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哀傷ゾルレン  作者: まじりモコ
第三章 枯野の鮮血
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三十七話 ゆらめく光


         17


「おかしくはないか?」

 そう言ったのは私だった。小さなバッグに最低限のものだけ詰め込みながら、迎えに来たレゾンにそう問う。

「術を使うために必要なエネルギーはもとより、呪いも、稀癌(きがん)も、全て人の感情から生まれる。科学的視点に立たずとも、感情から得られるエネルギーなんてちっぽけなものだというのは明白だろう」

 少し重たくなったバッグを掲げると、レゾンはそれを無言で受け取る。立ちあがって気が付く。だいぶ、目線が近くなった。中学に入って私の背が一気に伸びたからだ。

「心なんてものに、どうしてそれほどの力を生み出せるのか。私には考えもつかない」

 それでもほんの少し高い位置にある彼の顔は、昔初めて会った時となにも変わらない。若々しい顔立ちの、目元だけがやけに老衰している。

「ふはっ。そんなものは俺も知らんよ。ただ感情というものは、人を突き動かすエネルギーを生むのは間違いないだろう。だから人間というものはおもしろいのだ」

 つまり、レゾンに訊いても答えはでないということか。では建設的な質問に移ろう。

「今回はどこに行くんだ?」

「北極と南極どっちがいい」

「北極は小学生の頃に行った。南極はその翌年の帰りに寄っただろう。別の案を出せ」

「ふむ。ではヴェネツィアはどうだ。水路の入り組んだ町並みは訓練にもなる」

「水の都か。なかなかいいな。お前にしてはロマンチックな選択だ」

 少し伸びた髪が邪魔だったので、ゴムでまとめる。そろそろ切るか、と呟くと、意外にもレゾンが反応した。

「そのまま髪を伸ばせばどうだ」

「なぜだ?」

 そんなことを言われるのは初めてだったので問い返す。だがレゾンは表情も変えずに答えた。

「もしもの時引き千切れば止血にも使えるぞ」

「…………なるほど」

 それが至極合理的な言葉だったので、私は釈然としないものを抱きながらも、頷いた。

 なぜかレゾンが満足げに笑ったように見えたが、特に興味もなかったので無視した。


         17


 廃病院の一階。剥き出しの柱と、落書きばかりが目立つ広い空間で、私は私に追いついた少年を振り返った。


 互いに呼吸は乱れている。肩で息をしながら、互いの出方を探り合う。


 その姿は()しくも六年前の路地裏の再現のようだ。ここに、仕種(しぐさ)さんはいないけれど。


 少年はいつの間にかコートを羽織っていなかった。どこかで脱ぎ捨てたのだろう。深緑のセーターは薄汚れ、ところどころ泥がついたままだった。


 伝う汗の雫を拭いながら、私は深呼吸した。

 これから必要なのは発想の転換だ。


 相手にとっての最悪の手を、私が打つための最善手。つまり、一撃で相手を無力化するにはどうすればいいか。それは単純だった。


 一撃で相手を倒さなければ、自分が(・・・)危ない(・・・)のだと、そう強く認識すること。


 稀癌の感じる危険は、私の認識と実力が大きく関わっている。私が幼く、身を守る手段の無かった頃は、世界はもっとたくさんの危険で満たされていた。人間にも私の味方をしてくれる存在がいると知らなかった頃は、全ての人間から危険信号を感知していた。


