ロコノミシリノ
『ガチャ』
「いってきまーす」
颯爽と玄関から足を踏み出し、朗らかな陽気の外へと足を踏み出す。
今日も爽やかな朝だ。
日差しがまぶし……――
「くわないな~」
玄関前には大きな影が差している。
見上げると、見下すように直立する高層ビルが今日も日差しを遮っていた。
「もう、ホント、朝が台無しだよ……」
足元の影にため息を吐き捨てて歩き出す。
最近駅前ずっと工事してるなーって思ってたら、これですからね。
いくつかマンションやオフィスビルは建ったけど、さらにドーンとドデカイのきたからね。
ノアールノイッシュヒルズ、通称ノノヒル。
ノノヒルは1階から5階は商業施設、上の階は、40階くらいあるのかな、詳しくは忘れちゃったけど、住居になっている。
どんなセレブーさんが住んでるのやら、私とはきっと住む世界が違うんでしょう。
地元的にはこんな田舎にもなんかもの珍しいものが建つのかーって、盛り上がったけど、いざ建ってみたら、ねぇ。
「まぁ、買い物には困らないけど、っね、っと」
意味もなく横断歩道の白線の上だけを渡ってみる。
ただ、横を見ると、寂しそうなシャッター街が見えるのは心苦しくはある。
ノノヒルの商業施設には大型スーパーも入ってるからこの辺の地域の人はほとんどそっちに流れてしまっていた。
もちろん私のような学生は特に商業施設に目の色変えて浮足立ったさ。
「ふむぅ、ゲーセンには行ってるからそれで許してほしい」
誰になく許しを請うけど、歩みは止めない。
それくらいの気持ち。
それっぽっちの罪悪感。
だから、誰も何も言わない。
この変化を戸惑いはするけど、受け入れてる。
「おはよー、どこいくのー?」
「おっとっと、考え事してたら行き過ぎた!おはよ」
あっはっはっは、とクラスメイトと笑い合う。
回れ右して校門に向かった。
行きたくないとかそんなことないよ、本当だよ。
『キーンコーンカーンコーン』
「終わったー……」
伸びをして机に突っ伏す。
いやー、あっという間だった。
記憶がないくらい。
「寝過ぎだっ」
「あいたっ!」
「職員室来いよー」
担任に叩かれた頭を擦りながらため息を吐きながら席を立つ。
そして座る。
「いや、行きなよ」
「だよね~」
後ろの席からの的確なツッコミにしぶしぶ立ち上がって職員室に向かうことにした。
そしてまた「お前も高2なんだから~、将来を~」とかの話を右から左に流していく。
耳にタコできとりますから。
いや~、スマホで小説見てたらいつも寝るのが遅くなっちゃうんだよね~。
周りの空気が変わり始めてるのは感じてる。
将来への自分へ向けての道を進み先を見つけた人がたくさんいる。
目の輝きが違う、放つ空気が違う、姿勢が違う。
何もかもが私とは違う。
皆は駅前のビル。
私は商店街。
「ふむぅ、どうしたものですかね~」
飛び去っていく鳥に問いかけてみてももちろん返事は返ってこない。
帰り道はいつもどおり1人。
たまに誰かに誘われた時は一応ついてってみる。
まぁ、だいたい人数合わせ。
浅く、狭く、薄く、脆く、儚く。
嫌われても無ければ好かれてもいない。
無害、無価値、無味無臭?
「クンクン」
あ、やっぱり無臭ではないかな。臭いって意味ではないよ、もちろん!
フルーティな香りだぜぃ!
そして、夕暮れが近づきさらに薄暗くなった商店街をいつもの場所に向かって歩く。
「はぁ……つまんない」
「あのさ、人の前でそんな景気の悪そうなため息つかないでくれます?」
「あ、いたんだ」
「いたさ……!ゴホッ、ケホッ」
ゲームセンターの店員のマスク男の……。
「えっと、名前なんだっけ?」
「不躾になんですかね。名札に書いてあるでしょ、ほら、藍澤って」
「あ、藍澤さん!お久しぶりです!」
「うん、昨日も会ってますね。自己紹介も月イチ位でしてるね、ゴホッ」
「ノリ悪いなー、藍澤さん」
「いや、だいぶ付き合ってあげてる方だと思いますけど」
店員用のカウンターテーブルに肘ついた手に顎を乗せて店内に視線を戻す。
私はその横の壁に寄りかかって同じように店内を眺めている。
「また、先生に怒られたんですか?」
「ノーコメントで」
「つまり、イエスと」
「NOコメントで」
「ちょっと発音良くしても意味ないですよ」
「面白いことないかな~」
「僕の友人がこんなこと言ってましたよ。面白いことは探すものじゃなく、見つけるものだって」
「何が違うの?」
「さぁてね、僕には理解できませんでした」
何じゃそりゃ、探すと見つけるって同じことだと思うんだけど。
探す……見つける……search……find……?
う~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ん…………。
「私にも分かんない」
「ですよねぇ」
二人してなんとなく天井を見つめた。
「ねぇ、ちょっと店員さん」
「あ、はい、何でしょうか」
眼の前で声がして、視線を戻すと
「わ、美人……!」
「ん?うん、知ってる。それより店員さん。あのUFOキャッチャー取れないんだけど」
こちらに一瞥だけして、藍澤さんの方にまたすぐ向き直る。
うーん、クール。
「え、あ、あぁ、はいはい。どちらでしょうか」
藍澤さんが付いていくあとを更に付いていくド〇クエ歩きをする。
じっとしてても暇だからね。
「これ」
見た目は今どきのJKだけど、どこか品のある美人の彼女が、指差すUFOキャッチャーには、とあるアニメのマスコット的キャラのクッションが2本のバーの上に乗っていた。
「これは……すみません、これで一番取れやすくなってるんですよ」
そう!しかも店としても出したいから、だいぶゆるくなってるやつ。
「うそよ!もう5千円やってるのに落ちないのよ」
「それただの下手なんじゃ――」
「っ!」
思いっきり睨まれた。
あぁ、でも美少女は睨んでもキレイだなー、ドキドキしちゃう、というかしてる。
「う~ん、どうしたものですかね……」
そうだ、良いこと思いついたっ。
「ふんふんふーん」
鼻歌をわざとらしく歌いながらお金を投入する。
「あ、ちょっと!」
女の子が止めようとしたけど、軽快な音楽が鳴り始める。
「んまっ、見ててよ」
バチコーン、と負けじと今どきのJKっぽくウインクをかましてみる。
「ふん、どうせ取れるわけがないわ」
髪を掻き上げてそっぽを向かれてしまう。
ふむぅ、振られちった。
「んじゃ、よろしくおねがいしますね」
「あいよー」
私の返事に藍澤さんは片手を上げて、その場をあとにする。
「あ、ちょ、ちょっと!」
美少女は藍澤さんの背中に声を投げかけるが、ひらひらとひょろい手を振り返されるだけだった。
「まぁ、これで元気だしなよ」
ポフっと今しがた取れたのをプレゼントする。
「え?」
「ふふーん」
「え?……えっ?」
「ぶいっ」
「…………あ、ありがと」
消え入りそうな声だからちょっと意地悪してみる。
「ん~?なぁに?」
耳を近づける。
あ、良い匂い。さすが美少女。
「ありがたく受け取っておくわ。それじゃ」
「あっ――……」
クッションをギュッと抱きしめて去っていってしまった。
「ふむぅ、友達になりたかったのに」
あの制服、電車で数駅隣のお嬢様学校のだったような。私には入れそうもない。
ま、しょうがないっか。私もかーえろっと。
「あ、そだ」
藍澤さんのもとへ戻る。
「ねぇねぇ、あの子よく来る?」
「う~ん…………」
藍澤さんは視線を上の方に向けてマスクを軽く引っ張って離す。
これは考えたりする時の藍澤さんの癖。
「……いや、今日初めて見ましたね」
「そっか!ありがと。じゃね~」
「はい、お気をつけて。ゴホッ」
ゲームセンターを出ると、世界はオレンジと黒に分けられていた。
そんな中に彼女は夕陽に目を細めてシャッター街となっている商店街を見つめている。
「う~ん、絵になりますな~」
タイトル、夕焼けと美少女……いや、荒廃した世界に咲いた花、これ優勝じゃない?
良いアングルを探して、スマホを翳しながらそっと近づいてみる。
傍から見れば怪しい人、というか実際そっと避けられてるのは気にしないでおく。
「なにか用?」
「ぎくっ」
視線はこちらに向けずに話しかけられた。
「いや~、美少女見かけたらほっとけないというか」
「はぁ……どこのおじさんよ」
「げへへ、おじょうちゃん、おじちゃんとイイコトしようか」
「ねぇ」
私のボケを一掃するように肩にかかっていた髪を払ってこちらを向く。
ん~どこのシャンプーかな……。
雰囲気ガン無視で思考は加速する。
「あなた、面白いわね」
「ん?ありがとう……?」
そんなにおじさんギャグ良かったのかな。
「あなたはあなた自身に嘘ついてて、面白い」
「…………?」
何を言ってるんだろう。
「ふ~~ん、無自覚……ねっ。ありがとう、面白い話が浮かびそう」
フフ、と笑って私に背を向けて去ろうとする。
「あ、ちょ、ちょっと」
「何?」
「わ、私と付き合ってください……!」
呼び止めようと必死過ぎて訳わからないこと言って頭を下げている。
いや、何やってるんだ自分……!?
「…………は?」
顔が上げられないけど、ドン引きしてる顔が目に浮かぶ……!
私だったら逃げてる。間違いなく、今のうちにって。
「何?1人では買いにくいものでもあるの?」
お、そっちに解釈してくれるミラクル……!
「友達いなそうだもんね」
「友達くらいいるもんっ」
だが、続く言葉に突っ込むために顔を上げる。
「上っ面だけのね」
「んぐっ」
私の心にクリティカルヒット。私は撃沈した。
だけど、そんな綺麗な笑顔を浮かべて言われるのもたまらない……!
「別に良いわよ」
「えっ?」
「その代わり」
「その代わり……?」
もしかして身売りしろとか、金とか要求されたり……!
「あなたのこと観察させて」
「観察?」
「そう」
なに、視姦プレイ?そういう趣味の方なの?
「それじゃ、楽しみにしてるから――って、あなたの連絡先、というか名前すら知らない」
「まぁ、そうだねー」
まさかの超展開だから。
「私は美野こころ」
「私、神林璃乃。りのっちって呼んでね。こころん」
「私のことはせめてこころって呼びなさい、神林」
「えー…………」
先制パンチにカウンターで返されてしまった。
しかもジョルトカウンター。
ジョルトってなんだっけ?
なんか漫画で読んだような……まぁ、いいや。
そして、連絡先とチャットアプリのIDを交換してその日は別れた。
「ふ~んふふ、ふ~ん♪」
お風呂を済ませてベッドに潜り込む。
今日は素敵な出会いもあったし、良い夢見れそう。
だけど、その前に。
「今日は更新されてるかな~」
お気に入りのWeb小説作家さんのロコノミ氏のページを見る。
「お、あったあった」
新着作品があったことによって今日はさらに良い1日になった。
「ん?アイコンが変わってる」
ロコノミ氏のアイコンがなんか見たことあるような気がするのに変わっていた。
どこで見たんだっけ?
「ふむぅ……むむむ」
ま、いっか!
