・番外編 決死の用地買収
今回長めです
・番外編 決死の用地買収
※このお話は三人称視点でお送りします。
サチウスが刑務所へ行ったその日、神無側市は重々しい空気に包まれていた。道行く人は小声で会話し、市役所のほうを見ては、足早に去る。
中には一日家から出ない者さえいた。
理由は唯一つ。極めて重要な危険人物が、この街を訪れていたからだ。
馬車を繋ぎ止める駐車場に、車輪と車軸以外を、ほぼ破壊された馬車が停まっていた。馬は全身を蒸気式のゴーレム鎧で覆われ、感情の無い目を虚空に向けている。
「王都よりお越し頂き、誠に感謝します」
役所の入り口にて客人を迎え入れたのは、誰あろう、この街の主タカジンと。
「……」
群魔区長ミトラスであった。
「御機嫌よう。お二方も壮健の様子で何より」
そう言って来客は、恭しく頭を下げた。女だった。
肩の辺りで切り揃えられた黒髪、少し上向きの短く尖った眉と、茶色の瞳。年齢は二十の半ば頃。
鈍色の甲冑はボロボロで、あちこちが傷んでおり、腰に下げた剣は刀身が痩せ、鞘鳴りがする。以前所持していた兜も失っていた。
異臭を放ち不衛生ながら、誰もそのことを指摘できない。
女の名前は、タマル・ゲルトシュランク。
大陸最強と名高い『銭騎士』の総長である。
「さ、どうぞこちらへ」
タカジンがタマルを先導し、ミトラスが殿を務める。人間と魔物の戦争時、この砦はほとんど使われなかった。
この生傷一つない初心な砦が、彼女の胸三寸で血に染まり兼ねないことを、誰もが理解していた。
「今日私が来たのは、本来の仕事ではありません。それはよろしいですか」
「はい。私がお呼び立てしたのですから」
歩きながら言うタマルからは、甲冑のうるささは微塵も響かなかった。蛇腹状の足甲に包まれた足は滑らかに動き、腕や胴体は振っても捻っても、擦れる音がしない。
「副業でしたよね。金融業の」
「そうです。よくご存知ですね」
風が吹くような涼やかな声。しかしこの声が響き渡るとき、血風が吹き荒ぶのを二人は見たことが有った。
「ここです。ここならば、誰にも聞かれる心配ない」
タカジンが通したのは、会議室でも市長室でも無かった。
四階の端に位置する『相談室』と書かれた部屋だった。
「ご配慮、ありがたく」
本来役所では各課の窓口が、扱う業務に応じた相談も受け付ける。では何故このような場所が存在するのか。
一つは利用者が自分の悩みを、何処に相談するべきか分からない場合。所謂『総合案内』を務めている。
もう一つは役所の職員同士での問題、人事的な相談をするための場所でもある。
だがそれとは別に、第三の用途があった。
高い防音性を活かした、秘密の会談である。
「ミトラス、鍵を」
「はい市長」
ミトラスは先んじて中に入り、安全を確認すると二人を招き入れた。そして室外を見回してから施錠する。
「……では始めましょう」
「その前に確認しておきたいことが」
「何か」
相談室の壁とドアは分厚く、受付窓口のシャッターを下ろし、外壁の窓の雨戸を閉めれば、室内は昼間だというのに真っ暗になった。
ミトラスが壁際のスイッチを入れると、剥き出しの電線と繋がった電灯に、光が宿る。
「私は国家の健全な経済活動を守護する銭騎士であること、そして副業として金貸しをやっていること。これはよろしいですね」
銭騎士とは国家の運営に当たり、貴族、商人、軍人、王族その他全てを相手取り、不正な金銭のやり取りが無いか、日夜捜査し粛清する集団である。
国内最強の猛者揃いでありながら、魔物ではなく人間を追い回すその業態を、憎み蔑む者は後を絶たない。
「今更ですな」
「騎士団は公務員ですよね。副業して良いんですか」
「逆に聞きますが何故悪いのですか」
「何故、何故って、そういうば何故だろう」
「ミトラスはつい先日まで、異世界で数年を過ごしておりましてな、恐らくはそこと混同したのでしょう。どうか気を悪くなさらずに」
「すいません」
「それは興味深い。今度お話を伺いたいものですね」
タカジンとタマルは二人して手近な事務机に着き、ミトラスは側に控えた。
「……改めてご用件を伺いましょう」
「勿論、融資を頂きたいからです」
「何故私から」
「金額が金額故、用立てられる銀行が、この街にはまだありませぬ」
「用途は」
「もうお耳に入っているかと存じますが、ミトラス」
「はい市長」
ミトラスは先日届いた魔物のレベルと、交易に関する制限についての書類を、机の上に広げた。
「この条件の三番目を満たすのに、どうしても土地が不足しておりまして」
「産業用の土地が欲しいと」
「左様です」
タマルは切れ長の目を細めて、書類の字を指でなぞった。その指を唇に当て、およそ考え得るだけの収支を想像した。
「当てはありますか」
「幾つかは。ただうちの制約上、飛び地になりますがね」
「農奴として魔物を街の外に出すおつもりですか」
「儂ならそれが出来ます」
タカジンがそっと耳打ちした場所を聞き、タマルはしばし目を閉じる。単純に作れる作物と費用、儲け、労働者が魔物であることへの、懸念。
「不安がありますね。魔物たちはよく働きます。ですがこの街を遠く離れて、周囲に人間が溢れているのは、労働環境として推奨しかねます」
タマルにとって真面目に働きさえすれば、労働者の種族などどうでも良かったが、肝心の労働者たちがそうは行かないことも理解していた。
