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馬鹿は風邪を引きたい

作者: 須方三城


焚馬タクマ、あんた馬鹿でしょ?」


 とある友人に、俺はよくそう言われる。


「焚馬の馬は馬鹿の馬ね」


 これもよく言われる。


 苗字が鹿多しかだなせいで「馬と鹿が揃ってんじゃん」とかも言われる。


 そんな俺は、生まれてこの方――風邪を引いた事が無い。



   ◆ 



 夏が終わり、「地球温暖化とは?」と問いたくなる秋の冷えがやってきた頃。

 中学三年生の俺たちが高校受験と言う大きな試練にそわそわして仕方なくなるこの時節。


 息をするように俺を馬鹿呼ばわりする女子・優音ユウネは、風邪を引いていた。


「……知ってる? 今、風邪が大流行してんのよ」


 夕暮れの街中。

 俺は優音と肩を並べて帰路に就いていた。

 マスクで顔の大半を覆い隠し、優音は時折けふんけふん言いながらも、態度は不遜。

 俺より頭ひとつも小さい場所から、いつも通り見下しまくった目でこちらを見ている。


「そうなのか」


 俺もいつも通りだ。


 頭は悪いが頭痛は無い。

 体温はいつだって三六度後半キープ。

 喉は快調。なんなら一曲、歌ってやろうか?

 最近は御経ポップの開拓者・米須法師よねずほうしを練習中だ。


「……やっぱ、馬鹿は風邪引かないのね。ふふ。バーカ」

「なっ……馬鹿は関係無ぇだろ!?」

「うっさい、バーカ」

「お前はいつもいつも何なの!? いくら俺でもそろそろ拗ねるぞ!?」

「はいはい、バーカ」

「馬鹿っていう方が馬鹿だこの馬鹿!」


 なんて小学生並の理論で言い返すも、優音は全く意に介さない。


 そんな感じで歩くこと数分。

 古びた薬局が見えてきた。

 店の前に設置されたカエルの置物は、半端に塗装が剥げ落ちホラー状態だ。夜に見たらやばい奴。


 この店の前のT字路で、俺と優音の帰路が分かれる。


「悔しかったら、風邪のひとつでも引いてみなさい」


 そう言い残し、優音は自分の帰路へ。


「……あの野郎……」


 あの小さい背中が恨めしい。

 少し勉強が出来るからって、いっつも俺の事を馬鹿にしやがって。


「確かに成績は悪いけどよ……」


 勉強出来ない=馬鹿では無いはずだ。


「……そうだよな!」


 明日は、この理屈をぶつけてみよう。



   ◆



 トワイライトに染まる町並み。


「そうね」


 ――勉強が出来ないから馬鹿ってのは違うだろ?


 俺の言葉に、意外にも、優音はあっさりと同意した。


 何だ、話せばわかるではないか。

 少しばかり頭が良いだけの事はある。


「確かに頭が悪くても、馬鹿と呼ぶに相応しくない人もいるでしょうね。逆に、頭の良い馬鹿ってのもいるでしょう」

「うんうん」


 素直でよろしい。

 今までの憎たらしさが嘘のようだ。

 可愛いじゃないか。あれ、本当に可愛いなこいつ。何かドキドキしてきたわ。

 この感情は、もしかして――


「でも、あんたみたいな頭が悪い馬鹿もいるわよ」


 ――……何だこのふてぶてしい生き物は。

 さっきまでの可愛さが夢幻のようだ。

 ホントふてぶてしいな。ああ、何かムカムカしてきたわ。

 この感情はまさしく憎悪だわ畜生め。



   ◆



 もう本当に悔しい。

 もうマジで悔しい。


 どうにかしてあの女を見返す方法は無いだろうか。


『悔しかったら、風邪のひとつでも引いてみなさい』


「そっか、風邪引けばいいんだ」



   ◆



 ダメだ。

 全然ダメだ。


「全然、風邪引かねぇ……!」


 そらもうびっくりするくらい引かない。

 一体、何事だと思うくらい引かない。


 近所の病院のロビーで深呼吸するのを日課にしても。

 腹に氷嚢乗っけて寝ても。

 この冬の時期に部屋着をトランクス一丁にしても。

 冷水を貯めた湯船で一晩寝ても。


 全然風邪を引かない。


 更に最近では祖母が趣味でやってる滝行に同行し、アホみたいに滝に打たれる日々を送っているのに。

 本当に風邪の気配すら無い。


 ただ寒くて辛いだけで、風邪にはほど遠い。


 ……というか、むしろ最近体の調子が良いくらいだ。

 寝起きが非常に爽快だし、何か筋肉が付いてきた。

 優音が言うには身長も少し伸びた。


「俺の体は馬鹿か!?」


 風邪を引くためにやってるのに、活気づいてんじゃねぇよ!!