「読もう読もう」
布団に背中を預けて読み耽ることにした。
「ふわ~……んん」
昨夜も遅くなってしまった……眠い。
「ちょっと、あなたから誘ったんだからしっかりしなさいよ」
「ふぁい……」
隣に美少女がいるのに抗いがたい眠気。
「まったく……」
結局、1人では行きづらいところで可愛い女の子連れて歩く、と言ったらテーマパークだろうと言うことで、電車に揺られてる。
朝早くから2時間近く電車に揺られるとなると、流石にね。
彼女は一応非難の声を時折浴びせるけど、基本的にはずっとスマホを操作していた。
ゲームでもやってるのかな。
あとで同じのやりたいから、教えてもらおう。
今は、とにかく眠い……。
目蓋とまぶたが~……ごっつんこ~……くぅ……。
「って、乗換駅過ぎてる!」
「ふえぇあ?」
そんなこんなで何とかテーマパークに着いた。
うん、なんか疲れた。
「さ、乗るわよ」
え、嘘、なんかめっちゃ気合入ってる。
「せっかくなんだし、しっかりネタ集めしなきゃね」
「ネタ?」
お笑い芸人目指してるのかな?
「あ、な、なんでもない」
「ふぅむ」
気になる。
「さ、行くわよ!」
「あ、ちょ、ちょっと~……」
私が付き合ってもらってる体なのに何故か腕を引っ張られる。
まぁ、美少女に引っ張り回されるのも悪くない。
それに、スーハースーハー、良い匂いが鼻を満たしてくれる。
2時間後。
「ちょ、ちょっと休憩しましょうか……」
「はいはい、飲み物買ってくるから座ってなって」
「お言葉に甘えるわ……」
始めの勢いはどこへやら、今はベンチに座ってぐったりしている、こころん。
本当に大丈夫かな、と思うくらいだけど、またスマホを取り出して何かやり始めたから、とりあえず売店に向かう。
少し並んで、戻ると、少し人だかりが出来ていた。
「何事!?」
慌ててベンチまで駆け戻ると、ぐったりして動いていない、こころんがいた。
「こころん?こころん?」
屈んで声を掛けると、身動ぎした。
良かった、生きてる。
「ん……あっ」
目をうっすら開けて、身体を起こす。
「ごめんなさい、ちょっと眠っていたわ……」
「眠ってたって」
顔青白いよ?
「飲み物ありがと」
私の手から飲み物を取ると、ストローに口をつける。
遠巻きに見ていた人たちも大丈夫そうだと判断して、その場を去っていく。
私も横に座って、飲み物を飲むことにした。
「って、なんでちょっと離れるの?」
「は、離れてないわよ」
真ん中あたりに座ってたのに、いつの間にか端に移動していた。
だから、無理やり身体をくっつけるように座ってやろうとした時、
「えっ」
こころんの身体がすごく熱かった。
「ズズー、ズズー……」
こころんは中身が氷だけになったのをまだ吸おうとしている。
「私のもあげるから、それ飲んだら帰るよ」
「あら、そんなに怖い顔してどうしたの?」
「む~~…………!」
なんで、そんな熱あるのに減らず口なのか。
「冗談よ。ごめんなさい。迎えも呼んだし、そうさせてもらうわ」
だけどそう言って、すぐに視線を反らしてしまった。
こういう時は素直なんだ。
心配する半面、新しいこころんが見れて嬉しくもあった。
そして、遊園地を出ると、1台の車が待ち受けていた。
「ちょうど良いタイミングだったね。良かったよ、こころ」
「ごめんなさい、兄さん。手間を取らせて」
「可愛い妹のためならなんてことはないさ」
「気持ち悪い……」
そう言うと、後部ドアを開けて乗り込むこころ。
「はっはっは……」
お兄さんはこちらに目を向けて、恥ずかしそうに苦笑いをこぼす。
あら、美男美女兄妹、羨ましい。
ふむぅ、これは私は1人電車で帰るパティーンかな。
さみしぃ~~~~くなんか……ないわけないよ!寂しいに決まってるさ!
そんな思考を繰り広げながら、傍から見たらボケーっとしていると、
「お友達かい?君も乗ると良いよ。送るから」
「当たり前じゃない。ちゃんと送りなさいよ、兄さん。ほら、遠慮しなくて良いわよ」
ちゃんとお声をかけてもらえました。
「じゃ、じゃあ、お言葉に甘えて」
誰かの車に乗るのとか久々だな~。
こころんが奥に移動して空いた座席に座る。
おっほぉ~、ふっかふか!
なんだ、この座席!
「飛び跳ねない」
「……はい」
怒られてしまった。
「はは、面白い友達だね、こころ。えっとお名前は?」
お兄さんも乗り込んでシートベルトを着けてエンジンをかける。
「あ、神林璃乃って言います」
「神林璃乃さんね」
ミラーから見るお兄さん、うん、良い……!
「はい!皆からはよく――」
「五月蝿いわよ、神林」
「えー……」
良い雰囲気にしようとしたら、隣からいきなりぶった切られた。
「ははは、ごめんね、神林ちゃん、こいつこんな性格で」
あ~~~~……神林ちゃん……。
「い、いえ。大丈夫です」
せっかく、りのっちって呼んでもらおうと思ったのに……!
隣を恨みがましく睨んでみる。
流れるように過ぎる窓の外を見て、どこ吹く風だった。
こっち見ろよ、ムキー!
その後は、私とお兄さんとの会話に口を挟まれることなく、車は地元の方へ近づいていった。
ふむぅ、一体何がしたかったのかな。
とりあえず、お兄さんからの呼ばれ方は神林ちゃんで定着してしまったけどね……。
まぁ、ちゃん付けだから良しとしよう。
「あ、ここで良いです」
家の近くの通りまで来たので、お兄さんにそう告げる。
「ここで良いの?家の前まで送るよ?」
ハザードランプを付けて減速しながらも、そう提案してくれた。
「いや、流石に悪いんで……お心遣いありがとうございます」
バッグミラー越しに頭をペコっと下げる。
車が停まって、ドアが開けられるか確認して外に出る。
「また良かったら、こころと遊んでね」
「はい!喜んで!」
どこぞの居酒屋みたいに元気良く答える。
そして、また感謝を述べて、反対側に回って、窓の外を見たままのこころんにも挨拶しようとしたら、眠り姫がいた。
大人しいと思ったらそういう事だったのね。
遊園地でも思ったけど、寝てると本当にお人形さんみたい。
ハフゥ〜、いくらでも眺めてられる。
さっきはそれどころじゃなかったしね。
いくらか顔色も戻ってる。
「良かった良かった」
名残惜しみながらそっと離れると、お兄さんはまた車を走らせた。
クラクションの代わりに、窓から右手を出してヒラヒラと振ってくれた。
去り際もカッコいい!
私は見えなくなるまで見送った。
そして、車のナンバーもスマホにメモしておいた。
ほ、ほら、街中で見かけたりとかあるかもじゃん!
私、これでも肉食系女子なんですよ、がおー。
勝手にスキップになる足をそのままにまだ太陽が高いところにある帰り道を辿る。
なんやかんやで今日は良い日だったね。
まだ終わってないけど。
「フヒヒ」
2人で撮った写真を見返して、顔がニヤけた。
リア充じゃん、私。
「ママー、あのお姉ちゃんの笑い方怖い~」
「しっ、見ちゃダメよ」
親子とのすれ違いざまにそんなこと言われた、若干傷ついた……。
けど、聞かなかったことにしよう……!
今度、藍澤さんに今日のことノロケよっと。
「ただいまー」
靴を脱いで上がろうとしたら、母さんの声がした。
「あら、早かったのね」
「ちょっとねー」
手を洗いに行きがてら、軽く答えると、それ以上は追求してこなかった。
それで納得するのねー。
まぁ、追求されてもどう答えて良いかわかんないんだけどね。
「あんた、普通なら1聞いたら10は返ってくるから」
「あれ、心の声漏れてる!?」
「ふぅ~」
部屋着に着替えた体をベッドに背中から倒れ込ませる。
「こころん大丈夫かな~……」
あの突然の熱の上がり方って、何だったんだろう、具合悪かったのかな……もしかして、病気……。
「ふむぅ……」
結局はいくら考えても想像でしかなくて、答えが出せるほど頭なんて良くない。
どうせ、頭悪いですよー。
「よし、うだうだタイム終わりっと」
ベッドから跳ね起きて、PCの電源を入れる。
さてと、時間できたし、ご依頼のものを描きますかね~。
通っているゲーセンの店長さんからたまにイラストを頼まれる。
ちょっとしたお小遣い稼ぎというか、そんな感じ。
帰宅部だしね。
「と言っても、お世辞にも自分じゃそんなに上手いとは思わないけどね~」
画像投稿サイトとかつぶやき見ると、うへぇ~、すごーいって思ってばっかりだもん。
私なんか、しがない街のゲーセンのPOPとかUFOキャッチャーの手本とかそんなレベルで十分さ。
といことで、あと少しで完成のイラストを仕上げていく。
あ、そうだ!こころんが詰まってたやつのガイドでも作るかな。
と言っても、あれ、本当に簡単なはずなんだけどな〜。
「ふむぅ……ま、狙い目とか描いとけばいっかな〜……」
椅子の上に胡座をかいて椅子を回す。
グルグル〜。
グルグル〜。
はい、酔う前にやめまーす。
構図なんかをパパっと描いて描き起こす。
「ま、こんなとこかな」
いるのかいらないのかよく分からないくらいの当たり前の狙い所しか描かれてない。
持っていくだけ持っていくか。
印刷とラミネートはゲーセンでやる。
プリンターとか高いしインク代高いし我が家には無いのであーる。
1週間の学校へのおつとめを無事終えて、土曜日の午後の街へと繰り出す。
もちろん、行先は今日も今日とて空気があまりよろしくないゲームセンター。
まぁ、休日だからそれなりに賑わってはいる。
機種は新しいの入れてるしね。
ランキングの更新もそろそろしとかないとかな。
ランキングの上位には名を残しておかないと落ち着かないからさっ。
「ゴホッ、ゴホッ」
お、聞き馴染みの咳が聞こえる。
「藍澤さーん、ちっす、ちっすー」
「あぁ、どうも」
クレーンゲームに新しい獲物を詰めていた。
「店長さんは?」
「裏にいると思いますよ。ちょっと待っててください」
お店の裏は基本的に関係者以外立ち入り禁止だから勝手には入れない、というか、入らないのですよ。
そこはちゃんと守らないとね!
「あ、それ終わってからで良いですよ。ちょっとプラプラしてるんで」
作業を中断して立ち上がろうとする藍澤さんを止めた。
そうですか、と一咳ついて作業を再開する。
ん?一咳って言葉あったっけ?
まぁ、良いや。
なんか新しい筐体とかアップグレードしてるのないかな〜。
ゲーセンを練り歩く。
ねりねりねりねり、何を練るんだろうね。
そもそも、練るとは何だろうか……。
「お、君JK?カワウィーねー」
そんな哲学的な考えをしようかどうか悩んですらいない時、コテコテチャラチャラなナンパを目撃してしまった。
まぁ、ゲーセンなんでそういうこともよくあったりする。
あ、私にはないですよ、もちろん。はははは……スーーーン……。
って、んなことは今はどうでも良くて、ナンパされてるのをのぞき見たら、
「は?邪魔なんだけど」
腕を組んで凍てつくような、汚物を見るような目をしたこころん様がいらっしゃった。
「まぁ、そんなこと言わずにサーァ?」
「俺らと楽しウィーことしない?」
「興味無い。キモイ」
ウザ絡みナンパかー、ここは私が助け舟をーー。
「あ、神林」
こころんは自分で気づいて私の方に駆け寄ってきた。
ナンパ野郎達は諦めずに私の方もターゲットにしようと近づいてきた時、
「あ、璃乃ちゃんつーかまーえたっ」
「わひゃ」
後ろから逞しい腕に抱き上げられた。
「ちょっと、びっくりさせないでくださいよ〜」
「え〜良いじゃん〜。うちらの仲だし〜」
「どんな仲ですか……というか、下ろしてください〜!にゃ〜!」
足が地についてないと落ち着かない〜!
