六日目 4
「皆、悪い話ととても悪い話、どっちから聞きたい?」
立ち上がってそう言ったのは真凛だった。タープの中には無尽蔵に洗濯物が干されているので、黄色のショートパンツに隠れて彼女の表情は見えない。洗濯をしていた彰浩たちも、夕食の支度をしていた笹原たちも、たき火にあたって体を温めていた依里奈たちも何も答えない。しばらく沈黙したのち、真凛は大きくため息を吐いて話し始めた。
「まず、悪い話から。もう私たちがこの島に流れ着いて六日が経った。こういう海難事故ではだいたい一週間くらい国が捜索して、それでも見つからなかったら家族が専門の人に頼んで探してもらうらしいの。もちろん、お金がなかったりしたら家族も探せない。それに、個人で捜索する分規模が小さくなる。つまり、国の救助が打ち切られたらほぼほぼ見込みなしってこと。残念なことに、救助ヘリどころか民間の船すら通らないしね、ここ」
誰もが薄々と感じていた。『遭難者のほとんどが七十二時間以内に救助される』とは言うが、それはあくまで『発見された遭難者』のことである。もちろん、見つからなかった者もいるだろう。港の近くで船が沈んでも行方不明者が出ることもあるのだ。彰浩たち十五人はその、『行方不明者』なのである。
「…………もっと悪い話。あのさ、あたしすっごい変なこと言うと思う。自分で言っててもおかしいことだと思うし。だけどこれは鈴子とか隆太とかフェイとか、みんながちゃんと確認したことだから、言う」
洗濯物の隙間から、真凛の白いのどがごくりと息を飲み込むように動くのが見えた。
「この島……ううん、この惑星? とりあえず今あたしたちがいる場所は、一日が二十四時間じゃないの」
真凛の話では、鈴子が日時計で調べた結果この島はおおよそ一日が二十九時間ほどあるらしい。真凛の突拍子もない言葉に、皆戸惑いを隠せないでいる。あの笹原は難しい顔で腕を組んでいるし、省吾に至っては不思議そうな顔で首を傾げている。
「砂浜に棒を刺した。頼んだの、覚えてる?」
鈴子にそう言われ、省吾は頷いた。確かに省吾は三日目に流れ着いたスコップで砂浜に穴を掘り、長くて真っ直ぐな棒を突き立てていた。その後鈴子はその棒の横に小さな小石を置き、皆に立ち入り禁止と触れ回っていたのを覚えている。
「まずは時計のずれが気になった。時差があるかもって、みんな言ってたよね。持ってる時計は皆同じ時間ずれてた。この島が日本の本初子午線からずれてるだけなら、四時間のずれは今日も、明日も四時間なのはず。だけどこの島では時差がどんどん大きくなっていった」
「あたしも確認したけど、動いている時計は全部ずれてた。一度に何個も時計が壊れるなんてありえないし、ずれ幅が同じなのも変でしょ?」
「それで日時計を作って、目印の場所を十二時に合わせた。一日目は変だと思った。二日目は不安になった。だから今日、真凛たちに相談した」
「……鈴子が日時計作ったのは知ってたし、だいたいどの時間に合わせてるかもわかってたからね。鈴子の観測では、一日だいたい二十九時間と三十分くらいの長さがあるみたい」
「現に、昨日の夕方合わせた時計は今深夜一時半、雨でわからないけど日が暮れるまではまだ何時間もある」
「つまり?」
「ここは地球じゃない。だから、救助も来ない。私たちは………………」
――帰れない。
誰かの小さな呟きが雨音にかき消された。
□
誰もが言葉もなくうつむいていた。すすり泣く声すら聞こえる。これでは、まるで一日目の再現だ。
帰れないと聞いて、彰浩は自分の感情がわからなかった。酷く悲しいわけでもなく、虚しくもなく。ただただ漠然と「帰れない」という言葉が脳裏に浮かんでは消えていった。現実性のないような、まるでふわふわと夢の中にいるような気分だ。
未練がないわけではない。
日本には彰浩の兄が住んでいるし、兄の嫁もいい人だった。しかしお互い自立した今、東京と沖縄では毎年会えるほどの距離でもないし、彰浩も悠々自適な生活をしているわけでもない。月に一度ほど電話してお互いの近況を伝えていたやり取りができなくなるくらいか。しかし兄も家庭を持った身なので、以前よりも連絡の頻度は減るはずだ。だってもう、兄の家族は彰浩ではないのだから。
仕事は――社長にはとても世話になっていた。両親のない彰浩を息子同然に扱ってくれた。おせっかいすぎるきらいもあったが、ひとり暮らしをはじめて友人も作れず人とのかかわりを知らなかった彰浩に、人間らしい生き方を教えてくれたのも社長だった。五年勤めて、重要な仕事も任されるようになってきたのに。
ふと、暗い穴へと落ちそうになる思考を彰浩は首を振って振り払った。自分のような平社員、ひとりいなくなったところであの会社はうまくやってくれる。社長も先輩も粗暴なところはあるが優秀であるし、後輩だって一生懸命な者が残った。
――だから、自分などいなくても何の問題もないのだ。
