節目
帰宅し、郵便受けに入っていた葉書を見て浩文はもうそんな季節かと思った。それは高校の同窓会のお知らせだった。金欠やもろもろの理由からずっと出ていなかったが今年はどうしようか、そんなことを考えて浩文は出席することに決めた。高校は実家のすぐ近くの所に通っていた。スポーツ強豪校で地方出身者が多い高校だったが、開催場所が自分の地元なのを確認して浩文はわざわざあんなとこに集まるのかと思った。今住んでいる場所は地元からそう離れていないが、同窓会に参加すれば遅くなるのは当たり前だし、終電気にするのも面倒臭いから実家に泊まるか。そんなことを考えて浩文は電話を取って実家にかけた。通信音が途絶え電話に出た母に俺だけどと言って、俺なんていう知り合いはいないと言われて苦笑する。
「浩文だよ。番号出る仕様になってるんだし解ってるだろ。人をオレオレ詐欺扱いするの止めろよ。」
『あんたが連絡よこすなんて珍しい。正義の味方ごっこ辞めて家業手伝う気にでもなったの?』
「警察官を正義の味方ごっことか言うなよ。」
『あんたのは正義の味方ごっこでしょ。正義感が強くて警察官になったのは良いけど、問題ばっかり起こして減俸だの謹慎だのばっかくらって、それであんた恵子ちゃんにふられたんでしょうが。母さん、恵子ちゃんがお嫁に来てくれると思って楽しみしてたのに、あんたがいつまでたっても大人にならないで気に入らないモノは気に入らないで社会に刃向かってばかりいたせいでお嫁に来てもらえなかったのよ。あんたももう三十になるんだから、いいかげん納得いかないことも我慢するってことを覚えなさいよ。』
そんな小言を言われて、浩文ははいはいと聞き流した。あんたがちゃんとしてればうんたらかんたらと、最近はどうしてるんだとか、生活は困窮してないかとかそういう言葉も混じりながらいつも通りの小言が続いてうんざりする。だからあんまり実家に電話とかしたくないんだよ、そんなことを考えつつ、母の言うとおり結婚して子供がいてもおかしくない年なんだよなと思って浩文は今の恋人のことを考えた。俺ももう今年で三十になるのか。そんなことを考えてなんとも言えない気持ちになる。俺が三十でも、あいつはまだ二十一だしな。まだ遊びたい年頃だろ。それに・・・。そんなことを考えていると、敏広が結婚考えてるって彼女連れてきたわよと母の声がして浩文は意識を会話に戻した。
『ただ、バイクどうするかで彼女と揉めてるみたいでどうなるか解らないけどね。』
「あいつまだバイク乗ってたのか。ツーリングで事故して大怪我して懲りたのかと思ってた。あの時付き合ってた彼女にバイク止めろって言われて喧嘩してたろ。あの時最終的にしぶしぶバイク手放してなかったか?」
『結局、すぐ買い直して止めなかったのよ。ちなみに敏広はその時の彼女とずっと続いてて、今回連れてきたのがその子よ。ただ、その事故のこともあるし、結婚するなら絶対バイクは止めろって言われてるみたいよ。あんたみたいに頑なになって結婚前にフラれなきゃ良いけどね。上手くいくならそのうち顔合わせとかもあるだろうからそのつもりでいてね。上手くいったらあんた弟に先超されるわね。』
そう言ってまた、いいかげん落ちつけだのあんたも結婚相手見付けて連れて来いだの小言が続いて、浩文は心底うんざりした。
「とりあえず、同窓会があるからそっち行くから。前後泊まるからよろしく。」
『同窓会って案外出会いがあるものでしょ?同窓会でいい人が見つかると良いわね。』
「俺に彼女いないの前提で話しすんなよ。付き合ってる奴がいるって話しは前にしただろ。」
『何、まだ続いてたの。とっくにフラれたのかと思ってたわよ。いったい何年付き合ってるの、いるなら逃げられる前に結婚しなさい。っていうか一度連れてきなさい。』
そう言って母が、彼女いるなんて小言言われたくないあんたの嘘じゃないの?と言ってきて、浩文は溜め息を吐いた。あいつ連れてったら何言われるか解らないのに連れてけるわけないだろと思う。自分より九つも年下で、性格がガキっぽいのは否めないけど、美人で料理上手で、何で自分なんかの彼女になってんだか本当にわからないようなのが彼女なんて。あいつはガキだから俺を格好いいなんて言ってられるけど、実際俺はあいつが思ってるような正義の味方なんかじゃない。俺はただ大人になりきることができなくてバカ続けてただけの社会不適合者なだけだからな。母の小言を聞きながらそんなことを思って、浩文は昔彼女に言われた言葉を思い出した。
「浩文さん。わたし本当に浩文さんのこと好きだよ。みんながおかしいと思ってるのに良しにしちゃったこととか、そういうこと良しとしないで戦うとこ、本当にかっこいいと思う。無謀だって解ってても悪を許さず立ち向かうとこがさ、正義のヒーローみたいで本当にかっこいいよ。わたしそんな浩文さんが大好きだから。わたしそんな正義の味方を支えるヒロインになるから。だから元気出して、諦めないで。」
まだ付き合う前の高校一年生だった頃のそんな彼女の言葉がその時の笑顔と一緒に脳裏に蘇って、浩文はそろそろ何かしらのけじめをつけないとなと思った。あいつと結婚するつもりがないなら今のうちに別れるべきだろうと思う。あいつと別れたら自分は後がないかもしれないけど、俺と違ってあいつならきっとすぐいい男を捕まえられる。決心がつかないままあいつの二十代を自分で消費させるなんてバカげてる。そんなことを思いつつ、まだ若い彼女と結婚する決心も別れる決心もつけられなくて浩文は目を伏せた。ガキだガキだと思いつつ、結局、彼女の押しに負けて彼女と付き合い始めて四年。いつだって彼女の笑顔に支えられてきた。自分を見失いそうになった時、挫けそうになった時、いつだって彼女の真っ直ぐさに助けられた。言い寄られて付き合い始めたのに、今じゃきっと自分の方が彼女を必要としている。でも、自分が彼女を必要としているのは、周囲から認められない大人になれない自分を肯定して受け入れてくれるからなんじゃないかなんて思う自分がいる。自分が自分のままいることを良しとしてくれるから、自分がガキのままいていい口実としてあいつの好意を利用してるだけなんじゃないかと思えてくる。結局、自分があいつに釣り合ってると思えないから怖いだけなんだよな。彼女がなんでそんなに自分のことが好きなのか理解できないからいつだって彼女の心変わりが怖かった。怖くて一歩踏み出した関係になれなかった。彼女がもう子供でないことは解っているのに、彼女がまだ恋に恋してただ盲目になってるだけでいつか目が覚めて自分から離れていくと、そんなことが頭から離れなかった。自分はどんどん彼女にのめり込んでいってたくせに、今でもずっと一線を引いたままだった。そんな関係もそろそろ終わりにしないとな。電話越しに聞こえる母の小言を聞き流しながら、浩文は呆然とそんなことを考えていた。
○ ○
実家に帰ると玄関の所で弟の敏広と鉢合わせして、浩文はよぉと声を掛けた。
「兄貴、久しぶりだな。そういや同窓会があるから帰ってくるとかお袋が言ってたっけ。仕事順調?最近は処分くらってないの?あるなら武勇伝聞かせてくれよ。」
からかうように笑いながらそう言う敏広に、今は閑職に追いやられてるからやらかそうにもなにもやらかせないんだよと浩文は同じような笑顔で答えた。
「お前、彼女と結婚するつもりなんだって?俺の時みたいに直前で逃げられるんじゃないかってお袋心配してたぞ。」
からかい半分でそう言うと敏広の顔が少し陰って浩文は疑問符を浮かべた。
「兄貴、同窓会明日だろ?荷物置いたらちょっと呑みにいかね?」
そんなことを言われて、浩文は自室に荷物を置くと、母に敏広と呑み行ってくると言って、何か色々声を掛けてくる母を無視して弟と二人で居酒屋に向かった。
居酒屋で向かい合い、ビールを口にしながらお袋がどうとか親父がどうとか適当な話をして、一通りそんな話が終わると、敏広が深い溜め息を吐いた。
「兄貴。結婚を考えたとき、どこまで妥協すべきだと思う?」
そんなことを言われて浩文は反射的に知らねぇよと返していた。
「そうだよな。兄貴は何も妥協しないで結婚の約束してた彼女に逃げられたような奴だもんな。」
そんなことを言われて浩文はほっとけと思ったが、そう言う敏広が真剣に思い悩んでる様子なのを見て、黙っていた。
「結婚するならあいつしかいないと思うんだよ。でもさ、でも、今更またバイク手放せとかありか?かといってあいつと別れるなんて考えらんないし。」
「そもそも、お前彼女に泣きつかれてバイク止めたんじゃなかったのか?」
そう言うと敏広がふて腐れたように結局やめらんなかったんだよと呟いて、浩文はお前レーサー目指してたぐらいだもんなと呟いた。
「目指してたっつっても俺はレーサーとか格好いいなとかって軽い気持ちでなりたいと思ってただけだけどな。今思うとそんな本気じゃなかった。本気でレーサーになろうって奴らからしたらバカにしてんのかって感じだったろうなって思うよ。でも、当時の俺は本気のつもりで、試験落っこちて、しかも同じように試験受けてた奴から当たり前だろぐらいに言われて、バカにされて、めちゃくちゃむしゃくしゃして。それで走りに行ってずっこけたんだよな。病院で意識取り戻して、泣いてるあいつ見て、もうバイクなんて止めてって言われて、あの時は止めようと思ったんだよ。良い機会だしなんて思ってバイク手放して。それでスッキリした気でいたんだけどさ、暫くするとなんか物足りないというか、そんな感覚がしてきて。たまたま会った昔の仲間に、久しぶりに走ろうぜって声かけられて、バイク借りて走ったらめっちゃ気持ちよくて、これこれこの感覚って夢中になって。気が付いたらまたバイク買ってて。で、彼女と喧嘩になって一回別れた。で、しばらくはそれで平気だったんだけど、なんだろな、今度はあいつがいない生活が味気なくて、で、たまたま会ったあいつがまだ新しい彼氏いないの知って戻ってきてくれって頭下げて寄り戻して。なんだろな、バイクのこともしかたがないみたいに許してくれてると思ってたんだけどな。結構長い付き合いになってさ、俺たちもいい年だしなとか思うようなって。こないだ家に彼女が来たとき、お袋と話しながら並んでキッチン立ってる姿見てさ、やっぱこいつしかいないなって思って。プロポーズしたらさ、結婚しても良いけど結婚するならバイクだけは止めてくれって言われてさ。喧嘩になった。」
そう言って敏広は残っていたビールを一気に飲み干しておかわりを注文した。
「今まで付き合ってきて俺がバイク手放せないの解ってんだろって。何で今更そんなこと言うんだよって言ったら、言ったって聞かなかったからでしょって。事故の時、俺が意識戻さない間どんな思いで付き添ってたか解るかって、あんな思いは二度とごめんだって言ったでしょって、それで解ってくれたみたいなこと言ってバイク手放したのに、あいつに相談もせずまたバイク乗り出して、すごく裏切られた気分だったって。俺への気が残ってたから寄りは戻したけど、バイク乗ってるのいい気がしてなかったって、また事故起こして今度は戻ってこないんじゃないかって俺がツーリングに行くたんびに怖かったって言われた。今はただの恋人だから何かあったってわたしが辛い思いするだけだけど、結婚して家庭を持って、子供とかできたらどうするのって。ちゃんと将来のこと考えてポロポーズしてる?って。好きって気持ちだけじゃ結婚はできないんだよとか、なんか色々言われた。いい機会だからよく考えてって。バイク手放す気がないなら別れてって。あいつよりバイクとるならいいかげん俺のこと諦めて違う相手探したいって言われてさ。いきなりそんなこと言われたってな。どうしろって言うんだよ。俺はあいつと結婚する気だったし。本当、今更だろ。来月末までに結論出せって言われてもさ。」