「しょうがないにゃ〜……」
渋々降ろされた。
こころんから何故かキラキラした視線を感じる。
「で、そっちの男達は?」
ゆるゆるな口調が一転して硬いものになる。
「知らない人たちでーす」
「へぇ……?」
「ひっ……」
「いって……!」
店長に睨まれたナンパ野郎達はゲーム機にぶつかりながらもそそくさと逃げだす。
ここの店長は実は怖くて有名だったりする。
まぁ、こんなムキムキな女の人そうそういないしね。
「全く、私の目の黒いうちはお店で学生へのナンパなんてさせないんだから」
むん、と力こぶポーズを見せる。
「キャー、さっすが店長!カックイイ!」
パチパチパチ 、と拍手を送る。
えへへっ、と照れて鼻の下を擦ると、こころんの方に目を向けた。
「で、こっちのかわい子ちゃんは?もしかして、友達?あ、いや、璃乃ちゃん友達いるわけないか、あっはっは」
「ちょっと、どういう事ですか!?って言うか痛いです、バシバシ背中叩かないでください〜」
店長から逃れて、こころんの背に隠れる。
「こころん、助けて〜」
「ちょっとやめてください、通報しますよ」
「ガチ目に拒否られた!?」
めっちゃ引いた目で見られてる。
え、なんでそこまで嫌そうな顔するのさ。
「ひどいよ、こころん~」
「はぁ……」
私に向けてあからさまなため息を吐いて、店長に向き直る。
「ありがとうございました」
こころんは礼儀正しく頭を垂れる。
あれ、私も助けようとしたんだけど……あれ……?
「いいのよ〜、璃乃ちゃんのお友達ならもう私の友達よ」
「はあ……友達と言えるかはちょっと……」
「友達って言っとこうよ!ね!?」
「必死過ぎ……!ひひっ……」
私が寂しさで涙目になってる前で、店長は笑いながら涙目になってる。
こんの~……!
「ま、めんどくさいんで友達で良いです」
「ちょっ、めんどくさいって!?」
「まあまあ、もうその辺にしときなさいって。お姉さん妬けてきちゃうから」
ん?妬ける要素どこかにあった?
「で、璃乃ちゃんがアタシをご指名だって聞いたけど」
藍澤さんが伝えてくれたのか。
「あぁ、はい。イラスト出来たんで持ってきました」
「イラスト?」
こころんが珍しく純粋な反応を見せた。
「うん」
「あら、いつもありがとっ。じゃあ、早速プリントしちゃいましょうか」
「はーい。おっと」
店長と連れ立ってバックヤードに向かおうとすると、裾を引っ張られた。
「こころん?」
「も、も、ももも……」
「すももももものうち?」
こころんが珍しく動揺している。
「もしかして、このイラストってあなたが描いたの?」
壁に貼られてる私が描いたイラストを指差して言う。
「う、うん。そうだけど」
ふむぅ、なんだろう?
なんか気に障るところあったのかな……。
「本当に?」
「本当に」
「マジで?」
「まじで」
そこ聞き直す意味ってあるのかな?
「嘘、信じられない、なんであなたが……」
なんでそんなに疑われるかな……?
「なら、付いてきて、ほら」
証拠を見せつけてあげましょう。
「あっ」
こころんの手を引いて、店長の後に続く。
「店長、この子も良い?」
バックヤードってそんなに人をホイホイ関係者以外を入れて良いところでも無いだろうから、許可を求める。
「んま、良いわよ。でも、私の目の届く所にいてね」
「だって、こころん」
「う、うん」
まだ戸惑っているこころん。
それにしても、こころんの手、少しひんやりしてるけど、スベスベ!
指、というか手がほっそい!
何これ!?私と同じ人間なの!?
「あの、痛いんだけど」
「あ、ご、ごめん」
は、しまった!
こころんの声に反射的に手を離してしまう。
もっと堪能しておけば良かった……!
「全く……」
「あの、手をウェットティッシュでわざわざ拭かないで欲しいな~」
そんなに汚くないよ?
ちゃんとトイレの後は手を洗うよ?
「神林菌が付いたから」
「はい、そういう人を菌扱いするのは良くないと思います!」
「うるさい」
「バッサリ……!」
こころんは、コホコホっと咳き込む。
「体調まだ悪いの?」
「……いえ、ちょっと埃っぽくて」
まぁ、埃っぽいよね、やっぱり。
ゲームセンター自体が埃っぽくもあるし。
だから藍澤さんはいつもマスクしてるんだった……はず。
もう、あの人の場合、ファッションの一部な気がする。
マスクしてないと、たぶん誰かわかんない。
ていうか、藍澤さんの素顔を知らないや。
ふむぅ、特に興味湧かないかな。
「はい、どうぞ。使って良いわよ」
「はいはーい。ずびしっ」
USBを起動したプリンターに挿して、入っているものを全部印刷する。
そんなに新しくもないので、印刷が終わるまで少し時間がかかってしまう。
その間ももったいない精神でラミネートの準備もする。
こころんは店長が入れてくれたお茶を飲んでいた。
まあ、店長の趣味のファンシーな茶器がよく似合うこと!
店長には似合わないけどね、などと言ったら自分の血がカップに注がれることになるから注意ね。
「それにしても、璃乃ちゃんの友達には勿体ないくらい美人よね」
「そうね、神林には毎朝毎晩感謝の舞をしてほしいくらいよ」
この間の遊園地でさりげなく撮ったツーショット写真見て、おっひょ〜ってベッドの上で小躍りはしてる。
おっと、印刷できたかな。
「さあ、お上がりよ!出来たてホヤホヤだよ!」
バン!とこころんの前に叩きつける。
「ちょっと、お茶が零れたらどうするのよ」
「あ、はい、すみません」
って、カップ手に持ってるし。
会話の主導権は絶対に渡してくれないってことですね、はい。
そして、カップをテーブルに置くとこころんは印刷した紙を手に取った。
「うんうん、相変わらず納期通りだし、上手いわね」
横から覗き込むようにしてる店長がにこやかに頷く。
「璃乃ちゃんのイラストがあるから、まだこのゲームセンターも賑わってるってモノよ」
「そうなんですか?」
そいつは知らなかった。
「そうよ〜。可愛い、分かりやすいって学生を中心に大人気なんだから」
「えへへ〜」
そう言ってもらえると、素直に嬉しい。
「やっぱり……」
反対にこころんは眉間に皺を寄せて険しい顔をする。
ふむぅ、さっきからなんでしょう。
「こころん、さっきからどうしたの?」
「あなた、りのっちなの……?」
「いや、初めて会った時に言ったと思うけど」
「そうじゃなくて……!あーうー……!」
こころんが髪を掻き乱していらっしゃる。
あぁ、綺麗で艶やかな髪が乱れていく。
でも、そんな姿もそそるぜ。
机がバンッと叩かれる。
「ネットで、りのっちって名乗ってるの!?」
え、なんでキレられてるの?
「まぁ、たまーに……?」
あんまりハンネは固定してないので。
「くっ……!」
唇噛み締めてらっしゃるけど、全然話が見えてこない。
ふむぅ……。
とりあえずラミネートしよっと。
このラミネート機とかシュレッダーとか紙がモリモリモリッて食べられていく様子って好き。
ずっと見てられる。
たくさんお食べ〜。
こころんが俯いて何かブツブツ言ってるのは気になるけど……。
「店長、こんな感じでどうでしょうか?」
「おぉ、いつもありがとうね」
「いえいえ、これくらい」
店長は金庫から封筒を取り出して、差し出してくる。
「じゃあこれ、お小遣いね」
「ははー、ありがたき幸せ」
両手で恭しく受け取る。
「じゃあ、お茶だけ飲んでっちゃってよ」
店長がわざわざお湯を入れ直して私の分のお茶も入れてくれる。
お茶には拘りを持っていてとても素晴らしいお方です。
「はーい」
「私は早速これ貼ってくるから。変な所いじったりしないでね」
「ラジャです」
店長はラミネート加工されたイラストを手に持って、スタッフルームから出ていった。
2人残されて、私もとりあえず席についてお茶をすする。
う〜ん、おいしっ。
「神林」
「なんだい、こころんさんや」
唐突にノールックで呼ばれる。
「……ロコノミって知ってる?」
「え!?ネット小説家のロコノミ氏のこと!?こころんも知ってるの!?好きなの!?私も大好き!星と涙とかストーリー最高でめっちゃ感動して泣きまくったし、楓色椛色は切なさMAXでギューって心掴まれたし、最近だと――むごむご」
「す、ストップ!」
こころんに手で口を塞がれる。
すべすべ滑らかなり、ペロペロして良いかな?
「もう、良いから。あんまり面と向かって褒めちぎらないで」
顔を赤くして目を逸らして、空いてる手で髪の毛を弄ぶ。
「む!?」
それって……つまり……?
「もしかして……!」
こころんの手を振り払って詰め寄る。
「こころんがロコノミ氏なの!?」
「ふぅ……えぇ、そうよ」
ガシッと両手を握り、ブンブンとこころんの手を振る。
「むふー、大ファンです、むふー、いつも感想送らせて頂いてます、むふー」
鼻息がものすごく荒くなる。
「やっぱり……」
「あ、だからりのっちって確認してたんだ」
確かにロコノミ氏の感想にはいつも『りのっち 』で送ってる!
「うん、私、りのっちだよ!」
嬉しい!ロコノミ氏に名前覚えてもらってる!
「でも、なんで私が『りのっち 』だと思ったの?」
「ふぅ〜……とりあえず痛いから離して」
こころんは一つ息を吐いて、握られてた手を振り払う。
ひどい……。
「さっきのあなたの絵よ」
「絵?」
「そうよ。あなた前に私の話のキャラ描いてみました、て送ってきたことあるでしょ?」
「あぁ、星と涙で感極まりすぎて勢いで描いて勢いで送ったような気がする」
後でめっちゃ後悔したけど……。
あぁ、こんな汚い絵でお目汚しすみません……!って。
ロコノミ氏は基本的に感想のレスはしないからどう思わたかは分からずじまいだったけど。
「あの時……その……あなたの絵がとても良かったのよ。投稿サイトとか探したりもしたけど、他に見つからないんだもの」
「あ〜、あくまで趣味だし、そんな上げられるほどでも無いので……」
「はぁ!?あんな上手くて何言ってんの?嫌味?今すぐ謝って。謝りなさい」
「えっと、ごめんなさい……?」
「私じゃなくて世界に」
「え〜」
なんで急にワールドワイド……。
「まぁ、それは今は置いておくわ」
今はですか、そうですか。
「ねぇ」
「はい!」
何故か姿勢を正してみる。
「私の小説の挿絵を描いてみない?」
「さしえ……?」
ロコノミ氏の小説の?
誰が?
私が?
私が?????
「嫌なの?」
こころんが顔を近づけてくる。
本来だったら深呼吸するのに、今は思考の処理がうまくいかず、ただ目を逸らしてしまう。
あのロコノミ氏が私なんかに挿絵のお誘いをして下さってる。
え、これどうしたら良いの?
