未成年に強制飲酒
路地裏から見上げた狭い空。建物に挟まれた星空はそれでもなお一層輝いている。
今夜は新月だろうか。月明かりがない夜に、星たちはより一層光り輝く。
生温い風が頬を撫でる。
先ほど浴びせられた電撃の痛みはなくなっているが、体は普段よりも重たく感じた。
自動販売機の稼働音だけが響いていた。商品を照らしているぼんやりとした明かりに虫が群がっている。
「あっ! ギ、ギターはッ?」
「あるでしょ。あんたの隣に。ちょっとは落ち着きなさいよ」
むしろ落ち着きすぎたというか、一瞬気を失っていたのだが……。
群青はまだ動きが鈍い体を気遣うように起こして、ハードケースの中身を確認した。よかった。ちゃんとあった。
ハードケースの中身にはくたびれた古いギターが入っていた。弦だけは頻繁に交換しているので、六本の線だけは浮いてみえるくらいに輝いていた。
群青がギターの無事を確信している傍らで、少女は当たり前のようにタバコを口に咥えていた。見た目からして未成年のはずだが、そんなことを気にしている様子は微塵も感じられない。それどころか口から吐いた煙で、イルカが作るバブルリングのように輪っかを作っていた。
甘いブルーベリーの香りが、タバコの苦い煙に混じって、空へ伸びて消えていく。
プルタブの弾かれる音がした。少女は手に持っている缶ビールを勢いよく呑み始めた。そのまま彼女は一口で飲み干すと、傍らの鞄に手を伸ばした。その手には二本の缶ビール。そのうちの一本を持ち替えて群青に手渡す。
「ほら、お兄さんも一緒に呑もうよ。目覚めの一杯ってやつだよ」
「オレは酒は呑まないようにしてるんだ」
「……は? 変なの。なんで?」
「時間と金がもったいない」
「ふぅーん、やっぱり変なの」
しらけた表情で、さっきと同じようにプルタブを弾き、また一気飲みをする。
「それどうしたんだよ。お前未成年だろ?」
「普通に買えるよ。あそこのコンビニの店員さん、超てきとーだから。タッチパネルさえ押しとけば何にも言われないよ」
そして三本目のビールも会話の中で飲み干した。少しだけ少女の頬が紅潮し始めたように見える。
「こんな綺麗な星空の下にいるなら、呑まないほうがもったいないでしょ。お金や時間よりも大切な瞬間っていうのはやっぱりあるんらよ」
呂律がやや回らなくなってきたのだろうか。少女はぼんやりとした目付きで空を見上げている。よく見るとその横顔は綺麗に整っていることに群青は気がついた。
透明感のある艶やかな肌。長い睫毛。唇は大きさこそ控えめではあるが、血行の良さがうかがえる。白に近い金髪は彼女の小さな顔によく似合っており、どこか西洋の少女を思い浮かばせる。絶妙なバランスで成り立っていた。
「そういえば自己紹介まだしてなかったね。名前なんていーの?」
「樋口群青」
「……えっ? 群青って、青色の群青? あはははははは。へんてこな名前だぁ」
変な名前だと笑われるのはいつものことなので、もう慣れっこだ。群青は名乗ってから笑われるまでがワンセットだと思っている。
それにしても彼女は笑い過ぎた。腹を抱えて笑っている。おそらく酔っ払っているのだろう。
「私は一ノ瀬睦美っていうの。よろしくね」
睦美は手を差し出した。群青は「よろしく」といい握手を返す。もっとも、明日以降会う予定はおそらくないだろうが。彼女の柔らかい手に比べて、群青の手の皮は分厚かった。指先は特に硬くなっている。
「うわっ、手の皮すごいね。毎日ギター弾いてるの?」
「よく分かったな。毎日時間さえあれば弾いてる。だから酒で酔っ払ってる金や時間なんてオレにはないんだ」
睦美は力なく首を傾げた。
「……プロ目指してるの?」
「目指してる。オレはプロになりたい」
「よくある話だね。プロの人は直接話したことないけど、プロになりたいって人はたくさん見てきた。だいたいみんな働き始めたら夢の見方を忘れちゃうもんなんだけどね。まだ見てるんだね」