そんなことをぼやきながら追加のビールを飲む敏広を見て、浩文は自分のことを考えた。なんか自分が前の彼女と別れた時と似てるななんて思って変な感じがする。前の彼女は高校の同級生だった。高卒で一足先に就職した浩文と違い、彼女は大学に進学した。それで、彼女が大学を卒業したら結婚する約束をしていた。でも、警察官になった浩文が問題行動ばかり起こして処分を受けまくり、それでしょっちゅう喧嘩になって、彼女が大学を卒業する頃にもう付き合ってられないとフラれた。あんたなんて一生彼女作らず独身でいればいいよ、なんて言われたっけ。敏広が彼女から受けた説教と似たような説教を自分も受けた記憶がある。
「俺が言うのもアレだけど、本気で彼女と結婚したいならバイク手放すしかないぞ。」
そう言って、そうだよなと頭を抱える弟を見ながら浩文はまた自分のことを考えた。そうちゃんと将来のことを考えるなら、家庭を持つことを考えるなら、好きなことだけやっているわけにはいかない。自分もいつまでも母の言うような正義の味方ごっこを続けているわけもいかない。でも・・・。
「兄貴はそれで処分食らうようなことするの止めたのか?前はあれだけ周りに色々言われて、自分自身金欠やもろもろに悩まされても止めなかったのに。いくら閑職に追いやられたからって兄貴がバカな正義感ふりまわさないとかありえないだろ。」
「いや、今は本当にそういう機会が無いだけだ。でも、俺もいい年だしな。これからを考えるなら前みたいな事はするべきでないと思ってはいるが、それでもその機会があったら俺は我慢できるのかなとか考えてな。最近ちょっと悩んでる。あと、俺の彼女若いからな。あいつがそういうことに気が付いて俺との付き合いを考えたいって思うような年になる前に、自分が変えられないなら俺から切るべきなんじゃないかなとかな。」
「兄貴は兄貴で色々悩みがあるんだな。」
そんな話をして、よく解らない重い空気を漂わせながら兄弟二人で呑み続けた。
○ ○
「ヒロ、久しぶり。相変わらずいいがたいしてるわね。まだ警察官続けられてるの?」
同窓会の会場で久しぶりに会う級友と談笑していると、三島恵子にそう声を掛けられて浩文は眉根をよせた。
「何?元カノに会うのがそんなに気まずい?」
「開始して間もないのに、お前もうできあがってるのか?」
「あー指輪なんかして。あんたと結婚なんかしてくれる相手が見つかったんだ、良かったわね。」
「結婚なんかしてねーよ。これは今の彼女がしろってうるさいから・・・。」
「で、装飾品が嫌いなあんたが指輪なんかね。そのデザイン、婚約指輪でもないんでしょ?ただのペアリングをあんたがつけるとか、今の彼女にはそういうの許してるんだ。」
そう言いながら、彼女ってどんな子よ写真見せなさいよと詰め寄られて、浩文は辟易した。助けを求めようと周りに目をやると、いつの間にか他の面々は散り散りになっていて知らん顔されて溜め息を吐く。
「だいぶ妥協するようにはなったみたいだけど、根本的にあんたの性格直さないと結局上手くいかないわよ。あんたと一緒になんかなったら子供や家も望めないし、苦労させられるだけで良いことなんかないんだから。あんたの正義感が許されるのは子供のうちだけよ。大人になればそこにあるルールに従わなきゃ排他されるのは当たり前で。でも、それでもバカみたいに誰かのために走ってるあんたが格好いいなんて言って、一緒に苦労するのも苦じゃないなんて思ってられるのは恋に目が眩んで現実が見えてない間だけなんだから。そんなの続けられるのは、ちょっと頭おかしい人だけ。あんたもいい年なんだから、今の彼女逃がしたくないならわたしの時と同じことしないようにしなさいよ。」
急に酷く真面目な顔をして恵子がそう言って、浩文は解ってるよと呟いた。
「ちなみにわたしは就職先でいい男捕まえて、今じゃもう二児の母。あの時、あんたと別れてて正解だったわ。収入は安定してるし、家事や育児も手伝ってくれるいい人だし。うらやましいでしょ?」
酔っ払いの調子に戻ってニヤニヤしながらそう言われて、浩文ははいはいと言って恵子の話しを聞き流した。いったい何がしたいんだか、他の奴のとこにいけばいいのに自分に張り付いて自慢話や説教をしてくる恵子の話しを右から左に聞き流し、浩文は談笑する同窓生達を眺めていた。こうやって見るとみんな年取ったなと思う。つまり同じように自分も年をとってるわけで。恵子だけじゃない、結婚して子供がいる奴も多くて、なんだか不思議な気分がした。
「そうそう、高校時代あんたら男子のマドンナだった志摩史乃覚えてる?」
そんな声が聞こえて恵子の話しに意識を戻す。
「あの子、色々あるみたいよ。」
そう言って恵子が話す史乃の噂を聞きながら、浩文は難しい顔をした。
「ごめん。今、付き合ってる彼女がいるのにこんな話しするもんじゃなかったね。さっき自分で今の彼女とのこと真面目に考えるならとか説教しといて、魔が差すようなこと言ってごめんね。ついさ。」
そう言って気まずそうに去って行く恵子の後ろ姿を見送って、浩文は自分も他の級友達の元に行き、同窓会の続きを楽しんだ。
○ ○
「木村君?」
同窓会の翌日、家に帰る電車を待つホームでそう声を掛けられて浩文が振り返ると、そこに高校時代の同級生だった志摩史乃が立っていた。
「志摩か。久しぶりだな。元気にしてたか?」
「ええ。木村君も元気そうね。」
そう言って笑う顔が昔と全然変わってなくて浩文は酷く懐かしい気持ちになった。高校時代、浩文の所属していた柔道部のマネージャーだった志摩史乃。スポーツ強豪校で女子も気の強い連中が多い中、普通科所属で淑やかで可愛らしくていかにも女の子然としていた彼女は男子の憧れの的だったな、なんて、彼女と当たり障りのない会話をしながら浩文は高校時代の思い出が蘇った。
「なんかすっかり大人っぽくなったな。」
「そりゃ、わたしももう三十なんだから。大人っぽいじゃなくていい大人でしょ。いつまでも若いままでいられないわよ。」
そう言って口元に手を当てて笑う姿が相変わらずかわいらしいなと思う。俺も高校時代憧れてたんだよな。でも、一年の時の夏合宿でそこに顔出してたOBと付き合うことになって、志摩のこといいなって思ってた連中みんな撃沈したんだよな。俺たちが稽古してる間にちょっかい出すとかずるいだろとか皆言ってたっけ。そんな思い出が蘇って浩文はおかしくなった。
「木村君、結婚したの?」
そう問われて、浩文は自分の左手の指輪の存在を認識した。
「いや、これはただのペアリング。今の彼女がつけろってうるさくてな。」
「なんだ、てっきり恵子と結婚したのかと思った。高校卒業して疎遠になっちゃったけど、あの頃恵子、大学卒業したらヒロと結婚するんだって言ってたから。親公認の仲なんだとかなんとか言ってたし。」
そう言われて、浩文は気まずい思いがした。
「恵子とは結局上手くいかなくて、あいつが大学卒業する頃に別れたよ。昨日同窓会で会ったんだけど、あいつ就職先の先輩と結婚して今じゃ二児の母だと。あの時俺と別れといて良かったとか、俺に彼女いるの知って、わたしの時と同じ事しないようにしなさいよとか、今度こそ逃げられないといいねとか散々嫌み言われたよ。」
苦虫をかみつぶしたような顔でそう言って浩文は、お前は何でここにいるんだ?と訊いた。
「同窓会にはいなかっただろ。地元も確かこっから離れてたよな?高校の時、お前電車で二時間かけて自宅から通学しててすげーなとか思った記憶がある。」
「最近、転職して○○に越してきたの。引っ越しの片付けが済まないと思ったから同窓会はパスしたんだけど。一段落したら何か懐かしくなっちゃって、近いから遊びに来ちゃった。それで今帰る所なんだけど、まさかここで木村君に会うなんてびっくり。二人だけのぷち同窓会だね。」
そんなことを言っていたずらっぽく笑う史乃が越してきたという地名が、今自分が住んでいる場所のすぐ近くで浩文は驚いた。それを伝えると、じゃあ途中まで電車同じね、もしかしたら明日以降もどこかで会うこともあるかもしれないわねなんて言われて、浩文はなんとなく後ろめたい気持ちがして、話を逸らした。
「転職でこっち来たって、前はどこにいたんだ?」
そう訊いて、彼女が答えた地名を聞いて、浩文は随分遠くから越してきたんだなと呟いた。
「なんか気分転換したくてさ。どうせなら思いっきり遠くに引っ越そうと思って。どこにいこうかなって思った時、高校生の時の思い出が蘇ってきて、あの頃は楽しかったなって思って。それで決めたの。」
そう言って笑う史乃の顔が陰ったように見えて、浩文は何かあったら頼れよと言って名刺を差し出していた。
「警察庁特殊犯罪対策課?警察にそんな組織があったんだ、知らなかった。木村君、今は課長さんなんだ、すごいね。」
「ただの閑職だ。俺が問題児だから問題起こさないように追いやられたんだよ。部下が四人の小さな部署で、やることは他の部署の手伝いばっか。部下は皆有能で他の部署の手伝いしてるのに、俺は部屋に籠もって無駄な書類の整理してるだけだから、だいたい暇してるしな。」
そう嘘とも本当ともつかない話をして、浩文はだから困ったことがあれば気軽に連絡しろよと言った。特殊犯罪対策課が本当に担っている職務に自分は無力だ。課長なんて偉そうな立場にいても、結局自分は何もできない。凄腕のハッカーである村上香澄。腕の良い泥棒の村上俊樹。空間転移の超能力を持ち、他にも様々な術を使用できる杉村涼花。人間を辞め人ならざる力を身につけた両親を持つ篠崎祥子は両親から受け継いだその素質を仕事に生かすため修練に励んでいるし、藤原元晴は元々腕の良い術師だ。特殊犯罪対策課で自分だけがただの普通の人間。超能力や術を使える訳でなく、何か秀でた能力を持っているわけでもない本当に普通のただの人間。何もできない役立たず。そんなことを考えて、浩文は自嘲気味に笑った。なんか最近こんなことばかり考えてるなと思う。自分の部下であり恋人でもある香澄の姿を思い浮かべて胸が苦しくなる。お前はそれでも俺を肯定してくれるんだろうけどさ、正直、俺はお前が眩しすぎる。その明るさに、真っ直ぐさに救われてきたのに、今はそれが眩しすぎて、自分の無力さが目について嫌になる。そんな思いが頭をよぎって、浩文は自分も年取ったなと心の中で呟いた。
史乃と一緒に電車に揺られながら、浩文は自分の将来のことを考えていた。閑職とはいえ課長ともなればそれなりの給料はもらっているわけで今は正直安定している。でも、それに甘んじていていいのか?自分は正義の味方になりたくて警察官になった。でも、現実は自分の思っているような正義は執行されなかった。それでも正義の味方でありたくて、足掻いて足掻いて、結局、警察組織を追い出されそうになった。色々あって追い出されずすんだ現在は、本来の警察の役割とはほど遠いオカルト部署を名目上纏めているだけのお飾り。こんな自分は必要なんだろうか。面倒臭いこと俺に押しつけてるだけで涼花の方がずっと俺より状況把握してるし能力もあるし、あそこに俺は必要ないんじゃないか。そんなことを考えて少しだけ、母親の言うように警察官を辞めて家業を手伝う選択肢を視野に入れてみる。その方がまだやりがいはある気がちょっとして、何逃げようとしてんだよと心の中で毒づいた。
○ ○
「木村君。」
買い物中に史乃にそう声を掛けられて浩文は驚いた。
「近くに住んでるのは知ってたが、本当に会うとは思わなかった。」
「わたしも。こんなに早く木村君と再会するなんて思ってなかった。何か嬉しいな。木村君も夕食の買い出し?」
そう訊かれて浩文は俺のは買い溜めと答えた。
「一人暮らしだし、いちいち買い物するのも面倒だからな。買い溜めて冷凍しとくようにしてるんだ。」
「解る。使い切らないからって少ない量買うと割高になっちゃうし、冷凍しとくの便利だよね。で、冷凍しとけばいいやで買い過ぎちゃって、わたし冷凍庫よくパンパンにしちゃうの。」
そう言われ、俺もそれ前はよくやってたな等と会話をし、意気投合して笑い合った。
