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野生の牢獄  作者: 鴨野朗須斗
12人の生存者たち
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蒼炎

 短い仮眠から目を覚ました彰浩は、気怠そうに欠伸をかみ殺す省吾の背中を見送って周囲を見渡した。夜になれば爬虫類は活発になると聞くが、龍に動きはないらしい。

 闇夜に紛れる為にたき火を消したが、煌々と輝く月明かりでは無意味で寝苦しそうにする隆太の眉間のしわまで見てとれる。


 やがて日が昇りだし、海がじわじわと赤く染まり始めた。隆太も省吾も穏やかな寝息を立てているが、早くここから離れることを願ったのは彼らだ。揺り起こそうと手を伸ばした瞬間、隣島からあの龍が翼を広げて飛び出した。



「隆太さん、起きてください。っ省吾も!」



 隣の隆太を揺さぶりながら、省吾は蹴り飛ばす。これくらいしなければ、省吾は目を覚まさないからだ。慌てた様子の彰浩に隆太は「えっ? な、なに?」と目を白黒させていた。省吾に至っては頭を抱えながら小さく舌打ちしている。



「ドラゴンです」



 彰浩が指を指した瞬間、まるで合図を待っていたかのようなタイミングで翼を広げた龍が海へと飛び込む。あの巨体が飛び込んだとは思えないほど小さな水しぶきを残し、水で遊ぶかのように時折顔を出してはまた海へと潜っていく。



「漁をしているんでしょうか?」

「水浴びにも見えるけど……とりあえず片付けて、さっさと帰ろう!」



 怯える隆太に急かされながら、テントを乱暴に丸めて飲んでいた水と共に鞄へと詰める。いつでも移動できるように荷物はまとめていたので、撤収までの時間は最短で済んだ。しかしそれでも――。



「――あ」



 目が合った。隣島の向こう、遙か遠く。あの巨体が両手に収まって見えるほどの距離があるのに、彰浩は瞬間的に悟った。あれが来る、と。

 仲間たちに警告する暇もなく、ツバメの様な素早さとしなやかさを持って龍(ドラゴン)は彼らの目の前に降り立った。羽ばたきが突風を起こし、散らばった流木もろとも砂を巻き上げる。翼を日光に当てるようにゆっくりと折りたたんでいる間、彰浩も隆太も省吾も、蛇に睨まれた蛙の様に指先すら動かせず、じっと強者を見つめていた。

 誰かが生唾を飲み込む音が聞こえた。しかしそれが誰なのか、そもそも自分なのかすらわからない。恐怖から足が、体全体が震えていた。しかしそれは無意味な挙動で、逃げることすらをも叶わない。

 すとんと、腰が抜けた隆太が座り込むとまじまじと彼らを見つめていた龍が声をかけてきた。


<恐れずとも、とって食おうという訳ではない>



 若い男のような声だった。意味は理解できたが、日本語ではないようにも感じた。隆太はぼろぼろと涙を流しながら口をぱくぱくとさせていて、今にも窒息してしまいそうだ。彰浩はようやく感覚を取り戻した右手の震えを押さえつけながら、背中の手斧へとそっと手を伸ばす。



<だから怯えるなと言っているだろう>

「……そ、れは……難しいかと思います」



 乾いた唇で何とか発生できたのは彰浩のみだったが、その声は情けなくも震えていた。飛行機が落ちた時よりも、亡くなった人を運ぶときよりも、眼前に突きつけられた明確な命の危機に勝る恐怖などはなかった。