 どうやら、風邪を引いて見返すのは……とてつもなく困難なようだ。

 俺は、少しばかり健康的で頑丈が過ぎる。


 でも、悔しい……この気持ちは……どうすりゃあ良いんだよ……!?



   ◆



「焚馬、あんた、いい加減に志望校決めた?」

「ん? あ、ああ。まだだけど」

「……おっそ……嘘でしょ? 願書の締め切りまでもう月も無いわよ? 本当に馬鹿よね」


 もうとりあえず馬鹿と言うんだな、お前は。


「お前はどうせ法秀ほうしゅうだろ?」


 法秀高校は、ここらで一番の進学校。

 こいつは一家で揃ってのエリートだし、きっと法秀だろう。


「まぁね。余裕のA判定だし」


 やはりそのようだ。


(にしても……もうどうすりゃ良いんだ?)


 高校受験が大事なのはわかるが、それよりも俺はこいつを見返したい。

 ムカつくから。


 しかし、風邪を引いて見返すのは難しい。


(……本当に、俺は頭悪い馬鹿だから風邪引かないのかなぁ……)


 そんな事を考えながら歩いていると、昔ながらのオンボロな掲示板が目に入った。


 そこには一枚だけやや新しい、赤字に黒い筆字だけが記されているチラシが。


『天才を育てる! 輝最きさい塾』


「…………なぁ、優音。馬鹿の反対って、天才?」 

「はぁ? まぁ、そうでしょうけど……ちょっと焚馬、聞いてんの? もう高校決めないとヤバイ時期よ?」

「…………」

「……まぁ、あれよ。私は優秀だから、どこでも勉強はできるから? あ、あんたがその、どうしてもって必死に懇願するのなら? あんたの行けるランクの高校に合わせてあげても……」

「…………これだ」

「……ねぇ。ちょっと、聞いて……」


 優音の話なんぞ耳に入ってこない。

 どうせ、俺の事を馬鹿にしてるだけだろうし。


 そんな事より、これだ。


 希望を、見つけた。



   ◆



「我が輝最塾は、邪な意思を持つ者に門を開かぬ。帰れ!」


 荘厳な門の前に立ち、いかにも金持そうな親子を文字通り門前払いにする老人。


 今まであらゆる分野で天才を輩出してきた、輝最塾の塾長、葉堂はどう命尽ミョウジン


 彼は人の目からあらゆる事を察知し、塾生に相応しくないと判断すればこうして門前払いする。


「ふん……最近のガキは性根が腐りきっておるわ……親も、だがのう」


 つまらん世の中になった物だ。


 ……もう、この塾に生徒はいない。

 生徒に相応しい者が、ここ数年一人も現れないのだ。


 この塾の生徒となるのに必要な物は、たった二つ。

 強い意思とシンプルな目的。

 たったそれだけだのに。


 どいつもこいつも軟弱な精神。

 ブレブレや妥協の塊の様な目標を掲げて、ここに来る。


 ……風潮、なのだろう。


 強気の自信家は暑苦しいだけ。

 そんな、実にくだらない風潮。


「潮時、か」


 長らく掲げて来たこの「輝最」の看板も、そろそろ地に降りる日が来たという事だろう。


「……貴様には、倉庫に特等席を用意してやる」


 もう、この看板も休ませてやろう。

 倉庫の特等席で、時の流れの中で埃を被り、朽ちてゆくといい。


「……安心せい。ただの木片同様に朽ち果てようと、貴様の元で積み上げたあらゆる想いは、決して褪せはしない」


 優しく声をかけながら、看板へと手を伸ばした、その時だった。


「じいさん、あんた、この塾の人?」

「む? ……ああ、確かにそうだが」


 その声の主を見て、葉堂は少しだけ目を見開いた。


(……何だ、この少年は……)