「木村君、夕食これからならうちに来て食べていかない?わたしの住んでるマンションすぐそこなの。」
史乃がそんなことを言ってきて、浩文はいやそれはダメだろと断った。それを聞いて、史乃がハッとしてごめんと謝ってきて、浩文はそんな謝ることじゃないからと手を振った。
「そういえば木村君、彼女がいるのよね。ごめんなさい。わたしつい楽しくなっちゃって。もう少し木村君と話してたいなとか思っちゃって。迷惑だったよね。」
寂しそうにそう言われ、浩文は迷惑とかではないけどやっぱなと呟いた。
「俺に彼女がいるとかいないとか関係なく、一人暮らしの女性の家に上がり込むのは他意がなくても問題があるだろ。逆も同じくな。」
渋い顔でそう言う浩文を見て、史乃は笑った。
「木村君、全然変わってないね。高校生の頃をちょっと思い出しちゃうな。あの頃木村君、本当に凄かったよね。全国制覇までして選手として活躍するのを期待されてたのに、俺は警察官になるんだって絶対譲らなくて、それで先生とかと喧嘩してたりとか。木村君のことバカだって言う人もいたけど、わたし、かっこいいなって思ってた。わたし高校生の頃、ちょっと木村君に憧れてたんだ。」
本当に懐かしそうにそう言って、お互い別の人と付き合ってたけどもしかしたらわたし達が付き合ってた可能性もあったのかな?なんてね、とからかうように言って、史乃は少し目を伏せた。
「そんなの過去の栄光だけどな。あの時、周囲の反対押し切って警官にならずにあのまま選手続けてたらどうなってたのかな。」
「木村君ならオリンピック選手とかなってたかもね。だって三年の時、高校の全国大会だけじゃなくて、この国の無差別級の大会でも全国制覇したくらいだし、金メダルも夢じゃなかったかもよ。」
「あれは運が良かったんだよ。それまで毎回全国は行ってるくせに一回も優勝したことなかったし、最後の大会は優勝で飾りたいと思って稽古してたしな。どうせなら本当の全国制覇してやれとか意味の解らないノリで全柔道選手権大会にもエントリーして、最後だと思って教えられてきたこととかそういうの考えないで一つ一つの試合の後コーチがああだこうだ言ってくるの全部無視して、自分のやりたいようにただ夢中でがむしゃらに戦ってたら優勝してて。正直自分でも驚いた。あの時が一番青春してたな。それで結果残したせいで、進路考え直せとか色々言われて面倒くさいことになったけど、今思うとあれが人生の分岐点だったな。」
もしもなんて話しをいくらしたところで意味はない。そうは思っても、考えてしまう自分がいて浩文はなんとも言えない気持ちになった。俺は本当に単細胞で目の前のことしか考えずに、その時自分が正しいと思ったことを、周囲になんて言われても話しなんて聞かずに突っ走って来たからな。そりゃ恵子にも見切りをつけられるわけだよ。高校時代は全国制覇までした柔道の選手で、その後選手は続けなかったとはいえ警察学校を首席で卒業、そこまではいいとして、その後はろくな経歴じゃない。組織に楯突くようなことばっかして、目をつけられて、散々処分食らって色んな部署をたらい回しにされて、それでも懲りずに楯突いて。付き合ってた頃に恵子に、いいかげんにして支えるのも限界があるのよ、少しはわたしのこととか将来のこと考えてよって言われたっけ。そんなことを考えながら、浩文は同窓会で再会した元カノを思い出して苦笑した。
「あんたの正義中、本当にうざいから。本当、あんた人の話聞かないし。今の彼女のこと真面目に考えてるんだったら、ちゃんとしなさいよ。もし結婚なんかして、あんたが職失ったり、何か問題起こして騒がれたら迷惑するのは彼女の方なの。子供なんかできてそんなならもっと最悪。解ってる?」
酔っ払った恵子にそんな説教を散々食らった。散々絡まれてうざかったけど、でも、言われたことはもっともなんだよな。でも香澄はきっと、何を置いても自分の正義を貫く俺がいいんだよな。そんなことを考えて浩文は視線を落とした。
「木村君。外でだったら、今度またゆっくり話しできる?」
史乃のそんな声がして、浩文はハッとして顔を上げた。
「わたしさ、木村君とまた話ができたらなって思うんだけど、やっぱ迷惑かな?」
少し困ったような笑顔でそう言うと史乃は浩文の返事を待たずに、じゃあと言って去って行った。そんな彼女の後ろ姿を見送って、浩文は買い物を済ませ帰路についた。
自分の住むアパートに着くと部屋の前に香澄が立っていて浩文は驚いた。
「あ、浩文さんお帰りなさい。なんか同窓会から帰ってきてから元気ないから、おいしいもの作ってあげようと思って材料買ってきたんだ。いなかったら作るだけ作って冷蔵庫にでも入れておこうかと思ったんだけど、ナイスタイミングで帰宅だね。」
そう言って笑顔を向けられて、浩文は来るなら来るって連絡いれろよと言いながら、部屋の鍵を開けた。
「吃驚させようかと思ってさ。今日は、浩文さんの好きな鯖の味噌煮にナメコ汁。あとは適当にあるものできんぴらでも作ろうかと思うけど、何か食べたいものある?リクエストなんでもきくよ。ある材料で作れるモノならだけど。」
香澄がそんなことを言いながら手慣れた様子でキッチンに材料を並べ料理を始める様子を眺めながら自分が買ってきたものをしまって、浩文はありがとなと呟いた。
「だって、浩文さんに元気でいて欲しいもん。おいしい物食べれば元気出るでしょ?わたし、浩文さんに喜んでもらいたくて、浩文さん好みの味で料理が作れるようにいっぱい練習したし、今なら何でも浩文さん好みに作れる自信あるよ。もともともっぱら洋食派だったけど、浩文さんと付き合うようになってから和食のレパートリーかなり増えたと思わない?」
そう言われて、そうだなと答え、俺なんかのためにそこまで頑張んなくてもと言う言葉は飲み込んだ。浩文さんに喜んでもらいたくて、浩文さんに褒めてもらいたくて、浩文さんのために頑張ったんだよ、いつだってそうやって楽しそうに報告してくる香澄の言葉が少し重いなんて言ったら香澄はどう思うんだろうな。そんなことを考えて、きっと香澄は気にしないんだろうなと浩文は思った。本当にしたいからしてるだけで本人にとってはこの努力は負担ですらないから。わたし浩文さんのこと考えて色々するのが楽しいんだけど、ダメかな?浩文さんは嫌?なんて訊いてきそうな気がする。
「本当、お前よく頑張ってるよな。」
本当、俺に合わせるために色々と頑張って、努力して、言動や行動も治して自分を変えてきた。それに比べて俺はこいつのために何か変えたかっていうと、少しだけわがままを許してやってるだけ。ペアリングをつけてて欲しいと言うのを聞いて、合い鍵渡して勝手に人の家に来るのを許して、多少したいようにするのを許可してるだけ。泊まっていきたいとか、もっと色々したいとか、そういうことは全部却下して、自分の自制が効く範囲でしか願い事をきいてやってすらいない。こいつがする願い事なんて本当にかわいいもんなのにな。高価なものをねだってくるわけでも、無理難題を突きつけてくるわけでもないのに。本当、こいつは俺の何がいいんだろ?最近周りから言われた色々を思い出しながらそんなことを思って、浩文はちょっと苦しくなった。
「でしょでしょ。だからもっと褒めてくれてもいいんだよ。ご褒美にキスとかしてくれてもいいんだよ。」
そう言って目を瞑ってキスをせがんできて、浩文は香澄の額をはたいた。
「うわっ。かわいい彼女がキスしてって言ってるのに、おでこはたくとか酷い。キスぐらいしてくれたっていいじゃん。浩文さんのケチ。」
そう香澄が唇をとがらせて抗議してきて、浩文はお前は本当変わらないなと呆れたように呟いて、軽くキスをした。そうすると、それだけで本当に嬉しそうに笑って、料理できるまでのんびりしててねなんて言って香澄が料理を再開し始め、浩文は小さく笑った。香澄は本当に変わった。自分を美少女と言わなくなっただけで言動はさほど出会ったときと変わってないような気もしないでもないが、大人になったなと思う。高校生の時は自称だけではなく本当にアイドル顔負けの美少女だったが、成長した今は女優やモデルでいてもおかしくないレベルの美人になった。スタイルも良いし家庭的で、こんなに献身的に尽くしてくれて、文句のつけようがない彼女だと思う。そんなことを思いながら料理をする香澄の後ろ姿を眺めていて、変な気が起きてきそうになってきて、浩文はその場を離れた。
「同窓会で何かあった?」
食事が終わると香澄がお茶を差し出しながらにそう訊いてきて、浩文は別にと答えた。
「何かわたしに力になれることがあるならなんでも言ってね。わたしにできる事ならなんだってするから。」
特に追求せずそう言ってくる香澄に、浩文はあのさと声を掛け、そして続けようとした言葉を飲み込んだ。
「なに?途中で止めないでちゃんと言ってよ。」
笑いながらそう言う香澄を一瞥して、目を逸らして、浩文は少し考え事をするように間を空けてから口を開いた。
「少しの間距離を置きたい。職場以外で会うのはしばらく控えたいんだが。」
「どうして?」
そう問われて浩文は言葉を詰まらせた。
「しばらくってどれくらい?再来月の浩文さんの誕生日は一緒にお祝いできる?」
「解らない。」
「わたしのこと嫌になった?」
「それはない。俺にはもったいない彼女だと思ってるよ。だからさ、色々自分の中で整理したいことがあるんだ。お前とちゃんと向き合うためにも。これからのこととかちょっと考えさせて欲しい。」
「急にどうしたの?なんで?そもそもこれからのこととかさ、そういうことって二人で話し合うことじゃないの?」
「その前に自分と向き合いたいんだ。頼む。少し時間をくれ。」
香澄の目を見て浩文はそう言って、それを受けた香澄は顔を伏せた。暫く何かを悩むように黙り込んで、何かを言いかけて、言葉を飲み込んで、香澄は顔を上げた。
「解った。浩文さんがそうしたいって言うならそうする。でも一つだけ。距離置く前に一つだけお願いきいてくれないかな?」
半分泣きそうな顔でそう言われて、浩文は何だと訊いた。
「わたし、浩文さんとキス以上もしたい。」
真剣な瞳を向けてそう言われ、浩文はそれはと言葉を詰まらせて視線を逸らした。それを見て香澄が目に涙を浮かべる。
「付き合った初めは高校卒業するまでダメだって言って、家にも上げてくれなかったしキスもしてくれなかった。高校卒業してから、こうやって家に上げてくれるようになって、キスぐらいはしてくれるようになって。でも、一回だってそれ以上はしたことがない。してくれたことない。いつもはぐらかされて断られてさ。わたしとはそういうことしたくないって事?わたしじゃそういうことする対象にならないって事?そうじゃないなら、わたしのこと嫌いになったわけじゃないっていうなら、一方的に距離置くって言うならさ、せめて一回ぐらいしてくれても良いと思うんだ。好きな人とそういうことしたいって思うのはいけないこと?皆してるじゃん。浩文さんだってさ、結婚するまでそういうことはって考えっていう訳じゃないでしょ。前に付き合ってた人とはそういうことしてたんでしょ。なのにわたしにはさ、一度もなしなんてさ。」
そう言って香澄は浩文の手を取った。
「浩文さんはわたしのことまだ子供だと思ってる?そういうことしちゃいけない相手だって。わたしもう二十一だよ。大人だよ。わたしはいつだって浩文さんのお嫁さんになる準備があるよ。浩文さんはわたしじゃ嫌?わたしは浩文さんじゃなきゃ嫌だ。」
そう言って香澄の目から一筋の涙が溢れた。香澄は俯いて、そのまま暫く浩文の手を握り続け、浩文が何も返してこないことを確認してその手を離した。
「こんな美人でかわいい彼女と距離起きたいなんて、浩文さんありえない。離れてる間に他の人にとられちゃっても知らないんだからね。後悔したって、知らないんだからね。わたしより浩文さんの事好きな人なんて、好きになる人なんて、絶対いないんだから。わたしと別れたら絶対浩文さん後悔するんだから。ちゃんと迎えに来てくれないと知らないんだから。そのまま別れるなんて言ったら、知らないんだから。」
