再出発
10日前の恵みの雨は落ち込んでいた者たちにも何かをもたらしたようで、あれから真凛は精力的に活動を進めていた。その成果の一つと言えるのが、土鍋でぐらぐらと煮込まれ皮を弾けさせている黄色い実だ。
白い花の花芯らしきビー玉サイズの黄色い実――それは鈴子の最期の遠征で得た食料だ。残念ながらあの時は新たな作物に時間を割く余裕はなく、鞄の中で潰れたりカビさせたりしてしまったそれを再び得たのは3日前の遠征でのことだ。それからいつも通りに可食テストを行い、食卓に並ぶこととなった。
「……おひさしぶり、の味の変化」
ジェシカが黄色いスープを口に運びながら表情を緩める。
黄色い実――便宜上トマトと呼ばれている――は割ると柔らかく熟した柿のような作りで、中央に小さな茶色い種が一つ埋まっていた。しかし味は甘みは欠片もなく、酸味が強い。普段日本で口にしていた穀物酢とはまた違った風味であるが、刺激はそれに近い物を感じた。
本日の夕食のメインであるトマトの黄と紅山芋の赤が入り混じったスープは夕焼け色をしており、口に含むとわずかな酸味と甘み、そして魚介のうま味が煮溶けている。笹原の手によって調理されたトマトはあの苛烈なまでの強烈な角が削られ、彰浩がよく知っているトマトスープに似た味にまとまっていた。
トマトを使った料理はこれだけではない。最近食卓に並ぶようになった肉厚な青い葉が湯通しされたものにどんぐりもどきを砕いたもの、すりおろしたにんにくにタコ貝の塩漬け、そして煮崩したトマトを和えたサラダはほど良い酸味と塩気でシャキシャキと歯を楽しませた。
「また、遠出すると聞いた」
ジェシカがふかしただけの紅山芋を頬張りながら彰浩を見上げる。
「そうですね、食料は安定していますが不安材料がありますので。向かって右手側はあらかた調査し終えたので、今度はあちら側を行くそうです」
そういって彰浩が指さしたのは、左手側の崖だ。右手側には竹藪がありそれを足場にして登ることができたが、向かい側には背の高い草が生えているだけの藪があり、毒を持った蛇や虫がいる危険性があるため未だ手が入っていない。
「危ない?」
「それはわかりません。ですが、危険がないように準備しています」
彰浩につられるように顔を動かしたジェシカの視線の先には、長く太い竹を組んだ梯子があった。
「……壊さないでね」
ジェシカが大きくため息を吐くのも無理はない。あの梯子の中にはなみなみと樹液が詰まっているのだ。竹同士を十分な強度で組合わせる技術どころか、頑丈に固定する紐すらなかった彼らは唯一信用できる接着剤として樹液を選んだ。
細工の得意な省吾が竹同士がうまくかみ合うように削り合わせるまでは順調だったのだが、何せこの島に群生している竹は細い物でも30センチほどの太さがあり、長さも目測した藪の斜面にゆとりを持たせた5メートルほどある。足場の数は極力減らしたが、何本もの樹液の木を切り倒し丸2日かけて集めた接着剤もわずかに足りず、生存者たちは明日からも樹液集めに奔走しなければならない予定だ。
「本来なら表面だけ接着する予定だったんですが……」
「中空洞、思いつかないアキヒロたち変よ」
□
翌日、彰浩と省吾は現状の最大の生涯である藪を見上げていた。砂浜から2時間ほど歩くと岩肌から藪に移り変わるのだが、そこから更に1時間歩くと崖の高さが最も低く見える場所がある。皆でせっせと作っている梯子もそこの高さに合わせてあることから、この崖の高さが中々であることが伺えるだろう。
「高いな」
「上は自分でも難しいかもしれませんね」
「まあ、これがあるからそこそこ行けるか」
彰浩たちが作っていたのは梯子だけではなかった。細い木の幹の上部を縦に割り、刃物上にして研いだ黒曜石をはめ込んだ槍は樹液でしっかりと接着してある。それを先端が真っ直ぐの槍、そして刃先が柄から90度曲がっている鎌を一人1つずつ抱えていた。
彰浩は刃に被せていたぼろ布を取り、足元の草木をそっと刈り取る。
「結構固い、ですね」
「まあある程度ならせばいいんだろ?」
笹原が丹精に研いだ鎌は柔らかい草ならば軽く一振りで薙ぎ断つことができた。しかしぽつぽつと生えている萱のような固い茎を切るには中々力がいる。両刃になっている鎌を2,3度振れば切ることはできたが、それよりもなぎ倒してしまうことのほうがどうしても多い。
「ススキか?」
「似てはいますが実が大きいですね」
刈り取った萱を拾い上げて眺めてみると、ススキと言うよりかは稲に近いように見えた。しかし彰浩も省吾もこのように青に近い緑をした米などは目にしたことはない。米にしては細く1寸ほどありそうな長さも、彼らの疑いを深める理由の一つだ。
「まあ、持って帰ってみるか。フェイに見せればわかるだろ」
省吾の中のフェイの万能さに苦笑いをしつつも、彰浩は草刈りを再開する。
