いのり
「あんたは……」
困惑を隠せない群青に対して、老人は羽毛のように柔らかい表情で答える。
「七海千夏さんから頼まれた医者……といえば分かるかな?」
老人は睦美の前髪を分けて、状態を見た。先ほど群青に向けた表情が嘘のように深刻な顔になった。眉間に皺を寄せて、顎に手を当てた。
「詳しい話はあとでゆっくりしよう。とりあえずうちの病院まで来てくれ。私がタクシーをつかまえてくるから、君は睦美さんを橋の上まで運んでくれ」
老人はそう言い残すと、橋の上まで続いている階段を登っていく。群青は今は言われたまま、指示に従うことにした。睦美を背負って階段を登りきると、目の前にタクシーが一台止まっていた。睦美を労わるようにタクシーの中に担ぎ込む。
タクシーに全員が乗り込み、老人が運転手に行き先を伝え終わると、呼吸を整えるために軽く咳払いをした。
「君は樋口群青君だね。私は外科医をやっている関川というものだ。よろしく」
助手席に座っている関川は、振り向いて群青の顔を見ると、泣いている赤子をあやすような顔で微笑んだ。群青も挨拶を返す。
「あの……関川さん……。千夏から頼まれたっていうのは……」
「あぁ、昨日の夜に留守電が入っていたんだよ。何故かメッセージの途中で電話が切れてしまったから、手掛かりが少なかったんだが。無事に会えてよかった。本当に運がよかった。
千夏さんのお祖父様は私の恩人でね。若い頃に大変お世話になった。そのお孫さんのお願いとあらば、どんな願いだろうと断ることなんて出来ないよ。
……ある程度の察しはついている。用意は済ましているから帰ったらすぐに手術を始める。成功確率は……、正直に告げるとかなり低い。
君は君が出来ることをやった。あとは私に任せてくれ」
タクシーは街の外れまで三人を運び終えると、また道を引き返していった。
辿り着いた先には、古びた一軒家があった。看板もなく、知らない人から見ればここが病院だと分かるものはいないだろう。普通の病院では診てもらえない訳ありの人間が来る病院だと察しはついたが、群青は口には出さなかった。
建物の中は外観からは想像出来ないほど、清潔に保たれていた。二人は全身の消毒を行い、急いで、しかし丁寧に手術台の上に睦美を寝かせた。
その後群青は一人で手術室から出た。
部屋のそばに置かれた長椅子に座り、中の物音に耳を傾け、ただただ祈った。
何度も意識が飛びそうになったが、ここで飛んでしまうと睦美が死んでしまう気がしたので、群青は意識を一秒ずつ繋ぎ続けた。