笑いながら泣いたような声でそう言って、香澄は自分の薬指のリングを外して机に置いた。
「浩文さんがこれくれたとき本当に嬉しかった。装飾品とか嫌いなのにちゃんとつけてくれて嬉しかった。でもこんなのは子供のごっこ遊びだよね。それでも、わたしは子供っぽいから、これでずっと浩文さんと一緒にいられるんだって、浩文さんはそう言う気持ちでいてくれてるんだって思ってた。」
そう言うと香澄は立ち上がった。
「わたし待ってるから。だから、ちゃんと気持ちができたら教えてね。別れたいってなっても、ちゃんと伝えに来てね。それだけは絶対にお願い。」
そう言って部屋を出て行く香澄の後ろ姿を見送って浩文は溜め息を吐いた、別に待たなくてもいいなんて言ったら完全に泣くんだろうな。そんなことを考えながら浩文は香澄の置いていったリングを拾って握りしめ、自分のリングを外し一緒に紐に通して首からさげた。
○ ○
仕事中、机にコーヒーカップを置かれ、浩文はありがとうと言って一口口にし、いつもと違う味に顔を顰め顔を上げた。
「あぁ、涼花か。どうりで。」
そこにいた人物を確認してそう呟くと、いたずらっぽい笑顔で香澄ちゃんだと思いました?なんて涼花が言ってきて、浩文は渋い顔をした。
「香澄ちゃん、今日は浩文さんと顔を合わせたくないみたいですよ。なんかしたんですか?」
そう問われて浩文は、ちょっと距離を置くことにしたと答えた。
「一方的だったし、そりゃ俺と顔合わせたくもなくなるだろ。」
素っ気なくそう言う浩文に涼花は目を細めてへーと言った。
「事情があるならちゃんと事情を説明しないと、フラれても知りませんよ。」
「これであいつが俺に愛想尽かして別れたいって言うならそれでいい。」
「そんなこと言っておきながら、お守りみたいにリング首からさげてるんですね。浩文さんって案外女々しい。」
にやっと笑いながらそう言われて、浩文はお前そういう所めざといよなと呟いた。
「服の下に隠してるっていうのに、よく見付けるな。」
そう言って浩文はリングを出して、実際これはお守りだからなと呟いた。
「なぁ涼花。俺がお前の事助けようとしたとき、お前俺のことどう思った?」
「バカじゃないのって思いました。できもしないくせに大きなこと言って、本気でわたしを助けようと必死になって。浩文さんの初印象は、初めて会った時からわたしの見た目にころっと騙されて簡単に誑し込まれたチョロい男、下心丸出しなくせに全く手を出してこないし、本気でわたしのことをどうにかしてやろうとか思って必死になってるくそ真面目でバカな男、でしたね。わたしに騙されてただけなの知った後も助けに戻ってくるし、本当どうしようもないくらいのバカだなって思いました。」
そう言われて、浩文はそうだよなと呟いた。
「結局、俺は意味も解らず闇雲に突っ走っただけで事件の真相も何も解ってなかったし。俺がやってたことなんて本当無意味だったしな。」
そう言う浩文に涼花はそうでもないですよと言った。
「わたしはそれで助けられました。実際誰も味方がいなかったあの状況で、絶対的に自分の味方になって必死になってくれた浩文さんの存在に心が救われました。それに、あの時浩文さんが駆けつけてくれたからわたしは死なずに済んだんですよ。浩文さんが来なかったらわたしあのまま爆発に巻き込まれて死んでました。わたしそれまで諦め癖が酷くて、勝手に限界つくって終わりにして、必死になった事ってなかったんですよ。でも、あの時浩文さんの姿を見て、初めて限界を超えて踏ん張って、自分もやればできるじゃんって思いました。香澄ちゃんじゃないけど、何もできなくてもそうやって人のために必死になって人を動かすことができる力を持ったあなたはヒーローみたいで、わたしはそういう暑苦しいの好きじゃないですけど、それでもあの時だけはちょっとだけ浩文さんに惚れそうでしたよ。」
からかうようにそう言う涼花の目が存外に真面目なのを見て浩文は小さく笑った。
仕事の続きをしようとコンピュータに向き直るとポケットで携帯電話が震えてメールが来たことを知らせ、それを確認し浩文はちょっと出てくると言って席を立った。
「どこ行くんですか?」
「ちょっと所用だ。何かあったら携帯に連絡くれ。」
そう言うと浩文は出掛ける支度をして外に出た。
「木村君。ごめんね、仕事中に呼び出しちゃって。」
メールで指定された喫茶店で待っていた史乃にそう言われ、浩文は問題ないと答えた。
「何かあったのか?」
そう問うと史乃が目に涙を浮かべて、浩文はたじろいだ。
「ごめん。その、木村君の顔見たらほっとして・・・。」
そう言って史乃がハンカチで涙を拭うと袖が少し落ちて、覗いた彼女の手首にまだ新しい痣を見付けて、浩文はそれどうしたんだと訊いていた。指摘され、慌てて手首を隠し困ったように笑う史乃に、浩文はここじゃ話しづらい事情かと訊いた。
「そういうわけじゃないけど。」
そう言って、逡巡する仕草を見せて史乃は口を開いた。
「木村君、覚えてる?高校生の時わたしがお付き合いしてた落合先輩のこと。」
「あぁ、覚えてるよ。お前と落合先輩が付き合い始めたとき騒動になってちょっと噂になったぐらいだし。それで落合先輩は出禁。教師が一人辞めることにもなっただろ。お前もなんか処分受けそうになったんじゃなかったか?」
「わたし、その落合先輩と結婚したの。色々あって離婚したけど・・・。」
そう言って言葉を濁す史乃に浩文は、DVでも受けてたのかと訊いた。
「そうじゃなくて。離婚は性格の不一致というかなんというか。でも、復縁を求められて。わたしは戻るつもりはないんだけど、あの人しつこくて、それで困ってるの。」
そう言って史乃は自分の腕をさすった。
「実は、彼から離れるために引っ越したの。遠く離れれば諦めてくれるかなって。でも、彼追いかけてきて。さっき会ったの。それで言い争いになって、掴まれて。ほら、あの人元々力強いから、そんなつもりがなくても痣になっちゃったんだ。酷いことしようとかそんな気は無かったと思う。でも怖くなって、それで木村君のこと呼んでた。木村君は頼りになるし、安心できるから。ごめんね。」
そう言って史乃は諦めたように笑った。
「警察に相談は?」
「そこまで大事にしたくなくて。」
「これから行動がエスカレートする可能性もあるし、一度相談しておいたほうがいいぞ。なんなら、俺の職場に来るか?部署は違うがうちは雑用部署だから相談記録ぐらい作成できる。」
その浩文の提案を史乃は静かに首を横に振って断った。
「ごめんね。わざわざ仕事抜け出してまで来てもらったのに。本当に、頼る相手が木村君くらいしか思いつかなくて。相談するにしても少し考えたい。帰って休んで、ゆっくり考えてみる。ありがとう。」
そう言う史乃に浩文は家まで送ってくと言った。
「また志摩一人で落合先輩とはち合うことになったらアレだろ。人が間に入った方が冷静に会話できるかもしれないし。」
そう言って浩文は史乃を見た。
「大事にしたくはないと言うが、何かあってからじゃ遅いからな。警察に行きたくなくても自衛はちゃんとしろ。金銭的に余裕があるならホテルに移った方がいい。できるだけ人の多い所にいて、先輩と話すときも二人きりにならないようにしろ。夜間は出歩くな。あと、何かあったら連絡しろよ。」
そう言う浩文に、史乃は本当に木村君は変わらないねと言って笑うと視線を落とした。
「木村君、今日は指輪してないんだね。」
「まぁ、色々あってな。」
そう言って浩文は史乃を外へ促した。
史乃を家まで送りながら、他愛のない会話をしつつ浩文は頭の中で色々と考えを巡らせていた。最初から彼女が事情を抱えていることは知っていた。それで、何か助けになれないか調査もした。その調査結果と彼女の言動が示している事の意味が浩文には解らなくて、彼女から本当のことを聞きたいと思っていた。でも、彼女はまだ自分に胸の内を打ち明けるつもりはない様子で、浩文はどうするか迷っていた。
「なぁ、志摩。」
そう声を掛けて、自分を見上げる史乃と目が合って、浩文は言おうとした言葉を飲み込んだ。
「落合先輩のこと今でも好きか?」
「そうね。あの人はわたしのヒーローだから。」
「なんで離婚したんだ?」
「想い合っていても上手くいかない事ってあるのよ。木村君も解るでしょ?」
そう言われて、そうだなと言って浩文は目を伏せた。想い合っているのに上手くいかない場合っていうのは、それは何のせいなんだろうな。そんなことを考えて、香澄の顔が頭に浮かんで浩文は苦しくなった。俺の場合は俺のせいだな。俺が上手くいかなくさせてる。あいつはいつだって真っ直ぐ一直線に俺に想いをぶつけてきてくれてるのに、俺がそれを受け止めきれないから。あいつと一緒になって突っ走る勇気が萎えたからか。
「年はとりたくないもんだな。若い頃はなんであんなに何も考えずに突っ走れたんだろうな。」
「何言ってるの。三十なんてまだ若い内でしょ。まだまだ突っ走れるよ。」
「なら、お前もまだ大丈夫だな。」
「そうだね。」
そう言って、史乃は遠くを見た。
「木村君。もし、わたしと一緒にやり直ししてって言ったら、一緒に新しいスタートきってくれる?」
それを聞いて驚きで目を見開く浩文に、史乃は笑って冗談だよと言った。
「冗談だけど、でも、木村君が本気で考えてくれるなら、わたし・・・。」
目を伏せそう言う史乃の言葉を遮って、浩文は冗談ならそれ以上は言うなよと釘を刺した。
史乃の住むマンションに着き、彼女がオートロックを開けて中に入るのを確認して、浩文は踵を返した。史乃の言葉をどう受け取れば良いのか解らなかった。彼女が何をしたいのか解らなかった。ただ、きっと助けは必要としてるんだよな。そんなことを考えて、浩文は空を仰いだ。
○ ○
「おい、浩文。ちょっと顔かせ。」
ある日、不機嫌そうな顔をした俊樹にそう呼びつけられて浩文は彼と人気のない一室に入った。
「香澄と距離とって他の女とイチャついてるのに何か理由があるなら全部吐け。」
そう言われ、考え事をするように黙り込む浩文に俊樹は、話せるような理由がないならとっとと香澄と別れてくれと言った。
「あんたが二股とか考えらんなかったけど、マジで浮気してんのか?それともその女に鞍替えしようとしてるとこか?うまく行かなかったときの保険のために香澄のことキープしてんのか?」
そう言って俊樹は、ふざけんなよと怒鳴った。
「脳天気でいつもへらへらしてるあいつが本気で俺に泣きついてくるくらいだぞ。自分か何してんだか解ってんのか?」
そう怒鳴り散らされて浩文は胸が苦しくなった。
「あんたがそういうことしてるくせに、どうしてあんたがそんな顔するんだよ。事情があるんだろ?なら言えよ。なんでちゃんと話せねーんだよ。ちゃんと事情を話せばきっとあいつだって泣かずにすむってのに、本当に後ろ暗い事があんのか?そうじゃねーだろ。そうじゃないって言えよ。」
そう言う俊樹に浩文は香澄も俺が浮気してると思ってるのか?と訊いて、吐き捨てるように知らねーよ返された。
「思いっきり泣きついておきながらあんたと距離置くことになったって以外何も言わないから、俺が調べて、あんたとあの女のこと知って、あいつにそれが原因か訊いた。そしたら、それは浩文さんの事だから理由があるんだよって、あいつ笑いやがった。」
俊樹のその言葉を聞いて浩文は今の状況でもあいつは俺を信じてくれるのかと思ってなんとも言えない気持ちになった。
「お前に泣きつくぐらいなのに、あいつ、他の場所でそんな素振り全く見せないんだな。」
「香澄はああ見えて隠し事するのは上手いんだよ、昔から。なんてったって自分の出生の秘密知ってたくせに、それをずっと俺に気取らせないで隠し通してたくらいだからな。」