 龍は人間らしい仕草でかぶりを振ると困ったように息を吐いた。しかそそれにとっては小さなため息でも、彰浩からすれば小さな龍巻のようで後ろに数歩たたらを踏む。

 無意識ながら体が動いたことで、彼は手斧をきつく握りしめ大きく呼吸を整え強者へと問うた。



「目的は何でしょうか」

<そのように怯える必要はない。見慣れない者たちがいたので様子を見に来ただけだ。わたしはここ一帯の海を任されているのでな>

「……勝手にお邪魔して申し訳ありません」

<良い、出入りを制限している訳ではない>



 目を細める龍の友好さに、未だ震えが止まらない隆太が省吾の手を借りて立ち上がる。



「あの、あなたは…………いえ、その……」

<言葉にせずとも通じている。わたしはあなたたちを襲うつもりはない>

「な、なぜ?」

<古き盟約が遺っているからだ>



 そこでドラゴンは口を閉じた。彰浩たちにはこれ以上語るつもりがないらしい。



「僕たちは、何もわからないままここに来ました。いくつかご教授頂きたいことがあります」

<いくつか、で済むのか? あなたの頭の中は疑問であふれている>

「心を読むのですか?」

<思念だ。わたしとあなたの言葉は違う、しかし想いは通ずる>



 壮大な体に反して龍の声はどこまでも穏やかで優しい。彼らは畏怖を抱きながらもぽつりぽつりと言葉を交わし始めた。


 青い炎のような鱗を持つ龍は彰浩たちの思考の中からひとつの言葉を読み取り、蒼炎(そうえん)と自分を呼ぶように言った。完全燃焼する炎の様に青く美しい鱗はひとつも欠けるところなどなく日を浴びて輝いている。

 彼が言うには、龍種は世界に存在する魔力と呼ばれる力を吸収して長い時を生きるらしい。人間や動物から魔力を得る龍もいれば、蒼炎のように太陽からあふれ出る魔力を受けた海から得るそうだ。



<食事も嫌いではない>



 蒼炎がそういって彼らに視線を向けると、びくりと隆太の体が震え、省吾と彰浩が腰を落とし各々の獲物へと手を伸ばす。その様子が面白いと言うように、蒼炎は口元を奇妙にゆがめて笑い声を漏らした。鼻息で隆太が転がる。



<冗談だ>



 鋭利な牙を見せつけられては冗談に聞こえない。

 おっかなびっくり――しかも蒼炎との間に彰浩を挟むという何とも間抜け――な形で、隆太はひとつひとつ質問をそれに投げかけ始めた。



□



 蒼炎が言うに、やはりここは地球という惑星ではないらしい。とは言っても惑星や異世界という概念自体この世界にはなく、いくつかの大陸がありたくさんの国は存在するがそれらの総称はないのだと言う。



「近くに人が住んでいる所はありますか?」

<この島は傭兵国家ナクライレムに属している。そこになら人族も居ろう>

「なくら……ナクライレムにはここからどのくらいかかりますか?」

<さて。わたしの翼ならば数刻とかからんが、あなたがたはどうであろうか?>

「僕たちがそこへ行くのに、あなたが協力してくれることはありますか?」

<それは――>



 龍の目が細められ、黄色い瞳に影が差した。



<分際を弁えぬ言葉だ。わたしを動かしたくば、相応の対価が要る>



 周囲の温度が一気に下がったかのような威圧感に、彰浩も省吾も緩めていた息を止め獲物へと手をかける。彼らの後ろで人一倍びくりと震えた隆太は、浅くなる呼吸を飲み込み口を開いた。



「その、対価――とは?」

<……ひとりでは足りぬな。群れの半分、といった所か>



 にやりと鋭い牙を露出した蒼炎から漏れ出た殺気に、彰浩は自分でも気づく間もなく斧を振り下ろしてしまっていた。遅れて、じんと鉄を叩いてしまったかの様な手のしびれと龍の尾によって巻き上げられた砂が体を切り刻む。



「彰浩!」

「皆さん、にげっ」



 二人をかばう間もなく、その巨体に似合わぬ素早さで砂浜へと押しつぶされる。鋭い爪が腕をかすり、服を破り血が流れた。隆太を掴んで逃げようとする省吾の背中を視界の端でとらえると、彰浩は眼前にそそり立つ刃の様な爪を掴んでそれを睨み付ける。しかし蒼炎はそんな彰浩を小馬鹿にする様にゆっくりと、彼らに向かって口を開いた。



