表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/338

・僕らの街の下の顔

今回長いです。

・僕らの街の下の顔



 小学校の頃、飼育小屋で兎を飼っていたことがあった。情操教育の一環として、よくある取り組み。


 しかし兎からすれば、毎日代わる代わる別の人間が飼い主になり、人によって態度や扱いも違う。


 ストレスで弱り、死んでしまえば『まだ』いいほうだ。俺がいた頃は、そんな環境でも生き延びて、すっかりスレてしまった兎がいた。


 そいつは正に主というか、白いドブ鼠だった。


「うおおああああーーーー!!」

「落ち着けサチウス! 背中を合わせろ!」


 全身に走る痛みの内、背中から伝わって来た分が止まる。次いで広い面がぶつけられる。仲間の背中に自分の背中を合わせ、俺はさっきから腕に纏わり付いていた、一匹の鼠を壁に叩き付けた。


「次から……次へとッ!」


 地べたに落ちた一匹の頭を、全力で踏み潰す。反吐が出る感触。皮と中身で滑りそうになるが、もしも転べば一巻の終わりである。


 下水道の壁に点々と灯る照明と、俺たちが持ち込んだカンテラの光。たったそれだけの光が、俺たちの命綱だった。


「円陣を崩すな。火も使うな。この防護服は頑丈だ。だが火を使って服が燃えれば、俺たちは助からない」


 くぐもった声は地下に反響して、非常に聞き取り難い。にも関わらず分かるのは、たぶん追い詰められたことに寄る、集中力のおかげだ。


「焦らないで。一匹ずつ殺していくんだ」


 もう一人の声がする。こうして話し、鼠を殺す間にも、俺たちは身体中に噛みつかれている。全身から伝わるのは、今にも防具を突き破りそうな傷み。


 腐臭漂う下水道で、俺たち三人は鼠を相手に死闘を演じていた。


「ぜえ、ぜえ、はあ、す、すまねえ」


 ギルドから支給された防護服は、蝋を塗った消防服のようで、服の上は革や針金で、何重にも保護してある。


 頭部をすっぽりと覆った、バケツのような兜には、ガスマスクのような、目と口が付いていた。


 それらが一体となって、この鼠の囲いから俺たちを守っている。


「息を整えろ。下水じゃ息した回数にも気を配れ」


 二人が自分のことを後回しにして、俺の体に張り付いている鼠を叩き殺してくれる。上がる害獣の断末魔が、一向に安心感を連れて来ない。


「げほっ臭え」


「こっちは心配するな。落ち着くことに集中しろ」

「防具に解れ無し。貫通無し」


 二人の冒険者の言葉を受けて、静かにゆっくりと息を整える。この汚臭の中では、深呼吸など自殺行為だ。


 よくフィクションだと、下水は臭くて鼻が捥げそうとか、吐き気がするとか言うが、あんなのは下水道エアプだ。


 臭いを嗅がずとも、呼吸のついでに入って来るもので、内臓が震える。吐き気に耐えられないと、それだけで幾らでも吸ってしまう。


 口で呼吸をしても、体が壊れていく感触がする。


 仮に鼠がいなかったとしても、ここで防護服を外すことは決して許されない。臭さの中に、毒が入っていると実感出来る。それが下水だ。


「ふう、ふう、よし。ありがとう。やれるよ」

「そうか、ミシェル!」

「大丈夫です。店長!」


 俺と同じ姿の冒険者二人が、声を掛け合う。片方の声は若く、片方は少し嗄れ声。ミトラスの言うことを聞いて、彼らに声を掛けて本当に良かった。もしも一人で挑んでいたら、どうなっていたことか。