苛々した様子でそう言う俊樹の言葉を聞いて、浩文はそうかと呟いた。
「香澄と距離を置くことにした理由はなんだ?本当にそれとあの女は関係ないのか?ハッキリしろ。」
そう問われて、浩文は理由は本人に話すと言った。
「浮気はしてない。香澄と距離を置いたことと志摩は直接的には関係ない。悪いな、妹泣かして心配かけて、ちょっと香澄と話してくる。」
そう言って部屋から出ていこうとする浩文に俊樹は、浮気してないならあんた何してんだよと声を掛けた。
「何って、何だろうな。自分を見直してるとこか?二十代ももうすぐ終わるし。」
そんな浩文の言葉を聞いて、俊樹は怪訝そうに顔を顰めた。そんな俊樹に軽く笑いかけ浩文は部屋を後にした。
香澄を見付けて声を掛ける。
「どうしたの?何か調べ物?」
「いや、ちょっとお前と話しがしたくてさ。」
そう言ってあっちで話そうかと言うと香澄がちょっと緊張した面持ちでついてきて、浩文は少し胸が苦しくなった。
自販機でブラックコーヒーとカフェラテを買って、カフェラテを香澄に渡す。話しを始める前にコーヒーを一口飲んで浩文は、やっぱコーヒーはお前が淹れてくれるのが一番旨いなと呟いた。
「香澄。しばらく距離置いてくれって言った理由ちゃんと言わなくて悪かったな。他にも色々。」
そう言って浩文は、前からちょっと引け目があったんだと呟いた。
「お前は美人で料理も上手くて、素直で、いつも元気で明るくて、仕事もできて。対して俺はこんなだしな。お前の兄貴みたいに見た目が良いわけでもなければ、何か自慢できるようなことがある訳でもない。お前より九つも年上のくせに、貯金も何もあったもんじゃないし。どう考えてもお前と俺じゃ釣り合わないだろ。なのに、お前の方が俺に献身的でさ、俺は何もしてないのに俺のために努力しまくってて、引け目感じてた。」
そこまで言うと浩文はコーヒーを一口飲んだ。
「ようは俺に自信がないんだ。お前と並ぶ自信がない。理不尽だと思うよ。お前が良い女過ぎて辛いなんてさ。お前がそんなこと気にしないことも解ってるし、このままの俺が良いって言ってくれてることも解ってる。でも俺は、俺にはお前がもったいなすぎて、お前と付き合ってることが後ろめたくなる。俺の問題なんだ。完全に自分勝手な俺の問題で、お前は何も悪くない。」
そう言って浩文はコーヒーの残りを一気に飲み干して缶を捨てた。
「俺が前付き合ってた奴と別れた理由な、俺の将来性のなさなんだ。周りになんて言われたって、どんな目にあったって、俺はずっと自分の信じた正義を貫いてきた。子供のうちはそれで良かったんだけどな、社会人になってもそんなことしてたら、法は犯してないから懲戒免職されるようなことはなかったけど、減俸されるわ、謹慎くらうわ、処分受けまくって。おかげでいつも金がなくて、酷いときは家賃すら払えなくなって、知り合いの知り合いが管理してるボロアパートにタダで居候させてもらったりとかしてたくらいだ。そんな生活して、少しの間おとなしくしてても結局なにか気付いちまうと黙ってられなくて、俺は自分の正義を貫くことを止めなかった。止められなかった。俺の処分くらった数の多さはお前も知ってるだろ?色々やったけど、最後にやらかしたの何だと思う?俺、深夜に暴走走行してたパトカー捕まえて、当時警察の追い出し部屋だった特殊監房勤務に移されたんだぜ。白バイがパトカーしょっぴくとか笑えるだろ。しかも、深夜のパトカーの暴走走行の苦情受けて、隠蔽されないように証拠押さえて、最悪その証拠をばらまく用意して、うまく自分が捕まえられるように民間人にも協力させて、そういう準備整えてから捕まえた。運転してた奴が色々ストレスでついやっちまったってのも、一回それでストレス発散させるの覚えちまったから止められなくなってたってのも解ってたから、罰与えたいとかそういうんじゃなくて、一回痛い目見て目覚まして止めてくれればいいくらいの気持ちで、でも止めないようなら徹底的に潰してやろうって気持ちで捕まえた。で、大事になる前に暴走は止めさせられたけど、俺は追い出し部屋行き。俺が正義感振り回した結果は、散々怒られまくって処分くらいまくって自分の首締めて、それで最後は職を失いそうにまでなっただけ。俺はお前が言うような正義の味方じゃない。ただバカなだけの社会不適合者だ。」
そう言うと浩文は香澄を真っ直ぐ見つめた。
「お前がそんなことで俺を見限るなんて思ってない。でも、今はそうでも、人の気持ちは変わるものだから、これから先もずっとそうとは限らないだろ。いつかお前も俺に見限りをつけて俺から離れてくんじゃないかって思って怖かった。だから、自分がこれ以上お前にのめり込まないようにずっと一線引いてた。でも、俺ももう三十になるしな。周りからも色々言われて、色々考えてた。いつまでもお前にそんな態度とったままで俺に縛り続けてるわけにもいかないなって、そろそろ何かしらのけじめつけないとなって思った。それで、考える時間が欲しかった。」
そう言って、浩文は悪いなと呟いた。
「お前とのこれからを考えたら、何かに気付いてももうバカやるべきじゃないだろうなとか。でも、お前は何かに気が付いてるのにそれを見て見ぬふりをしたら俺に幻滅するだろうなとか。自分がこれからをどうしてくのか、どうすべきなのか迷ってた。そんな時に志摩が色々問題抱えてるって噂聞いて、本人と再会して。最初はお前に協力してもらおうかと思ったんだけどな、良い機会だと思って考え直した。お前と距離置いて、志摩の件を一人で片付けて、自分がまだどこまで行けるのか、どこまで突っ走れるのか、気付いてるのに見て見ぬふりができるのか、適当なところで切り上げて終わりにできるのか、そういうの見極めようと思った。」
そう言う浩文の言葉を香澄は黙って聞いていた。黙って聞いて、そして、笑った。
「浩文さん。もう一人で走る必要は無いんだよ。」
「解ってる。」
「わたしだけじゃない。皆、一緒に戦ってくれるから。ここはある意味何でもありの部署だもん。浩文さんが正義感振り回したって問題ないよ。そんな色々悩まないで浩文さんは浩文さんのままで良いと思うんだ。」
「解ってる。でも、お前達が余りにも優秀でさ、自分は必要ないんじゃないかとか思えてくる。だから、最後に一回、自分はまだまだできるぞって突っ走ってみたかったのかな。全然突っ走れてないけど。おっさんになると色々考えるようになるんだよ。」
そう言って浩文は香澄の頭を撫でた。
「お前は俺の支えだ。いつだってお前は俺の迷いを吹き飛ばしてくれるから、だから、そんなお前に甘えたくなかった。こうやって話せばお前はそうやって俺を甘やかすから。でも、本当悪かったな。これが全部終わったらハッキリさせるから。」
「戻ってきてくれるとは言わないんだね。」
「悪いな。」
そう言うと香澄にいきなり唇を塞がれて浩文は目を見開いた。抱きしめられて、耳元で浩文さん大好きと声が聞こえてなんとも言えない気持ちになる。暫くそうやってくっついていて、香澄は意を決したように浩文から離れた。
「浩文さん。わたしの信頼裏切ったら許さないからね。」
そう言って香澄は持っていたカフェラテを一気に飲みして大きく息を吐いた。
「浩文さんのわがまま聞いてあげるの今回だけだから。もうわたし我慢するの止めるんだから。もう我慢なんかしないんだから。」
「お前、我慢なんかしてたのか?」
「してたよ。めちゃくちゃしてた。すっごく我慢してた。でも我慢するの止めるんだ。だから覚悟しておいてよ。」
笑いながらそう言うと、香澄は真剣な瞳を浩文に向けた。
「だから、全力で突っ走って。浩文さんはいつだって誰かのために全力で走れる人だって信じてる。浩文さんが突っ走った先に落とし穴があるなら、わたしが落ちないようにその手を引っ張るから。いつだって、いざという時は助けに行くから。恋人でいられなくたってわたし、浩文さんのヒーローになるから。みんなを助けるヒーローを助けるヒーローにわたしなる。だってヒーローもたまには誰かに助けてもらいたいでしょ?浩文さんが嫌だっていってもきかないよ。だってわたしもう決めちゃったもん。」
そう言うと香澄は缶を捨て、浩文に満面の笑みを向けた。
「いざという時はわたしが全力で助けに行くから。だから、浩文さんは全力で目の前の困ってる人を助けてあげてね。志摩って人のこと全力で助けてあげて。」
そう言われて浩文は本当に敵わないなと思って笑った。本当敵わない。いつだってこいつはいとも簡単に俺の迷いを吹っ飛ばす。そうだよな。いくら考えたって結局俺は困ってる誰かを目の前にしたら、間違ってる何かを目の前にしたら、自分を止められない。なら、迷わず突っ走るしかないんだよな。そして今は理不尽と戦って自分の首を絞めることのない立場を手に入れた。一緒に戦ってくれる仲間も。なら、それに後ろめたさを感じるんじゃなくて、それを武器にしたいようにすればいいんだよな。そんなことを考えて浩文は口を開いた。
「香澄。ちょっと手伝って欲しいことがあるんだが頼めるか?」
「もちろん。任せて。」
二つ返事で了承する香澄にいくつか頼み事をして、浩文は意を決してその場を後にした。
○ ○
「言われたとおりホテルに移動したけど、まさか、木村君が訪ねてきてくれるなんて思ってなかったな。」
そう言う史乃に部屋の中に入るように促されて、浩文は彼女の泊まる部屋の中に入った。
「落合先輩のことどうするのか決心はついたか?あれから何度もお前と話ししてるけど、ずっとどっちつかずのままだろ。ちゃんと何かしらの形で決着つけないと、状況はこじれていく一方だぞ。」
そう言うと史乃は困ったような顔で笑った。
「誰かを介して話し合いするのも、あの人をストーカーみたいな扱いして警察に相談するのも中々決心がつかなくて。いつも親身に話しきいてくれてるのにごめんね。木村君の言うとおり、いつまでもこんな生活できないし、ちゃんとしなきゃダメよね。」
そう言って史乃は目を伏せて、でもやっぱり怖くてと呟いた。
「ねぇ、木村君。この間は冗談って言っちゃったけど、わたし、本当に木村君が一緒にやり直ししてくれたらなって思ってる。わたしと一緒になってくれる気ないかな?わたし、木村君が一緒にいてくれたら大丈夫な気がするんだ。木村君がわたしを選んでくれるなら、わたしあの人と向き合う勇気も持てる。友達じゃなくて、恋人としてわたしの傍にいてくれないかな?」
そう言って史乃が木村君もそう言う気持ちが少しはあるから部屋に入ったんじゃないのと言いながら手を取ってきて、浩文はその手をそっと外した。
「悪いけど、俺は志摩とそういう関係になる気は無い。」
「嘘。じゃあ、何で部屋に入ったの?木村君はそういう気も無いのに一人暮らしの女の部屋に入るような人じゃないでしょ。」
そう言ってしなだれてきた史乃が、浩文の胸元のリングの存在を手でなぞって、そういう気できたのにやっぱり彼女の事が気になって尻込みしてるんだと呟いた。
「二個のリングを繋いでるってことはフラれたの?木村君は未練があるから尻込みするの?未練なんか吹っ切って木村君も新しいスタート切ろうよ。ねぇ、わたしじゃダメ?わたし、そんなに魅力無い?」
そう言いながら自分の服に手をかけ、ねぇ抱いて色々忘れたいのと史乃が詰め寄ってきて、浩文はそれを押しのけた。
「何で?」
「なぁ、志摩。お前は俺を嵌めたいのか?それとも俺に助けて欲しいのか?」
浩文のその問いをきいて史乃の目が大きく見開かれた。
「お前、俺になんかこれっぽっちも気が無いだろ。なのにどうしてこんなことするんだよ。」
「わたし、そんな。本当に木村君のこと・・・。」
「嘘重ねるなよ。五年前の俺だったら騙されてたかもしれないけど、俺もころっと騙される程もう若くないから。それにお前、落合先輩と離婚してないだろ。」
そう言うと史乃は、何だバレてたんだと言って笑った。
「別居してるだけなの知ってたんだね。」