 稀癌の伝える感覚情報には、良くも悪くも私の思考が反映されているのだ。


 なら、認識を変えることができれば、相手の弱点もわかるはず。


 危険を感知するのではない。危険を回避するでもない。自らの手で、危険を刈り取るのだ。まだ慣れていない。だから、一番感知しやすい視力に意識を注ぐ。


 昔練習した通りに、一つ一つ自身の認識を塗り替える。


 少年と私はじりじりと円を描くように、少しずつ距離を縮めていく。現在目測二十メートル。ナイフの鈍い光が少年の手元でちらちら揺れる。


「──ふぅぅ」

 息を吐きだす。


 勝機はあった。一つ、作戦めいたことを考え付いたのだ。しかしそれは一歩間違えれば惨事になることだった。


 けれどかまわない。私は更科君がここに来る前に、ことを終わらせなくてはならないのだから。


 肺の中の空気が全て無くなった瞬間、視界にそれは映った。淡く、弱弱しい、オレンジ色の光だ。今まで見たこともない、幻想みたいに輝く光。そして左の掌底が熱を持つ。


 吸った空気は張りつめている。歯を食いしばって前傾姿勢を取り、私は駆けだした。


 少年は動かない。私が来るのを待っている。ナイフを構え空っぽの表情で私の動きを捉えている。


 残り一メートルで少年は一閃を放った。真横に私の顔を切り裂こうとする。私は踵に力を籠めその軌道から身体を一瞬ずらす。


 ぱっと血飛沫(ちしぶき)が舞った。


 斬り裂かれたのは右の眼球。

 だがそれだけ。追撃はない。予想通り、少年は肉を裂く感触に(ひた)りそれ以上動かない。


 一撃目を避けれらないのは分かっていた。どれほどシミュレートしても稀癌は無傷で済む結果を告げなかったから。追撃を喰らいたくないなら少年が動かなくなる時を狙うべきだったのだ。

 少年は、斬り裂いた部分が致命傷であればあるほど喜びに浸る時間が長い。それは今までの傾向で分かっていた。


 ならば、なにかを犠牲に差し出せば大きな隙が生まれる。


 無くなっても構わない部分、それは私にとって眼だった。身体は欠ければ不便が生じる。その点、眼はどうせ二つある。片方くらいなくても困らない。どうせ足りない感覚は稀癌が補うのだから。