嬉しいのはあるけど、私の挿絵のせいでロコノミ氏の世界観を壊しちゃうんじゃないかという恐怖もある。
作品を好きすぎるが故のってやつ。
「あの、わた――」
「断ったら絶交。今後二度と会わない、話さない、近寄らせない」
「そ、そんな〜……」
何という条件。
何という不条理。
そんなこと言われたら、選択肢なんてないじゃない。
でも……。
「でも……」
『ガチャ』
「あれ、まだ居たんですか?」
スタッフルームのドアから、藍澤さんが入ってきた。
「あ、そろそろ出ようと思ってたところですよ~。行こ、こころん」
「ちょ、ちょっと」
荷物を持って立ち上がり、こころんの手を引いて、藍澤さんの横を抜ける。
「へぇ……」
「な、なんですか?」
藍澤さんはマスクを引っ張って放す。
「お友達、出来たんですね」
「ふんっ、友達くらいいるもん」
「そうですか。お気を付けて」
そう言うだけ言って、藍澤さんはスタッフルームのドアを閉めた。
何に対しての、お気を付けて、なのかな!?
「全く、ここの人達は私のことなんだと思ってるのかな」
「ぼっちな可哀想な子、でしょ」
「ぐはっ……!」
鋭利な言葉のナイフが心を抉り上げてきた。
胸の真ん中から血が噴き出す感覚が襲う。
「ちょっとここ――」
ドサッと腕の中にこころんが倒れ込んでくる。
「こころん!?」
「あ、ごめん。ちょっと躓いただけ」
こころんは直ぐ立ち上がると、目を合わせず決まり口調の様に言う。
ふむぅ?
何となく熱かったような……。
「それより、さっきの話の続き」
「え、うぅ……」
そう言われても……。
「こ、こんなところじゃあれだし……」
もう裏から出て騒がしくも変わらず埃臭い表に戻ってきてるし。
「そうね、私もあまりここに長居は……ケホッ」
喫茶店とかこの辺はタバコ臭い所が多いし、ノノヒルはどうせ混んでるし……。
「ふむぅ……じゃあ、ウチ、来る?」
「え?」
「嫌……かな?」
友達を家に誘うくらいなのにどうしてこんなにドキドキしてるんだろう。
あれ、誰かをウチに呼ぶのっていつぶりだろ?
ふむぅ……思い出せない……。
「あなたの家に行けば、りのっちの絵はもっと見れるわよね?」
「え、うん、まぁ……」
家で描いてるし……。
「そ、そう。なら行きましょう」
こころんはスタスタと歩き出す。
「ちょ、ちょっと、こころん場所分かるの?」
呼びかけるとこころんはピタッと立ち止まる。
「し、知るわけないじゃない!さっさと案内しなさいよ!」
やっぱり逆ギレされた……。
その顔は見えないけど耳は赤くなってるから、弄らないであげよう。
こころん、かーーーーわいっ。
こういうところもあるんだ。
「うへへへ」
「何、気持ち悪い笑いしてるのよ」
「なんでもないよ〜」
いつもは何もなくて、なんでもない家までの道が、まるで花が咲いてる道を通るかのように、今日はやたらと楽しく感じた。
「ただいま~」
「おじゃまします」
「どうぞどうぞ~」
こころんにスリッパを差し出す。
「ご両親はいるの?」
「う~んと、お母さ~ん!」
呼びかけてみても返事はなかった。
「まだパートに行ってるみたい」
「そ、そう……そんな確かめ方なのね」
「先に2階の右曲がって突き当りの部屋行っててもらって良い?お茶持っていくから」
「ありがとう」
そう言って、階段を上がっていく。
「……で、あなたは這いつくばって何をしようとしているの?」
「え?いや~、コンタクト落としちゃって~……」
「ふ~ん、それにしてはなんでこちらを見上げてるのかしら」
「そ、そんなことないよ。あれ~どこかな~」
必死に探すフリをする。
パンツ覗こうなんてしてたなんてバレたら殺されちゃう。
「正直に言えば、許してあげるわ」
「パンツ見たいな〜」
「いっぺん死んでみなさい……!」
「ふぎゃ~~~!!!!」
目が~!目が~!
足刀で踏み抜かれた。
それはそれで、ご褒美……!
あ、でもやっぱり痛い~!
「ふんっ」
ドスドスとこころんが階段を上がっていく音と振動を感じた。
せっかくのチャンスが~!
「お茶どうぞ」
ローテーブルの上にお茶を並べる。
「睡眠薬入ってないわよね?」
「持ってません!」
そう言っても、口を付けようとしないので、自分が先に飲んでみせると、やっと口を付けてくれた。
警戒レベルがまた上がってしまった。
自業自得なのだけど……。
こころんはゴクゴクと勢いよく飲んでいる。
やっぱり喉乾いてるんじゃん。
この間の事もあったからお茶の容器ごと持ってきて良かった。
「ぷはっ」
「良い飲みっぷりですね、お客さん」
そう言って2杯目を注いでおく。
「ありがとう」
「また、具合悪くなったりしてない?」
一応確認しておく。
「……大丈夫よ」
「なら、良いけど」
2杯目は直ぐには飲まなかった。
「ねぇ、せっかくだし、神林の描いた絵をもっと見せてよ」
「りのっち」
「う……そんなの良いから」
「りのっち」
どうしても私の絵が見たいこころんと、どうしても『りのっち 』呼びしてもらいたい私。
「りのっち、と今後呼んでくれるなら良いよ」
「こんの……」
「じゃあ見せられないな〜、挿絵なんかも絶対無理かな〜」
「くっ……」
ふふん、悔しがってる悔しがってる。
いつでも優位取れると思ったら大間違いなんだから。
「り……」
「り?」
耳元に手をやって顔をちかづける。
「……りのっち……」
消え入りそうな声だけど確かに鈴のなるような声が鼓膜を叩いた。
「〜〜〜……!!!」
ジタバタジタバタ、ビッタンバッタン。
「な、なに!?」
心地よく響くその音に胸が心が脳が満たされて溶かされる。
「ちょ、ちょっと止まりなさい」
「やーだよー」
ゴロンゴロンと部屋中を転がり回る。
『ゴスン 』
「あいたっ」
「ほら、見なさい」
足で思いっきりタンスの角を蹴ってしまった。
「さ、呼んだんだから、見せなさいよ」
「……な、何を?」
とりあえず痛みでそれどころでない。
「へぇ……?」
「あ、はい、直ぐに!」
背筋がゾワッとした!
冷や汗ぶわっとした!
痛みもどこかに飛んで行ったので慌ててノートPCを立ち上げる。
モニターに一瞬写ったこころんの顔は恐ろしいものだった。
「それにしても、りのっちって呼んでもらえると思ってなかったから嬉しい」
私の絵なんか見る為に、こころんがプライドみたいのを捨てるとは思ってなかった。
「神林――」
「あぁっと、強制シャットダウンしたくなっちゃったな〜」
「くっ……りの……ちは、自分の絵を過小評価し過ぎ」
「そうかな〜?」
頬をポリポリ。
パソコンが起動したので、絵を格納しているフォルダを開く。
「こんなに……」
「まだまだだよ~」
上手い人はもっと描いてるもん。
まぁ、実際は知らないけど……描いてるはず……。
「あ、漫画もある」
「あはは、すっごい下手くそだけど……」
人にこんなに絵を見られるなんて初めて。
こころんは真剣な眼差しで絵を凝視してる。
何だかむず痒い。
心の中をポリポリする代わりに頭をポリポリする。
「これ、風が泣いて空が笑ったの絵?」
「すごい、よく分かったね。って、一応作者だもんね」
「そうね。でも、このシーンは私も熱を込めたから」
「うんうん!なんかググッて伝わってきて、ぶわーって描きたくなって描いたの」
「なるほど……実際に目で見ると面白いものね」
「ロコノミ氏、こころんはこういう風景を実際に見たことある訳じゃないの?」
「そうね。私は……」
一旦言葉を切って、少し考える。
「私は、行ったことも見たこともないから、書くの。登場人物達の世界を。だから、全部私の中の妄想」
「ほへぇ〜……やっぱり凄いね。私は行ったことも見たこともなければ描けないよ」
だから、二次創作ばかり。
「でも、私の話から絵を起こしてるじゃない」
「いや、それは細かく情景描写されてるもん。私の頭でもちゃんとイメージ出来るくらいに」
「そう言ってもらえると嬉しい」
画面の絵を指先でなぞって、綺麗……と見惚れるように呟く。
そんな姿に私が見惚れる。
『パシャ』
なので、スマホのカメラに収めておく。
「ちょっと、勝手に撮らないでよ」
「綺麗なものは撮りたくなっちゃうので」
「なら、私はこの絵を撮るわよ」
「それは恥ずかしいので……!」
「というか、データ寄越しなさいよ」
「無断転載怖い」
「する訳ないでしょ!」
「だって〜……」
「全く……そうやって他人を信じようとしないから、友達いないのよ」
「この流れで関係無くない!?」
まぁ、否定はできないけどね!
あ、他人を信じようとしないってことだから!友達はいるもん!
「ネットの世界に?」
「うぐっ」
声に出ていたらしい。
「まぁ、それは良いわ」
「自分から振ったくせに〜……」
「本当にデータ頂戴。誓って転載とかしないから」
「でもな〜」
「特大サイズで印刷するだけだから」
「余計恥ずかしいよ!」
細かいミスとか塗り残しがあるかもしれないのに!
「お願い、りのっちっ」
「はぅあっっっっ!」
こころんに抱きつかれて上目遣いでお願いされて、断れる人はいるだろうか、いや、いないだろう。いるわけない。いたら私とその時だけ変われ。
「も、もうしょうがにゃいにゃ〜……」
デヘデヘ、デレデレ。
このまま抱き締めて良いだろうか、あんな事やこんな事をしても良いだろうか。
手をワキワキさせる。
「あ、でも持っていく手段が無いわね」
いざ、抱き締めようとしたら、するりとこころんは離れていった。
あ、あれ〜、ちぇ〜っ……。
不二子ちゃんにいつも良いところで避けられるルパンってこんな気持ちなのね。
私はそう何度も耐えられなさそう。
「なら、USB貸そうか〜?」
「じゃあ、それで。っていうか、何、不貞腐れてるの?」
「べっつにー」
手近にあるUSBをパソコンに差し込む。
中に余計なものが入ってないかちゃんと見とかないとね。
USBの容量は0バイトだった。
うん、大丈夫。
「何が欲しいの?」
「え、えっと……私の書いたやつの絵ってまだある?」
「ん〜と……確かタイトルに小説のタイトル付けてるはず」
「ふむふむ」
こころんは自分の作品名で検索をかける。
そして見つけたのを片っ端からUSBにコピーしてペッてしていく。
そういえば、コピペのペって何の略だろう?
ていうか、そんなにいる?
こころんは、ほぼサムネイルとかも見ずにコピペしていく。
本当に私の絵の何が良いんだろう?
こころんは凄く喜んでくれてるけどさ。
喜んで貰えるのは嬉しいけど。
なんか、実感というかそういうのが湧かない。
そんなに喜ぶなら、意欲を湧かしてくれるこころんの方が100倍凄いと思う。
「ねぇ、こころん」
「何?」
こころんは返事はしたけど、絵を選ぶのに夢中である。
そんなに嬉しそうにされると、何も言えなくなっちゃうよ。
「……なんでもない」
「そう」
コピーし終わって抜いたUSBを大事そうに嬉しそうにカバンにしまう。
こころんにこんなに喜んでもらえるなら、描いてきたかいがあった……かな。
描いてきて……良かった……。
もともと誰に見せたいでもなく描いてきたものだし。
もともとただの自己満足だった。
時間潰しだった。
言うなら、暇つぶし。
友達がいな……い訳じゃないけど、誰にも絵を描いてるとは言ってなかった。
言えなかった。
恥ずかしいから。
こころんは凄いな。
自分で作った作品を公開して、しかも人気だし。
そんな人が私の作品を気に入ってくれるなんて奇跡みたいだよ。
もう満足だよ。
「何、充実感に浸ってるの?」
「こころんに私の絵を気に入ってもらえたからだよ」
「は?何甘い事言ってるの?」
「え?」
「私の作品の挿絵もやれば、あなたの事を世界中で気に入ってくれる人が現れるわよ」
「わーお、わーるどわいどー」
ていうか、
「叩かれまくる未来しか想像できないんだけど……」
「ねじ伏せなさい」
「ねじ……?うわっ……!」
ガっと襟元を掴まれて引き寄せられる。
「あなたの事をとやかく言ってくる人達は気にしなくて良い、アンチなんて湧いて当然。でも、それでもあなたは描いて」
「で、でも〜……」
「誰も褒めてくれないなら私が褒めちぎってあげる。顔の見えない誰かの謗りなんか、気にならないくらい、私があなたの目を見て賞賛する。それなら問題ないでしょ」
「こころん……」
おでこがぶつかりそうな距離で、まくしたてられる。
「お願い、私には時間が……!うっ……少し熱くなりすぎちゃったかな……」
途端、口を抑えて離れる。
「お、御手洗借りても良い?」
「う、うん、この部屋の階段挟んで反対側」
口元を抑えたまま、少しふらつきながら部屋を出ていく。
「ついて――」
「来なくて良い」
喰い気味でドアを閉めながら断られた。
「ふむぅ……」
大丈夫かな?
