五日目 2
毒かもしれない食材を口にして、毒にも薬にもならない話をしているうちに徐々に日が陰ってきた。今のところ謎の生物を口にした中で体調不良を訴える者はいない。
途中、漂流してきた少女が目を覚ましたのでちんすこうを水で煮くずしたものを与えたが、僅かに口にするとそのまま再び眠りに落ちてしまった。随分と疲れていたのだろう。無理もない、彰浩でさえも数日どころか一日だって何もない海上で生きていられる保証はない。現に物言わぬ死体となって流れ着いた者の方が圧倒的に多いのだ。
可食テストの被験者である五人は、一番大きなタープの下で座り込んでいた。フェイに外的要因の変化を禁じられたため森に薪を取りに行くこともなく、久しぶりにのんびりとした時間を過ごした。ジェシカは小さな少女の介抱を献身的にしてはいるが、少女はほとんど眠っているので時折姿勢を変えたりといった具合である。
八時間安静にという指示を受けていて手持無沙汰な彰浩の隣では、二十センチほどの木の枝をダイビングナイフで削っている。
省吾は、彰浩から見ても体格のいい人間だ。彼と比較すればやや小さくはあるが、同世代の中では群を抜いて背が高く骨格も完成されている。彰浩が力仕事で培った船乗りのような筋肉質であるとすれば、省吾は無駄な肉などない均斉のとれた銅像のような体つきだ。
チタン製のダイビングナイフは刃渡り20センチ強ほどの大きさがあるが、それが省吾の薄く長い指の中では小さなおもちゃのように見える。そのおもちゃを器用に操り、彼は2本の棒を作り上げた。
「なに作る?」
「箸。笹原のおっさんが煮炊き大変そうだったんで」
「へぇ、ショーゴは器用ね。意外と」
ジェシカが彰浩も思っていたことをずけずけと発言する。意外、という言葉は誉め言葉ではないが、ジェシカの言葉に納得してしまうくらいに、彼の大きな手から作り出された箸は丁寧に作り上げられている。木の皮を剥ぎ、均等な太さに削られたそれはやすりで磨き上げればすぐに素朴な手仕事の製品として売り出せそうな完成度だ。
「まあ、嫌いな作業じゃないんで」
えんぴつもカッターで削ってたし、と寡黙な省吾はジェシカとぽつりぽつりと言葉を交わしながら次の枝を手に取る。少しずつ表皮を剥いで、先に行くにつれて徐々に細くなるように時間をかけてゆっくりと削っていく。太さの近い枝を選んでいるのか、出来上がった箸は一セットごとに徐々に太さにばらつきはあったが、八時間という空き時間の間に彼は七セットの箸を作り上げていた。
「飯!」
時間を持て余した彰浩が四苦八苦しながら固い枝の皮を剥いていると、隼人が大きな葉の上に載せた食材を持ってきた。残念ながら可食テストを途中リタイアした隼人は今日一日、手斧を取って細い木を伐り枝を落とし、薪にする作業にいそしんでいる。その途中で出た枝が省吾の木工材料へと回されていた。
彼は疲れの見える笑顔でタコ貝を焼いて塩をかけたものを頬張り、ふうと深く息を吐く。残念ながら彰浩たちは半日以上前に茹でた謎の食材を口にしなければならないが、こんがりと焼けたタコ貝はみずみずしく弾力があり、彰浩の持つ冷え切った赤いポテトサラダのような物体よりも断然食欲を誘う。
皆が物欲しげな視線で隼人を見つめていたのか、彼は被験者たちへ意地悪気な笑みを浮かべて見せつけるようにタコ貝を頬張った。
「寄こせ」
「駄目、フェイさんも夜はそれだけ食えって言ってたし」
「これっぽっちじゃ腹は膨れん」
省吾が手のひらほどの白い液体だったものを指してむっつりと口をへの字に曲げる。どういう訳か、彼のテストしていた白いアボカドのような果実は、煮込むとほんのりと甘い牛乳のようになり、冷えるとゼリーのように固まってしまうらしい。彼の緑の皿の上に載せられたそれは、見た目も味も砂糖の遠い牛乳ゼリーそのもののようだ。
可食テストでは、2度目の飲食実験でも四分の一カップほどしか口にできないため、被験者たちの夕食は随分とわびしいものである。
「それ、うまい?」
「微妙。ざらざらした牛乳っぽい」
「生だと凍らせたら美味そうだったけどな」
「どうやるんだ。ここに冷凍庫なんてないだろ」
そうだよな、と隼人の軽い笑い声が響いた。五日目が終わろうというのに救助の兆しもなく、自給自足へと発展しつつある現状なのに隼人はいつも笑顔を浮かべている。
誰かが黙り込んで砂浜を見つめていれば隣に座り他愛もない話で笑わせるし、海や森へ入るものがいれば独断専行や深入りを警告する。彼の視野は広い。知り合って間もない人間たちのことを気にかけ、暗く沈んだ空気を打ち砕いてくれた。自分には到底できないことだ、と彰浩は素直に感嘆する。
「眠くなってきた」
腹が膨れたのか、隼人は皿がわりの葉を投げ捨てるとタープの中に敷かれた衣類の上へと寝転がった。流れ着いた衣類は半分ほどが使用済みでわずかに饐えた匂いがしたが、既にその匂いが気にならない程度に彰浩たちも垢にまみれている。「あっつい風呂につかりてぇー」と、全員の心の声を代弁するように隼人が足をじたばたさせながら叫んだ。
「もう、あり得ないくらい汗まみれだよ! 体育祭でもこんなにハッスルしたことねぇよ!」
「お疲れ様です。明日は自分が代わりますので」
「いや、まじ大変なんすよ! 俺頑張りますし」
彰浩の声に、隼人は勢いよく身を起こし両手を握り締めた。
「自分は今日一日何もしておりませんので。隼人さんは体を休めるか、どうしてもというのならば軽作業をしてください」
「そりゃあありがたいっすけど、彰浩さんがしんどいことしてんのに俺だけガーガー寝てるって訳にもいかんでしょうよ」
「だいじょうぶ、明日みんな働く! ハヤトは実験よ」
「薪は隼人さんのおかげで数日はもちますし、足りなくなれば自分も伐ります。経験はありませんが」
「まじすか。うー、確かに俺より彰浩さんの方が力もあるし仕事も早そうっすけど……」
「俺も依里奈もいるから隼人も少し休め。働き過ぎだ」
「…………そこに依里奈を含めるのはおかしい気がすっけど、まあ、お願いする。しょーじき、筋肉痛で明日まともに動けるかわかんねぇし。あ、でも! 斧使う際は絶対手袋必須だからな! じゃねぇと、豆できて大変なことになる。つーか、手袋してても豆できるし」
省吾の言葉に、隼人は渋々と言った様子で頷いた。どうやら、全員彼がオーバーワーク気味なのを気づいているのだろう。人間関係に鈍い彰浩でも気づいたのだ。観察眼に長けるジェシカや、付き合いの長い省吾たちならば当然のことだ。
皆から生暖かい視線を送られた隼人は、気恥ずかしくなったのか「寝る!」と叫んで大判のバスタオルを頭からかぶってしまった。その子どものような仕草に、ジェシカがたまらず吹き出す。それに釣られてひとり、またひとりと笑い声が伝播していく。決して快活とは言えない一団に、久方ぶりの明るい笑い声が響いていた。