「魔物よりもよっぽど化け物じゃねえか、畜生が」

「冒険者が受けたがらない依頼なんてそんなもんさ」

「絶対に無くならない話ではあるんだけど」


 初めの内は、正確には街外れにある立坑からここに来るまでは、まだ好奇心があった。降りた先の、足場と錯覚するほど、滑りと弾力のある水場。


 如何にも不穏な暗がり。如何にも冒険って感じがした。


 しかし程無くして、ドブ鼠が見つかったときに、それは止んだ。体長が30cm近いこいつらを見つけたとき、恐怖が浮かんだ。


 悪霊や犯罪者とも違う。感情のない獣の目がこちらを捕らえたとき、俺は自分が見つける側ではないということに、気付かされた。


 鼠たちはぢっぢと嫌な鳴き声上げると、直ぐに仲間が数匹が集まった。同じ様にまた、ぢっぢと鳴いて集まる。


 五匹を越えた辺りで、鼠共は瞬く間に、こちらへと襲い掛かって来たのだ。


「死ねっ死ねっ死ねっ死ね!」


 魔法剣として出した石のこん棒で、鼠を叩き潰す。痙攣して動かなくなった死骸を、別の鼠が持ち去っていく。


 全力で駆けて跳ねるその速さに、俺は反応出来なかった。この鼠共は恐ろしく賢い。こいつらは人の手、指を執拗に狙う。そして一匹が剥がされ、殺されるまでの間に、全身に取り付いてくる。


 こちらが殺す速さを遥かに上回り、仲間を呼び、続々と襲い掛かるのだ。


 映画『ハムナプトラ』のスカラベや『ジュラシックパーク』のコンピーに襲われた人の恐怖がよく分かる。


「糞、全然怯えねえ。減る気配がねえ……!」


「こいつらは常に飢えてる。獲物を狩れるなら良し。無謀な戦いでも、仲間の死骸ってご馳走が待ってる。損も負けもないから、平気でこういうことしやがる」


「自分ってものが希薄なのが、鼠の一番怖い所だよ。まるで虫みたいだ」


 下水の鼠共は、鳴くのを止めても集まった。仲間の血の臭いが分かるのだ。こんな下水道の中で!


「なあ、本当に火を使っちゃ、だめか」


「こいつらが、そんなもんに怯えてくれるんなら、俺たちはもっと楽が出来るな」


 老いた冒険者のほうは、淡々と鼠を殺す作業を続けている。こっちは腕や足を噛まれっぱなしで、頭がおかしくなりそうなのに。


「あまり集中し過ぎないで。少しでも気を紛らわせるんだ。殺しに没頭しても、傷みに集中しても、怖さが増すから」


 先ほどミシェルと呼ばれたほうの冒険者が、手槍と鉤棒を駆使して鼠を駆除していく。


「そうは言うけど、ええい、いつまでも鬱陶しい!」


 首に取りついた一匹の首を、逆に圧し折って投げ捨てる。死骸を運び去ろうとした一匹を、思い切り蹴り飛ばす。


「こんなのどうやって引き上げりゃいいんだ」

「心配要らない。この分だともうじき」

「いつでも黙れる準備しとけ。梯子から離れるな」


 二人の言葉に従って、立坑を上る梯子まで戻る。足首なんか簡単に浸かる深さの下水を、蹴立てている俺と違い、彼らの動きは静かだった。


 なるべく物音を立てないように、鼠に齧られながら、鼠を殺す作業が続いた。全身に青あざが出来ていても、おかしくない。それほどの痛みなのに、恐怖は薄らいでいた。


 疲れでもない。おかしくなってもいない。それどころではない何かが、近付いているのを感じたからだ。


「なあ、何かいないか」

「そこまで来てますね」

「黙って鼠だけ見てろ。ここからはなるべく声を出すな」


 指示に従って黙ると、下水動の中は静かになった。害獣が防護服を齧る音と、死ぬときの悲鳴。やってくる足音や水音。やがて、俺たちの動きや呼吸の音が、落ちる水滴よりも小さくなったとき。



 それは現れた。



「……!」


 小学校の頃、飼育小屋で兎を飼っていたことがあった。情操教育の一環として、よくある取り組み。その兎はドブ鼠みたいに大きく、凶暴だった。


 何人も噛みつかれて大怪我をした。俺も中指を噛まれて、骨を折られたことがある。指がばっくりと割れて、傷口から血が出て骨が覗いた。食いちぎられなかったのが、不幸中の幸いだった。