 使い物にならなくなった眼球から零れた血液が靴と地面を濡らす。

 その血に滑らせるようにして、停止した少年の懐に入る。少年が反応した時にはもう遅い。


 脳髄(のうずい)を引き裂くような痛みを私は叫びでかき消した。


「……っ、ぁああああっ!」


 腹に力を籠め全霊の力を腕に乗せる。そうして、オレンジの軌跡をなぞるように突き上げた掌底が、少年の顎に入った。


「おグァッ────」


 少年の身体が宙に浮く。完全に決まった。打つ場所、タイミング、籠める力。全て稀癌の示す通り。これで少年は、無力化できたはずだ。


 受け身も取れずに硬い地面に倒れた少年の手から、ナイフがこぼれた。念のために遠くへ蹴る。少年自身は白目をむいていた。もう少年から危険も感じない。気絶したようだ。


 あのオレンジは、少年に後遺症が残らないようにと祈った結果の光だったので、恐らく無事に目を覚ますはずだ。……たぶんだが。


「……終わった」


 力の抜けた私は、その場に座り込んだ。

 羽織(はお)っていたカーディガンを脱ぎ、未だ血を流し続ける右目に当てる。傷口は熱を持ち、酷い痛みが身体を駆け巡り始めた。


 身体が緊張していたせいか、手が少し震えている。血が流れ出たせいで、寒気もした。


 ああ、寒い。せめて日向に出たかったが、最初に斬られた足はもう感覚がなく、立ち上がる気力も湧かなかった。


 救急車を呼ぶにも、射牒さんを呼ぶにも、携帯電話がすでにお亡くなりだ。連絡手段がない。少年も見た所持っていなさそうだ。


「……どうしたものか」


 呟いた声には誰も応えない。けれど、代わりに遠くから誰かの足音が聞こえてきた。

 その音にはなにもノイズを感じない。安全な音だった。


 私にはその正体が分かっている。


 建物の入り口に顔を向ける。やがて現れたのは、息を切らせた青年の姿。


 私を見てちょっと嬉しそうにした後、何事かを察知したらしく、形相を変えまた駆け寄って来る、更科奏繁(そうはん)だった。


         18


 タクシーを飛ばして、候補地の最後の一つとなった、廃病院。そこに誡はいた。


 コンクリートむき出しの床に座り込み、よく着ているカーディガンを丸めて、右目に当てている。その傍には、汚い格好の少年が倒れていた。


 どうやら最悪の出会いがあった後らしい。自分(ぼく)は急いで彼女に駆け寄った。


「誡! 大丈夫?」

「……生きていますよ、少なくとも」


 軽口をもらす誡に安堵しながらも、床に広がる血痕に心臓が押しつぶされる。


 よく見れば誡は体中切り傷だらけで、カーディガンにも血が広がっていた。


「救急車は?」


 自分の上着を脱いで誡の肩に掛け、屈み込んで怪我の状態を確認しながら問うと、彼女はゆっくり首を振り、小さく息を吐いた。


「……必要ありません。命に別状はありませんし、もう出血も止まります」

「──っ」


 誡があまりにもいつも通りにそう言うから、逆に自分(ぼく)は苦しくなってしまった。


 自分(ぼく)は誡に傷ついてほしくない。けど、また何もできなかった。

 自分(ぼく)が無力だから。いつまでたっても彼女の力になれない。彼女を守ることができない。


 けど、ここでごめんと言うのは間違いだとわかっていた。無力ならば、努力をすべきだ。謝罪だけ相手に押し付けて、心に詰まった感情を吐き出して、何もしてない自分だけ(むく)われようだなんて、卑怯(ひきょう)でしかない。


 だから自分(ぼく)には、ただ彼女を不器用に抱きしめることしかできない。


「……更科君。血が、……汚れますよ」


 腕の中で、もぞりと誡が身じろぎする。けれど自分(ぼく)はそれを意に介さず、誡の身体をさらに引き寄せた。


 自分(ぼく)よりずっと強くて、いろんなことを経験して、たくさんのものを背負っているはずの彼女の身体は、狂おしくなるほど小さかった。誡は黙って自分(ぼく)にされるがままになっている。温かな誡の身体を強く抱きしめて、彼女が生きている奇跡に感謝した。


 (あふ)れそうになる涙を、必死に抑える。自分(ぼく)が泣くのは筋違い。頑張ったのは彼女で、自分(ぼく)は空回りしかできなかった。だから、せめて誡の背中を濡らしてしまわないようにすることぐらいしか、今の自分(ぼく)にはできない。


「…………ありがとうございます」


 耳元でそんな言葉がささやかれた。


「なんで、誡がお礼なんて言うんだ。自分(ぼく)はなにもしてない」

「……ここまで、来てくれましたから」


 君にそんなことを言ってもらう権利なんて自分にはない。だって、自分(ぼく)はここに来るまで、誡をこんなに傷つけた漆賢悟に同情していたんだから。


 いや、今もしている。日記を読んでしまって、彼の心を知ってから、自分(ぼく)は……。


 誡を失いたくないと思うほど、依琥乃を失い、依琥乃に関する想い出も忘れてしまった彼に共感してしまうから。


「っ、ぅぅ……」


 少年の呻き声が聞こえて、自分(ぼく)は誡を放した。どうやら立ち上がれないらしい誡を背に庇う。


 目を開けた漆少年は、起き上がらない。ただ、ぼんやりとボロボロの天井を見ている。


「……少し、きつめの入れてしまったので、動けないのかも」


 自分(ぼく)(そで)を引っ張って、誡がそう小声で呟く。本当にそうかは分からないが、とりあえず、少年は暴れ出すことはしなかった。


 しんと静まりかえった廃墟に、三人の呼吸音だけが聞こえる。少年になにか声をかけるべきかと考え出した時、低く、か細い声が耳に伝った。


 声を発したのは、漆賢悟だった。


「わからな、かったんだ。ボクは、心の弱い人間だから。胸に開いた空白が大きすぎて、なにもわからなかった。思い出したいだけだったのに、自分でもなにをしているのかわからなくなって、けど、やっぱり、空っぽなままだ。あの肩をぶつけた男の人も、ボクは傷つけてしまった。ボクが、自分を抑えられなかったから」


 ポツポツと呟かれる言葉。意味するところは、よく分からない。零れた言葉は、形にならない感情のようなものだったのだろう。


「どこを探しても見つからない。なにを探しているのかも、わからないっ。」


 絞り出されるような独り言だった。悔しそうに、悲しそうに、虚空を見つめる少年は、それでも何かを探し続けたのだ。


 また、袖を引かれて誡を振り向く。誡は何も言わず自分(ぼく)をじっと見ている。いつも通りの無表情。けれど、瞳にはなにか意思を感じた。いつも眠たげなその瞳は、今は悲し気に曇っているようにも見えた。


