十四日目 2
時折休憩を入れながらではあるが、背後を気にしながらの行進は真凛には酷だったようだ。砂浜が見えた途端、力尽きて座り込んでしまった。
彰浩とて数十キロの荷物を担いでおり、今までで一番疲労していたが依里奈の分の竹を預かり真凛を彼女へと託す。サルの登場により依里奈の荷物は予定よりも少なく、両手のふさがった彰浩でも何とか持つことのできる重さだ。あと数十メートルならば大丈夫だろう。
依里奈も省吾も疲れていたようだが、依里奈はひょいと真凛を抱えて先に砂浜へと戻ってしまった。彼女の力強さはいったいどこから来るのだろうか。省吾と二人、苦笑しながら依里奈の長い黒髪の跡を追う。
予定よりも随分と早く戻ってきた彰浩たちを出迎えたのは、彼らの様相に驚いた顔をしたフェイだった。
「オカエリ」
そういって、フェイが心配そうに微笑む。いつも砂浜にいるフェイの顔を見ると、本当に帰ってきたんだと実感した。
□
精神的にも体力的にも疲れ切っている真凛を休ませて、海から出てきた隼人に彰浩たちは今回の事件を説明していた。
「サルっぽいものがでた」
「あれは普通のサルじゃない」
「しかし、何に似ているかと問われればサルだと思います」
要領を得ない三人の言葉に、隼人とフェイは頭を抱えたくなった。なるほど、真凛はこういう事態を避けるためにもどうこうしたのか。しかし、肝心なときに本人が寝込んでいては何にもならない。
「整理して話して?」
「竹を採りに行った。そして、まとめている途中にサルらしき動物が出た」
「でも、サルじゃないんだ?」
「顔は……何でしょう、動物園にいる愛玩系のサルのような顔でした」
「かわいかった」
「大きさは左程大きくはないと思います。せいぜい五、六十センチ前後でした。しかし、腕が異様に大きくて」
「ムキムキだった。俺寄りではなく彰浩寄りに」
省吾が真顔で補足する。隼人は思わず、彰浩の肉体労働で培われたラグビー選手のようなたくましい腕を見つめてしまった。
「それは……すごいな」
「尾も中々のものだった。一本で体を固定する程度には尾も発達しているらしい」
「そんなのに会って、怪我は大丈夫?」
「戦闘はしていない。ただ、ちんすこうが奪われた」
「え?」
「奪われたというか……サルがマリさんの肩に乗って――
「えっ!? ちょっとそれ大丈夫なんですか? だから彼女、あんなにぐったりなってるんですか?」
「危害を加えられた様子はありませんでした」
「マリが死んでるのは、精神的に疲れたのとその後の強行軍のせいだろ」
「そっか、良かったよぉ! それで?」
「そして、肩に乗ったサルがマリさんの持っていたちんすこうを食べてました」
「ちんすこうを」
「はい。サルはちんすこうを気に入った様子だったので、ちんすこうをおとりにして、持てるだけの荷物を持ってその場から離脱して、今に至ります」
「…………そうですか、それは……まあ、無事でよかったです」
狐につままれたような顔で、隼人は頷く。期待していた報告とは随分と違ったが、何とかおおまかなあらすじを掴むことができた。ぽかんと開いていた口を閉じて、彼は表情を引き締める。
「ひとまず、竹林の探索は中止しましょう。ハプニングがあったとはいえ、十分なほど竹は得ることができま……できたっすよね」
「まあ、ひとまずは大丈夫じゃねぇか」
「マリたちが言っていた『高い位置の竹を折った動物』はあのサルだろうしな。私たちは一匹しか見ていないが、基本的にサルは群れを成す生き物だろう? そんな化け物がいる竹林に、何の対策も無しで足を踏み入れるわけにはいかないしな」
依里奈が眼鏡をシャツの裾で拭いながら、大きくため息を吐いた。
□
流石の彰浩も疲れたのか、夕食前に転寝をしてしまっていたようだ。茶色い皿を持った省吾に叩き起こされると、周囲にはにんにくの香ばしい香りが漂っていた。
今日の夕食のスープにはタコ貝と、それからカニかエビに似た魚介類がふんだんに入っている。ぷりぷりとした触感はえびのようだが、噛むとほろりとほどけてしまうところはカニに似ている。これは何なんだろうと考え込んでいると、ふとスープが注がれている皿も普段と違うことに気づいた。
それは茶色い半透明のガラスのような器だった。楕円形で深いそれは、サイズ的にもスープをそそぐのに適している。厚みは一センチほどもなく気泡が入っているのに、不思議と琉球ガラスのようなもろさは感じなかった。
彰浩がまじまじとそれを見つめていると、隣に座る隼人が誇らしげな表情でほほ笑む。
「あ! 気づきました? 実はそれ、樹液で作ったスープボールなんすよ」
「樹液でですか?」
驚愕する彰浩に、隼人はにこにことしながら器作りの大変さを語った。どうやら二つ作った試作品のひとつだそうだ。型代わりの白アボカドの皮が剥げなくて、最終的に火にくべて燃やしたらしい。なるほど、水にも火にも強い凝固した樹液だからこそ通用した荒業だ。
「竹の器が来てこれもお役御免かと思って実はがっかりしたんすよ。でも、予想以上にちゃんとできたんで、こっそりお披露目したくて」
そういって隼人は苦笑する。確かに竹は十分にあるし、加工に数日かかる樹液の器よりも容易に数を増やせる。しかしあれはどうも食器としてはいささか重すぎるきらいがあった。
「毎食抱えるものですし、竹のものでは重さがあって疲れてしまうと思いますよ」
「ですよね! だけど安定性がビミョーなんで、そこらへんを改善していきたいと……」
突然隼人が言葉を切り、眉をひそめて森へと視線を向ける。彰浩も彼につられて森の奥を見つめるが、茂った葉に星の光が遮られるそこは真っ暗で何も見えそうにない。
「何か……さっきからガサガサいってません?」
そうでしょうか、と彰浩が答えようとしたとき、がさりと大きな葉のこすれる音が聞こえた。その音はずいぶんと大きく響いたようで、食事をとりながら歓談していた他の者たちも会話を止めじっと音の方向を見つめる。
――ガサリ、ガサガサ。
音は徐々に近づいてきていた。時折、細い枝の折れるような乾いた音も聞こえる。そしてタープの紐を結びつけていた木の枝が、音を立てて大きくしなった。
「…………あれは」
それは彰浩と目が合うとギュ、ギュと鳴き声をあげた。そして木の枝から音もなく砂浜へと着地する。
著しく発達した前腕、太く長い尾、つぶらな瞳。ああ、間違いない。竹林で遭遇したサルだ。隣にいた隼人の喉が、ひゅっと音を立てた。