また熱上がったのかな?
ソワソワと机の周りを歩き始めてみる。
なんだか、落ち着かない。
それに、
「時間って……どういうことなのかな……?」
1人では解決しないような問いをグルグルと歩き回りながら、グルグルと考える。
『ガチャ』
「何してるの?」
そうしてるうちにこころんが戻ってきた。
顔色は一応戻ってるみたい。
「なんでもなーいよっ」
「まぁ、いいわ。私、そろそろ帰るわね」
「もう帰っちゃうの?」
夕飯食べていきなよ!
むしろ泊まっていきなよ!
枕並べて夢を語ろうぜ!
そして2人の熱い夜を……!
「目が雄弁に熱くなにか語ってるけど無視するわ」
「あら?」
振られてしまった。
「そう言えば、こころんの家って何処なの?」
「ノワール……なんて言ったかしら、最近引っ越してきたから……あ、そこから見える高いやつよ」
「な、なんだってー!?」
窓の先を指さすこころん。
その先には忌まわしくもありがたいノノヒルがそびえ立っている。
「このブルジョワめ!」
お嬢様学校だし、何となくそんな気はしてたけど。
とりあえず手近なところにあったクッションを投げつける。
「ふんっ」
「あうちっ」
キャッチされて思いっきり投げ返された。
「別に住みたくて住んでるわけじゃないし」
「お前に日照権を奪われた下々の気持ちが分かるかー!」
「ということで、帰るわね」
「ぐぬぬ」
引き伸ばそうとしてるのがバレたか……。
はぁ……諦めるか。
渋々立ち上がって玄関に向かうこころんの後を追う。
「道分かる?大丈夫?」
「目指す場所がハッキリしてるし、大丈夫よ」
確かに。
ノノヒルへの道案内はその辺に結構あるし。
「また遊びに来てくれる?」
「挿絵描いてくれるなら」
「今度こころんの家に遊びに行っても良い?」
「挿絵描いてくれる決心がついたなら」
こころんは靴を履いているからか、こっちに顔を向けてくれない。
「……少しだけ時間下さい」
「じゃあ、明日、また聞くからその時に。USBもついでに返さないとだし」
「早くない!?」
「YESかNOで答えるだけでしょ」
「そういう問題じゃないでしょ」
「ふふ」
玄関を開けて、美しく楽しそうに笑うこころん。
「あなたは明日に怯える必要なんてないんだから。いくらでも見返せるのよ」
「え?」
言ってることが全く理解できなかった。
「それじゃあね、ばいばい」
「ばいばい……」
軽く手を振ってこころんは夕闇に消えていった。
「ふんふ〜ん」
お風呂上がりにご機嫌に鼻歌を歌う。
今日は良き日でしたな〜。
ベッドにボスんとダイブして布団を抱き抱えてゴロゴロジタバタ。
こころんの残り香はもう無いけど、確かにこの空間に存在したのだ。
「美少女がこの部屋に……!むふぅーーー!」
それにしても……。
「私がロコノミ氏の挿絵……ねぇ……」
うつ伏せになって顔を布団に埋めて、上から布団を被る。
「いや、無理でしょーーーーーーー!あのロコノミだよーーーーー!投稿サイト評価も上位ランカーだよーーーー!まぁ、挿絵が付いたら鬼に金棒だと思うけどーーーー!でも、私だなんて無いでしょうーーーー!」
くぐもった声が鼓膜と布団の中で渦巻く。
心の声を叫んでみても、こころんが望む方に傾く様子すらなかった。
私は私の中に何か期待する何かを持ってない絶賛モラトリアム満喫中の夢無し人だ。
その何かを探す気すらないぐーたらな人間だ。
凄い人を凄い凄いと感心する観客であり、第三者的人生だ。
だから……。
だから…………。
私は………………。
何かを決めることが怖い。
何かを決めることによる変化が怖い。
何かを決めたことによる代償が怖い。
私が何か決める度に仲の良い人達は離れていった。
私がその選択をしたから、してしまったから。
そばにいられなくなった。
そばにいたくなくなった。
嫌われた。
嫌いになった。
友達はいないわけじゃない。
いなくなったんだ……。
「あぁぁぁ〜〜……」
黒いズルズルグニョグニョしたものが心の中を這い回る。
落ちる……堕ちる……おちる……オチル……。
『リリリリン 』
「あっ……」
スマホの通知音だ。
モソモソと布団から手だけ出してスマホを探す。
「あったあった」
硬いものを掴んだので布団の中に引きづりこむ。
「って、これテレビのリモコンやん」
第二次捜索を開始する。
「お、今度こそ」
また掴んだものを引きづりこむ。
「うん、そんな気がした」
部屋の明かりのリモコンだった。
「はぁ〜……起きて探した方が早いってことですね、そうですか、分かりました……!」
ガバッと布団を取り払うと、
『 ガッ、ガタガタ、カラカラカラ……』
スマホが吹っ飛んでいた。
「お前、そんなに近くにいたのか……」
どうやら布団に巻き込んでたみたい。
「そーりーそーりー」
スマホに謝って、拾い上げる。
良かった、ディスプレイは無傷だ。
早速通知を確認する。
「何の通知でしょ〜ね〜……おっ」
ロコノミ氏、つまりこころんの新作が投稿された通知だった。
「新作……ごくり……」
ふむぅ、このタイミングで新作とか……絶対、コーメイの罠ってやつな気がする……。
いや、どういう意味かよくわかんないし、知らないけど、そもそもコーメイって何?
「ええい、とりあえずロコノミ氏の新作を読まないという選択肢は存在しないのだー!」
通知をタップしてアプリが立ち上がる。
ドキドキ、ドキドキ。
期待に胸は自然と高鳴る。
「遊び林……」
なんか、タイトルだけで凄い微妙な気持ちになるのは何でだろうか。
「ま、まぁ、とりあえず読も読も、うん」
そして、私は物語の世界に没入する。
何処か童話チックというか、昔話チックなお話だった。
林と囃子をかけてる……のかな。
でも、風景の描写はいつも以上に細かくて人の描写も絶妙に説明が入っていて、とても想像をかき立てられた。
ムズムズ。
ムズムズ。
読み終わる前に既に描きたくてムズムズする。
そして、続きが気になるような展開になって上げられてた分は終わっていた。
「うっわ〜〜!めっちゃ気になる!どうなるの!?」
ロコノミ氏の事だから素直に想像できる流れの展開の通りにしたりしないはず。
ジタバタジタバタ。
ベッドの上で暴れる。
『ピコン』
「ん?」
こころんからメッセだ。
開いてみると
『ドヤァ』
というドヤ顔のスタンプが現れる。
何となく、こころんが同じような顔を想像してみたら面白かった。
続けて文字も送られてくる。
『続きを読みたければ挿絵を描きなさい』
『そんな殺生な〜生殺し〜』
『しかも、あなただけにしか公開してない』
『な、なんだと……!?』
私にだけにしか公開してないとか、何そのご褒美。
いや、 あの、こころんがタダでそんなことしてくれるとは……。
裏がありそう……ロコノミ氏のファンとしてとても恐ろしい……。
次に送られてきたメッセージで疑惑が確証になった。
『挿絵を描かないなら、続きは書かないし、これの公開もしないからねっ』
ニッコリ、というスタンプ付き。
「ぐはっ……そうくるか……」
『挿絵を書くなら、挿絵のために誰よりもいち早く話が読めちゃう。まぁ!なんてお得!』
「ぐぬぬ……」
ロコノミ氏のファンとして、続き読みたい、誰よりも早く読みたい、そんな欲を突いてきた。
『ひ、卑怯なり……』
ハンカチを噛み締めた苦渋の顔のスタンプを送る。
『なんとでも言いなさい』
高笑いのスタンプ付き。
実際に高笑いしてる姿が目に浮かぶ。
『じゃ、待ってるから』
「ふむぅ……どうしたもんかな〜……」
ボフッとベッドに背中かから倒れ込んで、天井に呟きを零す。
ただ、口ではそう言っても心の中では既に決まっていた。
にやけた顔が元に戻りそうにないのだ。
「――――てよ」
「……んにゅ……?」
「ねぇ……て、りのっち」
「……ぬへへ」
夢と現実が曖昧なまま、ただ、耳には聞くだけで幸せになるような声が、そう、こころんの声が聞こえる気がする。
このままでいたら聞き続けられるのかな……ぐぅ……。
「起きなさいっ!」
「あいたっ!」
両頬に衝撃が走る。
「っ!?っ!?」
何事!?何事!?
視界がチカチカする……。
「ごきげんよう、寝坊助さん」
「ほほ、ほひへぇんよう……?」
目の前にこころんがいる。
ん?ん?
「ん?ん?」
醒めきらない頭は疑問符ばかりを生み出す。
これは夢?
でも、確かにほっぺたが今めっちゃ痛い。
え?
てか、めっちゃ痛いんだけど。
泣いて良い?
座椅子で寝落ちてたから腰も痛いし。
「さっさと顔洗って来なさい」
そして部屋から追い出された。
何これ……?
とりあえず言われるがままに顔を洗って部屋に戻る。
途中リビングから両親の、あの子にも友達が……!みたいな咽び泣く声が聞こえた気がした。
「おかえり」
「こころんがいる!?」
え、こころんがいるんだけど、夢じゃなかったの。
しかも、パソコンの前の座椅子で体育座りして前後に揺れてるんだけど、何この可愛い生き物。
「なんで!?」
「明日答えをきくって言ったじゃない」
「いや、言ったけど……」
それで朝一で部屋に乗り込んでくる?
「もうお昼過ぎよ」
え?
時計を確認する。
「あ、ホントですね〜」
何時に寝落ちたんだろうか……。
どこまで描いたっけ……。
「ま、答えを聞くまでも無いのかしら?」
「うっ……」
てか、こころんに思いっきり寝顔見られてんじゃん!やだ恥ずかしい……!
こころんはさっきからモニターから目を少しも逸らさない。
そこに映ってるものを食い入るように、瞳に焼き付けるように見てる。
「あの、まだ描き途中……」
「構わない」
「いや、寝てる時に変な線入ってるかも」
「構わない」
「ていうか、ラフでぶわーって描いただけだし」
「何となく伝わるわ」
あ、そこは流石になんとなくなんですね。
まぁ、私自身勢いで描いてたから何が何だか読み解くとこからなんだけど。
ポリポリと頭を掻く。
あ、寝癖直してないや。
「ていうかさー、挿絵って言ったって何枚描くの?どのシーン描くの?」
「うーん……」
右手の人差し指を顎に当てる。
「……全部?」
「絵本かよ!?」
いや、そりゃ描けるなら描きたいけどさ!
