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哀傷ゾルレン  作者: まじりモコ
第三章 枯野の鮮血
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三十四話 狂走


         12


「いいかげんに、その口調は止めにせんか」

 二人旅を始めておよそ一年経ったある日。レゾンは唐突にそう言った。

 意味が分からず返事をしないボクにレゾンは火を起こしながら続ける。

「いいか人間はな、己の性別にあった一人称を用いなければ、初対面の者になめられるのだ。口調も同様だ。今の君は威圧的が過ぎる。もしくはただのクソ生意気なガキだ」

「そりゃ、ガキだからな」

 また年より臭い説教を始めた吸血鬼を無視して、ボクは鍋にスープの材料を投下した。先日スーパーでまとめ買いしたスープの素と、ぶつ切りにした野菜たち。今日の夕食はこれとパンで十分だろう。餃子ばかりだと、レゾンはまだしもボクは身体を壊してしまう。

 しかし、なおもレゾンは食い下がる。

「だから、ガキ時代の習慣は大人になっても変えられないから言っているのだ」

「そういうもんか」

「そういうものだ」

「ふーん」

 そこまで念を押されれば、さすがに少し考える。だが、口調ごときどうとでもなる。レゾンの教育のおかげで、やろうと思えば敬語は完璧だし。

 だが、まあ。ちょっとは譲歩すべきか。

「ボクはどうすればいいんだ」

「うん?」

「だから、ボクは自分をなんと呼べばいいんだ」

 鍋に水を投入しながら言うと、レゾンはなにがおもしろいのか「ふはっ」と笑い、マッチを捨てて火に薪をくべた。

「そうだな。ごく普通に、『私』でいいのではないか?」

 ふむ。わたし。私。……違和感が、すごい。

「君の図太さなら、すぐに慣れる」

「そうだな。お前との暮らしにもすぐに慣れたしな」

「順応性は評価するが……。親族縁者の(かたき)との生活に慣れるのもどうなのだ?」

「別に家庭に思い入れがあったわけじゃない。もう家族の顔も思い出せないしな。まあ、あれが殺しであったなら、確かに復讐(ふくしゅう)という道もあった。けれどあれは食事だろ? 食事は生命活動の一種。生きるために必要な物だ。なら簡単だ。彼らは雷に撃たれたのでも、脱線した電車に轢かれたのでもない。ただ彼らの命日があの日だった、それだけだよ。そもそも《《私》》は薄情なんだ、基本。……それより、どうして今更そんなことを言いだした」

 ぱちぱちと薪を鳴らす火に近づく。レゾンが組んだ木組みに、鍋を引っかけた。後は煮えるのを待つだけだ。

「日本では春から義務教育が始まるだろう。君は学校に行くべきだからな」

「修行が足りないと、今日言われたばかりなんだが」

「ああ、だから、長期休みには迎えに行くさ」

「長期休みの度に失踪する子供は普通じゃないな……」

 絶対友達なんかできないだろそれ。

「君ならすぐに慣れるさ、イレギュラー」

 微笑みながら紙皿を差し出す化け物を、ボクはおたまで制する。

「だから、その呼び方は止めろと言っている。そんな風にわざわざ誇張しなくても、約束は守るよ。ちゃんと、お前の命運が尽きれば殺してやるさ、レーゾン・デートル」

「ああ、その時が来るなら、頼むよ、祇遥(ぎよう)射牒(いちょう)

「はいはい。さっさと深皿をよこせこの更年期(こうねんき)障害者め」


         12


 何かを探しに外へ出た。けれどその『何か』は、やはり思い出せない。気の向くままに自転車を走らせると見知らぬ廃墟に辿りついた。


 まだ空は明るい。昼前なのだから当たり前だ。


 更科君からの連絡もなかった。私は適当な所に自転車を止め、奥に進むことにする。


 雑草が茂る道を抜けると、二階建ての建物の入り口に辿り付く。


 中に入ると、白い壁にはいたるところにカラフルな落書きがされていた。物は無く、天板もほとんど無く、枠組みの木だけがぶら下がっている。水道管かなにかのパイプも姿が露見していた。


 自転車をこいでいたため火照(ほて)った身体に、冷たい空気が気持ちよかった。


「…………いつか、来たことがあるような」


 なぜだろうか。私はここに来たことがある気がする。それも一人で来たわけじゃない。私は誰かと、ここに来た。


「……思い出せない」


 記憶の奥へ手が伸ばせない。私は誰とここへ来たのだろう。


 歩を進め奥へ入る。薄暗く、床が抜けているところもあったが、稀癌が反応するため危険はない。ほどなく階段を見つけて、私は二階へ上った。


 階段は欠けているところがだいぶあった。だが、二階は一階ほど落書きはない。外壁が崩れているところもあるためか、日が入り、こちらのほうが明るく歩きやすかった。


「……確か、肝試しに、来たはず」


 そう。ここは昔病院だった。幽霊が出るという噂があって、夏だからと連れてこられたのだ。


「……誰に」


 更科君ではない。私はまだ幼かった。彼と出会う前だ。確か、小学校五年生の夏休み……。


「……そもそも」


 私はどうして今、ここに来たのだ。


 体中から熱が消え、内臓全部が縮こまる。背筋を冷たい空気が這っていって、私は鳥肌を立てた。


 おかしい。どうして記憶を想起できない。私の身になにが起きている。稀癌はなにも反応しない。だから精神攻撃の類ではないはずだ。ならばなぜ。


 どうして。どうして。どうして。…………どうして?