「オレが学生かどうかなんて分からないだろう?」
睦美の口振りから察するに、睦美は群青のことを学生ではないという前提で話している。しかし群青はまだ十八歳だ。高校は中退しているので学生ではないことは当たっているが、大多数の人間は学生である年齢だ。なので群青は不思議に思った。
「それくらい分かる。自立している人としていない人の差なんて、顔を見たら一発だもん。あんたは学生の顔してない」
「……エスパー……なのか?」
さっきのギターの件といい、社会人だということといい、それらを寸分違わず言い当ててくる睦美に怪奇の目を向ける。
「バカね。占い師や霊媒師がやってるコールドリーディングみたいなものだよ。ある程度の知識と経験さえあれば誰にでも出来る」
群青が驚いたことが面白かったのか、睦美は自慢気に微笑んだ。その勢いでまた缶ビールを空にする。睦美のそばには空になった缶がいくつも転がっていた。
さて、隣の酔っ払いがいい感じに出来上がらないうちにさっさとお暇しよう。
ギリギリまで立ち去ることを悟られないようにしたい。いつかは悟られるだろうが、彼女の手が届かないところまで移動できれば御の字だ。
ゆっくりと、足首から膝へ。そして腰へと稼動していく。隣で睦美はひたすらアルコールを摂取している。そんな彼女を尻目に今度は上半身を動かしていく。
最初の一歩を踏み出したとき、なぜか後ろ髪が引かれる思いがした。一刻も早くこの場を去りたいのになぜだろう。原因はすぐに分かった。実際に引かれたのは後ろ髪ではなく、服の裾だった。
群青はおそるおそる振り返った。洗濯のし過ぎでくたびれたTシャツがピイン、と引っ張られる。
睦美は薄っすらと微笑んでいる。
このあと睦美が発する言葉は、群青にとって、きっと禄でもないことだろう。
「今日、泊ーめーて」
悪い予感は外れない。ことごとく外れない。
睦美は群青の袖を甘える子供のように何度も揺さぶる。
「いいよ……、って言うわけないだろ」
それを聞いた睦美は先ほどの薄い笑顔を貼り付けたまま囁く。
「未成年に強制飲酒……」ひと息吸って「……暴行未遂か」
「やらねぇ。してねぇ。覚えがねぇ」
冤罪三原則を唱えて抵抗してみるが、睦美の勝ちを確信した表情を見るとすぐに無理だと悟った。睦美は自発的に飲酒をしていたが、その証明をする手段がない。これでは未成年者飲酒禁止法にふれてしまう。暴行未遂も同じく無実を証明するほうが難しいだろう。なにも知らない第三者から見れば、群青が未成年の睦美に酒を呑ませて暴行しようとしていると勘違いされても無理はない。
群青の顔が名前よりも青く染まったことを確認すると、
「やった。じゃあ決まりね。ありがと。ロリコンお兄ちゃん」
猫でも出さないであろう猫なで声を出した。自動販売機の灯りだけでも、睦美の頬が赤くなっていることはハッキリと分かった。完全に酔っ払っている。
――――やられた。と群青が気付いたときにはもう遅かった。
おそらく睦美は自分の限界を把握している上で、限界を超えて酔った。出来上がってしまえばここに睦美を置いて去るわけにいかない。急性アルコール中毒になる可能性も高い。つまり、俺は睦美が酒を一口呑み始めた時点でここを立ち去るか、飲酒を辞めさせなければいけなかった。睦美が一缶目のビールを呑み干したところでコイツの『今日の寝床を確保する』という計画は成功することが決まった。
群青はしてやられた自分への呆れと、睦美の狡猾さに対してため息を吐いた。命よりも大切なギターが入っているハードケースを手にとって歩き出した。
睦美は黙って群青の後をついてくる。
群青の空いている手を睦美が握った。「暑苦しい」と群青が振り払うと「いいじゃんケチ」と反抗し、今度は腕に絡みついてきた。これを振り払うとおそらくもっと暑苦しい絡み方をされてしまうと思ったので、酔っ払いの睦美を引きずる現状で妥協した。
睦美の顔に薄い笑顔がまだ貼り付いていたからだ。




