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哀傷ゾルレン  作者: まじりモコ
第一章 亡霊の後世
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九話 更級奏繁


         11


 ────わたしは貴方に触れることができなくなった。今のわたしでは、もう貴方を支えることも、言葉をかけてあげることもできない。

 だんだん壊れていく貴方をただ見ていました。

 わたしのために、わたしのためだけに全てを投げ打った貴方。

 財力も、権力も、人脈も、己が意思すらも全て、全て。

 その落ちぶれていく姿を、狂っていく背中を、もう見ていたくなんてないはずなのに。

 わたしは悲しいはずなのに、嬉しさをどうしても捨てきれませんでした。

 死んだ後も、これほどまでにわたしは貴方に愛されている。

 その甘美さに耐えられるほど、わたしは強い女ではなかったのです。

 それでも貴方が誰の命も犠牲にしなくて済むように、わたしは自分に命令式を与えました。屋敷に近づく人間をただ追い返し、そして守るようにと。

 愛おしい貴方の魂を他人の血で汚したくはなかったから。


 やがて、貴方はだんだんと、自分の目的を忘れていきました。

 わたしも少しずつ、意識が白濁(はくだく)していきます。


 きっとすぐに、わたしはわたしを、そして貴方を認識できなくなるでしょう。

 そうしたら、たぶんわたしは貴方の隣(ここ)に留まれない。もう二度と、貴方と離れたくはなかったのに…………


         11


「こんばんは、(かい)。直接会うのはお昼ぶりだね。助けに来てくれてありがとう」


 飾り気のない言葉。なぜか頬を染めて遠慮しながら、更科君は私に近づいてくる。


 中肉中背、飾り気のない服装に、収まりよく整えられた髪型。特にこれといって描写するほどではない容姿。いつも通りの更科(さらしな)奏繁(そうはん)。歩き方も確かだ。引きずられたせいかカーディガンに汚れがついてはいるが、目立った怪我は無いらしい。


「誡ならちゃんと、全部救ってくれるって信じてたよ」


「……意味は分かりませんが……、感謝しているならそれ相応の働きをしてください」


 いちいち手を握るな。なぜそう私とスキンシップをとろうとするのか。出会った頃はこんな積極性を持たない男だったのだけれど。


「そうだね。うん、ちゃんとしないと」


 言って、更科君は階段の上の死体を仰ぎ見る。そこに何がいるのか、彼には分っているのだろうか。


「彼女と誡の声は、聞こえていたから」


 呟きながら、更科君は私が構えていた拳銃のグリップを私の手ごと包み込む。それだけで彼には何かが見えたようだった。おそらく、魔法具の扱いにおいて彼は私よりも適性が高い。私のように照門を覗かなくとも姿を確認できるのだろう。


 更科君は再び玉座を見つめながら、今度は私以外の誰かに向けて言葉を発する。


「ご老体。残念ながら、この世界に死んだ人間を生き返らせる方法はありません」


 それが、どれだけ思い入れを持った人物であっても、と彼は投げかける。誰と重ねて言っているのかは私には明白だった。


 依琥乃(いこの)が死んで、まだ一週間も経っていない。普通は引きずっていて当たり前なのだ。親しい人の死はそれほどに、胸に重い。


「あなたがどれほどに望んでも、彼女は生き還らないんです」


 自分の言葉がどれほど相手を傷つけているか。更科君は、わかったうえで言葉を選んでいる。より正確に。より端的に。そうでなければ、もうあの老人の心には届かないと。


 更科君の意図に気づいているのか、いないのか。老人は震えるようなうめき声を上げながら、己に相対する青年へ反論の言葉をこぼし始める。


「──知っているよ。わたしがどれほど勉強したと思っている。彼女を助けるために、どれほど。どれほど! 知っているとも。それでも願った! (すが)り続けた! この世の理で無理ならばと稀癌にすら縋ったさ! 

 だが、無理なのだろう? 稀癌罹患(きがんりかん)者諸君(しゃしょくん)。わたしが貴様らに気づかずにいたと思ったか?

 小娘、そして小僧。不可能を可能にする稀癌を持って生まれた稀人(まれひと)共。そうなのだろう? 命の定めだけは、どうしようも……貴様らにすら。もう、神にしか……。それでも、わたし……は──救われたくて、救いたかっただけなのに」


 だんだんと言葉がぶつ切れになっていく。これはもう、反論ではない。ただの感情の発露だ。言葉に大した含蓄(がんちく)はなく、表面上の荒々しさだけが全てを表している。


 気づいているのだ。気づいていたのだ。この老人は、すでに人の命の決まりを理解しているのだ。ならばなぜ認めないのだろう。どうしてこれほど、(かたく)なに事実を受け入れようとしないのだ。


 どうしてそんな時間の無駄なことを思い続けるのだ。


 私には理解できなくても更科君はわかっているのだろう。彼は首を振って、それでも老人から目を逸らさない。


「いいえ。彼女を救うことはできます。ですからどうか、もう彼女を自由にしてあげてください。あなたも、もう解放されていいんです。

 自覚していないかもしれませんが、あなたの呪いはおそらく魂を縛ることだ。そうじゃないと、あなたがそこに居続けることができるわけがない。

 死した意思なき魂とは浮遊するもの。あなたは自分の霊魂を自分の肉体に固定することによって、死した後も生前の思考力を維持してきたんでしょう? そして、あなたは彼女のことも縛ってしまっている。