 学ランを着ているが、目の色がまるで猛虎。

 何か、とても強い覚悟を内包している瞳だ。


「俺を、この塾に入れてくれ!」

「……ほう……」


 目は、合格だ。

 だが、それだけで入塾はさせない。


「問おう。貴様はどんな天才になりたい?」

「……何でもいい」

「何?」

「俺はただ、馬鹿じゃなくなって、風邪を引きたいだけだ!」


 …………。


 葉堂には、何が何だかさっぱりわからない。


 だが少年の目は本気だ。


「俺は、風邪を引いた事が無い……だから、天才になって、風邪を引いて、そんで、あいつをギャフンと言わせるんだ!」

「ま、待て、一体、貴様はどういう……」


 さすがの葉堂も困惑が出る。


「頼む! 俺はどうしても、あいつを見返したいんだ!」

「!」


 ただ、見返したい奴がいる。

 そのために、この少年はここに来た。


 それだけは今、理解ができた。


 ――面白い。

 風邪がどうのと言うのはよくわからないが。

 とにかく、この少年はただただ真っ直ぐだ。


 強い意思、シンプルな目標。

 この塾に必要なのはそれだけ。


「……この塾の講義は、厳しい物だぞ。確実に貴様の予想の上を行く」

「体だけは丈夫だ!」


 ますます面白い。

 必要な物は全て持っている。


 葉堂は看板を掴もうとしていた指を固めて、拳にする。


 この看板が埃を被るのは、どうやら少しだけ先の事になりそうだ。



   ◆



 春。


「…………まさか、あんたが本当に法秀に合格するだなんてね」

「おう。全部、葉堂のじいさんのおかげだ」


 輝最塾の門を叩いてから、二週間。

 俺は、葉堂流の「眠っている才能を呼び起こすカリキュラム」を受け続けた。


 肉体をひたすら酷使する、辛い物だったが……俺は乗り切った。


 そして、俺は学芸面の才能を開花させたわけである。

 余談だがついでに早着替えの才能も開花した。


 まぁとにかくだ。

 俺はあの塾で「頭の良い天才」になり、法秀にすらラクラク合格。


 そして何より――悲願を達成した。


「……しっかし、よっぽど猛勉強したのね……そ、そんなに私と同じ学校に通いたかった訳? あんたも可愛い所があるじゃない。ふふ……」

「優音。もっと言うべき事があるだろう」

「……まさか私の方がぉ、同じ学校に通えて……嬉しい…とか言うとでも思って……」


 何の話だ、にぶちんめ。


「これを見ろ」


 仕方ないので、スッと指を差す。

 俺自身の顔、俺の鼻先から顎までを覆うマスクを。


「……はい?」

「俺は、遂に! 風邪を引いた!」


 ガッツポーズで高らかに、宣言してやった。


 頭は痛いし、視界ボヤけてるし、三九度あるし、声を出すたび喉に激痛が走る。


 ま さ に 風 邪 !


 そう、俺は今、風邪を!

 風邪を引いているんだぜ!!


「ザマァ見ろ! 風邪を引いたって事は、俺はもう馬鹿じゃねぇ!」

「……はぁぁぁぁ?」

「この時のために俺がどれだけ努力したか……お前にわかるか!?」


 風邪を引こうと思い立ち、輝最塾の門戸を叩き、どれだけ苦しい修行に明け暮れたかを、俺は説明してやった。


「………………つまり、勉強が出来るようになったのは、『風邪を引くための努力』の副産物……?」

「そうだな」

「……で、せっかく頭が良くなったんだから、良い学校行こうと思って法秀を?」

「おう!」

「……私と同じ高校に通いたくて、必死に勉強したとかじゃあ……」

「んな訳無ぇじゃん」


 俺がそんな事をする必要性がどこにある?


「…………てっきり私は…………」

「ん? 何か言った?」


 何かボソッとつぶやいたと思ったら、優音はキッと俺を睨みつけ、一言。


「あんた――馬鹿でしょ!」

「えぇぇぇっ!?」

「本当に馬鹿! 色々馬鹿! もう馬鹿過ぎてなんも言えないわよ!」

「何を……俺は現に風邪を引いて……あ、おい! 待てよ優音! 優音!?」




 何故かはわからないが、俺は未だに馬鹿と呼ばれ続けている。



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