 それが自分(ぼく)の勝手な思い込みだとしても構わない。漆少年に対して感じていた小さな怒りも、誡の目を見ているうちにすっと消えていった。少年と相対した本人が怒っていないのだ。なら自分(ぼく)も彼を許すべきだ。


 それに自分(ぼく)には、漆賢悟に伝えなければならないことがあった。

 少年に向き直り、自分(ぼく)はその名を告げた。


「…………依琥乃(いこの)だ」


「────ぁ」


「君が探していたのは、伊神(いがみ)依琥乃だ」


 少年の眼が見開かれ、すぐに顔がくしゃりと歪む。彼の目元を、一筋の涙が流れ落ちた。


「──いこの。……依琥乃っ。ぁあああ」


 大切な名前を包むように、慟哭(どうこく)が響く。仰向けのまま泣き叫ぶ少年を見て、自分(ぼく)は日記の入ったカバンを握りしめた。


 ただただ泣き続ける少年の姿は、やはり痛ましかった。彼の中に溢れた想いは、きっと自分(ぼく)にも想像つかないものなのだろう。


 依琥乃はもう、この世にいない。彼もそのことを知っているはずだ。日記帳の最後、殴り書かれた文章は、依琥乃の最期の幸福を願うものだったから。


 最後に会った日に依琥乃は、もう会うことはできないと漆賢悟に告げたのだろう。そういうところ、依琥乃は律儀で無神経だ。必要ならば、どれほど残酷なことでも彼女は告げる。


 二人はもともと、時々会う程度の関わりだった。漆賢悟から依琥乃を頼ることはなく、依琥乃が訪れるのを待つだけ。それでも依琥乃は、自分がいなくなった後、漆が混乱しないように先に真実を伝えたのだと思う。昔、自分(ぼく)に自身のことを教えた時のように。

 


 それからちょっと時間が経って、少し落ち着いた漆少年に、自分(ぼく)は日記帳を返した。


 立てないまでも、起き上がるくらいはできるようになったらしく、少年はゆっくり身を起こす。


 差し出された、何も書かれていない表紙を見て、少年は震える手でそれを受け取った。


「いつか会えなくなることは分かってた。ずっと一緒にいたいなんて、我が儘はボクなんかには言えなくて。

 ……会うことがなくなれば、いつかは忘れてしまうのはあたりまえってわかってる。だから、ボクは依琥乃に、忘れられてよかったんだ。ボクのことなんて、これっぽっちも覚えてなくてよかった。それで君の最後が幸せであってくれたなら、それで十分だったんだ」


 それは、人を傷つけた人間のものとは思えないほど、悲痛で優しい声だった。漆少年が沈痛な面持ちで表紙を撫でる。


「……君のためなら、ボクは世界だって切り裂いたのに。どうしてよりにもよってボクが、君を忘れてしまったんだろう。どれだけ自分がおかしくなっても、狂気に自我が沈んでも、ボクは君だけを、──忘れたくなかったはずなのに」


 透明な涙を流しながら、漆少年が日記帳を胸に抱きかかえる。まるで、二度と触れることのできない大切な人との思い出を、せめて抱きしめるかのように。


 彼の中に浮かんだ感情はなんだろう。大切な人が死んだ悲しみ? 二度と会えない寂しさ? それとも、忘れてしまったことへの困惑だろうか。


 いいや、自分(ぼく)にはそれが違うと分かる。彼を一番苦しめたのは、記憶を失い、失ったことにすら気づけなかった己への怒りだ。それが結果的に、見ず知らずの人間を、些細なきっかけで傷つけてしまう要因となった。


 少年の心が伝播してくるようで、自分(ぼく)は彼から目を逸らす。


 ふと誡を見ると、彼女は天井の割れ目から見える空を見ていた。彼女がここにいたということは、少なからず、誡も依琥乃のことを忘れていたはずだ。名前を聞いて彼女の存在を思い出せる程度の忘却だったならいいけれど。