ならば、どうすべきか。彰浩は己の頭の出来をしっかりと理解していた。知識もなく、知恵もない。更には対人関係を円滑に構築するスキルすら持っていない。
よく言えば真面目な性格ではあるが、言い換えれば愚直と同じだ。彰浩が熟考して実行したことがうまくいった試しなどないし、かといって他の対処法は暴力しか知らない。からくり人形の方が、余計なことをしない分ましかもしれない。彰浩は自分をそう評価していた。
しかし会社に勤めて学んだこともある。わからないことは、わかる誰かに尋ねればいいのだ。幸いここには博識なフェイを始めとした、彰浩の持たない知識に通じている者たちがいる。
事前に現状を理解していた真凛、隆太、鈴子、フェイは既に腹をくくったような表情で話し込んでいるし、隼人も戸惑いながら前を向こうとして彼らの会話に参加している。日本に多くを遺してきた者たちが立ち上がり歩もうとしているのだ、何もない彰浩が落ち込んでうつむいていていいわけがない。
「…………自分も、何かお手伝いさせてください」
立ち上がり彼らの輪の中に入ると、隼人がまぶしそうなものを見るように目を細めた。
「うん、うん。大丈夫、今までだって生きてこれたんだ。俺たちはやれる」
「頑張る、頑張るしかない」
己を鼓舞するように隼人と真凛が頷く。
「とりあえず、今は場所について話し合ってたの。救助が来ないなら、ここに留まる理由とかないし」
「まずは川を探す。水は僕たちにとって必要不可欠だ。これだけ草木が繁殖してるし動物もいるみたいだから、多分どこかに水場があるんだと思う」
「しばらくは食料や薪みたいな必需品を集める班と、探索をする班に分けようと思ってる。そこで問題になるのが、編成ね」
真凛が手元のペンをくるくると回す。彼女の膝に置かれたノートには、解決すべき問題が箇条書きでびっしりと書かれていた。
「……探索班は長時間歩くことも考えて男中心かな。だけど、採集班……食べ物とかを集める人たちね、採集班にも男手は必要。本当なら探索班に造詣の深いフェイに参加してもらいたいんだけど」
隼人の通訳越しに真凛の言葉を聞いていたフェイは静かに首を振る。何でも、彼は自身の運動能力を欠片も信用していないらしい。確かに、彼が砂浜で足を取られて転ぶのを彰浩は目にしたことがあった。未知の場所で自分を連れて歩くのは女子供以上の足手まとい、だそうだ。
そんな自己評価を持っているのに、可食テストをはじめとしたサバイバルの知識量が豊富なのが不思議である。
「午前中に薪や食料を集めて、午後から探索するわけにはいかないんでしょうか」
「駄目だね。僕たちはまだ森の中には慣れていない。足場が悪く歩くのですら体力を消耗するんだ、何が起こるかわからないし万全の体調で挑むべきだと思うよ」
「……それに、割と水場探しは短期決戦なんだよね。できれば持ち運びの簡単なちんすこうとかが残ってるうちに済ませたいんだわ。もしかしたら泊まりもあるかもしれないしね」
「かといって、確実にあるともわかんねぇ水場探しに大人数は裂けねぇよな」
「…………言いたくないけど、最悪の事態もありえる。あんたらが見つけた『木をなぎ倒すような動物』もどこにいるかわかんないし」
「自分がやります」
考えるより先に声に出ていた。しかし彰浩は、自身の声に後押しされるような形で思いいたる。
確かに、自分が適任だ。体力もあるし、いざとなれば力も振るえる。そして何より、彰浩のできることの大概は省吾が行えるのだ。少々臨機応変なふるまいには不安があるが、この十五人の中で森を彷徨い歩くのは自分が一番適任であると彰浩は確信した。
しかし真凛が彼の言葉に眉をひそめる。
「ちょっと……その場のノリで志願されても困る。わかってんの? 下手したら、帰ってこれないかもしれないんだよ?」
「わかっています。もちろん、自分は水場を見つけて帰還することを目標に行動します。皆さんの言うもしもの場合があったとしても、それは自分が至らなかったからです」
「…………馬鹿でしょ、あんた」
「よく言われます」
真凛がガシガシと頭をかく。初日にはきれいに結われていた髪は、今は艶をなくしただ無造作にひとつにまとめられているだけだ。
「とりあえず班分けについてはまだ保留、あんただけ突っ走っても意味ないし。最低三人は割り振ろうと思ってるから、落ち着け」
「ですが、短期決戦なのでは?」
「準備を怠ったら成功するもんもしないっすよ」
「そ、隼人の言う通り。でも、彰浩の危険を承知で志願した勇気は認める。あたしも、誰かにこんなこと頼むのは気が引けたし」
「ありがとうございます」
「だーけーど! あんたが行くとは確定したわけじゃないから! いい?」
「わかりました。与えられた仕事を全うします」
「…………あんたさ、何でそんな戦前みたいなノリなの? あたしは神なの?」
真凛がぐったりとした様子で呟いた。




