プロローグ
オレ、佐藤彰一は夢を見ていた。
それは決して心地よい夢ではなく、かつての忌々しい記憶を再現した悪夢の類だった。
『構えて』
審判の合図とともに、オレと男は互いに木刀を構え合う。
オレは集中するため全身の神経に意識を尖らせると、ビリビリとした緊張感が道場全体に浸透していった。
相対する男の身長はオレよりも二十センチ以上高く肉体は一目で分かるほどに鍛えられているにもかかわらず、所作の全てに無駄がない。
理想的な戦士の肉体でありながら、身体から迸る圧力の塊が修羅場を潜り抜けてきた猛者であることを確かに証明している。
(怖気づくなよ)
オレはこの男が、今まで相対してきたどの相手よりも恐ろしい猛者であることを認識していた。
道場でも猛者と呼べる人間とは何度か対戦したことはあるが、その圧迫感は人間のものというよりも人外のそれ、龍を相手にしているのかと思えるほどだ。
緊張によって出てきた汗が顎を伝って、床へと落ちる。
((化け物め))
夢の中にいる記憶上のオレと夢を眺めているオレの言葉が重なる。
オレはこれから起きる出来事を見せつけられるのだろう。
思い出したくもない最悪の記憶を。
(思い出すな)
そう。あの日もいつも通り稽古に励んでいた。
昔のオレは稽古に熱心に取り組み、その分だけ実力が上がった。才能と努力によって階段を駆け上がるように強くなっていったんだ。
だから、オレより強い人間なんて、師匠ぐらいのもんだと高を括っていた。
(思い出すんじゃない)
その男は突然現れた。
いきなり道場にやってくると、憮然とした態度でオレに剣術の勝負を挑んできた。
本能的には叶わないことを分かっていたが、勝負に背を向けるわけにはいかないという気持ち、膨れ上がった自尊心によって、オレは勝負を受けたのだ。
『・・・』
道場内の空気が更に張り詰めた。
立ち合いを見ていた門下生のつばを飲み込む音が聞こえる。
緊張が最高のレベルに達した瞬間、オレは溢れんばかりの熱を一瞬塞き止め、戦意で全身を満たした。
『始めっ!』
開始の合図とともに、オレは相手に一気に詰め寄り渾身の突きを放つ。
距離、角度、身体運び、重心、どれも完璧であり、反復と才能によって昇華されていた剣技は、まさに人外の領域にあった。
並みを越えた程度の人間であれば、この攻撃は避けられなかっただろう。
オレの木刀は確かに、相手の喉を捉えており、そのまま切っ先が相手に到達する。
そんな未来が見え、オレは勝ちを確信したのだ。
ピピピピッ。ピピピピッ。
耳障りな音を立てながら、アラームが鳴る。
オレは朦朧とした状態で手探りにベッドを掻き分け、目覚まし時計を探すと、直ぐにアラームを切った。
(ねむ・・・)
腕の力を抜き、そのまま枕に顔を埋める。
夢見が悪かったせいか、いつもとは比べ物にならないほど眠かった。
「はぁ~朝っぱらから嫌な夢を見たなぁ」
思い出すだけで嫌になる忌々しい記憶である。
忘れたくて忘れたくて仕方がない、クソッタレな記憶。
あの出来事の後、オレは道場に通うのを辞め普通の高校生になった。
あの時負けるまでのオレは師匠を除けば負け知らずであり、周りの門下生からも天才と呼ばれていた。
実際にオレは実力と肩書が分不相応だとは思ったことはないし、今でも当時のオレは常識から外れたレベルの強さを持っていたと思っている。
(今思えば、ありえないぐらい慢心していたな)
しかしながら、当時のオレは実力と同じくらい、いやそれ以上に慢心が膨らんでいた。
例えどんな勝負であろうと、相手が強かろうと、相手が卑怯だろうと、相手が天才だろうと、オレが勝利すると思っていたのである。
その結果があの敗北だ。
実力差を認めきれず、引くという戦術を排除してしまい、完璧な敗北を喫してしまった。
(いやぁ、つらかったな)
自尊心を砕かれ、努力と技術が無に帰されたように感じた。
そして、負けを受け止めきれなかったオレは今や剣すら握っていない。
勿論、剣の道に進むことを辞め、得たこともある。
勉学に励み、今まで関わってこなかった人間と触れ合い、友好を深めたりもした。
(でも、しっくりこないんだよな)
そうした時間は確かに楽しかった。
だが、その楽しさは本当の楽しさでないような気がしてならなかった。
オレは本当にこのままでいいのか?