<動くな>



 それは思念の警告と、明確な意思を持った吐息だった。前髪を巻き上げる風が周囲の温度を奪い、行く手をふさぐように氷の牙が檻を作り上げる。前門には氷の檻が、そして後門には自然現象を無視した光景を作り上げた蒼炎が悠然と牙を見せている。

 絶体絶命。そんな言葉が隆太の脳裏をよぎった。逃げ場などは目の前の巨龍がいとも簡単に砕いてしまうだろう。恐怖と諦めから、自然と口角が上がる。



「僕たちを、取って食おうという訳か」

<……わたしは、嘘偽りは申さん>



 隆太の言葉端を取ったような物言いに、彼は不機嫌そうに眉を落とした。その仕草があまりにも人間の様で、たがの外れた隆太がけらけらと笑い出す。



「そんなこと言っても、この状況じゃ子供だって騙されないよ! 現に彰浩だって……あれ、生きて……る?」



 蒼炎の爪越しに隆太と目が合った彰浩はひらひらと手を振った。ぽかんとした表情の隆太には悪いが、多少の傷はあれど彼は今のところ五体満足でピンピンしている。



「……げ、元気です」



 蒼炎が殺す気ならばミンチになっていた彰浩は、申し訳なさそうに隆太を精一杯フォローした。その呑気な雰囲気を感じ取ったであろう省吾も、居心地悪そうにではあるがほっと胸をなで下ろしている。



「……ひとまず彰浩、出てきて」



 目が据わっている隆太の指示に彰浩が頷くと、蒼炎もこちらを気遣うようにそっと手を退ける。立ち上がり彼の元へと赴くと、隆太はけがを確認するように彰浩の体にまとわりついた砂を払った。



「血が出てる」

「かすり傷です」



 彰浩の傷は確かに浅かったが、傷口に砂が入り込んでしまい血が止まる気配はない。これくらいの傷ならば斧を持って木を切り倒していた頃にいくつも作っている。手持ちの水で砂を洗い流すと、見事にぱっくりと裂けた断面が現れた。切れ味が良すぎたのか、傷の大きさの割には出血が少ない。



<認めよう、わたしに非があった>



 ひときわ大きな肩の傷に蒼炎が手を伸ばす。



<少しはしゃぎ過ぎてしまった。わたしの島に人族が現れたのはずいぶんと久しかったものでな。蜘蛛もナクライレムも、崇めれど寄りつきはしない>



 こうして誰かと想いを交わすのは、ずいぶんと長いことなかった。

 やけに感傷深く呟く蒼炎の指から、透明な雫がぽつりぽつりと落ちる。それは青い光と共に広がると、まるで魔法のように彰浩の傷を隅から隅まで癒やしてしまった。



「……ありがとうございます」

<いや、礼は必要ない>



 蒼炎は隆太と省吾の傷も癒やして、交戦する意思はないというかのように砂浜へと体を下ろしそっと目を伏せる。まるで裁きを受ける罪人の様な仕草に隆太が小さくため息を吐いた。



「それで……まだ僕たちの質問に答えてくれる気、ある?」



□



 彰浩たちが生活する島と蒼炎の島は傭兵国家ナクライレムの領土ではあるが、人間は誰も生活していないとそれは言った。蒼炎はかつてナクライレムの英雄と共に力を振るい、この周辺の守護を任されたそうだ。



「それっていつのこと?」

<遠い昔だ。人の人生は短い。もう我が友の血も絶えて久しいだろう>



 蒼炎の言うことはスケールが大きすぎてわかりづらいと隆太がぼやく。あれから開き直った隆太は、蒼炎にたいそう気安く接し始めた。彰浩はおろおろしていたが、それはそういった扱いがずいぶんと懐かしく感じるようで機嫌が良い。

