エンジェルロード
二人は下山したあと、近くで徳島ラーメンを食べた。睦美の錠剤は残り三回分しかなかった。電車に乗って香川県に再び戻ったあと、小豆島行きのフェリー乗り場へ向かった。最後にどうしても行きたい場所があると、睦美の最後のお願いだった。
フェリー乗り場にはたくさんの人がいた。チケットを購入して時間まで待つ。チケット売り場の中は空調が効いてはいるが、人が多すぎるので外と違いはあまりなかった。
睦美は人が多いところは疲れると行って、外に出て海を眺めていた。四国に来て眺めることが増えた。景色を眺めていると、これまでのことも、これから先のこともなにもかも、考えずに済んだからだ。
出航の時間になったので、フェリーに乗り込む。
「あたし、そういえばフェリーに乗るのって初めてかも」
「またか」
「十七年も生きてきて、この世界のことの殆どを知ったような気でいたけど、なんにも知らないんだね。なんにも知れないことを、最後に知れてよかったよ」
「最後なんて言うな。今度の夏にまた来よう」
睦美は返事をしなかった。
地元の人と思われる人たちはみんな船内に入って休息している。群青たちはせっかくなので船のデッキに出てみた。夏の太陽が容赦なく二人を照りつける。
海は、澄んだ蒼がとても深いところまで潜っていて、どれくらい深いのか全く予想が出来ない。そんな海を躊躇うことなく突き進んでいくフェリーを、睦美はなんとも頼もしく感じていた。
島が見えた。それが目的地であることはすぐに分かった。フェリーは磁石のように、真っ直ぐ島に引き寄せられるように進んでいく。
睦美が柵にもたれ、塩気を纏った風に吹かれている。その傍らで、群青は船酔いしてグロッキー状態になっていた。
「もうすぐ着くから頑張って」
「船酔いなのになにを頑張ればいいんだ……」
「じゃあ、頑張らなくていいから我慢して」
「……分かった」
真っ青な顔面に、荒い呼吸の群青はどうしていいのか分からず、ただ思考を停止させて船が到着するのをただひたすら待っていた。
小豆島に着いた。オリーブが有名らしいのだが、睦美の目的はそれではなかった。
「小豆島オリーブバスってのがあるみたいだけど、これに乗るのか?」
「ううーん、なんかね。徒歩で三十分くらいみたいだから、歩いていかない?」
「いいよ」
二人は港の自動販売機で飲み物を購入して鞄に詰めた。現時刻午後五時半。太陽が傾き初めている。急ぎ足で目的の場所まで歩を進めた。空が色を変えていく。それでも蒸し暑さは相変わらずで、汗が大量に出ることに変わりはなかった。
潮の匂いが漂う。両側に木が生い茂っている道を抜けると、橙色に染まった空と、海の中から表れた砂の一本道が見えた。
「エンジェルロードだ……」
「エンジェルロード?」
「そう、引き潮のときにだけ現れる道なんだ」
睦美はそれ以上説明しなかった。
「ねっ、群青さん?」
「ん?」
「手、繋ごうよ」
群青は手を差し出した。睦美はその手を引っ張るように歩いた。
引き潮の一瞬だけ、現れる天使が作った白い道。
「ずっと一緒にいれたらいいのにね」
道の丁度真ん中で睦美は祈るように言った。
エンジェルロードを往復した二人は、売店で貝殻の絵馬を購入した。
「なに書こうか?」
「……そうだな」
群青は勝手にペンを走らせた。
「ちょっ、こういうのは二人で考えるものでしょ。なにを勝手に……」
「ほらっ」
書き終えたものを睦美に手渡した。
『結婚しよう』
貝殻には、そう書かれていた。
「……これ、一人で……書かないでよ……」
呆れたように笑ったあと、手に持っていた貝殻の上にポタポタと大粒に涙が溢れた。笑おうとすればするほど、それは止まらず貝殻が全部受け止めてくれた。
「ちゃんと伝えられるときに、伝えたいんだ。オレはこれから先もずっと睦美と一緒にいたい。だから、全部が終わったら、結婚してほしい」
「うん……。ありがとう。あたしもずっと、一緒ににいたよ」
睦美は涙を流しながら、笑った。
「油性で書いておいてよかった。泣いても消えないから」
指先でそっと、睦美の頬を拭った。
「全部が終わって、また一緒に来たときに、次は睦美が返事を書いて」
「うん……、分かった。……絶対書きに来る」
太陽が遠くの海に沈んでいく。一日が終わっていく。最期の輝きは、この世界を一番強く照らしてくれた。忘れないように。
大切な人を見失わないように。
「……道が消えていく」
「あぁ……」
満ち潮で飲まれて徐々にエンジェルロードが細くなっていく。群青たちがつけた足跡も波に攫われて消えていく。二人はその様子をただ眺めることしか出来なかった。
「大丈夫だ」
「……なにが?」
「オレたちは大丈夫だ。なにがあってもきっと乗り越えられる。今回もきっと、大丈夫だ」
気がつくと群青の目からも、一粒の涙が頬を伝っていた。




