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野生の牢獄  作者: 鴨野朗須斗
14人の漂流者たち
14/60

七日目 1

 落ち込んでいても朝日は昇ってくる。二十九時間と半分という長い一日も頭を抱えているうちにあっという間に過ぎてしまい、目標を定め精力的に動いている隼人たちはもちろん、その他のメンバーも生きるためには仕方なしといった様子で割り振られた仕事をこなしていた。

 誰かがたまに呆けた様子でぼうっと海を眺めていることもあるが、彰浩にはかける言葉が見つからずその後姿を見つめることしかできない。そういった人に寄り添うのは、だいたいがジェシカの仕事だった。


 ジェシカは美しい少女だ。もし日本で出会っていたのなら、彰浩は声をかけるどころか視線を向けることすらできずに舗装されたアスファルトをじっと眺めてやり過ごしていただろう。細く長い手足に誰よりも白い肌、光を受けてきらめく髪や広い青空のような瞳はテレビの中でしか見たことがないものだ。華奢な肩の上に乗った顔は彫りが深く、彰浩にはモデルみたいだ、と陳腐な言葉でしか言い表せない。そして何より目につくのは――彼には口にするのもはばかられるのだが――豊満な胸だ。

 初日に着ていたワンピースは彼女の体型に合わせたものなのだろうが、男物のシャツを着ていても丸みを帯びたそれは主張し続けている。下衆びた男の妄執ではあろうが、彼女の存在は枯れていると称されたことのある彰浩の低劣な肉欲すらかき立てるようだった。



「どした?」

「っいえ……何でもありません」



 随分と卑しい思考に没頭していたのか、彰浩を見上げる青い瞳と視線がかち合った。彼女は目の前の男にみだりがましい劣情を抱かれているなど知らないだろう。災害が起こると生存本能を刺激され出生率が高まると以前どこかで耳にしたことがあるが、今の彰浩にとってはその話が嘘でも本当でも、身の内に潜むおぞましい獣の存在をそのくだらない噂のせいにしてしまいたかった。



「みんな、元気少ない」

「……無理もありません。救助が来ることを目標に生きてきたんですから」

「目標、なくなった。しかし新しい目標できたよ」

「すべての人が納得しているわけではありません。感情の整理に時間が必要だと思います」

「アキヒロは?」

「はい?」



 両腕を後ろで組んだジェシカが首を傾げながら彰浩に問いかける。



「アキヒロは、セーリ、した?」

「…………はい。自分には、残してきた者はあまりありませんので」

「そっか」



 ヨカッタ、と変なイントネーションでジェシカは笑った。しかしすぐに自分の発言に首を傾げる。



「よかった? よいこと? わたし、ダメなこと言った?」

「それは……」

「ごめん、アキヒロ前向き、褒めるしたかった。マリもフェイもリュータもそう、えらい。ハヤトも無理してるけど、がんばるしてる」

「そう、ですね」

「ですのでわたしも、じめじめない! 明るく、前向きにがんばるよ!」

「…………ジェシカさんには、皆さん感謝してます」

「Well……なぜ?」




 彰浩はしどろもどろながらに自身の考えを伝えた。いつも笑顔なこと、他人の感情の機微に聡くフォローを入れてくれること、ジェシカも疲れているはずなのに手が空くと誰かの手伝いをすること、失敗しても責めずに優しい言葉をかけてくれること。

 こうして言葉にすると、彰浩たちは本当にジェシカに支えられていると実感する。確かに彼女は非力ではあるし、フェイや真凛のように知識があったり人をまとめる力があるわけではない。しかし漂流した14人を精神的に支えてくれているのはジェシカだった。



「おぉ、いっぱい褒めるすると恥ずかしいね……」

「本当のことですから。少なくとも自分は、ジェシカさんには感謝しています」



 彼女がいなければ明日の生死もわからないような状況で絶望し、わずかな食料を奪い合うことになっていたかもしれない。現状大きなもめごとなどなく過ごせているのは、ほぼ初対面だった漂流者たちの人間関係を円滑油になってくれたジェシカのおかげだと彰浩は思っていた。



「多分です、わたしのみの力じゃない」



 紅潮した頬をかきながら彼女がほほ笑む。



「マリは大変なのに1番前を進むしてくれる、フェイは知識いっぱい持つ、ハヤトはlife and soulね、少しから回ししますが。スズコとリュータはいっぱい調べるするし、ショーゴとエリナはいっぱい頼りなる。ケイジは大変らしいね、しかし彼のせいで空気良いなります。過ごすとのんびりなるな」

「確かに、米村さんの傍はなんだか居心地がいいですね」

「トモミはショクニン?」

「ともみ?」



 彰浩は首を傾げた。もう1週間も共に過ごしている仲間たち、いくら人付き合いの苦手な彼でも皆の名前は憶えていた。しかしジェシカのあげた名は1度も耳にしたことがない。



「どなたですか?」

「エッ! トモミだよ、料理してる」

「料理って、さよさんではなく?」

「ん、違うよ、おっさん」

「おっさん」



 どうやらジェシカ曰く、笹原の名前は「トモミ」というらしい。初耳だ。



「サヨが教えてくれたよ」

「そうなんですか、知りませんでした」

「なんかトモミはおのれの名、キライなんだって」

「確かに…………失礼ですが、笹原さんらしくはありませんね」

「デショ」



 ふふ、と珍しくジェシカがからかうような笑みを浮かべた。いつもはゆったりとした聖母のような慈愛に満ちたほほ笑みの彼女だが、今の表情はジェシカをずいぶんと幼く見せ、彰浩に彼女が年下の女性であると再自覚させる。



「美香ちゃんも麟太郎くんも、両親とはぐれて厳しい環境なのに精一杯頑張っていてくれています。まだ体調は戻らないですがあの子も、一生懸命生きようとしている」

「うん、そーね。ホラ、みんなのおかげデショ?」



 みんなイイコだからね、と胸を張るジェシカに彰浩は素直に頷いた。



「アキヒロも、イイコよ」

「いえ、自分は」

「イイコ」



 否定しようとした彰浩の頬に、ジェシカの手が伸びる。「おおきい、かがめして」と咎めるような口調で彼の襟首をつかみ引き寄せると、ジェシカはゆっくりと彰浩の太く固い髪を撫でつけた。



「アキヒロはイイコ。人一倍がんばるしてるよ」



 ――違う。



「怖がるしてるの、わかる。しかしアキヒロは無理する、ダメよ。無理する、続ける、いつかダメになる。みんなイイコ、アキヒロをわかる。……わかるじゃないな、受け入れる? うん、そう、受け入れるしてる」



 ――自分は図体ばかり大きいだけの役立たずだ。



「アキヒロ、優しい。とても優しい。ですのでわたしは心配する」

「…………違います」

「ん?」

「自分は優しくなんてありません。ただ、臆病なだけです」

「うん、知っている。オクビョー、そして優しい。痛み知るないヒト、優しいない。痛み知るヒト、それだけヒトに優しくできる。ですので、アキヒロはイイコ!」



 ジェシカの笑顔に、彰浩は胸の奥からこみあげてくるものをぐっと堪えた。自分の情けなさが恥ずかしい。彼女を気遣うはずが、逆に励まされている。しかし、それ以上にジェシカの優しさが彼の胸を打った。

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