 どうして今、こんなことを思い出すのか。


「…………」


 それは一言も発することなく、それどころか動いてもいないのに、いつの間にか目の前にいた。街へと続く水路を塞ぐようにして。


 壁に付いている照明が、途中から見えなくなっていることに、途中から、真っ暗になっていることに気付かなければ、分からなかっただろう。


「兎」


 どうして今、小学校の頃を思い出したのか。


 兎が出たからだ。


 巨大で、真っ黒の。


「なんだ、どうして鼠が」


 俺たちの体に纏わり付いていた鼠たちが、一斉に逃げようとして、汚水に飛び込んだ。しかし真っ黒い兎が、水に口を付けると、水面が虹色に輝き。


「毒の吐息だ。見ろ」


 逃げ出した鼠たち死骸が、ぷかりと水面に浮かび上がる。

 ミトラスが言っていたことを思い出す。


 手を出してはいけない。


「鼠が大量に死ぬと、こうして上前を撥ねに来る」


 黒い兎は浮かんだ死骸ごと、下水を吸い込んでいく。隣の冒険者たちは、無言で辺りに散乱した死骸を、そこに放り込んでいく。


 俺もギルドへの提出用に、一つを残して同じ様にした。黒い兎は、濁り切った群青色の眼で俺たちを見た。時間にして一分も掛からなかったが、丸一日束縛されていたかのような、重苦しさがあった。


 やがてそれは眼を閉じたのか、或いは背を向けたのか、壁の明かりが戻って来たことで、去って行ったことが分かる。


「何だったんだ、アレ」

「この下水の主だ。悪さはしないから安心しろ」

「見逃してくれてるってのが、正しいんですけどね」


 二人の台詞を危機ながら、俺は兎が消えた闇を見ていた。


 ミトラスや四天王くらいだと思ってたが、うちの街って、あんなけったいなモノまでいたのか。


「とにかくこれで依頼は完了だ。戻ったら服の洗浄をして、ギルドへの報告は誰かに代わって貰おう」


 年かさの冒険者の言葉に、俺たちは一も二もなく賛成した。彼の名はオーサン。俺が異世界に来て初めて知り合った冒険者だ。


 名前に反して初老の男。区役所の正面にある、赤い屋根の宿屋『枕木』の主人でもある。結構強いし経験も豊富なので、彼に手伝いを頼んで本当に良かった。


「この依頼は年柄年中、どこかで出てますからね。これだけやってれば、食いっ逸れることはありません。でも誰もやりたがらない」


「分かる。分かった」


 丁寧な口調で喋るのは、先ほどミシェルと呼ばれた若い冒険者だ。年齢はまだ二十代だったはず。今は防護服で隠れているが、中身は赤い髪の青年。


 他の仲間が引退して、自分だけまだ冒険者をやっている。そういう悲しい人だが、腕は確かだった。


「うお、あ、明るい。まだ三時前なのか」


 立坑から抜け出して、地上に出ると、まだまだ元気な太陽が、俺たちを迎えてくれる。


「やっぱり冒険者って大変なんだな」

「いや、これが取り分け大変なだけじゃねえか」

「大抵はここで『振るい』にかけられますからね」


 ああ、これそういう狙いがあるんだ。何か納得。


「ともかく、これで初心者用の依頼は二つともこなしたし、もうこれでいいかな」


 無事に終われば楽しい思い出だ。冒険者デビューもしたし、後は引退するだけだ。遊びでスリルを味わうのはいいが、本物の身の危険はご勘弁願いたい。


「そんなこと言って、どうせ病みつきになりますよ」

『そらお前だけだよ』


 などと笑い合い、俺のチュートリアルは終わった。ギルドへの報告は、結局自分でやった。受付のおじさんは嬉しそうだったし、夕方家に帰ってミトラスに話したら、彼も大変喜んだり褒めたりしてくれた。


 うーん、悪くないな。冒険者。でもこんなの最初の内だけだろうし、油断をしてはいけない。


 まあでも簡単そうな依頼なら、小遣い稼ぎにやって見るのも、良いかも知れない。そんな話は先ずないだろうけど。


「やることもやったし、今度から真面目に、職場復帰をするとしようかな!」


 異世界だとずっと一般人だったから、今は長年の胸の支えが取れたみたいに、気持ちがスッキリしてる。だからこれで終わりにしておこう。


「働くっていいよね!」


 そしてミトラスの言葉により、やる気を失くすというオチが付いた所で、俺は今日を終えることにした。働かずに済むのなら、それで良いのだ。目が覚めた。

 

 そういう訳で明日から俺は、いつもの俺に戻ります。

 

 さよなら本日、さよなら冒険者の俺。仕事はちゃんとサボろうな。

誤字脱字を修正しました。

文章と行間を修正しました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