帰還
あの逃避行から一週間が過ぎた。睦美がいないまま八月が終わり、九月に入った。それでもまだ夏は残っており、九月になったからといって世界から急に蝉の鳴き声がなくなったりすることはなかった。まるで睦美が帰ってくるのを待つように、夏はそのままの姿を維持していた。
群青は部屋で待っている。前回の様に瀕死の状態で帰ってくる可能性が高かったからだ。気がつけば、掛け時計と玄関の扉ばかりを交互に見ていた。親の帰りを待つ子供のように、群青はずっとそわそわして落ち着かない様子だった。
時計の針が正午を指した瞬間、玄関の扉が三回ノックされた。群青は驚いた猫のように飛び上がり、そのまま玄関まで走った。扉を開けると、見慣れた顔の女の子がそこに立って待っていた。
少女は満面の笑みを浮かべた。
「群青さん。ただいまです」
「あ、あぁ……。おかえ……り……」
「どうしました? 顔が真っ青ですが……。風邪でも引きました?」
そこに立っていたのは、睦美ではなく千夏だった。
「あ……、い、いや大丈夫……問題ない……」
「そうですか……。別の日にした方がいいですか? 旅行から帰ってきて一番に会いたかったので直接来たのですが」
「千夏……なのか?」
「はい、そうですよ。七海千夏です」
戸惑いながらも、とりあえず家に入れた。現実を把握し切れていなかった。それどころか、自分は夢を見ているのだと思い始めてもいた。行方不明になって亡くなったと思った千夏が、今自分の目の前にいる。生存の可能性を諦めた千夏が、今自分の目の前にいる。喜んでいいのか、悲しんでいいのか、今の群青には判断が難しかった。
「そういえば、旅行どうだった?」
「んー、不思議なことにあまり覚えていないんですよね……。すみません。お土産も買いそびれちゃって」
「そうか……。でも、いいんだお前が無事だったなら」
千夏が無事だったなら、どれほど嬉しかっただろう。
「お前さ、睦美なんだろ……?」
声を震わせながら、千夏の姿をした少女に訊ねた。少女は、状況を把握出来ておらず、きょとんとした顔をした。
「睦美って……誰ですか?」
「変な冗談やめろよ……なぁ?」
「ごめんなさい。ちょっと、分かりません……」
千夏は群青が本気で言っているのだと察すると、困った顔をして答えた。
「あっ、そうだ。手見せてみろよ」
「手ですか? どうぞ?」
千夏の手は睦美に移植されていた。なので、あの手を今の千夏が持っていれば、千夏の四肢を移植した睦美の体だということになる。差し出された手をおそるおそる受け取る。ホクロの位置を確認すると、同じ位置にあった。
すると、目の前の少女の体はやはり、千夏の四肢を移植された睦美のものだ。しかし、首から上の顔面は、間違いようもなく千夏の顔だった。
「でもほら……。やっぱりここ、ホクロがある。お前はやっぱり睦美だろ……?」
「……え? でも、私もここにホクロがあること群青さんも知ってしますよね……?」
確かにそうだが……。しかし、これは、どういうことだろう。
困惑した群青が頭を抱える。
「じゃあ……、睦美は一体どこへ行ったって言うんだよ……」
「群青さん……?」
千夏は心配そうに、群青を覗き込んだ。
「そんなに……大切な方だったのですか……?」
「あぁ……、大切だった……」
瞼を隠した指の隙間から、涙が少しずつ溢れて、それが洪水になる頃には、嗚咽も混じって大惨事になってしまった。