梯子をかける余裕を持って二人で3メートルほどの幅を刈ることにしたが、大きな図体が2つ並んでいるとどうも動きづらく、また柄が長いため効率が悪い。
鎌に追われてかさかさと藪の中を逃げ惑うのは、小さな赤茶色のトカゲだったり4つ足の昆虫だったりと様々だ。今のところ人を刺す虫には遭遇していないが、日本にだって触るだけでただれる虫や、強い毒を持ち人間を死に至らしめる虫だって存在した。何が生息しているかわからないこの島では虫1匹にすら用心する必要がある。
ふいに頭上から何か黒いものがぼとりと振ってきた。それはいくつもの節を持ち、黒光りして彰浩の肩の上で鳥のくちばしのような形をした口を頭ごと左右に振っている。
「うわっ!」
「ムカデだ!」
「と、取ってください!」
「ちょっと待て、流石に素手じゃ…………っ!」
野球部員だった省吾の振り払った鎌の柄は彰浩の肩に乗った虫を的確に捉え、ムカデはどこかへと飛んで行った。それを目で追い、彰浩へと声をかける。
「噛まれてないな?」
「……噛まれてはいませんが」
ばっちり、当たっています。と左肩を抑えて蹲る彰浩に、省吾はおろおろとしながら自分が殴ったであろう部分をさする。そっと触れただけでもびくりと体を震わせる彰浩の様子に、省吾は誤魔化すように笑いながら謝罪の言葉を口にした。
「いや、悪い。当てるつもりはなかった」
「だ、大丈夫です」
「俺のバットが当たったんなら痣になるかもしれねぇな。腐っても野球部だったし」
「見事なフルスイングでした……」
彰浩も苦笑を漏らす程度には痛みが落ち着いてきたらしく、お互い顔を見合わせて笑いを漏らす。省吾からすれば先ほどの彰浩の反応は、森の中で得体のしれない虫と遭遇して女性陣が「ぎゃっ」と悲鳴をあげていた姿を思い出させた。
「虫、苦手なのか?」
「苦手なつもりはありませんでしたが、今、苦手になったかもしれませんね」
「まあ、俺もいきなり降ってきたらビビるだろうしな。残りは俺やるから休んでろよ」
「いえ、そんな訳には」
「いいんだよ、こんな仕事に2人も必要ねぇんだ。たまにはサボっとけよ」
鎌を取り上げられた彰浩は素直に地面に座り込んだ。省吾の手前大丈夫そうな顔をしていたが、実は肩がじんじんと痛むのだ。可動に問題はなさそうなのでしばらくすれば収まりそうではあるが、痛みがあるのに省吾がいる至近距離で刃物を振るうのが怖かった。
30分ほどかけて自分の身長を越えるほどの高さまで草を刈ると、省吾は茶色い山肌を見上げた。
「やっぱ道具があると便利だな」
「次、自分がしますね」
「まだ休んでていいぞ?」
「いえ、痛みも引きましたし。省吾が休んでください」
そういって玉のような汗を流す省吾に、彰浩はタオルと水の入ったペットボトルを差し出した。
日光にあぶられぬるくなった水でのどを潤し頭部ごとごしごしと汗を擦り、省吾は先ほど彰浩が座っていた場所へと腰を下ろす。
彰浩は既に鎌から槍に持ち替えて、頭上の草を刈っていた。省吾よりも力がある彼は大きく育った萱すら一振りでなぎ倒し、返す刃で断ち切っていく。省吾がペットボトルを片手に呆けて眺めている間に、彰浩はみるみる藪を蹴散らし、あっという間に彼の身長に槍の長さを足しても届かないところまで刈り取ってしまった。
「お疲れさん」
「どうも」
興が乗ったのか、彰浩は呼吸を荒くしながらもにこやかに飲み水を受け取った。そうして彼にしては珍しく乱暴にどかりと省吾の隣で足を投げ出す。
「随分楽しそうだったな」
「……そうですか? 何か途中から、コツみたいなものがわかってきたような気がしまして……年甲斐もなくはしゃいでしまったようです」
「年甲斐って、やめろよおっさんみたいなこと言うの」
俺もそんなに歳変わんねぇし、嫌そうな顔をしながら反動をつけて立ち上がった省吾は、草が刈りつくされた赤茶色の山肌を石でガリガリと削りだす。
「行けそうですか?」
「草が生えてるだけあって岩ってほどじゃねぇが、だいぶ脆いな。足場の穴を空けたところで……っと」
省吾が掘っていた場所が音を立てて崩れ落ちる。その奥には見慣れた白い岩肌が覗いていた。
「こりゃ、上に土がかぶってるだけだな」
「草の根が支えていたようですね」
「ああ、これじゃあ足場を掘るのは無理だ。やっぱ梯子使うしかねぇ」
「無駄にならなくて良かったと喜ぶべきでしょうが……」
省吾と彰浩は、今朝場所を移動させた梯子のずっしりとした重さを思い出し青い顔でため息を吐く。竹のみで重量があるのにもかかわらず、それにはみっちりと樹液が詰まっており、生存者の中で最も力が強いであろう彰浩と省吾ですら抱えて移動するのには骨が折れた。
それをこの場所――砂浜からほぼ手ぶらで歩いて3時間だ――まで運ぶ。頑丈さはお墨付きであるし重量があるため一度立てかければ安定性も良いだろう。そう利点を自身に言い聞かせても気持ちが上向きにならないほどに、あの梯子は重すぎた。




