五十一話 撒き餌
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分厚いアルスターコートを纏って繁華街に出る。丈の長いコートは防寒性抜群だ。居酒屋だけでなくレストランや食事処が集まっているため昼前の街には人が多い。情報収集には最適だった。
しかし私が話を聞きたいような連中はこの大通りではなく、その裏に入った安い食堂に多くいる。まずはそっちで話を聞いてから昼食にしようと踵を返すと、目の前にその子どもはいた。
「…………おはようございます」
「お、おはよう。……いや嘘だろ?」
昨日夜の路地で出会った少女、陽苓誡がそこにいた。
おかしい。私は昨日確かにこいつを家まで送り届けたはずだ。正しくはこいつの友人の親戚の家だったらしいが。地主かなにかかと疑ってしまうほど大きな屋敷だったから細部まで覚えている。誡の母親とその婚約者が婚前旅行に行っているため、親戚の家を訪ねる友人についていったらしい。
「……まだ、……こんにちはには早いです」
「いやそういう意味で嘘だろと言ったわけじゃなく。お前、今日も一人なのか? なぜここにいる」
いや、この通りは県内でも比較的ショッピングしやすい場所だから、旅行者がいること自体に不自然さはないのだが。問題は他県から来た小学生女児が一人で出歩いていることだ。
「……まっていました」
待たれていた。
いやむしろ待ち伏せだった。
「理由になっていないぞ。私に礼を言いにきたというわけでもあるまい。……どうして私がここに来るとわかった」
まさか昨日盗聴器でもつけられていたのか?
「……友だちが、ここでまつようにと」
「また、その友達か」
いったい何者なんだそいつは。七歳だろう? まさか預言者の類でもないだろうに。こいつはなぜそいつの言うことに従っているんだ。弱みでも握られているのか。
「……こっちにいるあいだ、……あなたと行動をともにしろとの、ことでした」
「…………」
頭が痛くなってきた。これは振り払ってもついてきそうだ。なぜ私が保護者のようなことをしなくちゃならないんだ。子どもの相手をするのは業務範囲外だろう。なんとか穏便に追い返せないものか。
「あいにく私はこれから仕事なんだ。わかるだろ? 聞き込みだよ。邪魔しないでもらえると助かるんだがな」
しかし誡はポケットからなにやら紙片を取り出し、そこに書いてある文面を読み上げた。
「……あなたの手助けをするために、……私はいます」
「そんな棒読みされてもな」
説得力ゼロだ。これも例の“友人”の指示なのだろうか。しかし子どものごっこ遊びに付き合えるほど優しい職業についているわけじゃない。それに誡と行動を共にするメリットが思いつかない。
私の考えを見越してかまだ紙には続きが書かれているらしく、また誡が読み上げる。
「……いっしょにいればそのうち分かる、と」
「ふむ」
そこまで言われるとなんだか逆に興味が湧いてきた。たとえこれが何かのお遊びでも、しばらく構ってやれば飽きるだろうし。
……昨日のこともある。なにより私の直感が告げている。この子どもは普通じゃない。
「はぁ、わかった。私が折れよう。同行を許可する」
苦笑とともに誡の頭を撫でる。やはり誡の表情は変わらない。こいつ顔立ちだけは良いから気にならないが、普通ここまで不愛想だと殴りたくなるんだがな。
これがこの少女の素の状態なのだと私はなんとなく理解した。
「そうだな、腹は減らないか?」
問うと、誡は自分の腹に手を当て考え込んでから私を見上げた。腹から手を放さないから、おそらく満腹ということはあるまい。
時刻は丁度昼時。聞き込みは後からでもできる。唇が青くなっている誡を温かい場所に連れて行くのが先だ。
「少し歩けば中華街だ。そこで先に腹ごしらえをしよう」
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私が生まれて間もなく、父親は家を出て行ったらしい。らしい、というのは記憶喪失でも嫌味でもなく、単純に人づてにしか聞いたことがないからだ。母親からそのころの話を聞いたことはない。そもそもまともに会話したことさえ数えるほどしかないのだから仕方がない。
だから、私の記録は、私の物心ついたころから始まる。
最初の記憶は四歳くらいだろうか。そのころの私は、今よりももっと感情が希薄だった。人間としての基本的な寝食、排泄以外は自分から行動しない、人形のような生き物だった。なにがしたいとか、なにが楽しいとか、なにも感じなかったのだから仕方がない。
当時の私は、命令を受けるまで電源の入らない、ロボットのようなものだったのだ。
当然母さんも、私のことを人間としては扱わなかった。“産んでしまったから仕方なく世話をしている人形”だと考えていたのだ。
そうして母さんのその認識は、私が六歳になる直前まで覆されることはなかった。
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実は中華街の近くにも、悪ゴロたちが《《たむろ》》している場所が何箇所かある。私は昼食を食べてから誡を連れてそこに向かった。