「流石にそれは時間がかかり過ぎちゃうよ……」
「確かに公開をあんまり遅くさせるのは良くないわね。なら、あなたの描きたいところを描くというのは?」
「それで良いの?」
「とりあえず1話に1枚で。今日のであなたが描きたくなるところって言うのが分かったから」
「そう?」
「熱を入れたくなるところをちゃんと読み取ってくれる理想的な読者よ」
「まぁね!」
ロコノミ氏の熱狂的ファンですから!
ふふーん、と鼻を高くして大きすぎず小さすぎない胸を張る。
「変態のくせに」
「それは、こころんが可愛すぎるからです!」
「同性をも虜にしてしまうなんて、私の美しさも罪ね」
はぁ……と頬に手を当てて首をふりふり。
こんな仕草が様になるなんて流石、こころん。
「それで、どれくらいで描けるの?」
「え、う~ん……1ヶ月……?」
「それで、どれくらいで描けるの?」
あれ、スルーされてる?
「1ヶ月くらいかな~……」
「それで、どれくらいで描けるの?」
あれ、無限ループ?
「さ、3週間……?」
「分かったわ……2週間ね」
「あれ?分かってなくないですか?」
やれやれ、て顔してますけど。
2週間ってあの、学校の宿題とかもあるんだけど……。
「う~ん、とりあえず描いてみます」
としか言えないですよね~……。
「遅れたら今後無視するから」
「そんなご無体な……!」
相変わらず思い通りにならなかったときの仕打ちが酷すぎる!
『ペラ……ペラ……』
『サ……サー……カチ……』
む~……うまく線が引けぬ……。
てか、やりにくい……!!!
後ろで漫画読みながら作業監視されるのってなんかむず痒いものなんですね!
私、初めて知りました!
ページ送る音は一応聞こえるんだけど、時折すごく視線を感じるんだよね。
「ねぇ、こころん」
振り向くとベッドの上でサッと顔を漫画で隠して熱中してるので話かけないでアピール。
いや、小学生かよ。
可愛いけど!
「むしろ後ろから見られるより、せめて横に来てよ……」
「いいの?」
「私越しに画面見てるのは分かってるけど、なんかこう私にも視線が当たるからムズムズするの」
「自意識過剰なの?」
「そうじゃないけど!とにかく見るなら横に来て」
バフバフ、と引っ張ってきたクッションを叩く。
「仕方ないわね」
ベッドから降りて嬉しそうにクッションの上に腰を下ろす。
あ〜、良い匂いで鼻が満たされる。
これはこれで集中力が途切れそう……。
って、そんなこと言ったら何言わるか分かったもんじゃない。
集中……集中……。
今はこのラフの世界から線を掬い取って、世界を安定させないと。
脇においたスマホに表示している、こころんが書いた世界を確認しながら、私が描いている世界との差を埋めることに没入する。
違う……ここはもっと……自然に……うん……。
だんだんと描き直す回数が減っていく。
手が描く世界と頭に描かれた世界が一致していく感覚。
カチリと頭から手を連動させる歯車が噛み合うようなそんな感覚。
絵の中に落ちていく。
絵の世界に溶けていく。
「ふーん」
口の中で言葉を転がす。
隣にある、いつも気だるそうにしてる目はいつもより大きく開いて真っ直ぐディスプレイに注がれている。
いつもは私の事チラチラ見るのに。
いつもヘラヘラしてるのにこんな顔もちゃんとできるんだ。
だんだんと形作られていく絵も気になるけど、誰かが夢中に何かしてる顔も気になってしまう。
悪くないじゃない。
普段が普段だけに……ねっ。
『 ガチャ』
「ご飯よー」
「ふにゃ……!」
突然の声に驚いて奇声をあげてしまった。
まぁ、いつもこんな感じなんだけど。
慣れないもんは慣れないもん。
「って、あれ、こころんは?」
隣にあったはずの存在がいつの間にかなかった。
忍者かな、くノ一?
「おやつ食べてとっくに帰ったわよ」
「あ、そうなの……っておやつ!?私のは!?」
「お友達が食べたんじゃない?お盆もわざわざ持ってきてくれて……あなたは何やってたのよ?」
「ホワァッツ!?」
全く、と何があったのかも知らないのに呆れたため息を吐かれる。
「とにかく、早くしないとご飯冷めるわよ。何回も呼んだんだから」
ぐるるるる……!とお腹の虫が唸り声をあげる。
「た、食べますっ……アウチ!」
急いで立ち上がろうとして、テーブルに思いっきり脛をぶつける。
すると、ヒラリとメモが目の前に落ちてきた。
中を開くと、
『 とても集中していたので、おやつ食べておいてあげました。こういうの久々に食べると美味しいわよねっ』
こういうのって私には分からんわ!
何食べたんだよー!
お母さんの事だから、きっと久々にお友達来たし、こころんみたいな美少女だしで良いの出したに違いない。
私も食べたかったー!!!
さらに空腹感が増して、お腹の虫もさらに叫んだ。
『ちょっと!ちょっと!こころんさん!? 』
食後に速攻でメッセージを送る。
「あれ?」
昨日はすぐ返事来たのに既読すら付かない。
ご飯かな?じゃあしょうがない、時を改めるか。
締切厳しいから進めないと……。
スマホをベッドにポイッと投げて、ペンタブを握った。
「くあっ……!」
自分が何を描いてるのか分からなくなってきた。
思い通りに腕が動かなくて思った線が描けない感じ。
ガシガシと後頭部を搔く。
あ〜、脳みそがシャットダウン寸前。
「ふぁっ……ふぅ……」
大欠伸を零してスマホを手探りで探して掴み取る。
「まだ既読つかないんだ」
ふむぅ……とりあえず寝よ。
明日学校だし。
忘れずに保存してPCの電源を落とす。
寝る準備に取り掛かった。
「ぬへ〜……」
「あんまり、女の子が出して良い声じゃないですね」
いつものマスクな藍澤さんにため息をつかれる。
「いやー、何だかこの騒々しさが久しぶりで」
「そういえば、お久しぶりですね。いつもなら平日はほぼ毎日来るのに、珍しい」
そう、今日は週の真ん中っ……らへんの木曜日!
挿絵作業が一段落して、こころんに送って一旦審査待ちみたいな感じとなった。
なので、息抜き的なのを求めてゲーセンにぶらーり。
いや、なんかいつもと違って凄く疲れるんだよね……。
飽きやすい私に締切が精神的にお尻を叩きまくってくるから何とかできたけど。
普段だったらもっと時間掛かるんだよね〜……締切って凄い。
「いやー、今イラストのお仕事みたいの受けたんで気合い入れてやってるんだよね〜」
「へぇ〜。良いんじゃないですか。私はてっきり補習とか呼び出し続きなのかと」
「そんなに素行不良じゃないわ!」
人を何だと思ってるのやら。
そりゃ、宿題忘れるし、授業中にちょっと瞑想したり睡眠学習したりして怒られたりしてるけどさ。
「よし、ランキング行脚してくる!」
「ほどほどに」
このゲーセンのランキングがあるゲームの殆どは私がTOPに君臨してる。
だから、たまに抜かれるか同率がいたりするからその時は思い知らせるのさ、誰が王者なのかを!
「ふっふっふっ……」
「その執念を学業にも活かせば良いと思いますけど」
「えーなにか言った~?音がうるさくて~」
「はぁ……なんでもないですよ」
呆れる藍澤さんを置いてランキング行脚に向かう。
まぁ、私がアドバイスとかのイラスト描いてるから自分でライバル増やしてるとも言えるんだけどね。
強者の嗜みってやつ?
って、井の中の蛙なのは分かってますよ。良いの、私の世界はこのゲーセンで閉じてて。
『本当に?』
『世界を見なさい』
『将来どうるんだ』
『今楽しても、後で後悔するぞ』
「うるさいうるさいうるさーい!!」
過去に投げつけられた言葉がリフレインしてくる。
目の前ではゾンビたちが体液を撒き散らして倒れていく。
『カチッ、カチッ』
「あ、あれ……?」
握るゲームの銃に力が入ってリロードがうまくいかない。
「あぁ……」
画面に映る『GAME OVER』の文字。
モタツイているうちにライフが尽きてしまった。
「なんか、うまくいかないですにゃ~」
『逃げるな!』
「……っ!」
突然胸ぐらを掴まれた感覚に襲われる。
こころんの燃えるような瞳に、煮えたぎるような熱意に私の心臓が掴み上げられた、あの瞬間がフラッシュバックする。
「私は……」
『CONTINUE』の10カウントも終わりを告げていた。
「はぁ……気が乗らない……」
手に持っていた銃をもどす。
「本屋でも行こうかな」
出入口向かう。
自動ドアをくぐると、店前のUFOキャッチャーの前で藍澤さんが珍しく誰かと話してた。
誰だろ……あの藍澤さんがお店の人以外と話すだなんて興味が湧きますねぇ……。
こっそりと様子を伺う。
あれ、お相手の声も何処かで聞いたことあるような……。
「って、こころんのお兄さん!?」
「ん?あぁ、神林ちゃん。久しぶりだね。ゲーセンに遊びに来たのかな?」
「は、はい。たまたま……」
「うちのお常連さんですよ」
「あれ、そうなの?」
「ちょっ……!!」
そういう余計な情報流さないでよ!
「ゲーム得意なの?」
「そ、そんなでもないですよ〜、全然下手で」
てへっ、とはにかんでみる。
「うちのゲームの大体のトップランカーですよ」
「おぉ〜、凄いね〜!」
お兄さんが感嘆の声を上げる。
私はアハハと笑いながらも、ギリィ、と思い切り苦虫を噛み潰した。
藍澤さんめぇ〜……ここぞとばかりに……!
「と、ところでお2人はお知り合いなんですか?」
秘技話題逸らし。
「大学の友達だよ」
「それは恐れ多いですよ。先輩後輩の関係です。美野先輩はもう卒業されてますし」
「え!?藍澤さん大学生だったの!?」
「はい」
「うっそだ〜!いつもここにいるし!」
「必要分の単位は取ってますし、シフト休みの時もちゃんとあります」
「驚愕の事実……!」
「あっははは。面白い反応するね、神林ちゃん」
やばっ、素が出ちゃった……!
「じゃあ、これ聞いたらもっと驚くんじゃないかな」
「何ですか?」
「彼、eスポーツじゃ有名人なんだよ」
「え?……えっ!?」
思わず藍澤さんを2度見したら目を逸らされた。
eスポーツ番組はたまにチェックしたりしてるけど、こんな人いたっけ?
「まっ、eスポーツ時はそんなマスク姿で覇気なさそうな感じじゃないから分からないと思うよ」
「全然想像できない……」
「出来なくて良いです」
「マスク外してよ」
「嫌です」
「何か飲みます?奢っちゃうよ!」
「仕事中なんで」
「あ、歯に青のりついてますよ」
「いや、見えないでしょ」
「マスクに虫が……!」
「いませんね」
普通に目線を下に向けただけだった。
「ふむぅ……ケチ!」
「どうせケチですよ」
ネタが尽きた。
こうなれば実力行使しか……。
「くっくっくっ、2人とも仲良いんだね」
隙を伺っていたら、堪えきれなかったようにお兄さんが笑いだした。
「漫才見てるみたいだよ」
「いつも適当にあしらってるのに、何故か懐かれてるだけです」
「言い方……!」
人をなんだと思ってるんだ、ホントに!
あと、別に懐いてないし!