「私としては折角形になってきた街です。分離不安や新天地での軋轢などの、くだらないことで躓かせたくありません」
「お心遣いはありがたいですが、他に心当たりは」
タカジンが禿げた頭を撫でつけて、弱ったような表情を見せる。ミトラスは気遣わしげに、それを見て俯く。
「候補地が無い訳ではありません」
「と言うと」
「私のほうでも人を入れたい土地が二、三ありまして」
二人は驚いてタマルを見た。金を借りたいという輩に、持ち掛けるのは罠と相場が決まっている。
しかし現実は予想を裏切った。
「市長の候補地と比べれば儲けは少ないですが、それはまともに働ければの話」
彼女は銭騎士である。銭に信仰を誓い、証を立てる、経済の守護者。単なる数字の高低や多少に囚われず、真っ当な経済活動を通じて、人民を守るのが使命なのだ。
守銭奴に在らず、これを銭騎士という。
「それで、その土地というのは」
「今はまだ天領指定ですが、もう直ぐそれも解除されます。その際土地の売買がありますので、私が捻じ込みましょう。もしものときは借金のカタに私が預かれば良いだけのこと」
タカジンとミトラスは唖然とした。突然のことに理解が追い付かない。彼女は言うなれば、人間側の人間なのに。
或いは彼女が本職に対し背任しかねない発言をしていることに戸惑ったのか。
何一つ抵抗ないどころか、談合まで持ち掛けて来る始末。ある程度の不信感を持ち、警戒していた二人を、タマルは気にも留めない。
「天領、即ち王の私有地ですが、それが売り払われると」
「近々そうなります。というより、戦後処理でとりあえず、そうしていたに過ぎませんから」
タマルの言葉に、二人の脳裏に思い当たるものがあった。
それは神無側の真上、山と森とを越えた先。
「もしかして、もしかしてそれって」
「区長ならご存知でしょう。かつての戦の後、我々が手に入れたあの場所を」
ミトラスは逸る心を抑え、それでも必死に訊ねた。かつて失われた故郷、瓦礫と化した生家、魔王軍の総本山。
「そう。魔王城です」
ミトラスとタカジンは顔を見合わせた後、タマルの顔を見つめた。持ち掛けられた内容が、あまりにも予想外だった。
「天領が解除されれば、神無側の終わりが境目になるでしょう。農奴と言ってやり取りは可能です。そこまで窮屈を強いられることもない」
「よろしいのですか。その、あなたは人間なのに」
「あなた方が優秀な労働者に成長しつつあることは、これまでのことで分かっています。区長、私のことならお気になさらず。敵にたまたま人間が多いだけのことです」
敵に回れば魔物とて容赦はしないと、暗に言っているのだが、その厳しさがミトラスには嬉しかった。
「それに話はまだ終わっていません。この話を現実にするためには、当然ながら市長が私から、融資を引き出さなければなりません。むしろここからが本題とさえ言えます」
『うっ』
「あなた方には残酷な選択を強いることになる」
斯くして、三人による事業計画の立案、皮算用を煮詰める作業が始まった。
内容は概ね、借金返済のための計画であった。
その結果。
「市長、今回は諦めましょう」
「心配は要らぬ。こんなこともあろうかと、儂は高額の生命保険にずーっと入っておった。ただこれで、楽には死ねなくなったの」
「市長……市長……ごめんなさい……」
用地買収のための即金、概算して一億ゴールド。
ミトラスはタマルから受け取った。
タカジンを連帯保証人にして。
「では確かに。そして、必ずや」
本物の死神ですら慄くような、冷たく優しい声音で、タマルは書類をまとめた。命懸けの契約書を、喜びと悲しみの混じった笑顔で、そっと懐に仕舞う。
「私は利息を予定分で確定し、それを超える利息は、追って発生させないことを売りにしています。その点はご安心を」
発生するであろう最低限の利息以上は取らない。それがタマルの騎士道であった。
「ありがとうございました」
「ぐっくう、ありがとうございました」
去って行く銭騎士の背中を、ミトラスは歯を食い縛って見送った。怒りや憎しみではない。力不足への悔しみ、あまりにも大きすぎる案件を頼る罪悪感。
今に始まったことではないが、ここまで大きな感情に膨れ上がったのは、彼の中で初めてのことだった。
「泣くなミトラス。上手く行けば笑えるはずじゃ。そのとき儂が、やって良かっただろうと、必ず言う。だからお前も、流石市長だと言ってくれたら良いんじゃ」
「はい、はいっ」
いっそ縁が無ければどれ程良かったか。限りなく最善に近い、危険な橋。渡ることを止められない不甲斐なさ。
最早無人の荒野でしかない古巣への郷愁。
もしかしたらという漠然とした期待。
一方タカジンにも、自分が出来ることは、あと幾つあるだろうかという不安。血の繋がらぬ者たちに、何が遺せるかという焦りがあった。
故にタマルの提案は、光明そのものであった。
それが如何にギラついた光であっても。
「ほれ、お前たちは実家を取り戻すんだから、もうちょい喜ばんか。っとにまだまだ青二才じゃのう」
「すいません、市長。ありがとうございます」
そんな指導者たちの思いを、多くの者が知らぬ間に、神無側の命運を賭けた事業が、また一つ始まろうとしていた。
誤字脱字を修正しました。
文章と行間を修正しました。




