おやすみなさい
カーテンから漏れた柔らかい陽射しで目を覚ました。
まだ覚醒していない脳と体は、まどろみからゆっくりと足を出そうとするが、心地良い布団には勝てそうになかった。時計を見ると午前九時を回ったところだ。今日が休みでよかった。もう一度寝ることが出来る。
群青は朝を告げる陽射しを無視するように、反対側に寝返り深く布団の中に隠れた。すると、布団の中で何かにぶつかった。それは温かくて柔らかかった。
それは、耳を澄ますと小さく、でも確かに一番心地良いリズムで寝息を立てている。猫のように体を小さく丸めて、完全に布団の中に隠れている。
睦美の記憶が戻ってから、五年が経った。
季節は春を迎えた。空が広く、生命が生まれる。辛い冬の時期を乗り越えて、また外の世界の幸せを感じる。また一年が過ぎたのだ、と実感する。
睦美は退院し、書店でパートをしている。群青は会社を転職し、以前よりかは余裕のある生活を送っている。
二人は結婚し、同じ屋根の下で暮らしている。
群青はもうギターをほとんど弾いていない。
治療費を肩代わりしたこと。夢を諦めたこと。群青は睦美に全てを話した。睦美はその話を聞いたとき、申し訳なさでいっぱいになった。
しかし群青は笑って、夢がなくなったわけではないと言った。
夢は形を変えて、ずっと自分の中にある。
睦美と共に生きていくことが、群青の夢になったのだ。
自分で選んだ夢だと、群青は睦美に伝え続けた。
隣の部屋のもみじは大学を卒業して他県に引っ越していった。伊織は中学生になり、部活動を頑張っている。書店の老夫婦はまだまだ元気で、もうすぐお爺さんの誕生日がやってくるので、睦美はお婆さんとサプライズを考えている。
布団の中で群青は睦美を抱きしめ、もう一度眠りについた。
今度は睦美が目覚めてしまった。気付けば抱きしめられている。
「暑い……」
振りほどこうとしたが、目の前の男があまりにも気持ちのよい寝息をたてているものだから、やっぱりやめておいた。腕の中でもう一度眠るために目を閉じる。
温かい暗闇の中で、鼓動が二つ。
共に生きることは、消えてもいい理由を預けあうことなのだろう。
そうすることで生きていける。
一年後も、十年後も、生きていきたいと思う。
みんなの中に自分の居場所があるから。
自分の中にも、みんなの居場所があるから。
「おやすみなさい」
眠る前にそう言えることが、一番の幸せだった。