「お前が結婚詐欺まがいなこと繰り返してるって噂も知ってる。」
「そんな噂知ってて、じゃあ、なんで木村君騙されたフリしてわたしに親身になんかするフリしてたの。」
「フリじゃない。俺は本当にお前の力になりたいと思ったから。」
「バカじゃない。何?わたしが可哀相に見えた?力になりたいって、捕まえたいの間違いじゃないの?」
「噂が本当だとしてもお前がしてるのは詐欺じゃなくて、既婚者な事隠して付き合って自主的に貢がせてるだけだろ。まだ詐欺の定義に入らないからお前を刑法で裁くことはできないし、そもそも俺はお前に罰を与えたいわけじゃないんだ。噂が本当なら大事になる前に止めさせたいと思った。噂が嘘でも、お前がなんか抱えてるのは間違いなさそうだから何か力になれたらって思った。」
「本当、バカじゃない。本当、木村君って昔からうざいよね。綺麗事ばっか並べて、ばかみたいに正義感振りかざして。あなたのそういう所本当に嫌い。」
そう言いながら史乃は辛そうに顔を顰めた。
「わたしが何してようが勝手でしょ。お金に困ってるからやってるの。犯罪じゃないならいいでしょ。お互い同意の上で色々して、色々奢ってもらったり、もらったモノを換金したりして何がいけないの?恋人ごっこして、適当なところで既婚者なのばらして。そうすればだいたい後腐れ無く別れられるし。それでも付き合い続けたいって人だって旦那にバレたことにして、訴えるぞって脅してもらえばすぐ逃げてくし。そうやってうちは生計立ててるの。何?木村君がうちの生計立つように援助してくれるの?違うでしょ。」
「お前、落合先輩も共犯みたいに言ってるけど違うだろ。それが原因で別居になってお前はこっちに越してきた。お前がこっちに越してくる前、お前の浮気が原因で激しい夫婦喧嘩してたって証言がある。あとお前の痣は落合先輩につけられたんじゃないな。落合先輩はこっちに来てないし、お前も越してきてからあっちに戻ってない。別居してからずっと落合先輩と会ってないだろ。」
「何?そんなことまで調べたの?ストーカーじゃないの気持ち悪い。」
「同窓会の日。恵子から、お前が男とっかえひっかえして貢がせてるらしいって噂を聞いた。そんなことするような子じゃなかったのに、ここにいる何人かも引っかかったって言うしどうしちゃったんだろって、何かあったのかなって。何かで脅されて美人局みたいなことさせられてるんじゃないかって、何か犯罪に巻き込まれてないといいけどって心配してた。こっちに帰ってくる時お前と再会して、お前が近くに住んでるって知って、もしお前が本当に犯罪に巻き込まれてるならなんとかできないかと思って、それで調べたんだ。こっちで仕事してるお前の生計は困窮してない。俺を騙す理由はないだろ。あとお前、引っ越しの片付けが間に合わなくて同窓会出れなかったって言ってたけど、お前が越してきたのあの日の一ヶ月前の話だろ。本当は、同窓会に出たかったけど出れなくてふらついてたんじゃないのか?」
自分を真っ直ぐ見ながらそう言う浩文の言葉を受けて、史乃は俯いた。
「本当、うざい。昔からそうやって真っ直ぐで、お節介で。本当全然変わってない。木村君はいつだってなんて言うかキラキラした所にいてさ。わたしにはできないことさらっとこなしちゃって。わたしはこんな変わったのに。わたしは汚くなって、それでも必死になって、そうまでしても傍にいたい人からも見放されて。こんなボロボロなのに。こっち越してきてすぐの頃、綺麗な彼女と楽しそうにデートしてる木村君見て憎悪みたいな気持ちが湧いたの。そんな自分が嫌ですぐその場を離れたのに、あの日駅で会っちゃって。木村君は全然変わってなくて。変わらないまま、綺麗な彼女と幸せそうにしてて。なんでわたしはこんななのに木村君は全部上手くいってるの?って、木村君だけずるいって。木村君も不幸になればいいのにって思った。少し困ってる風を装えば木村君のことだからわたしのことほっとけないだろうなって思った。それで彼女と仲違いでもすればいいのにって思った。木村君も全部失えばいいのにって思った。」
声を荒立ててそう言う史乃に浩文は、なんでお前はそうなったんだと訊いた。
「志摩。お前は本当はどうしたいんだよ。助けになれるなら、本当助けになるぞ。だから全部吐いちまえよ。」
浩文のその言葉を聞いて史乃は勢いよく顔を上げ、バカじゃないのと叫んでいた。
「わたしの話聞いてた?わたし木村君を不幸にしたくて木村君と一緒にいたんだよ。わたし、木村君の事なんか大っ嫌いで、だけど、木村君を不幸にしたいから木村君と関係持とうとしてたの。それだけ。こんなわたしみたいなの木村君だって嫌いでしょ?」
「別に、お前の事嫌いじゃないよ。俺にそれだけ八つ当たりしたくなるほど苦しかったんだろ?俺のこと嫌いでも何でもいいから、今まであったこと吐いちまえ。溜まってるもん吐き出せば少しは楽になるぞ。」
浩文のその言葉を聞いて、史乃は泣きそうな顔で笑って、本当木村君なんて嫌いと呟いた。そして俯いて黙り込む史乃を眺め、浩文は、ここまできて本音の一つ漏らさないのかと思った。わざと間違った解釈の話ししたらそれに合わせて作り話するし、本当にこいつは何を考えてるんだろ。そんなことを考えながら浩文は、お前が話さないなら俺が勝手に話しするから聞いてろと言った。
「お前、まるで結構前から生計立てるために男に貢がせてたみたいに言ってたけど、実際はそうじゃないだろ。ってか、そんなことしてないだろ。恵子もまるで同窓生の中に結構被害者がいるみたいな言い方してたけど、実際は二人。そもそもそいつら被害者ですらない。恵子がそんな噂を俺に言ったのは、そのうちの一人がそういう噂を同窓会でばらまいてたからだった。事の真相は、まず、最初の一人が出張先で出向いた先がお前が前住んでた所で、そいつから声かけたらしいな。そいつ、高校生の時お前に気があって、お前と再会してその時の想いが再熱して、お前が既婚者だって知らずに猛アタックしてお前は断ってたのに半分むりやり勝手に貢ぎまくってたら、既婚者だって言われて勝手に自滅して消沈したって笑い話にしてた。で、その次が質が悪くて、最初の奴の話し聞いてお前に近づいて、最初の奴とのことをお前が既婚者だって黙って男騙して貢がせたって話しにすり替えて、それを落合先輩にバラすってお前を脅して関係を迫ったんだろ。脅したけど相手にされなかった挙げ句、落合先輩に追い払われてむしゃくしゃしたからお前を貶めるような噂流したって、本人が吐いたぞ。ちなみにそいつは〆といたからな。」
そこまで話して浩文は一呼吸置いた。史乃は相変わらず俯いたままでどんな顔をしているのか解らない。まだ本音話す気にならないか、そんなことを思って浩文は話しを再開した。
「お前の結婚詐欺まがいしてるって話しは根っからの嘘だが、金欠は本当だな。お前の家庭の金欠は、去年落合先輩が歩道橋の階段から落ちて怪我したことが始まり。稼ぎ頭の落合先輩が、一時は意識不明の重体までいって一命は取り留めたものの職を失った。そしてその後の再就職もままならなくて、パート勤務だったお前一人の収入で家計を支えるのに限界があって・・・。」
「止めて。もう止めて。どこまで調べたの?本当、いいかげんにしてよ。わたしだって知られたくないことの一つや二つあるの。なのに、人のプライベートをそんなぺらぺらと。」
浩文の言葉を途中で遮りそう言って、史乃は目にいっぱいの涙を溜めた顔を上げてほっといてと叫んだ。
「人の家庭のことに首つっこんで来ないで。そこまで調べたなら知ってるでしょ、わたしが家計支えるために何してたのか?そんなの人に知られたくないし、ききたくない。わたしだってしたかったわけじゃない。でも、そうでもしないとあの人の治療費と自分達の生活費を稼ぐことなんかとてもできなかったの。地方都市とはいえ、あっちはそんなに就職先無くて高卒職歴なしのわたしじゃ正社員で雇ってくれるとこなんてなかったんだから、しょうがないじゃない。」
「じゃあ、お前がいない今、先輩はどうやって生計を立ててるんだ?仕送りできるほどの余裕はお前にないし、仕送りしてるわけじゃないだろ?お前がいないと生活できないのに先輩はどうしてお前と別居してこんな遠くへ追いやった?」
浩文はそう問いかけて、史乃が一瞬強張ったのを確認し話を続けた。
「先輩の転落事故。誰かに背中押されたって目撃証言があるのに事故で処理されてるな。退院後暫くリハビリは必要だったが、後遺症が残ってるわけでもないのに先輩は職を失い、その後の再就職もできてない。それは先輩に対する誹謗中傷が拡散されてるせいじゃないのか?別居の本当の理由はお前の浮気なんかじゃないんだろ。」
それを聞いた瞬間、史乃の目から溜まっていた涙が零れ溢れだした。
「木村君。木村君ならあの人のこと止められるかな?わたしじゃダメだった。わたしじゃ、あの人のこと助けられなかった。」
弱々しくそう言って史乃は顔をくしゃくしゃにして泣いた。
「あの人、昨日こっちに来たの。それで、わたしに迷惑かけたくないから離婚してくれって、あの人の署名入りの離婚届置いてった。こっち来る前も離婚迫られてそれ破って突っぱねたのに、また書き直して。今日一日は待つから今日中に出しておけって。ちゃんと提出しないと知らないぞって。あの人。このままじゃあの人、人殺しになっちゃう。」
そう言って両手で顔を押さえて史乃は大きな声を上げた。
「ごめん。本当。ごめんね。木村君の事が羨ましくて、木村君も不幸になればいいのにってそれも本当だけど。木村君ならもしかしたら助けてくれるんじゃないかって。でも、色々知られたくなくて。あの人の言うとおりあの人のことは忘れて、新しいスタート切った方がいいのかなとか。解んない。色んなことがごちゃごちゃして。わたし。それでもあの人の傍にいたい。あの人に犯罪者になって欲しくない。でも、あの人があんなに追い詰められたのも全部わたしのせい。わたしはあの人の傍にいない方がとか。でも、離れても結局ダメだった。逃げられなかった。わたしのせいで。あの人。他にわたしのこと護ってくれる人ができたらあの人無茶しないでくれるかなとか。もう時間が無いし。どうしたら良いのか解らなくて。明日になったらきっとあの人。木村君。わたし。どうしたら。木村君。お願い、助けて。あの人のこと助けて。」
支離滅裂でまとまりがない史乃の嘆きを聞きながら浩文は、解った、解ったからちょっと落ち着けと彼女の肩を叩いた。
「先輩はいったい誰を殺そうとしてるんだ?」
「加藤先生。」
「加藤?加藤って、俺たちが一年の時の夏合宿での騒ぎで辞職した教師か?」
そう訊くと史乃が小さく頷いて、浩文は思わずなんでと呟いていた。
「あの時の事、木村君はどんな風に聞いてる?」
「俺たちが稽古してる間に先輩がお前の事連れ出して、それを咎めた教師と掴み合いになって怪我負わせたって。結局先輩は具合悪くしたお前を病院に連れてってただけで勘違いした教師の方が先に手出したとかで、最初はお前等のこと責め立ててた教師の方が処分受けることになったんだろ。いくら事情があってもなんの連絡もいれずにお前連れ出して、教師に怪我負わせた先輩も出禁になって。お前は巻き込まれただけだからお咎めなし。その時のことがきっかけでお前と先輩が付き合い始める事になったって。」
「アレね、ちょっと話が違うの。表向きには行きすぎた行為で処分受けて、それを真摯に受け止めた加藤先生が自主退職したみたいな話しになってたけど、本当は加藤先生解雇されたの。それでどこ行っても解雇が問題になって仕事が見つからなくて、奥さんや子供達にも捨てられて、加藤先生それをあの人のせいだってあの人のこと恨んで、あの人に嫌がらせしてた。お互いの地元からも、高校があった場所からも遠く離れて縁が切れたと思ってたのに、それがね、今更わたし達を苦しめることになったの。」
そう言って史乃は辛そうに顔を顰め拳を握った。
