・そこは蜘蛛の巣
・そこは蜘蛛の巣
神無川九分割マップ下段左側、群魔区妖精町。
ドワーフやエルフといった『元人間』扱いだった魔物たちが、多く住む地域。
そして他所の街へと繋がる街道に面した、出入り口を兼ねた場所でもある。
「ここがうちの宝石・貴金属等取扱事業者の職場かあ」
日も高く上った平日正午。
俺たちは自分の都合をやり繰りして、この前決めた予定に沿い、宝飾蜘蛛の調達に赴いた。
なおパンドラには現在、他の素材調達や事務手続き等を、担当して貰っている。
「そうだけど他に言い方無かったの」
妖精町は街路樹や植え込みを整備し、公園には噴水が設置されるなど、水と風と景観を意識した町だ。
「少し緊張しちゃって」
「いやその反応はおかしい」
煉瓦造りの家屋が並ぶ、静かな住宅街を抜けて森に近付けば、目的の工房がそこにある。
「『ミクモのアトリエ』って書いてある」
アトリエとは言っても和風の古いお邸みたいだ。
木柵で囲われ玄関の門前には看板が立っている。
デフォルメされたクモの絵が描かれていて、何とも可愛らしい。
「入って大丈夫なのか」
「ちゃんと事前に見学と仕事の相談で予約をしたよ」
「偉い」
関係者に報連相をするなんて、きょうび漫画家の編集でも中々出来ないぜ。
今時言わないね、きょうびって。
「ともかく呼び鈴を鳴らしてと」
ミトラスが門の脇に置かれたハンドベルを鳴らす。
高らかに音が響き渡り、渡り……。
「何も起きないな」
「こういうとき各家庭にインターホン欲しいね」
「そうね」
他人のお宅を訪ねる際には、革命的に気の利いた装置だったんだな、アレ。
ドアをノックするのも品性や人間性が出るし。
「はーい今行きますー!」
玄関の奥から声がした。話によるとここの主人は、蜘蛛の魔物で女性だそうだ。
RPG的にはアラクネかな。
蜘蛛の体に人間の上半身。そこそこメジャーな奴。
「あ、誰か来たみたい」
奥から大勢が走ってくるような音がする。
「ようこそいらっしゃいませ!」
しかし現れたのは一人の女性、いや、少女と言ったほうが近い容姿の方だった。
「ミクモのアトリエにようこそ!」
温かみのある黄色いエプロンを身に着けた、半人半蜘蛛の少女。
うなじほどの長さの髪と、瞳の色は栗色で、下半身とのギャップがすごい。
床を傷つけないよう厚手の靴下を、全部の脚に履いてるのは可愛いけど。
「あの、あなたがミクモさん」
「はい。ミトラス様とサチウス様ですね」
「あっはい」
ハキハキと元気良く答える彼女。
こういう真っ直ぐな感じの子は久しぶりだな。
「見学と場合によってはお仕事のご相談でしたね」
「ええ。お時間大丈夫ですか」
「お約束通りですし問題ないですよ、どうぞ中へ」
まともだ。いつもだったらこの辺でくだらない茶々や横槍が入って、余計な一悶着があるものなのに。
「お二人とも蜘蛛は大丈夫ですか」
「見る分には」
「触るのはちょっと」
机の端のハエトリグモや、擦れ違うアシダカグモなら平気だが、いざ触るとなると別。
「そうですか。ですがここでは触れ合い体験もやってますから、気が向いたらどうぞ」
今の返事にこの答えを寄越す胆力。
セミとかてんとう虫とかダンゴ虫は平気だけどさ。
「失礼かも知れませんが、他に職員の方は」
「先代と子どもたちと私だけの、小さな所帯ですよ」
「へえ、じゃあ皆さんは今工房で」
「はい」
ということはさっきから邸のあちこちから聞こえてくるこの足音は座敷童とかじゃなくて他のアラクネ。
安心したような逆に怖いような。
「ご存じの通り、ここでは宝飾蜘蛛の養殖と育成、産出された殻や糸などを出荷しています」
小学校の社会科見学のノリで、俺たちは邸内を案内された。
工場は工場でも家内制手工業的な場所なので、あまり移動しないが。
「この宝飾蜘蛛はミミックのように、擬態する能力を持った魔物です。しかし他の魔物たちが、獲物を狩るために姿や模様を変えるのに対し、この蜘蛛はその能力を、求愛のために使うという特徴があります」
「異性を口説くためにお洒落すんだな」
「皆本来は体を張るものなんだよ」
俺たちは出会っていきなりくっついたから、今一つ実感が湧かないぜ。
「擬態能力の高さもさることながら、そのための吸収力も目を見張るものがあります」
「吸収力、ですか」
「はい。単純に食べる以外にも、お洒落を考えて学び取る知性と、美意識があるのです」