 蒼炎にナクライレムまで運んでもらうことは物理的に不可能な様で――水龍と呼ばれる種のため飛行よりも泳ぎを得意としているらしい。逆にどのくらい水の中にいられるかと尋ねられた――船が通れば伝えると約束してくれた。



「蒼炎の島には住めないかな?」

<わたしにせっせと餌を運ぶ親鳥の役目をしろと?>

「そこまでは言わないけど、危険から身を守るくらいはしてくれてもいいよね」

<対価が必要になるが?>

「楽しい話し相手、それじゃ不満?」

<たいそう魅力的な提案だが、あの島には生物はおらん。わたしの魔力に充てられてちりじりになってしまった。魚くらいしか採れんだろう>

「そいつはちょっとな」



 肉が食えないのはきつい、と省吾の顔にありありと書いてある。



「えぇっとそれじゃあ……この島の名前とかある?」

<わたしの友は蜘蛛の島と呼んでいた>

「蜘蛛? 見たことないけど」

<あの山の向こう側に蜘蛛の巣があるのだ。その糸は稀少で、昔はそれを狙う賊たちが束になって押し寄せていた。もっとも、今はわたしの存在が知れ渡り不埒な行いをする者たちはほとんど近寄ることはない>



 蒼炎が翼で示すのは、以前彰浩たちが探索をあきらめた岩山の向こうだ。蜘蛛たちは大小様々な集落を作っており、温厚な性格でこちらから危害を加えるか、巣にかかることがなければ襲われることもないらしい。

 隆太は人間ほどもある蜘蛛の話を聞いて、不快感を隠さずにため息を吐く。



「山の向こう側には近寄りたくはないね」

<野良もおる>

「……僕たち、あの砂浜で一生を過ごすべきなのかも」

「あの場所も安全とは限りませんが……」

<この島にはあなたがたの驚異となり得る生物は然程存在していないだろう。小物ばかりだ>

「蒼炎の驚異と、僕らの驚異じゃあ認識が大きく違うようだけどね」



 水龍ほどの脅威は世界にいくつかしか存在していないだろう。驚異とのファーストコンタクトが蒼炎では確かにハードルは下がる気もするが、それでも徒党を組まれれば野犬にだって食い殺されてしまうひ弱な現代人だ。

 猿に龍、幸い今まで明確な殺意を持って襲ってきた生物はいないが、猫ねずみとて殺されるとわかったならば死ぬ気で牙をむいてくる。あまり安心はできないだろう。



<そんなに恐ろしいのならば、蜘蛛の近くに居を張ればよい。あれは他の種族と共生できるはずだ>

「餌をやったらなつくとか?」

<それよりも古い巣を片付けてやるんだな。あれは巣を張って餌を待つ怠け者だ。そうやって飼われている蜘蛛を人の町で見たことがある>

「言葉は通じる?」

<あなたがたの言葉は、だれにも通じることはない>



 無論、わたしにもな。蒼炎はひどく人間らしい仕草で片目を閉じた。

 それからいくつか質問を交わして、彰浩たちは蒼炎へと別れを告げた。隆太はまた質問しに来ると手を振っていたし、彼が上機嫌になるほどに有益な情報もいくつか手に入れることができた。積み重なる疑問に、やや自分たちとは感覚が異なるが答えてくれる存在が現れたことも大きいだろう。

 最後に蒼龍は、手土産に海を漂っていた海鳥――鳥かと思っていたが引き上げて見れば魚だった――を渡しながら囁く。



<龍に挑むは英雄のみ。彰浩、あなたは強くなるだろう。あなたがたの行く先が天に祝福されることを祈っている>



 そう言い残してそれは鱗ひとつ欠けぬ体を翻し飛び去る。彰浩はそれを何ともいえない顔で見送った。

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