2、力を手にした子供たち④
異世界からやってきた子供がどうして潤沢な資金をもっていたのか。
これでようやく分かった。
「僕がこの聖なる炎で魔獣を燃やし尽くしてみせます。それにふさわしい対価さえいただければ」
窓の外は水を打ったように静まり返っている。
その横ではタケダと呼ばれていた少年が窓の外をジッと見つめている。
彼は確か「鑑定スキル」とやらを持っていた。一体なにを鑑定しているのか。多分、村人の資産だろう。
タケダから耳打ちされたシノハラが、村人たちに告げる。
「金貨千枚。あなた方がすべてを手放せば払える額です」
「どうかご慈悲を。それでは生活していけません。この村には何もない」
「だからなんですか? こんな危険な仕事を無償で行わなくちゃならないんですか?」
どこかから不気味な遠吠えが聞こえてくる。
狼のそれに似た、しかし背筋を振るわせるような邪悪な響き。
魔獣だ。近くまで迫っている。
子供の泣く声が響く。大人たちは黙り込んでいる。
いま魔物に食われて死ぬか、すべてを奪われて飢えて死ぬか選べということだ。
そう簡単に答えなど出るはずもない。出す必要もない。
シノハラを押しのけ、窓を飛び越える。
「俺がやる」
「ちょっとギル君!?」
カレンが俺を追うように動く。
しかしシノハラはそれを許さない。
カレンが窓枠に手をかけた瞬間、家を囲むように火の手が上がった。
夜闇に沈んだ村が赤く照らし出される。
それは村人たちを家から遠ざけ、カレンを家の中へ引き戻した。
「やるなら止めはしません。ただし僕らは手を貸しませんから」
「そんな、勝手に」
「僕たちの決定には従ってもらう。嫌なら連れてはいけない」
シノハラの言葉にカレンが息を呑むのが分かった。
さらに追い打ちをかけるように彼女の友人がその手を握る。
「私たちはなんの後ろ盾もない子供なの。生活していくためには上手く力を使わなきゃ」
考えてみれば彼らの言うことはもっともだ。
勝手にこの世界へ召喚され、無償で魔物と戦えなんて無茶苦茶だ。
でも、俺はどんな無茶苦茶をしてでも世界を救いたい。
「カレン、できるだけ早く選んでくれ。彼らと行くか、俺と行くか」
友人とともに裕福な暮らしをするか、会って数日の俺とともに険しい道を行くか。
無茶苦茶な選択だ。考えるまでもない。
もうとっくに答えなど決まっているのかもしれない。
「ありがとうございます、勇者様」
思わず笑ってしまった。
事態はなにも好転していないのに、勘違いをした村人たちがこちらに期待の眼差しを向けてくる。
「俺はあなた方と同じ、この世界で生まれたただの人間だ。でもこの村を救いたいと思っている」
失望させてしまっただろうか。
いや、そうでもない。
赤毛の少年が前へ歩み出る。抱えているのは古びた剣。
「大事なのはなにができるかではなく、なにをしようとするか……ですよね。僕も戦います。弟たちを守りたい」
続くように村人たちが農具を持って前へ歩み出た。
どいつもこいつも悪くない面構えだ。
しかし敵を実際に目にした今、いったい何人がその表情を維持できているだろう。
闇の中から魔獣が次々飛び出す。
弓では追いつかなくなり、俺は剣でそれと対峙した。村人たちも鍬やら鋤やらを使って応戦する。
もう何体殺しただろう。
襲ってきたのが小規模な魔獣の群れなら、とうに戦いは終わっているはず。しかし切っても切っても敵は暗闇から湧いて出てくる。
先の見えない戦いは精神力を削り、恐怖を煽る。
「仕方ない。山火事を起こしても怒らないでくれ」
そう宣言をして、俺は矢をつがえた。
ただの矢ではない。領主様から貰った特別製。
矢じりに火薬を詰めており、遠距離から爆発を起こせる。
あいにく火には困らない。
勇者と俺たちを分け隔てる炎で着火し、矢を放つ。
正直に言えば威力は期待はずれだった。
この村は山頂に位置しているため、村へ続く道は急な斜面になっている。土砂崩れでもおこしてくれれば魔物を一掃できると思ったが、そううまく事は運ばない。小規模な爆発は魔獣を数体吹き飛ばすにとどまった。
しかしもう一つの目標は達成できた。
つまり、敵戦力の把握。
爆発の瞬間、強い光が浮かび上がらせたのは絶望だった。