改装された部屋に案内されると、そこにはポスターのような絵が、連続して壁に並んでいた。
ヤドカリみたいな蜘蛛たちが、せっせと餌を食べ、なりたい自分を考える。
吹き出しの中に、様々な姿を思い浮かべているのが、ユーモアに溢れている。
「他の生き物の擬態や自然の光景、人間たちの服装の流行。同じ言葉こそ話せませんが、蜘蛛たちは学び、考え、挑戦を続けているのです」
展示された模型の説明を見ると、最初は数ミリ程度だが、最終的には人間大にもなるらしい。
雄は数十年、雌は百年単位で生きるとも書かれている。深海生物並みに長生きだ。
「彼らは自分の美意識により、同じ物は作りません。基本的には全てが、その場限りの一品物なのです」
「欲しいと思ったときに買うしかないんですね」
「だからこそ宝飾蜘蛛を愛好する方は国中にいます」
オタクと同人誌の関係みたいだな。
それからしばらくの間、一通りの説明を受けると、俺たちは玄関近くへと戻って来た。
ミクモさんがすぐ傍の部屋の、引戸に手を掛けて、ニコニコしている。
「それでは待ちに待った実物の紹介です。あまり大きな音で刺激しないように」
『どうぞ』と言って戸を開き、俺たちを中へと誘う。
想像していたのは蚕を飼うような、棚や枠とそこに並ぶ無数の小蜘蛛。
それらを世話する他のアラクネたち。
だが実際は。
「ようこそ、ミクモのアトリエへ」
「ようこそ」
「ようこそ」
「よようこそようここそよよそうよこそそようこそ」
「うわああああーーーーーーーーーーーーーー!!」
思わず飛び退いて咄嗟に石の魔法剣を取り出す。
部屋の中にいたのは、ほとんど同じ顔をした、無数のミクモさんだった。
「サチウス落ち着いて、落ち着いて!」
ミトラスに押さえ付けられて、身動きが取れない。
向こうは向こうで同じ薄笑みを浮かべている。
「落ち着いて、ルーシーたちみたいなものだよ」
「はあ、はあ、あ、ああ、そういや、そうか?」
春先にも同じ顔の群れってのは見たが、改めて遭遇すると心臓に悪いな。
「いやあ久し振りに良い反応を見ました」
「アラクネは単為生殖が可能なんだよ」
「じゃあこいつら全員クローンか」
事前に言えよそういうことは。
いや、関係ないことだから言うことじゃないけど。
「驚かせてしまい、申し訳ありませんでした」
「いや、こちらこそすんません」
取り敢えず魔法剣を消して、息を整える。
キメラのルーシーたちは、諸事情により全員見た目は同じだった。
「私が私たちであり、私たちが私であることは、最初に言っておくべきでしたね」
だがミクモさんたちは年齢の差があるのか、それだけが唯一の差異となって、並んでいるのだ。
「変な言い方ですが、私たち一人で蜘蛛たちの世話をしているんですよ」
人によっては発狂モノのグロさである。
「それで宝飾蜘蛛は」
「こちらでございます」
全く気になっていないミトラスが、別のミクモさんに尋ねた。
すると彼女の内の一人が、手の平を一匹の蜘蛛へと向ける。
「サチウス、ほらこれ」
「あ、ああ。虫のほうを見るのは初めてだな」
机の上には一匹の、拳大の蜘蛛がいた。
ハエトリグモとヤドカリが合体したような外見。
尻の上に結晶のような殻を背負っている。
「硝子か、これ」
「この子はそうですね」
紹介された一匹は、俺たちのことは意にも介さず、じっと何かを読み耽っていた
人間たちが読むような、分厚い図鑑を大机に広げ、たまにペラペラと頁を捲る。
「この子『は』?」
「サチウス、あそこ」
ミトラスが指さした先には、鏡の前で自分の姿を確認する、別の宝飾蜘蛛。
巻貝のような形のそれは、質感と光沢から見て木材のようだった。
「あっちにもいるね」
「割と部屋中で自由にしてんな」
他の奴が背負った石の柱に、前足で慎重に彫刻を施す個体もいる。
見ればあちこちで、作業中と思しき蜘蛛たちが、好き放題している。
「これ全部自分たちの感性でやってんのか」
「ええ。個性的で素敵でしょう」
最初のミクモさんがうっとりとした様子で言う。
「今日はようこそお出で下さりました」
「私はお二人を歓迎致します」
「改めて、ご挨拶をさせて頂きます」
部屋の中にいたミクモさんたちが、一斉にこちらへと整列する。
『ミクモのアトリエへようこそ』
同じ顔をした蜘蛛たちが、同時に頭を垂れた。
誤字脱字を修正しました。
文章と行間を修正しました。