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野生の牢獄  作者: 鴨野朗須斗
12人の生存者たち
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歩く木 1

 彰浩が目が覚めた頃には既に昼食の準備が完了しているようだった。いや、昼食といっていいものなのだろうか。石鍋の中には水でふやけた猫ねずみの干物がぐらぐらと煮込まれ、紅山芋が皮も剥かずにぶつ切りになって浮いている。



「起きたか、そいつも起こせ。いい加減腹が減った」



 不機嫌そうに省吾が腕を枕にして眠っている隆太の方角へ顎をしゃくった。彰浩は彼を揺り起こすと、隆太は寝癖のついた頭を抱えて、太陽の光にまぶしそうに目を潜める。



「……昨日の夜、夢を見たよ」



 起床の挨拶を交わすことすらせずに隆太はぽつりと呟いた。まるで痛みをかみ殺すような表情で、彼は続ける。



「家にいたんだ。僕は自分の机に向かってノートを開いてた。母さんが夕食の支度ができたから、とドアを叩くんだけど、僕は言うんだ。まだ宿題が終わってないから後で、って。……もう宿題なんかしなくてもいいのに」



 彰浩は郷愁の念に溺れるような彼の姿に何も言えずにいた。

 ――何と言えば正しいのだろうか。

 声が聞けて良かったとほほ笑むのは違う気がした。現に、隆太は夢の中での自身の選択に後悔している。素直に頷いて、家族の待つ夕食の席に着けばよかったのだろう。そうすれば彼は、幻とはいえもう何日も顔を見ていない――いや、これから先も会うことがないであろう家族と共に、和やかな食卓を囲むことができたのだ。

 では、残念だったと慰めればいいのだろうか。誰かを慰めるなどという行為は、彰浩にとっては片手で数えてしまえるくらいにしか経験したことがない。そしてその数少ない経験も、うまくやれたという手ごたえは全くなかった。



「…………ちょっと」



 彰浩が考え込んでいると、ふいに渦中の人が低い声を漏らす。



「何これ」



 そう言って眉間にしわを寄せた隆太の顔には、郷愁やわびしさといった哀の感情は浮かんではいなかった。





 隆太が口にした鍋に浮いているのは皮すら剥かずにぶつ切りにされていた紅山芋に、水に戻してすらいないのか中はカチカチに乾燥している猫ねずみの乾燥肉、適当に塩を入れたのか海水よりも塩分濃度が高そうなスープ。隆太に言わせてみれば「人間の食べ物じゃない」それを何とか口にできるレベルになるまで、器量な水を2リットルは必要としたしわずかに出汁の染み出た煮汁を随分と捨ててしまった。



「僕料理したことないけど、こいつよりかはうまい自信ある」



 その呟きに同意するように彰浩は頷きかけたが、自信の初めての自炊を思い出し気持ちをぐっと飲み込む。

 スープらしき体裁を整えるために――主にスライムを通してフリーズドライのように完全に水分の抜けていた乾燥肉がやわらかくなるまでに――1時間近くの時間を有したが、その間はじっくりと歩く木を眺めていた。あれから一昼夜近く木を監視し続けているが、今ではすっかり白い果実をつけただけの普通の木に見える。背中がかゆいからと枝を揺らしたりもしないし、足元を這いまわる猫ねずみの子を空の捕食者からかばうべく根で包み込んだりもしていない。



「イマイチだな」



 もちゃもちゃと肉を食みながら省吾が自分の手料理の出来を忘れてそんなことを言う。フリーズドライの猫ねずみ肉は軽く日持ちもして遠征にはもってこいだが、確かに生肉と――それどころか潮風で乾燥させた肉と比較しても、やけに水分が多い割にはもごもごとした触感でうまいとは言えない。

 更に水で戻すとうま味がすべて流れてしまうのか、スープの出汁にはいいかもしれないが主食とするには出汁を取った後の鰹節のような存在で、笹原の料理に慣れた彰浩たちにとってはかなり物足りない仕上がりだった。



「責任とって全部食べなよ」



 鍋にはまだ山のように肉と紅山芋が残されている。省吾が後先考えずに適当に鍋に投げ込んだせいだ。食料は余分に持ってきているとはいえ捨てるわけにもいかず、彼の軽率さを責めるように隆太は小さく鼻を鳴らした。