今までの戦いはほんの前哨戦に過ぎなかった。
数を数えるのが馬鹿らしくなる。村を飲み込まんとする黒い津波のようだ。
カレンが悲鳴を上げる。
「戻ってきてよギル君! 一緒に逃げようよ」
確かに彼らと共に行けば易々とここから離脱できるだろう。命の危険もなくなる。
しかし彼らじゃ世界を救えない。
一瞬だけ見えた魔獣の群れ。
数もさることながら、種類も多岐にわたっていた。
普通は群れを作らない魔獣も、天敵関係にある魔獣も、夜行性も昼行性も関係なく村へと押し寄せる。
あまりに不自然な光景だった。
「そういうやり口だったのか」
生まれ育った世界を救いたい。そこに理由などいらない。
でも彼らはそうじゃないだろう。
彼らには彼らの言い分がある。それは分かるが、しかしやっていいことと悪いことがある。
振り返る。
高みの見物を決め込むシノハラを睨む。
「お前ら、魔物を呼び寄せているな」
この魔物の襲撃は災害などではない。勇者たちによって人為的に作られたものだ。
村をわざと魔物に襲わせ、多額の報酬と引き換えに救ってみせる――お粗末なマッチポンプはなかなかうまく行っていたのだろう。
しかし全員が全員、その金貨が血に濡れたものであると知っていたわけではないらしい。
勇者とはいえ普通の子供だ。他人を犠牲に金銭を得ることに耐えられるほど強い精神を持ち合わせてはいない。
彼らはその事実に簡単に取り乱した。
「そんなの知らない。なにも聞いてないよ!」
「どういうことだよシノハラ!」
仲間たちが詰め寄ってシノハラは初めて表情を曇らせた。
「――黙っていてごめん。みんなを怖がらせたくなくて」
申し訳なさそうに、しかしどこか非難がましく言う。
「ヨシザワさんのスキルは魔物を呼び寄せる。彼女はそれを制御できていないみたいだ」
「ち、違うよ。シノハラ君の指示で……!」
ヨシザワと呼ばれた少女は蚊の鳴くような声でなにか言い訳めいたことを口にしていたが、誰も聞く耳を持たない。
それは俺も同じだった。というか、呑気に内輪もめを見守っている時間など魔獣がくれるはずもない。
窓からカレンが身を乗り出す。迫りくる魔獣に悲鳴を上げる。
「あんなの勝てないよ。本当に死んじゃうよ!」
そんなのは分かっている。
しかし今は言い合っている場合じゃ無い。
勇者を責める暇もない。彼らを罰する力もない。
だから俺は短く答える。
「カレン、来てくれ。君と一緒に世界を救いたい」
反応を窺いたかったが、カレンの方に視線を向ける余裕すらない。
かわりに声が聞こえた。カレンのものではない。
「騙されちゃダメ。あの人はカレンの力を利用したいだけなんだから」
笑えてくる。
まったくもってその通りだからだ。
カレンにとって、俺と共に来るメリットなど無いに等しい。
「来るぞ、本隊だ! 武器を構えろ!」
叫びながら考える。武器を構えることにどれだけの意味があるのか。
迫りくるのは、見たことがない規模の魔獣の群れ。対するは、ほとんど戦闘経験のない村人。
戦況は絶望的だ。
逃げられるものなら逃げ出したい。でも、今は多分逃げてはいけない瞬間なんだ。
自分たちの世界が壊れていくのを黙って見ているわけにはいかない。
魔獣が迫る。涎を撒き散らしながら、狂ったように向かってくる。
衝突の瞬間、地面が揺れた。
「ズルい!」
目を疑うような光景。
魔獣たちが土石流に飲まれて斜面を滑り落ちていく。
土砂崩れだ。目の前の少女が、力づくで地形まで変えてみせた。
カレンが振り向く。
バケモノじみた力とは裏腹に、子供じみたふくれっ面でこちらを睨む。
「私だってみんなみたいに三食美味しいご飯食べて体綺麗にしてベッドで寝たかったのに。ギル君ってば、いい歳して世界を救うとか言うし、大して強くないくせに魔物の群れに突っ込んでいこうとするし」
怒っているような、笑っているような。微妙な声でカレンは叫んだ。
「カッコ良すぎて見捨てらんないじゃん!」
なんて馬鹿な子なのだろう。
彼女は仲間との快適な生活を捨てて選んだ。
血と泥に塗れて世界を救う俺との道を。
全身の力が抜けていく。
色々な感情が押し寄せるが、俺はやっとの思いで一言だけ呟いた。
「そうか」