そんな問いがふと、頭を掠めるのである。
「それにしても、久々に見たな。この夢」
もう二年も前のことだ。
負けた当初はこの夢で毎日のようにうなされていたが、次第に記憶は風化し、夢に出てくることもほとんどなくなっていた。
特に、大学生になってからは一度も夢に出てきていない。
今日までは。
(何か、不吉なことでも起きないといいが)
オレはぼりぼりと頭を掻きながら時計を見る。
「ヤッべ」
今すぐ準備を始めないと遅刻すが決定する。
かつての記憶を大慌てで頭の片隅に追いやり、慌てて準備を始める。
そして準備を終えた頃には夢のことは完全に頭の中からなくなり、オレは急ぎ足で部屋を出ていくのであった。
♦♢♦♢♦
退屈な講義が終わり、友人に誘われたオレは何度か足を運んだことのある居酒屋に来ていた。
既に友人は来ているらしく、店員に案内してもらい友人のいる個室へと向かう。
(それにしても、なぜ個室を取ったんだか)
別に飲み食いをするだけなら、個室にする必要はない。
今回は大事な話をするので来てほしいと呼ばれたが、オレたちのようなごく普通の大学生がわざわざ個室を取ってする話など皆目見当もつかなかった。
(朝見た夢といい、何か厄介ごとの類でなければよいが)
「おお、来たか。彰一。今日は俺の奢りだから好きなものを頼んでいいぞ」
入学以来の友人、近藤高志が、不自然なくらいにニコニコと笑顔を浮かべながら座っていた。
普段は全く見せないレベルでの機嫌の良さそうな雰囲気を纏った高志に、オレはどうにも嫌な予感がする。
(これは絶対に何かあるな)
まずはこの男、普段は絶対奢ってきたりしない。
何でも好きに飲み食いしていいと言うことなど、まずありえないので、その時点で疑わない訳がなかった。
その上、この笑顔である。
何かしら裏があると勘ぐらない方がおかしい。
「それで、今日はどうしたんだ。大事な話があると聞いて、来たんだが」
ビールと枝豆、から揚げなどを注文した後、店員がいなくなるのを見計らって、オレは早速話を切り出した。
(さっきからずっとニコニコしている高志が気味が悪くてしょうがない)
男の笑顔など見ていても、誰も得しない。
「まあまあ、待てよ。取り合えず、酒と料理を待とうぜ」
「そうかい」
しばしの間待つと、オレが頼んだビールと枝豆、高志が頼んだ唐揚げがやって来た。
店員が部屋から出ていくとオレは直ぐに高志を見据える。
すると先程のニコニコ顔からは一変、妙にそわそわしながら口を開いた。
「めっちゃ儲かるんだ」
高志がそうして切り出したのは、明らかに詐欺師が持ち掛ける金儲けの話だった。
(ね〇み講か、〇ずみ講なのか)
オレは一気に白けた心を誤魔化すため、注文した枝豆を口に放り込み、ビールを呷る。
(やっぱりな。ろくでもない話だと思ったよ)
高志という人間の大事な話だ。
ろくなことではないと思っていたが、予想以上にくだらないことのようである。
「なんなんだよ、突然」
オレは奢ってもらった手前、話だけでも聞いてやるかと高志を見る。
目の前にいる高志とは大学入学当初からの付き合いで、もう一年以上の付き合いになる。
であれば、このそわそわした男の性格もある程度知れているというものだ。
好きな子ができたとか、単位がヤバいとか、その程度の話は想定していたが、金儲けか。
想像以上にくだらない。
だが、オレの予想は幾分的外れであったようである。
「いや、儲かるんだよ、ダンジョン探索は!」
「なんて?」
(ダンジョン探索?)
いや、今からねずみ講とか。身体に効く水の押し売りとかをやるんじゃないのか?
「ああ、そうさ!今は皆がやってるダンジョン探索!」
そう熱く語り出す高志に、オレは若干冷めた目を向け続ける。
想定外の内容が連続して出てきたが、ダンジョン探索はそこまで人気ないぞ。
確か、日本人でもダンジョン探索の経験がある国民は二百万人程度で、職業でやっているのはその十パーセント程度だとニュースで言っていた。
「モンスターを狩れば狩るほど金が貰える!」
その通りだが、モンスターを見つけるのにも時間がかかるし、初心者が狩る低級のモンスターの報酬なんて雀の涙ほどで、普通のバイトの方が命の危険もなく稼げるのが実態だ。
「更にダンジョンの宝箱から出る財宝で一攫千金!」
初心者が潜るような階層には大したものは出ないし、何より数が少なすぎる。
探索者のインタビューを読んだことがあるが、一か月探索をして、一個見つければ御の字だそうだ。
少なすぎだろ。
「何より、女の子からモテる!」
コイツ、何よりって言いやがった。
それがダンジョン探索に行きたい理由か。
分かるけど、モテたいのは分かるけどさ、そんな上手くいくか?
てか、最初の金儲けはどこに行った?
「だがな。ダンジョン探索ってそんな簡単じゃないぞ」
命の危険もある上、初期費用も意外と掛かる。
金欠になりがちな大学生に、探索者用の装備を買うのはキツイ。
「そんなのは関係ない!俺は女の子にモテモテになり、大金持ちになるんだ!だから彰一、力を貸してくれ!」
(ダンジョン、探索者)
真剣な視線を向けてくる高志。
目的は我欲の塊だが、熱意は本物のようだが、俺にはそんなことはどうでも良かった。
(これも因果か)
今までの普通の生活は心地よいものだった。
勉学に励み、普通の友人を作り、普通の学生として日常を謳歌する。
悪くない、本当に悪くはなかった。
(だが、無理だな)
しかし、そんな生活はオレにとってゲームでプレイヤーを操作するのと変わらない。
結局のところ、夢を見て思ったが、剣を振るうことこそがオレの生き甲斐であり、宿命だ。
それを今日、確信した。
普通の日常など、剣士として生き方を知っているオレには合わないと。
(記憶が尾を引いて、前に進むこともできなかったがな)
「分かった分かった。取り合えず、探索者として登録はしてやる」
オレの胸の内は一切出さずに、仕方ないという雰囲気を装って承諾する。
「さっすが彰一、話がわっかるぅ」
調子の良い友人を視界に入れ、オレはかつての鍛錬を思い出しながら、ビールで枝豆を流し込むのであった。
読んでいただき、ありがとうございます。