「加藤先生が解雇になった理由なんだけどね。あの日、わたし、加藤先生に言われて先生と一緒に用具の確認をしに行ったの。でも用具室に着いたらなんか先生の様子が変というか嫌な感じがして、適当に言い訳してその場離れようとしたら先生に止められて。着替えしてるわたしの盗撮写真見せられて、ばらまかれたくなければ言うこと聞けって脅されて、それで。良く覚えてない。思い出したくもない。気が付いたらあの人が先生をやっつけてた。それで、大丈夫かって、とりあえず病院行こうって連れ出してくれて。診察受けて。最後まではされてなかったみたいだけど、色々ショックで、薬もらって。家族呼ぶかって訊かれたけど、そんなこと知られたくなかったし断って。とりあえず合宿所に戻ることにして、戻ったら騒ぎになってた。加藤先生、きっと本当のことをわたしが話せないと思ったんだよね。ないことないことでっち上げてて。先生達の部屋に連れてかれて他の先生にも詰め寄られて、怖くて。とりあえず怖くて。わたし、あの人にしがみついてた。それで余計変な風に火に油注いじゃって、あの人が病院に連れてってくれたのが、わたしとあの人が合宿抜け出してデートしてたみたいな話しになって。なんか訳がわからなかった。で、あの人と先生達がなんか言い合いしてる横で、わたしパニックになって、何があったか全部ばらまいてたんだって。それで加藤先生の荷物が調べられてそこから盗撮写真とか証拠が出て。それでよく解んないけど、先生は処分が決まるまで謹慎、わたしとあの人も一回帰されることになって。だからって合宿の途中で家に帰ったら家で色々聞かれるだろうし、わたし困っちゃって。そしたらあの人が泊まるとこ用意してくれて、籠もってるとアレだからって、帰るまでには元気になってないとだろって色々連れていってくれて。おかげでわたし立ち直れたけど、家に帰ったら合宿途中で帰ったのが親にバレてて、どこで何してたんだって怒られて。あの人が全部悪者になってくれて親に説明して謝ってくれて。親はカンカンに怒ってたけど誰にも本当のこと知られずにすんで、わたし普通の生活に戻れた。あの頃わたし全然解ってなかったけど、あの人がわたしのことが公にならないように先生達にも話して頼み込んで、口裏合わせて。まだ学生でお金無かったくせにわたしのフォローしてくれて。色々してくれて。でも、逆恨みした加藤先生があの人が本当のこと言えないことをいいことに、あの人の親に嘘の告げ口してあの人の親からお金を巻き上げたの。それであの人親から勘当されて。通ってた大学ももう少しで退学させられそうな所まで追い詰められてた。」
そう言って史乃は小さく笑った。
「あの人とのお付き合いは親に猛反対されてたし、あの人も加藤先生の嫌がらせのせいでこっちに居づらくて、知り合いのいない土地に行って二人で一から全部始めようって、あの人地方都市に就職決めて、お互いの卒業と同時に駆け落ちしたの。それで、わたしが二十歳になった時に結婚して。普通に幸せだった。幸せだったのに。去年、また加藤先生が現れた。あの人が階段から落ちたのが本当に事故だったのかどうかわたしには解らない。でも、あの頃からまた嫌がらせが始まった。あの人の勤めてた会社に、あの人は昔傷害事件起こしたって、そんな奴を雇ってるのか解雇しろってしつこく電話がきて。事実かどうかはともかく、こんなトラブルを抱えた人間を雇い続ける事はできないって、首を切られて。最初は新しい職を探せばいいなんて言ってたけどどこからも断られて、そのうち近所からもひそひそされるようになって。あの人どんどん追い詰められてって。それでわたしが家計支えるのに水商売してることとか、たまたま再会した同級生に言い寄られた事とかなじってきて、俺なんか捨ててどっか行けなんて言ってくるようになって。で、わたし、また違う土地で一から始めよって話したの。そしたらあの人もちょっと乗り気になって少し元気になってくれたんだけど、二人で出掛けてたとき加藤先生がわたし達の前に現れてどこに逃げたって逃がさないって。どこまでも追いかけてやるって言ってきた。自分を破滅させたあの人を許さないって。」
「警察に相談は?」
「したけどダメだった。先生から嫌がらせ受けてるって証拠もないし、金品とられたわけでも、暴行受けた訳でもないしって。個人間のトラブルでしょで済まされちゃった。」
史乃のその言葉を聞いて浩文は調べた時相談記録すら残されてなかったぞ、あそこ警察雑な仕事しやがったなと苦い思いがした。
「それで、あの人、ターゲットは自分だからお前は遠くに逃げろって。俺のこと自分と同じように職も家族も無くさせたいんだろって。だから、離婚してお前は別の誰かと新しいスタートしろよって。職も失ってお前にも逃げられた惨めな俺見ればあいつの気も収まるんじゃないかって、あの人投げやりになって。離婚は拒否したけど、わたし追い出されちゃった。で、こっちに越してきた。でもね、加藤先生の目的は違ったの。先生は狂ってる。先生、あの時あの人に邪魔されたから自分の人生がダメになったって本気で思ってる。あの時上手くいかなかったからその先がダメになったんだって。先生、あの時の仕切り直ししようとしてた。しきり直しして上手くいけば自分の人生が取り戻せるんだって。」
「なんだそれ?」
「腕の痣ね、先生につけられたの。先生あの人と別居したわたしの方を追いかけてきた。わたしが言うこと聞けばあの人への嫌がらせ止めてやるって、脅してきた。言うこと聞かないともっと酷い事になるぞって。全部あの時わたしを好きにできなかったから悪いんだって。あの人を打ちのめしてわたしを好きにできれば人生が取り戻せるんだってさ。わたしももうあの頃みたいな子供じゃないから、思いっきり大声上げて先生の足踏んづけて、鞄で殴って逃げちゃった。逃げるとき腕掴まれて、わたしの大声聞いて駆けつけてくれた人がすぐ助けてくれたから良かったけど、痣になっちゃって。通報しろとかなんとか言われたけど、なんかさ、前のことがあるから警察に相談してもしょうがないかなって。どうせすぐ解放されて出てくるんでしょって。なんだろうね。怖いし、不安だし、でもどうしたらいいか解らないし。ふと、そうだ木村君が警察官だったって、木村君なら親身になってくれるかもって思って木村君にメールしてた。でも、木村君待ってる間に本当のこと話すの怖じ気づいて。なんだろうね。よく解らないことしてた。で、木村君と別れたあと、あの人に電話してた。どう足掻いたって先生から逃げられないよって。あなたが傍にいてくれないとダメだって。どうなってもいいから二人でいようよって。一緒にいてって、電話してた。あの人、何も答えてくれなくて、電話切れちゃって。わたし・・・。」
そう言って史乃はまた溢れてきた涙を拭った。
「昨日、あの人が来た。逃げられないならもう先生を殺すしかないって。止めたけどダメだった。自分が全部やるからわたしは何も知らなかったことにして無関係を貫けって。それでも夫婦のままだと色々迷惑かけるから、離婚届出しておけって。木村君。どうしよう。どうしたらいいんだろう?」
心底困り切った途方に暮れた顔で史乃がそう言って、浩文は任せとけと言った。
「なんとかする。絶対、落合先輩を犯罪者にさせないし、お前も含めて助けるから。約束する。」
そう言って史乃に笑いかけ、浩文は携帯電話を取りだした。
「香澄。聞いてたな。頼んでた落合敬の位置情報の割り出しと追跡はできてるな。俺が追えるようにそれと先輩の今の写真を俺の端末に送っておいてくれ。あと加藤健吾の居場所の割り出しと、教師辞めてからの十四年間何してたのかの洗いだし。こういうタイプの奴は余罪が沢山あるだろうから、俊樹と篠崎にも協力させて罪状纏めて証拠集めて必要な処理しといてくれ。それがある程度溜まったら涼花と藤原に加藤を確保させろ。落合敬は俺が止める。」
『了解。でも、浩文さん。加藤健吾をしょっぴいても一時しのぎにしかならないよ。心神喪失状態を主張して無罪もあり得るし、出てきたらこういうタイプはエスカレートしないかな?』
「そうだな。でも今はとりあえず落合先輩を止めるのが一番の課題だ。対象が捕まってたら先輩も手は出せない。先輩に犯罪を犯させないのが第一で、他のことはあとで考える。」
『了解。』
「任せたぞ。頼りにしてる。」
そう言って通話を切ると、浩文は史乃に視線を向けて、お前はここでじっとしてろと言った。
「木村君。わたしの会話ずっと外に聞かせてたの?」
「お前の真意が解らなかったし、聞き出すためには懐に入らないと無理かと思ってな。でも、何かあっても困るし念のためな。悪かったな勝手にあんな話し他の奴にも聞かせて。」
そう言うと史乃は小さく笑って首を横に振った。
「木村君、昔からあの人にちょっと似てるなって思ってたけど、全然似てないからほっとする。あの人なら絶対そんな安全対策しないから。本当にソックリだったら、わたし多分木村君の事本気で呪っちゃうから。あの人はあんなに苦しんでるのに、なんで木村君はって思っちゃう。でも似てないからさ、あぁだからあの人はダメだったんだなって思える。でも、そんなあの人だからわたしはあの人が好き。木村君。あの人のこと助けて、ちゃんとわたしの所に連れてきて。ここで待ってるから。」
「あぁ、絶対連れてくる。うちの連中はみんな優秀なんだ。だから俺たちを信じて待ってろ。」
そう言って浩文は史乃の部屋を後にした。
○ ○
「落合先輩!」
自分の端末に送られた位置情報を元に捜索し見付けた背中に浩文は声を掛けた。正直十四年前にちょっと一緒に稽古したことがあるだけの人物をぱっと見で特定できるのか不安だったが、その背中を見た瞬間それが落合先輩だと思った。自分の声に反応し振り返った姿を見て、やっぱり落合先輩だったと浩文は胸をなで下ろした。
「もしかして木村か?」
怪訝そうに顔を顰めながら落合がそう言って浩文ははいと答えた。
「よく俺だって解ったな。大昔にちょっと一緒に稽古しただけだろ。」
「先輩はうちの高校のヒーローでしたから。先輩の試合撮したビデオ散々見て勉強しましたし。後ろ姿見たらぱっと解りました。」
「全国制覇した奴にそんなこと言われると嫌みにしか聞こえねーな。」
「先輩だってしたでしょ。俺なんか三年の時の一回、まぐれみたいなもんですけど、先輩は三連覇したじゃないですか。」
「三連覇って言っても俺は高校生大会だけ。大学の時は色々あって試合出てないしな。俺の最高記録はそこまでだ。お前は国際試合代表選手までなぎ倒して本当に全国制覇しただろ。あん時のお前、本当に凄かったな。テレビでお前の活躍見て、自分の出身校の後輩だと思うと誇らしかったよ。」
本当に懐かしそうにそう言う落合にどう話しを持っていけばいいのか解らなくて、浩文は今も柔道してるんですかと訊いていた。ぱっと見で解るくらい昔と変わらない体格を維持してるのだ、止めたはずがない、そう思うのに、落合がどこか寂しそうに、ここ一・二年してないと答えて、浩文はなんとも言えない気持ちになった。
「でもそのがたいって、まだ鍛えてるんでしょ?久しぶりに一緒に稽古しませんか?俺、今警察で働いてるので、警察署の道場使えますよ。」
浩文がそう言うと、落合は少し視線を落とし考えるような素振りをした。
「久しぶりに思いっきり汗流しましょうよ。稽古つけて下さい。」
「ブランクあるのに俺がお前に稽古つけるとか無理だろ。俺の方がつけてもらわないと。」
浩文の一押しに対し、落合は笑いながらそう言って顔を上げ、そして固まった。
加藤。そう呟いてみるみる顔を赤く染め顔つきが変わって行く落合を見て、浩文は彼の視線の先追って振り返った。その瞬間、加藤!と言う落合の叫びが聞こえ、浩文は瞬間的に加藤に向かってに飛びかかって行こうとした落合を投げていた。
「おー。見事な一本背負い。こんな綺麗に決まったとこ直に見るの初めてだわ。すげー。」