油の染み込んだ暖簾をくぐると、暖房のむっとした空気が身体を包んだ。
「いよう祇遥さん。おいおいえらくでかい娘だなぁ。いつ産んだ?」
「そう見えますか? ええ、本当に?」
スキンヘッドに入れ墨をいれた男の軽口に軽口で返す。古くて汚い定食屋で飯を食べていたのは、四十代くらいのカタギに見えない男たちだ。三名のチンピラスーツのテーブルにつく。誡も躊躇うことなく私の横に座った。
「冗談だよ祇遥さん。んで? 平日の昼間っからデカが俺らになんの用かねぇ」
「いえいえ須藤さん。今日は有給。仕事じゃありませんよ。ちょっと世間話を聞きにきただけです」
勤務外であることを強調する。ここが大事だ。こういう組員の連中と交流するには常にギブ&テイクの関係を心掛けねばならない。彼らは時にまともな会社員なんかよりも利益に貪婪だ。こちらがどんなにエサを掲げていても、余計な不利益はすぐさま察知してうまいこと逃げてしまう。
お茶を運んできた店主に断りを入れると、代わりにサングラスの男がオレンジジュースを注文した。
「はぁー、まあアンタには結構見逃してもらってますからね。世間話くらいはなんでもねえですけど。それよりその子どうした? 拾った?」
「ホント、お人形さんみてぇだな。おう、チョコ食べるかい? ちょっと溶けてるけど、チョコだけに」
「…………ありがとうございます」
「んん。めんこいな。同じつり目だし、やっぱ祇遥さんの妹かい?」
「まさか、私は天涯孤独の身ですよ」
誡の頭を撫でる金歯の男に対し、だからその子どもは私の弱みにはなり得ないと予防線を張る。
スキンヘッド、サングラス、金歯。三者三様の男たちを順に見つめ、私は口火を切った。
「『アヴァール』という会社をご存知ですか?」
運ばれてきたオレンジジュースがテーブルの端に置かれる。サングラスがそれを誡の前に滑らせた。
「その名前は最近聞いたな。なんだったか?」
「あれだよお前。最近花屋通りで幅きかせ始めてる、人材紹介だとかいう会社。何度か下のモン送り込んだろ」
「ああ、うちのシマでデカい顔し始めてる所だろ? 結構外人が出入りしてっから怪しいって話になったんだ。…………嬢ちゃん、俺のこの頭はラクガキされたわけじゃないんだわ」
誡が隣に座っていたスキンヘッドの頭を、おしぼりで拭きはじめた。残念だがおしぼりで消えるほど、入れ墨は水性ではない。
「何度も手下を送り込んでいるなら、なにか掴んでいるのでは?」
「それがなぁ。信頼できる奴を四人ほど使って調べさせたんだが……」
「全員判を押したみたいに『問題ありません』だもんよ。上げ足とれる不正もなければ、つっつける隙もねぇってんですわ」
「短期間であの成長っぷり、なんかあると睨んでるんだけどなぁ。大して人脈も無さそうなのに大きな仕事拾ってくるし。……嬢ちゃん勘弁してくれ。その洗剤どこから持ってきた? 手に持った亀の子タワシは厨房に返してこような?」
やはり裏の人間も目をつけて探りを入れているようだ。それほど怪しいのに、尻尾を掴ませない。思ったより厄介な香りがしてきたな。
「大きな仕事とは?」
「ほら、上城町だったか? 隣の県で都市開発事業があってるだろ? そこの工事請け負う会社がカタギと問題起こしてな。んでアヴァールが代わりの奴らを手配する予定なんだよ。しかも手配予定なのは地元の企業じゃねえ、ヤクザ上がりの奴らの寄せ集めみたいなとこだ。なんか町長に賄賂でも渡してんじゃとしか思えねえが、その証拠も見つかんねぇ」
「あの会社の本拠地がある所、うちの縄張りだからな。金の匂いもするし。うちのシマで好き勝手やってんじゃねぇって脅せる材料を今探してるとこですわ」
「ほら嬢ちゃん、あやとりでもしようか。アンタ将来大物になるよ……」
スキンヘッドは最終的に会話から離れて誡と遊び出した。それはさておき話をまとめると、『明らかに怪しい急成長を遂げている謎の会社だがなかなかボロが出てこない』ということだろう。
どんな物でも叩けば埃くらい出る。なにより話に聴く会社の清廉さと、あの社長の雰囲気には齟齬がある。ますます怪しい。
「俺らも結構手をこまねいてるからよ、射牒さんもなんかわかったら教えてくれ。今の話だって、射牒さんだから話してんだぜ」
「なんかあったら手ぇ貸すからよ」
「ありがとうございます。ですが今回は完全に私用ですから。なにかおもしろいことがわかったらお教えしますよ」
微笑みを浮かべて壁を作る。私は一人のほうが動きやすい。無為に誰かを信用すれば、手に入るはずの情報が流れてしまうかもしれない。他者はあくまで利用するだけ。信用も信頼も、自分だけに向ければいい。
「ほら誡、お暇するぞ」
「…………」
「おう、またな嬢ちゃん」
誡は三人にお辞儀して、私の後に続く。誡がいたおかげで簡単に話が引き出せた。私一人なら、もう少し手間取っただろう。子どもというのは人の口を軽くする効用でもあるのだろうか。なるほどこれは、利用価値があるのかもしれない。