 石を投げる。

 第一投、右斜めに逸れる。第二投、随分手前でバウンドして軽く当たるが目標に動きなし。第三投、中央に命中。



「意味あんのか、それ」

「まあ、多分」

「俺がやる」



 退屈そうに眺めていた省吾の手の平からヒュ、と風を切って拳サイズの石が飛んだ。白い果実に命中し、薄い殻が弾ける。



「さすが野球部」

「もう何年も投げてねぇよ」



 ちゃかすような隆太に、省吾がつられて笑う。

 その間に、割れた果実の中からどろりと茶色い物体が零れ落ちた。それは薄い茶色の体をしていて、うっすらと産毛が生えている。べちゃりと地面に落ちて周囲を汚したが、彰浩も省吾も隆太も――そして産みの親である歩く木ですらぴくりとも動かない。



「大丈夫だろ」

「……そうだね、卵を守る訳でもないのか」

「近づいてみますか?」

「うん、まあ。これ以上時間を無駄にするわけにもいかないしね」

「では、自分が行きます。お二人はここに」



 槍を取った彰浩は徐々に歩く木との距離を詰めていく。5メートル手前で足を止めるが、木は風に吹かれて葉を揺らしているだけだ。後ろを振り向くと真剣な表情をした隆太と視線が絡む。彼は小さく頷いた。

 緊張から滴る汗をシャツで拭い、槍を握りなおしてまたゆっくりと距離を詰めていく。

 4メートル、枝にとまり羽化を待っていた鳥が飛び立つ。

 3メートル、彰浩の足下を何かが追われるように走り去っていった。おそらく、夜の間に羽化した猫ねずみの一匹だろう。

 2メートル、彰浩が腕をぐっと伸ばせば槍の穂先が木の幹に届く距離だ。軽くこすってみても、力を込めて幹を傷つけても何も起こらない。

 1メートル、穂先で枝を大きく揺らしてみる。揺れに負けて、いくつかの果実がぼとりと地面に落ちて割れた。

 50センチ、低い位置にある枝に彰浩の手が届く距離だ。地面で割れた果実をじっと見つめた彰浩は、何とも言えぬ感情を飲み込んで細い枝に指をかけた。彼が力をこめると、ミシリと軋む音を立てながらいとも簡単に枝は折れ、2つ実っていた果実のうち一つが地面に落ちて中身をぶちまける。

 その中身はわずかに痙攣すると、そのままぱたりとも動かなくなった。



「……」



 枝を握ったまま、彰浩は二人の待つ野営地へと戻ろうと振り返った。両手に持っていた長物が何かを薙ぎ払う。そして聞こえる小さな悲鳴。



「ちょっと、危ないから」



 いつの間にか、彰浩の背後に隆太が座り込んでいた。彰浩の左手に持っていた槍の柄のせいなのか、それとも左手に持っていた歩く木の枝のせいなのか、とにかく彼が今転んでいるのは自分のせいらしいと自覚した彰浩は、槍を投げ捨て隆太へと手を差し出す。



「す、すみません」



 彰浩は、まさか近づいてきているとは思わなくて、という責めるような言葉を飲み込んだつもりだったが、どうやら口に出していたようで隆太が不服そうな顔でその腕をとる。



「ま、まあ、多分安全そうだったからね」

「そうですね、安全のようです」



 立ち上がって砂を掃う隆太を見つめながら省吾が不思議そうに首を傾げた。



「嘘だぞ?」

「は? 僕嘘なんてついてないからっ」

「いやだってお前、ずっとそわそわしてたじゃねぇか。何かあったときのためにもっと距離を詰めなきゃーって焦って走って転んでたし」

「は? 違うし」

「彰浩も覚悟しとけよ、隆太かなりキレてたぞ。近づいてちょっとつつくくらいで十分なのに直に触るとかありえねぇって」

「ちょ、ちょっと違うから! 僕別に心配とかしてないからね」

「え、えぇ、はい……ありがとうございます」



 彰浩は眉をひそめながら否定する隆太に何だか嬉しいような、面映ゆいような気持ちを抱いて、先ほどの罪悪感など忘れたように僅かに口角を緩めた。

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