そんな藤原の感嘆する声が聞こえ、浩文はそちらに視線を向けた。そこには術式で加藤の動きを封じている藤原と、どうして自分が動けないのかわからない様子でうろたえている加藤、そしてそんな二人の隣に立つ涼花の姿があって、浩文はお前達も合流したかと呟いた。
「あ、持ってるナイフももらっとくから。」
そう言って藤原は加藤が所持していたナイフを奪い取る。
「浩文さん、これ香澄ちゃんが集めた情報です。今、俊樹が加藤の部屋漁ってますけど、犯罪の証拠押さえたとしても難しいかもしれませんね。」
涼花がそう言いながら端末を浩文に渡し、画面に映った情報を確認して浩文は眉間にしわを寄せた。それは加藤の精神科への通院入院歴、現在の処方歴だった。これでは全く手が出せない。でも、こいつは本当に心神喪失状態なのか?それにしては余りにも一つ一つの行動が冷静な気がする。そんなことを考えて、どうして自分が動けないのか解らず喚く加藤を眺めながら浩文が加藤に責任能力があると証明できるような何かはないかと他の情報も確認していると、藤原がこいつは正常ですよと呟いた。
「正常だから用意周到に準備してた。こいつは教師止めてからの十四年間他の犯罪歴はないっすよ。こいつのターゲットはあくまで落合夫妻のみっすから。執着した二人を追い詰めるためだけに準備して、狂人のふりをして、あわよくば刑を免れようとした。」
そう言って藤原は加藤の前に立った。
「あんたは落合夫婦をストーキングしてた。落合夫婦の全部はあんたに筒抜けだった。落合敬が自分を殺そうとしてることも知ってて、落合敬の計画外に遭遇して激昂して自分に襲いかかってきたあの人を殺す気だった。どうしてだ?」
そう言いながら藤原は加藤の目を覗き込んで、そういうことねと呟いた。
「最初は偶然か。たまたま相手の弱みを握って、相手が自分に従順に従うのを見て優越感覚えて癖になった。自分に嫌悪感を抱きながらも相手が自分に屈服して従順に従う姿がたまらなかったんだろ?特に人気者や普段自分を見下してるような奴をそうすることに快感を覚えてた。お前は教師になる前からずっと、結構長い間そんなこと楽しんでたのにな。十四年前、いつも通り楽しもうとしたら落合敬に邪魔されて全部失った。でもあんたはそのおかげで自由になった。失う物がなくなって、あんたは表沙汰にしたくないっていう弱みにつけ込んで、落合敬を嵌めた。清々したんだろ?気持ちよかったんだろ。その時は満足したんだろ。でも、親から勘当されて、地元にも居づらくなって遠くへ逃げた落合がそのまま落ちぶれてると思ってたのに、そうなってなくて苛々したんだろ。そんでもってお前の気持ち悪い性癖が燻って、落合夫婦を徹底的に追い詰めて蹂躙して屈服させてめちゃくちゃにしたくなった。そして優越感に浸って満足したかった。本当にお前、胸くそ悪い奴だな。お前みたいな奴は本当に狂っちまえばいいよ。」
そう言う藤原の瞳孔がすっと細くなって、浩文は止めろと叫んでいた。
「課長。通常で裁けない特殊な犯罪に対応するのがうちの仕事なんでしょ?なら、こいつみたいなケースもうちの管轄になるんじゃないんすか?それに、自分が何者かも解らなくなるほど狂っちまえば二度とあんたの友達にも手が出せないすっよ。」
そう言って藤原がにぃと笑って加藤の額を指でちょんと触った。その瞬間、加藤が大きく目を見開き口を開け涎を垂れ流しながら崩れ落ち、浩文は藤原を睨み付けた。
「なに怒ってるんすか。むしろ感謝して欲しいくらいっすね。俺はあんたにできないことをしてやったんだから。」
「加藤の精神疾患が偽装だと証明できれば普通に裁くことができたはずだ。」
「こいつはそんなんじゃ更生しないし、お友達は助けらんないっすよ。課長も解ってるでしょ。」
「それでも、こんなことをする前に他の方法を模索するべきだろ。こんな私刑みたいな行為が許されるわけがない。」
浩文のその言葉を聞いて、藤原は地面に座り込み焦点の合わない目で譫言を言い続けている加藤の傍にしゃがみ込んだ。
「じゃあ、こいつが人に与えようとしてた悪夢をこいつ自身に植え付けときましょうか。目には目を。人にされて嫌なことは人にしちゃいけませんってね。罰としては最適じゃないっすか?」
へらへら笑いながらそう言う藤原に浩文は、それ以上は止めておけとドスのきいた声で制止した。
「課長はお堅いっすね。それに甘い。そんなこと言ってたら普段俺たちが相手にしてる事象になんて対応できないっすよ。相手を害することを躊躇してたらこっちがやられる。課長だって解ってるでしょ?それに俺が間違ってたとしても法じゃ俺は裁けない。俺がこいつに何をしたかなんて今の科学に証明できないっすからね。」
「わたしは浩文さんはそのままで良いと思いますよ。藤原君はこの通りだし、わたしもなんだかんだで平気で人が殺せる人間です。香澄ちゃんはもともと善悪の判断基準が自分の感情で何も考えずに平気で悪事に手を染めてしまう危険性があるし、俊樹もまともそうに見えて子供の頃から泥棒してるせいで悪事へのハードルが低い。祥子ちゃんも今はまだ普通だけど、人ならざる力を自在に操れるようになってうちの業務に従事してればそのうち感覚が麻痺してくるでしょうし。そんな中、一人ぐらいまともな感性を持った人がいてくれないとわたし達は無自覚に行きすぎた所まで行ってしまう可能性があると思いませんか?だから、浩文さんは浩文さんのまま、わたし達の指針であり良心としてわたし達が間違った方向へいかないようにしっかり手綱を握っていて下さい。」
涼花のその言葉を聞いて藤原が、そうっすねと呟いた。
「本当。なんだかんだ言ってうちにまともな人間は課長しかいないっすからね。俺なんか特にいつ自分があっち側に行くのか解らない、狐憑きっすから。あいつを自分の中に受け入れたときに覚悟してたつもりではいたけど、やっぱ自分の中に魔物を飼うって自分が魔物になるのとそんなにかわらないんすよね。俺があっち側に行きそうになったら、ちゃんと頼みますよ。」
そう言って藤原は立ち上がって伸びをした。
「この状態だからもうアレっすけど、ナイフ持って暴れてたとか適当なこと言ってこいつのことそこら辺の交番に引き渡してきますね。」
そう言って藤原は加藤を立たせると浩文を見た。
「そうそう、課長。そろそろ俺や祥子ちゃんのことも名字じゃなくて名前で呼びません?なんか仲間外れみたいで寂しいっすよ。」
そう言っていたずらっぽく笑うと、藤原は半ば引きずるように加藤を連れて行った。
「わたしも藤原君に付き添っていきますね。後のことは任せます。」
そう言って涼花も去って行き、浩文は一つ息を吐いて、地面にのびたままの落合の傍にしゃがんだ。
「落合先輩、大丈夫ですか?」
「あぁ。余りにも綺麗に投げられたから、なんか妙に清々しくてな。ちょっとこのまま空見てた。」
そう言って起き上がると落合は浩文に視線を向けた。
「お前、警察官じゃなかったのか?」
「警察官ですよ。ただ、色々あっておかしな部署の課長してるんですよ。普通に生きてたらそう関わるようなとこじゃないんで気にしないで下さい。」
そう言って浩文が差し出した手を落合はとって立ち上がった。
「落合先輩。帰りましょう。志摩。いや、今は落合史乃ですから、志摩って呼ぶのはおかしいですね。奥さんが待ってますよ。」
浩文のその言葉を受けて落合は視線を落とした。
「先輩。ヒーローも一人じゃ何にもできないんですよ。」
「なんだそれ。」
「たまには人を頼って下さいって事です。今までは難しかったかもしれないけど、俺で良かったらいつでも力になります。だから、一人で思い詰めてバカな事しようなんて考えるのは止めましょうよ。一人で思い詰めると見える物も見えなくなるし、ろくなこと思いつかないですよ。」
そう言って空を見上げる浩文の視線を追って落合も空を見上げた。
「あいつは多分、先輩に護って欲しかったんじゃなくて頼って欲しかったんじゃないかなって思います。先輩と一緒に戦いたかったんじゃないかなって。女は案外強いですよ。」
「知ったような口振りだな。」
「俺の彼女がそうだから。あいつは解らないけど、でも先輩と一緒にいたかったって言うのは事実でしょ。あいつの話しももっとちゃんと聞いてやった方がいいんじゃないですか?俺はちゃんと相手の話聞かないで、昔結婚の約束までしてた彼女にはにフラれて、今の彼女は泣かせて、良いことなかったですよ。」
そんな浩文のぼやきを聞いて落合は目を丸くして、そして声を立ってて笑い、ひとしきり笑い終えるとどこか諦めたように笑った。
「一目惚れだったんだ。OBになって初めて顔出した夏合宿で史乃を見て、すげーかわいい子がいるなって。バカみたいだけど稽古中もあいつのこと意識してた。それで加藤に連れてかれるあいつ見てなんか嫌な予感がして、稽古抜け出して追いかけてさ。あんなことがあったから、罪悪感とか責任感とかそんな感じで俺の傍にいるんじゃないかって思ってた・・・。」
そう言って落合は浩文を見た。
「帰る前にちょっと稽古付き合ってくれるか?」
「喜んで。」
そう言い合って、二人は連れだってその場を離れた。
○ ○
書類仕事をこなしているとコーヒーを差し出され、浩文はそれを受け取って一口飲んで目を細めた。
「やっぱ、お前が淹れてくれるコーヒーが一番旨いな。」
そう言って隣に立つ香澄を見上げると、そうでしょと彼女が笑顔を向けてきて浩文は小さく笑った。
「凄く難しい顔してたけど、やっぱ今回の件納得いかない?元晴君のしたこと浩文さんは許せない?」
そう言われて浩文は少し考えた。藤原元晴の術式で精神を壊された加藤健吾は身の回りのことさえ自分でできなくなり、一生施設から出られない状態になった。これで加藤が二度と誰かに危害を加えることは確かにないが、そこまでする必要があったのか浩文には解らなかった。更生させることはできなくてもそこまでしなくても良かったのではないか、他に何か方法があったんじゃないかと思ってしまう。
「藤原の言い分も解る。藤原のしたことが間違いかと言われれば、解らない。ぎりぎりまで時間をかけて検討したところで同じ結論に俺も至ったかもしれない。でも、だからといってあれを良しとしてはいけない気がするんだ。今回はしかたがなかったとしても、次に似たようなことが起きたときそうじゃない選択ができるように考え続ける必要はあるんじゃないかって。」
眉間に深くしわを寄せてそう言う浩文を見て香澄は微笑んだ。
「やっぱ浩文さんって格好いいね。そんな浩文さんだからわたし、浩文さんの事が大好きだよ。これからも彼女でいさせてくれる?」
「お前、職場でその話持ち出すのか?」
「だって、職場以外で会えないんだもんしょうがないじゃん。それともデートしてくれるの?会いに行っていいの?」
そう言って顔色を伺うように自分の顔を覗き込んでくる香澄を見て、浩文は頭を抑え暫く黙り込んで、一つ息を吐いた。
「こないだ弟にバイク押しつけられたんだ。手放すことに決めたけど愛着あるから自分で処分するのしんどくて兄貴頼むって。」
そんな浩文の言葉を聞いて香澄は疑問符を浮かべた。
「バイクなんて乗るの久しぶりだし、いきなり人乗っけるの怖いから、ちょっと慣らすのに時間くれ。仕事もあるし二週間ぐらい。二週間後の休日、一緒にツーリング行って、そこで答えを伝えるでもいいか?さすがに職場でその話しは、な。」
そんな浩文の言葉を聞いて香澄の顔がぱっと明るくなった。
「ねぇ、それって期待してても良いのかな?」
「お前が望んでるような答えかはわかんないぞ。」
そう言って笑う浩文の顔を見て香澄も笑った。
「楽しみに待ってる。」
そう言う香澄を見つめて浩文は、お前も仕事に戻れよと言った。それを受けて元気にうんと返事して、自分の仕事場に向かおうとする香澄を浩文は呼び止めた。
「香澄。ありがとな。」
それに満面の笑顔で答え去って行く香澄の後ろ姿を見送って、浩文は自分の業務の続きに戻った。