「冗談です。彼女はうちのゲームアドバイザーでもあるんですよ」
「げーむあどばいざー?」
「例えば、このUFOキャッチャーの筐体のこのイラスト」
「ほうほう、とり方のコツ……。なるほど、分かりやすいし、絵柄も可愛いね」
キャー、お兄さんが私のこと可愛いって!
あ、私の生み出したイラスのことね!
「これを描いてるのが彼女です」
「なるほど。でも、こういうのお店的には売上下げちゃうんじゃないの?」
「そこはバランスですね。そういうイラストがあるってことで話題になって集客も上がってるんですよ」
「なるほどね~、そういう考え方もありか。なかなかやり手な店長さんだね」
うんうん、とお兄さんは顎に手を当て納得したような声を出す。
へ~、確かに言われてみればお店的には普通はマイナスだよね~。
今まで考えたこともなかった。
好きなキャラのPOP作りを勝手にして藍澤さんに渡してから、店長から直々にお願いされるようになって、お手本とかも描いてみない?って言われて何も考えずに今までやってきてたよね。
あの店長も脳き……んっん……戦略とか縁遠そうと思ってたけど、色々考えてるんだな~……うんうん。
「ぶあっくしょい……!」
店内から騒音とともにくしゃみが聞こえた。
ちょっと背中を冷や汗が滲んだ気がする。
「っと、そろそろ仕事に戻りますね」
「あぁ、すっかり話し込んでしまって、すまないな」
「いえ、お気になさらず、それでは」
藍澤さんはダンボールを持って騒音の中に戻っていった。
「それにしても、まさか本当に会えるとは」
「うん……?」
も、もしかして……私に会いに……?
「いや、藍澤君も近くに住んでるって最近知ってね」
「あ……そうなんですね……」
ですよね〜……。
「な〜んて、本命は神林ちゃんだよ」
「うぴょ……!?」
ヤバ、変な声出た……。
なにこれフラグ立ってるの?立ってるよね?私の時代来た?
「我が妹が神林ちゃんに最近ご執心だから、兄として気になっちゃってね」
「そうなんですかね……ははは……」
イラストのせいで、とは言わない。
「だから、君に説得をしてもらいたくてさ」
「説得?」
なんの?
誰を仲間にするの?
ふむう……全く予想がつかない。
「これから少し時間良いかな?」
「えっと……はい、大丈夫ですけど」
「ありがとう、じゃあ、付いてきて」
微笑んで、背中を向けて歩き出した。
あれ、これは女子的について行っても良いのかな。
でも、なんだか悲しそうに微笑んだのがすごく気になる。
ええい、ままよ!だって、お兄さん(イケメン)の誘いだし!
私はその背を追って、歩き出した。
「や、おつかれ」
「あ、兄さ――――ん?」
「ど、どうも~……」
お兄さんの後ろからひょっこりと、ははっ。
こころんは数秒、ポカン、とした顔をしてたが、みるみると表情を険しくさせていく。
「あわわわ、やっぱり言ったじゃないですか~、絶対怒るって~!」
ほら、握りこぶしをあんなにプルプルさせてるし。
「はっはっはっはっ」
涙目でお兄さんに訴えるも、笑ってあしらわれた。
でも、さっきの鳩が豆鉄砲食らったような顔可愛いかったな~。
「とりあえず、病院内で騒ぐと迷惑ですし、場所を変えましょう」
こころんはソファーから立ち上がる。
そう、ここはこの辺では一番大きい総合病院の待合室。
「俺たちは別に騒ぐつもりはないけど。ねぇ?」
「は、はい」
同意を求めたらたので、とりあえず頷く。
「わ~た~し~は、とっっっっても怒鳴り散らしたい気分なの……!」
ですよね~……あはははは。
冷汗が背中を撫でた。
とても怖い笑顔を見た。
「で?」
ずず~っとコーヒーを一飲みして、足を組みなおし一言にすべてを凝縮した疑問の声を発せられた。
うん、絵になる。
こころんは珈琲派なんだね、私は紅茶派かな。
「そこでバッタリ会――」
「あんたには聞いてないし、それはどうでもいい」
「はい、すみません」
私は空気、私は空気。
「何が?」
お兄さんは素知らぬ顔で、こちらもコーヒーを一口。
うん、この兄妹ホント絵になるね。
私、ここにいないほうがきっと良いと思います。
逆に関係者と思われたくない。
見劣りが凄まじいだろうし……。
「話したの?」
「何を?」
「くっ……はぁ~……」
こころんは諦めたように溜まった息を吐きだして、こちらに向き直る。
お兄さんには敵わないと諦めたのかな。
「兄さんからなにか聞いた?」
「ん?何を?」
「……」
「痛い痛い痛い!」
ニコニコしながら足を踏まれた。
これぞアメとムチの同時供給!
「それくらいにしておきなさい。彼女は何も知らないよ」
「そうなの?」
「そうなのです。お兄さんに付いてきて、と言われるがままに付いてきました」
「はぁ……だったら、最初からそう言えば良いじゃない?」
「言ったよね?何をって」
「それで、どういうつもりなの?兄さん」
あ、無視された。
「どうもこうも、こころを迎えに来ただけだよ。神林ちゃんと一緒に」
「その神林をなんで連れてきたのか、てことよ」
「おや、お友達も一緒のほうが嬉しいだろうと思ったのに」
「思ってないことを言わないで」
「思ってるさ。こころの為を、いつでもね」
「なら、私が――」
「いつまでも話さないなら俺から話してしまうよ」
静かに凄みのある声でこころんを黙らせた。
こころんは悲しそうな、苦しそうな顔をして上がりかけてた腰を下ろしてうつむく。
「…………わかったわよ」
絞り出すように出された声。
ふむう、一体どんな話が……。
病院だからなんかの病気の話?でも、それが私になんの関係が?
「…………」
居心地の悪い沈黙が流れる。
とりあえず、飲み物を飲もうかとカップを上げ掛けたとき、こころんは顔を上げた。
「あのね、神林」
「は、はい」
ただならぬ雰囲気にそのままの姿勢で答える。
「私、もうそんなに長く生きられないの」
「えっ……」
手からカップが滑り落ち、カチャンと音を立てる。
カップから溢れた紅茶が周りに広がった。
呆然とする私に代わってお兄さんがナプキンで拭いてくれる。
目の前での光景はよく分かるのに、頭の中はさっきのこころんの言葉を全然処理できなかった。
「あ……う……」
話そうとしても溢れてくる何かが喉で渋滞していて声が言葉を作り出さない。
「別に……同情とか、そういうのはいらないの」
「ちがっ……」
そんなに悲しそうに綺麗に笑わないでよ。
何もかも受け入れたような諦めたような顔しないでよ。
こころんにはそんな顔してほしくないよ!
「私は……!」
『ダンッ!』と勢いをつけて立ち上がっていた。
胸の真ん中が熱くなって、思わず大きな声になってた。
「そんな風に思ってない。こころんの何を知っているわけではないけど、なんでそんな風に諦めてるの!らしくな――……」
周りからの視線を感じて、熱が一気に冷めていく。
普段から注目を浴びることに慣れていないので……。
テーブルごとに仕切りがしっかりあるとは言え、急に大きな音がして仕切りからニョッキリ頭が生えたら、そりゃ見ますよね、はい……。
「ふふっ、神林もそんな顔するのね」
「はぅ……」
急に恥ずかしくなってストンと腰を下ろして手で顔を覆う。
「安心したわ。やっと神林の素が見えたような気がする」
「そんなもんじゃありやせん……」
忘れて……今すぐ人の記憶を消し去る方法を検索して実行したい……。
ちなみにお兄さんの反応は……。
ちらっと指の隙間からお兄さんの顔を伺うと、目を伏せてコーヒーを啜っていた。
優しい!大人な対応……!でも、ちょっと何か反応が欲しかったり……。
「ありがとう、私のこと分かってるじゃない」
「そんなことないです、すみません、でしゃばったこと言いました」
「こころもね、知った最初は受け入れられずに当たり散らしてたよ」
「そ、そうなんですか?」
今の様子からは想像できない。
「そうね、私も最初は惨めったらしく、全てを恨んだわ、両親も兄さんもこの世界も神様も。よくあるお話のようにね。でも、だんだんと熱が上がりやすくなったり、体の調子が悪くなっていくと実感せざるをないのよ。あぁ、これは避けられないんだって」
遊園地の時とかのそういうことだったんだ。
「でも、ご両親は……?」
「今も諦めずに色々手を尽くして探してくれてる。しばらく顔合わせてないな。もう、いいよ、て言ってるのにね」
そう言って、また悲しそうに笑う。
そんな顔、こころんにしてほしくないよ。
お兄さんも何とも言えない顔をする。
「ここに越してきたのも最近でね、病院が近いからなんだ」
「全く、そこまでしなくても良いのに」
「少しでもこころの負担をなくしたいんだよ」
そう言って、こころんの頭をそっと撫でる。
「ちょ、ちょっと、子供扱いしないでよ」
むくれながらも、その手を払うわけでもなく、撫でられていた。
微笑ましい兄妹愛。
「でも、ここに引っ越してきて、良かったと思う……」
「そうだねー、神林ちゃんに会えたもんね」
「んな?別にそういう意味じゃ……なくも……なくもない……けど」
デレた!!!!!!!
今、こころんがデレた!!!!!!
「い、今の所もう一回!」
急いでスマホを準備する。
「嫌に決まってるでしょ!」
「ふむう……」
「あとで家のカメラで良ければコピー上げるよ」
「……え?」
「ありがとうございます!お兄様!」
心のなかにカメラにしかと保存したけど、やっぱり物理的にほしいよね!
「ちょっと待って」
「どうかしたかい、こころ?」
「いま、聞き捨てならないことを聞いたんだけど」
「妹が一人で家で倒れてたりしたら、大変だろ?」
「そ、そう言われると反論できないけど……」
ワクワク、ホクホク。
「とりあえず、あげません」
「えー!そんなー!せっしょうなー!」
「兄さんも悪ノリしないで」
「こころの初めての友達なんだから、色々したくなるのは当然だろ」
「べ、べつに――」
ここだ!
スマホを光速で操作して動画をオンにする。
「友達ってわけじゃ……ないよね?」
「そこで、本気の疑問でこちらに振らないでください!ちなみに私は友達だと思ってますよ!――え?そうなの?って顔もしないでください!」
「ふふっ」
「ちょっと、お兄さんまで笑わないでくださいよー」
「いや、こんなに楽しそうなこころをあんまり見ないからさ」
人を弄るので楽しそうとか性格捻くれてると思うんですけど。
でも、そう言われて顔を反らして赤くしてるのはめっちゃ可愛いと思います。
しっかりと録画。
でも、こんな姿見れるの今だけなのかな。
ふと、そんな事を思った。
思って、しまった。
「ちょっと、大丈夫?」
「え?あ――あれ?なんだろう?」
なんでだろう。
視界が急に霞んでいた。
手で拭っても拭ってもポロポロと目から流れ落ちるものを止められない。
おかしいな。
なんでだろう。
そっと何かが柔らかい何かが目元に当てれれた。
「ほら、あんまり擦ると赤くなるよ」
「あ、ありがとうございます」
お兄さんマジイケメン。
隣では出遅れた、と悔しそうな顔のこころん。
お兄さんからハンカチを受け取って目元を拭う。
あぁ、ハンカチから落ち着く良い香りが……!
「ごめんなさい、急に泣いちゃって。ハンカチ洗って返します!」
「いいよ、そのままで」
「洗って返します!」
私の手から取ろうとするのを遠ざける。
「わ、分かったよ」
「はぁ……」
お兄さんは渋々引き下がり、というかちょっと引かれ、こころんからはため息を吐かれた。
「それで、なんで急に泣き出したのよ」
「えっと……その……」
これは言っても良いのか……。
「遠慮せず言ってごらん」
「で、でも……」
こころんをチラチラ。
「何よ、言いなさいよ」
私の心配など余所にこころんは話を促す。
「ほら、こころもこう言ってるし、ねっ」
爽やかなウインク攻撃!素敵!