 ……ご老体。人間は、死んだら生まれ変わることができるんです。輪廻転生(りんねてんせい)によって、この世界の魂は(めぐ)っているんです。あなたにも、彼女にも、新たな人生が待っている」


 だから安心して消えろと、更科君は言うつもりはないのだろう。彼はただ助けたいだけなのだ。たとえそれが自分の命を利用し奪おうとした人間だとしても。

 それが救いとなるかは、きっと今は関係ない。


「でもね、転生せずに輪廻から外れた魂は、傷ついてしまうんです。少しずつ摩耗(まもう)していって、最後には跡形も消えてなくなってしまう。特にあなたは呪いに侵されてしまっている。呪いは、奇跡ではありません。自分を傷つける災悪です。もちろん魂も呪いに毒される。

 そんなことを続けていれば、あなたたちの魂は消えてなくなってしまう。そうなったらもう転生することすら叶わない」


 まるで我が事のように、更科君は自身の手を握りしめる。拳銃に添えられた手にも、平等に。若干の痛みが走るが私は何も言わなかった。


 私は感情が薄いから、彼と共に何かを語ることはできない。人の心を動かすのは感情の籠った言葉だ。私には事実を突きつけることはできても、そのフォローはできない。だから、更科君の邪魔をする権利を私は持っていない。


「ですから、どうか、ご無礼をお許しください。あなたの呪いは、自分(ぼく)が消します」


 そう言って、空いている左手を掲げ、老人を指さした。


「…………なにをしておる?」

自分(ぼく)に使える唯一の魔法で、あなたの呪いを消すんですよ」


「──はっ。そんな魔法は聞いたことがないな。……それに、貴様はさっきあそこから出るときに、なんらかの魔法を使用したのだろう? それも出てくるのに随分と時間がかかったようではないか。また一から詠唱しなおすとでも言うのかね?」


 人を嘲笑する声が部屋に響く。追い詰められて何もかもがどうでもよくなってしまった人間の声だ。他者を(さげす)むことでしか自分の自尊心を守ることができずにいる。聞いていてこれほど不快なものは珍しい。私がつい引き金に力が籠るのを、更科君は視線だけで制した。


「大丈夫」とでも言いたげな苦笑いに、私は力を抜いた。さきほど邪魔をしないと決めたのに。相変わらず私は意思が弱い。隣を盗み見ると、すでに彼は正面を見ていた。


「普通はそうでしょうね。ですが、あなたの言う通り、自分(ぼく)は稀癌罹患者です。そして、稀癌により二重人格者となった者です。だからあなたも、自分(ぼく)を狙ったんでしょう?」


「……それがどうした」


「魂一つに人格一つ。これが世界の原則です。でも自分(ぼく)には二つの人格がある。だから、世界は自分(ぼく)を誤認してしまうんです。この体には人間が二人いるんだって。二重人格なんてありえないのに。不可能を可能にする稀癌が、世界を(あざむ)いてしまっている。

 ──だからね、ご老体。自分(ぼく)の魔法は、一度で二回唱えたことになるんですよ」


 正確には、一人が唱えたのに、二人で唱えたことになっているんですけどね、と更科君は律儀に注釈をつける。


 二重人格者は二重存在者と言い換えることができる。一人なのに、二人。二人なのに、身体は一つ。そんな時、世界は彼を、二人と見なす。


 もし更科君に術者としての素質があれば、大成していたことだろうと、レゾンと依琥乃は言っていた。しかし彼が実際使えるのは、たった一つの魔法だけ。


自分(ぼく)の使える魔法は、不便すぎて誰からも忘れられた魔法なんです。どんな異常も正す魔法。全ての異常を打ち消すけれど、詠唱が長すぎて、実践向きではありません。

 どれほど効果が優れていても、一時間かけてようやく一回使えるだけだから、他の方法を探すか、別の魔法や魔術を使った方が効率的です。だから皆忘れてしまった。使わないから。覚えていても意味がない。あなたが知らなくっても仕方ありません。

 これは、死んだ魔法だ」


 千年生きた吸血鬼が、かろうじて覚えていただけの魔法だ。この魔法を使うのは、おそらく世界で更科奏繁だけなのだろう。更科君は、そのアイデンティティを誇りに感じている。


「あなた達は、もう眠るべきだ。千年も、万年も、死にながら生きていくなんて、そんな悲劇はあっちゃいけない。だから、自分(ぼく)は貴女の願いを叶えることはできません」


「ふざけるな。わたしの呪いと貴様らの稀癌。いったいどこが違うというのだ──!」


 響く怒声。それを無視して、異常を正す魔法を、人を救うことのできる魔法だと信じて更科君は行使する。私の手を包む(てのひら)が、また熱と心音を伝えてきた。


 彼は知っている。自分の行為がただの押し付けにすぎないということを。彼らには彼らの幸せがあって、それは、己が想う物と、決して同じではないのだろうということも。彼の高い共感性故に、思い知っている。


 これは酔っていい善行の類ではないと。


 かつてそう苦しみもがいた更科奏繁を、私は見てきたのだから。


 だから更科奏繁は、自らの魔法を発動させる祝詞(のりと)を決めていた。


「──神ならざる御業(みわざ)にて疑り申す」


 呟かれるのは奇跡を冒涜(ぼうとく)する箴言(しんげん)。残虐な吸血鬼が用いる特徴的な呪文の一つ。


 否定の祝詞を引き金として、更科奏繁は愉悦(ゆえつ)に堕ちそうになる己の心のバランスをとっている。


 卵がひび割れるような音がした。






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