 身体を掻き抱き、若干のパニックへと(おちい)っていたために、私はその音と危険に気づくのが遅れた。


 階段を上る音が階下から近づいてくる。危険察知(クリエ)。それは明確な危険を伴っている。死の香りを乗せたざらつく風。


 頭が混乱したまま私は自分の腰元へと手を伸ばした。だが、そこにはなにも無い。ウエストバッグも、その中に入れるはずの拳銃も、今日に限って自宅に置いて来てしまっている。


 どうする。逃げるか。それとも──。


 思考が詰まってなかなか行動を起こせない。そうしているうちに、音は目の前へとやってきた。


「──っな」


 ふらふらと頼りない歩調で角から身を覗かせたのは、つい最近写真で見た人物。


 最後にいつ洗ったのかわからない、乱れた黒髪と汚れた上着。生気の少ない目元は落ち(くぼ)み、唇はなにかを口ずさみ続けている。いや、誰かと話しているのか。けどこの空間には、私と少年以外誰もいない。


 普通の神経をしているならば入りたがらないであろう廃墟に現れたのは、現在更科君が行方を追っているはずの少年、漆賢悟だった。


 まさか調査もなにも継続していないこちらが当たりを引くとは……。


 少年はなぜかまだ私に気づいていない様子だった。いや、当たり前か。私は稀癌によって彼の来訪を事前に感じ取っただけだ。漆賢悟は恐らく稀癌罹患者であると、更科君は言っていた。けれどその稀癌が、私と同質のものとは限らない。というよりも、ある程度予測はついているのだ。


 少年の稀癌は『切断』だろう。得物の鋭さ、切るものの硬度、力、全てを無視して斬り伏せる、まさに奇跡としか言いようがない能力。精神の不安定さは稀癌の副作用に違いない。


 そのような相手と丸腰で戦うなど不可能だ。


 気づかれないうちに逃げるべきだろう。私は一歩後ろへ下がろうと──。


「ねぇ」

「──っ」


 稀癌は(またた)かなかった。だからそれは私に対する呼びかけではなかったはずだ。だが、反応してしまった。唐突に脅威が膨らむ。


 気づかれた。


「だれ、そこにいるのは」


 声をかけられ、観念する。


「……こんにちは」


 そう言いつつ私は身体の陰でスマホを取り出した。更科君か、射牒さんに連絡を入れるために。


 だがその目論見は失敗した。先ほどから頭が痛むせいだろう。私はもう少し、慎重になるべきだったのだ。


「ああ、こんにちはぁあ!」


 少年は私へ突進してきた。手元にきらりとナイフが光る。


 私は少年の斬撃を(すん)でで(かわ)し、そのまま跳んで距離をとった。手からスマホが零れ落ち少年の足元に落ちる。


 避けた私の代わりに背後にあった壁が切り裂かれる。そんな小さなナイフじゃ、発泡スチロールだろうとこれほど真っすぐ切れないだろうに。そしてついでにスマホも踏まれた。画面の割れる音がする。あれは、もう使い物にならないだろう。


「っ、出費が」


 つい本音が漏れたが、少年は聞いていないようで、ただにやにやと笑っている。


「は、ははは。よけた! やっぱり! あの子だぁ!」


 どうやら昔会ったことを覚えているらしい。確かにあれだけわめいていたから、忘れていないのは納得するが。


「……人違いでは」


 私は少年に背を向けて走りだした。

 あんなものと真面目に対峙(たいじ)していられない。


 相手して初めて稀癌という存在の物理法則を無視したズルさを痛感する。


「待ってよ。君と会いたかったんだ!」


 建物の見取り図がないため正確な逃げ道がわからない。そのためとりあえず少年から離れようとしたが、気になる言葉が聞こえて足を止めた。

 少年から感じる危険は模擬戦時の射牒さんより少し弱い程度。つまり素手で向かえば大怪我をするが、死ぬほどではない。話を聞くくらいならいいだろう。


「……あなたが探していたというのは、私なのですか」


 問うと、少年は首を傾げた。説明が足りなかったというのか。


「……あなたは何かを忘れ、それを探しに出たのではないのですか」


 再度問う。すると少年は私ではなく、壁を見た。もちろんそこには誰も居ない。けれど、少年は気にせず喋りだす。


「そう、そうだよ。思い出せないんだ。でも、君を見て思いついたんだ。ボクと同じ、血の匂いのする人。お姉さんを殺せば、きっとなにか思い出す!」


「……理屈がわからないっ」


 少年が動いたので、私はまた走り出した。狭い通路を全速力で駆ける。階段はどこだ。早く外に逃げねば。


 しかし、その考えは甘かった。

 私よりも少年のほうが、純粋に足が速かったのだ。


「追いついたぁあああ!」


 背後で振り上げられるナイフ。

 それは、的確に私の心臓を狙っていた。



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