でも、もしかしてお兄さんは私が泣いた理由気付いてる……?
「すぅー……はぁー……」
よしっ。
深呼吸をして、意を決する。
「こころんが、いなくなったら、嫌だな……って思ったの」
「え?」
なんでそうやって、なんで?みたいな顔するかな~。
なんで、分からないかな。
ううん、自分の気持ちで精一杯なんだよね。
だから、周りが見えてない。
周りを気にしてないように見えて、気にする余裕がないだけなんだね。
今まではただのゴーイングマイウェイなのかと思ってた。
強引に連れ回して引きずり回して脅迫まがいだったのも時間がないから……。
「私は、こころんがいなくなったら寂しいの」
「ん?……あ、あぁ、そうよね、ロコノミの作品読めなくなっちゃうもんね。でも、安心して、できる限り書いて残しておくから。まだ出してないのもいっぱい――」
「そうじゃないよ。そうじゃないんだよ……!」
「え?じゃあ、なに、どういう意味………?」
お兄さんをチラリと見ると、首を小さく横に振った。
本当に分からないんだ。
残される家族の寂しさも、必死さも、伝わってないんだ。
「ごめん、私帰る。えっと、お代――」
「大丈夫だよ、まとめて僕が出すから」
お財布を出そうとして、お兄さんに止められた。
「えっと、ありがとうございます!」
今はとにかく帰ってやらなきゃいけないことがあるから、その言葉に素直に甘えることにした。
「どうぞー」
スライドドアの向こうからくぐもりつつも鈴が転がるような声が聞こえた。
あぁ、生で聞くのは久々だな。
いや~、思ったより時間かかっちゃったよね~。
病院の清潔な香りの中に彼女の匂いが混じる。
「お、おじゃましまーす……」
「すみません、面会謝絶なんですけどー」
「ま、まぁまぁそう言わずに……」
顔を見るなり不機嫌MAXだった。
お兄さんから入院した、て聞いて連絡しようとしたら『来るな!』ってメール来てたしね。
「死ぬ前に面でも拝んどこうってわけ?」
「そ、そういう事言わないでよ……」
ズキズキと胸が痛む。
「……!う、嘘よ、神林に……こんな姿……見られたくなかったの……!」
あの日からまともに顔を合わせて話すのは今日が初めて。
電話やメールのやり取りはあったけど。
前は家にまでズカズカ来てたのに、おかしいとは思ってたけど、単純に体力がなかったからみたい。
「あれ?眼鏡掛けてるの?」
「あぁ、これ?そう。前にパソコンの画面も見辛くなったから作ったの。今も書いてる途中だったし」
そういえば、備え付けのテーブルにノートパソコンが置かれてる。
閉じられてるけど。
「ふむぅ、ロコノミ氏の書きたてホヤホヤ……」
「見せるわけないでしょ」
「ちょっとだけ!」
「最後に見直ししないと誤字とか結構あるんだから」
「それはそれで、ロコノミ氏萌え~ってなるけど」
「作品の世界観壊れるから嫌なの。読者に指摘されるのだってショックなんだから」
「黙ってたほうが良いの?」
「速やかにこっそり教えてっ」
「はーい」
まぁ、確かに突然誤字あると冷めるのはあるけど……。
「それで、今日は何の用なの?」
眼鏡を外す仕草も美しい。
そして眼鏡姿も良いけど、やっぱり素顔は素晴らしいね。
「見惚れてるだけなら帰ってもらいたいんだけど」
「はっ。こ、こほん。PCがあるならちょうど良いや。はい、これ」
そう言って、机の上に置く。
「これは、USB?」
「そ、そ。ま、中を見てみんしゃいな」
「ウイルス?」
「そんなことしません」
こころんはUSBをノートPCに挿して開く。
PCロックのパスワード見ようとしたら、残念ながら指紋認証だった。
心の中で舌打ちをした。
そしてちゃんとUSBをウイルスチェックに掛けられる。
「いや、だからそんなことしないって」
「本人の気づかないうちに、というのもあるでしょ」
「そっすね」
そう言われたら何も言い返せないっす。
そうこうして、やっとファイルが開かれた。
「はぁ……!」
言葉もなく、ため息とともにみるみると笑顔になっていく様に私もにまにましてしまう。
あぁ、可愛い、眼福……!
これで苦労も報われるってもんよ。
でも、この笑顔が本題じゃないんだけどね。
「ねぇ、これってもしかしてオリジナル?」
「……そう」
「どうしたの急に?オリジナルは描けないんじゃなかったの?」
「心境の変化……かな」
頬をポリポリ。
嘘ではない。
へぇー、ふーん、と画面に近づいて見たり、離れて見たり、そんなテレビに映ってる人の毛穴まで見てやろうっと食い入るように見てる。
そんな風に見られると恥ずかしいけど、自分も神絵にはそんな感じだからなんとも言えない。
なんとなく背中がむず痒い気がする。
「ね、ねぇ、もっと見たい?見たくなったりする?」
「そりゃ……見られるなら嬉しいけど、これを見れただけでもすごく嬉しいかな」
「そ……そっか……」
後ろに回してる手を握りしめる。
これでもダメなんだ……。
あと、私にできることってなんだろう……。
「なに、もっと描いてくれるの?」
「こころんが……望んでくれるなら」
「うーん、じゃあねぇ……見たいのがあるんだけど」
「なになに!?」
「ちょ、近いっ」
「ううん、大丈夫」
フンス、フンス。
病院で薄まってたこころんの香りが鼻を満たす。
「何が大丈夫かわからないけど、私が嫌なの!」
ベッドに乗り出していた体を押し戻される。
あぁ、こころんの香りが遠のく……。
もう、こんなに近づかなければ感じられないんだ。
「それでね、見たいものっていうのは……」
「いうのは?」
「漫画が見たい。私の話の。あなたが描いた」
「漫画……かぁ……」
今まで描いたことがなかった。
だから、描けるかどうかもわからない。
でも、言えることはある。
「必ず描くよ」
「うん、ありがとう」
「だから……」
「だから?」
「生きてよ!精一杯あがいてよ!諦めないでよ!」
「……」
ずっとそんな意志は見せなかった。
最初からいなくなること前提で話してた。
お兄さんもご両親も諦めてないのに本人が諦めてた。
「ねぇ、こころん」
「……」
俯いて髪に隠れた表情は見えない。
「……い」
「ん?」
ボソボソと何か言ってる。
「……さい」
「こころん?」
「うるさい!!!!!!」
その声はシンとしている病室中で壁や天井を破壊する勢いでぶつかるように響いた。
「わっ」
そしてガッ、と襟元を掴まれてこころんの綺麗な燃えるような瞳で睨みあげられる。
「あんたに何がわかる……!」
「くる……し……」
呼吸が苦しくなるほどその手には力が籠もっていた。
こんな細い腕のどこにそんな力があるんだろう。
「私が……私が……何も考えず気にせず苦しまずにいたとでも思ってるの……!?」
その瞳にただ魅入られる。
「自分の死の宣告を受けて私だって最初は何もできなかった。ただただ絶望してた。ぼんやりと思っていた将来を全部消されたんだ!」
燃えるような瞳が潤みだす。
「だからしたかった事をツラツラ書いた、そしたらいつの間にかファンが付いてた、続きはいつですか、新作楽しみにしてますって!……嬉しかった、でも苦しいんだよ」
そうか、こころんにとって書くことは……。
「私にはこんなにしたかったことが、夢見てたことがどんどん溢れ出してくるんだ。でも、どうしようもないんだよ。私の頭の中の空想でしかないの、実現することなんてこれっぽっちもない、ありえない」
「ごめ――」
「謝るな!そんな同情がほしいわけじゃない。ただ、小説のおかげで私がただの不幸な少女のまま死ななくても済む道を示してくれた。少しでも、私のことを多くの人に知ってもらえた。これは普通に生きてたらきっと味わえなかった。ロコノミは生まれなかった。だから、今の私があるのはこの運命のおかげなの!」
こころんはロコノミとして死にたいんだ……。
「そして、あんたが私の小説の世界を絵にしてくれた時、これが私の見たかったものだって、思った。だから……だから……」
締め上げてた力は緩まり、その腕は震えだす。
「嬉しかったの。叶わないとありえないと思っていた夢が……神林のおかげで叶ったのっ……」
涙を流しながら、くしゃくしゃな笑顔を見せる。
「こころん……」
「私は死んでもロコノミは死なない。世界から忘れられない限り。それでも、こうして神林とリアルで出会えたのも運命なら、神林にお願いがあるの」
「何?」
「どうか、私の代わりに私が思い描いた世界をどんどん世界に広めていって。ロコノミを少しでも長く、この世界に残して」
「え?」
それはあまりにも大きくて、とてつもなく重い、想い。
「だから、漫画が良いかなって。そうしたら原作と作画、てなるじゃない」
「でも……」
「いやも、でもも、その他拒否も受け付けないんだから。遺書にも書く、神林に私の公表してない作品全部あげるって」
「えぇ……」
こんなやつにそんな大役を任せるなんて……。
「もっと自信を持ちなさい、神林は充分すごい、この私が保証する。この絵だってそう、この絵から話を書きたいくらいだもの。あなたが描く世界が私の、ロコノミの世界だから」
トス、と拳を胸にぶつけれる。
「う―ん……」
「じゃあ、しょうがない、とっておきのものもあげるわよ」
「とっておき?」
「そう、もう私のために生きていくしかない、て思っちゃうようなもの」
「それって呪いなん――」
「んっ」
チュッ、と音を立てて柔らかくて温かい感触が唇を離れた。
「え、あ、いえ、あ、いぇ?」
頭の中が何も処理できない。
何が起こったのかもよくわからない。
「私のファーストキス、どう?」
「ふぁ!?」
「ま、もちろん神林もファーストキスだろうから、お互い様だけど」
「き、き、き、きききき、キッス!??!?!?!?!?」
え!?こころんが!?私と!?ワタクシメなんかと!!?!??!?!?
「女の子同士ならスキンシップなのかと思ったけど、やっぱり恥ずかしいものね。うん、次のネタに活かせそうね」
「なんでそんな冷静なの!?」
「ばーか、これでもドキドキしてるんだから」
指を頬に当てて悪戯っぽく笑みを作る。
かわいいなーもー!
「だから、あなたは絶対覚えていて。私のこと。ロコノミとしても美野こころとしても」
「うん」
そして、こころんをそっと抱きしめる。
「忘れない。忘れるわけない。こんな美少女のことを」
「そうね、あなたとこんな美少女とは一生縁がないでしょうしね」
「仕方ないよ、こころんと比べたら誰だって見劣りしちゃうもん」
「……!」
初めてこころんを恥ずかしがらせることに成功した。
もちろん私も恥ずかしかったけど。
あれから、もう何年だろう。
墓前に最近出した本を供えて、読み終わるのを紫煙を燻らしながら待ってる時、ふとそんな事を思った。
こんな風に思うのも歳をとったせいなのか。
私に生きる目標を与えてくれたこころんとはあのキスの後、会える機会は訪れなく、急いで描き上げた漫画を見てもらえることもなかった。
お兄さんの計らいで棺には入れてもらえたけど。
その後はただひたすらにがむしゃらに漫画を描いた。
こころんが描いた世界を、生きたかった世界を。
それも、もう一応全部漫画にしてしまった。
そして今は、こころんと生きたかった世界を私は描いている。
ロコノミシリノ、として。