 それでも、己の人生の数割を占めていた人間を忘れていたという事実に、彼女は何を思うのだろう。


 ……依琥乃にまつわることについて、自分(ぼく)は人に話すことはできない。そう依琥乃と約束したからだ。


 言えないもどかしさが、胸をかき乱して仕方がない。けれど死んだ人間との約束を破るのも、自分(ぼく)はしたくなかった。それに、言うなと言われていたことを教えられたら、誡はたぶん、自分(ぼく)をたしなめるだろう。


 安易にその場面が想像できて、少し苦笑していると、漆少年はようやく泣き止んだらしく、鼻水をすすりながら、ようやく自分(ぼく)らを見た。


「あの、あなたたちは──」

「こんな所にいたのだね」


 少年の言葉は突然現れた人間の言葉で遮られた。


 全員が入り口を見る。廃墟の入り口に姿勢よく直立していたのは、スーツを着た外国人だった。


 帽子をかぶっているが、髪型をオールバッグにキメているのがわかる。外人の外見は年齢がよくわからないが、恐らくは三十代くらいか。逆光で細部は分からないが、映画の中でしか見たことがない英国紳士を現実に引っ張り出してきたみたいな()で立ちの人だった。


 紳士はもう一人、年若い青年を連れていた。ボクよりは少し年上だろうか。紳士同様きれいな金髪で、やはりスーツを着ている。


「いやあ、探したよ。逃げられてから今日まで、ずっと君を探していた」


 そう言いながら紳士は自分(ぼく)らに歩み寄る。青年もその後ろに随伴(ずいはん)してくる。


 自分(ぼく)にはこんな知り合いはいない。ならばと漆少年を振り返る。すると、少年は顔を青ざめさせて後ずさりしていた。誡も表情こそ変わらないものの、似たような顔色だった。


 二人が揃ってこんなになっている。ということは、彼らは少なくとも、自分(ぼく)らに友好的な人間ではない。


 唐突にレゾンの忠告を思い出す。連盟の人間が県内に入った、と。連盟には狂った稀癌罹患者を狩る部署があるという。まさか、彼らこそが──。


「あなた達は、厳罰人ですか?」


 駆ければ一瞬で縮まるほどの距離にまで近づいてきた西洋人二人に、自分(ぼく)はそう問うた。


 女性受けしそうな甘いマスクに微笑みを浮かべた紳士は、帽子を取り、胸元に当てて礼をする。


「その通り。そういうあなた達は、全員稀癌罹患者だね。一番奥の彼は私達が追っていたターゲットだ。この距離ならよくわかる。彼は狂っている。処理の対象者だ。

 さて、他の君たちはそうではないようだが……。どうしたものかな。ルー、罹患者の処理にあたり、他の罹患者が居合わせた場合の規定を覚えているかな?」


 突然呼びかけられた青年が、さながら軍人のように背筋を伸ばした。それから、記憶を探るように目を泳がせながら口を開く。


「えっと……。居合わせた人間が罹患者のみであった場合に限り、共に処理することも可能です!」

「よく覚えていた。その通りだ」

「はい、ありがとうございます!」

「と、こちらの事情はこの通りだ。さて、どうする?」


 目じりに(しわ)を寄せながら、紳士が自分(ぼく)らに向かってそう言った。処理とはつまり、殺すということだ。冗談じゃない。はい殺されますなんて答えるわけがない。


 けれど、自分(ぼく)らには抵抗する術がない。


 誡は動けず、漆少年は震えている。そして自分(ぼく)には戦闘力なんてものはない。

 どうすればいいんだ? 自分(ぼく)一人じゃ、誡すら逃がしてあげることはできないだろうに。


 絶望が心を支配する。けど、小さく聞こえた誡の言葉が、自分(ぼく)に希望を与えた。


「……平気ですよ更科君。もっとおっかない(・・・・・)のが来ますから」


 誡が指さす方を見るまでもなかった。示されたのは天井。衝撃は言葉の直後だった。


「っ、なんだ!」


 紳士の焦った声がする。


 轟音と共に天井が崩壊したのだ。おそらく二階の天井も同様に突き破ったであろうその男は、土煙と崩れる瓦礫の中に、銀色の髪をなびかせ立っていた。


「ふはっ、間に合ったようだな」


 不敵に笑うその男は、自称千年生きた吸血鬼。恐るべき力を持った銀色の化け物。レーゾン・デートルであった。




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