは声を荒げ、泣き出しそうな顔になる。
「……俺って、そんなに意味不明?」
「……ええ、魂が歪んだ神の方なんて初めて聞きました。とりあえず、やれるだけやってみましょう。それでダメだとしても……」
「えっ? 最後何て言ったの? 大事そうなところ濁すなよ、気になるだろ」
「いいから行きますよ、ヨシオ付いてきて下さい」
「おい、呼び捨て」
「何か?」
「いや、別に……」
――――
札幌市内のアパートの一室で、敦子は次の旅行計画を立てていた。
もっぱら一人の気ままな旅が好きで、大学生時代にはバックパッカーとして、長期休暇の間は海外のあちこちを回っていた。
現地の珍しい物品が大好きで、食事代を節約してでも買い、決して安くはない航空便を利用して実家に送っていた。
あまりにも頻繁に送られてくる品物に、両親は辟易していたが、敦子は自分の貯めたバイト代で買った物だからと意に介さなかった。
実家にある敦子の部屋が、物で覆いつくされるまでに時間はそれほど掛からなかった。それでも敦子は構わずに旅行してはお土産を買い、やがて部屋に入りきらなくなり、廊下に漏れ出すようになった。実際には、積み重ねれば部屋に入れることはできるのだが、敦子はそれを良しとしなかった。
流石に看過できなくなった敦子の両親は、大事な物だけを残してあとは捨てろと注意をした。
敦子は目を剥き、とんでもないと断った。敦子にとっては全てが思い出の品であり、旅の記録だった。
地元で就職をした敦子は、実家から数キロしか離れていないアパートに引っ越した。実家の部屋は、今では敦子の倉庫となっている。
「うーん、やっぱり行くとしたら国内になっちゃうな。海外に行くなら連休と有給を使わないと、時間が足りないし」
敦子は布団の上で、スマートフォンを操作しながら考えに耽る。部屋には洗濯機や冷蔵庫が無く、下着やスーツは壁に掛けられており、最低限の化粧品がこじんまりと端に置かれている。あとは、十畳のフローリングに埋めつくされた旅の品物が占拠しているだけだ。
この部屋を見た友人は、皆一様に引きつった笑みを浮かべる。第一声が、必ず否定から入るのもお決まりだ。それは別にいい。敦子も他人の家でこの光景を見れば、口に出してしまうだろう。しかし、誰もこの品々に関して興味を抱かないのは、如何なものだろうか。大抵の人がゴミと捉え、関心を失くして去っていく。敦子にはそれが理不尽に思えた。人にはそれぞれ大事な物が一つはあるはずだ。それが自分には多いだけの話なのに、なぜそれを許容しないのか。それが敦子には理解できない。
ピンポーン、と部屋にインターホンが鳴る。敦子はネットで何か購入したかと思い浮かべるが、そんな心当たりは無い。新聞か何かの勧誘だろうと考え、敦子は居留守を使う。
ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン……。
あまりにしつこいので、敦子は部屋に内蔵してあるテレビドアを見ることにした。床に置かれてある品物を踏まないように、細心の注意を払いながら移動する。この前、寝起きでトイレに行こうとした時に、うっかりサボテンの鉢を踏んでえらい目にあった。
テレビドアの所まで辿りつき、画面に目を向ける。すると、画面全体におっさんの顔が映し出されている。
きゃっ、と敦子は小さい悲鳴を上げた。すると、またピンポーンという音が部屋に鳴る。ホラー映画も真っ青な出来事に、敦子は混乱する。
(何でこの人、カメラに顔近づけてるの? とりあえず警察? でも、何かをされたわけではないし……どうしよう?)
防犯が完備されているアパートではない為、もし空き巣だったら居留守を使うのはまずいかもしれない、と考えた敦子は通話ボタンを押して声を掛けてみることにした。鍵は掛かっている、チェーンロックもしてある、よし。
「は、はい、どちら様ですか?」
『あー、やっぱり居るじゃん。何で早く出ないのよ?』
無性に頭にきたので、敦子はそこで通話を切った。すると再び呼び出し音が鳴る。敦子はイライラしながら、通話ボタンを押す。
「何ですか? 警察呼びますよ?」
『ちょ、ちょっと待って、俺はプレゼントを持ってきただけだからさ、警察は止めて』
「はぁ? プレゼント? あなたはどちら様ですか?」
『俺? 俺はサンタクロースだ』
「……切りますよ」
『いや、本当なんだって! 信じて!』
「はいそうですか、と信じられるほど子供ではないので」
『知ってるよ、三木敦子。二十六歳のOLで、えっと、趣味は旅行だろ?』
「……ストーカーですか? 警察に連絡します」
『ストップ! ストーカーじゃないから! おい、キラ笑ってないで知恵を出せよ』
「誰と話してるんですか? そもそもあなた、カメラに近すぎです。顔しか映ってません」
敦子は少し余裕を取り戻す。その理由として、不思議なことだが声に嫌な感じがしないという感覚的なものであった。スピリチュアル関係に懐疑的な敦子にしては、とても珍しいことだ。
やがてテレビドアの映像が顔のアップから変わり、男の全身が映し出される。
ぷっ、と敦子は思わず笑ってしまう。まさにサンタクロースが居たからだ。
「その恰好で来たんですか? まだクリスマスじゃないのに?」
『ああ、おかげで職質されそうになった』
そりゃそうだ、と敦子も同意する。真昼間にこれで職質されないなら、警察はどうかしている。いや、昼間だから逆に大丈夫なのかな? と話が脱線しているが、気にはなる。
『なあ、そろそろ開けてくれないか? これじゃプレゼント渡せねえよ』
「渡せなかったら、おじさんはどうなるんですか? 会社で罰則でも?」
『とても、困る。本当に困る』
大の大人が本当に困っている表情をするので、敦子は笑いを堪える。
まあ、いいか、と敦子は思いながら玄関に向かう。気分はちょっとした慈善感覚だ。チェーンを外し、鍵を解除してドアを開ける。
「おお、やっと会えた、ってなんじゃこりゃ!?」
目の前のサンタは、敦子の玄関を見るなり声を上げる。
「旅の思い出です。ああ、説教は止めてくださいね」
「ふーん、別に良いんじゃね? 自分がそれで良いならな」
敦子は思いがけない言葉に、戸惑いを隠せない。
「それより、この土は何だ? これも思い出か?」
「は、はい。これは鳥取の土です。本当は鳥取砂丘の砂が欲しかったんですけど、持ち帰ると罰則になるので」
「マジかよ、あんなにあるのにダメなのかよ。ケチケチしてんな」
「それ、鳥取県民に言ったら怒られますよ」
「まあ、いいや。今、プレゼントを渡すから」
そう言って、サンタは薄っぺらい袋に手を入れ、ごそごそとしている。そこまで中身入ってないでしょ、と敦子はつっこみたかったが止めておいた。
「よし、お前のプレゼントはこれだ」
「これは、デジカメ?」
「ああ、好きだろ? 思い出。それならどこへでも持っていけるしな。じゃ、俺は帰るわ。邪魔したな」
そう言うと、サンタは足早に去っていった。他にも行く所があるのだろうか。
敦子はしばらく呆然とし、やがてドアを開けたまま部屋の方に振り返り、デジカメで写真を撮った。
カシャ、とサンタクロースとの思い出が刻まれた。