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同居人の少女は改造されている  作者: はしもと
第三章 人を人たらしめるもの
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七海千夏




 樋口群青と七海千夏が出会ったのは、二年前の夏だった。

 その日はよく晴れていて遠くの空まではっきりと見えた。入道雲はどこまでも高く伸びていて、夏の香りがしていた。蝉たちはいつも以上に鳴き喚き存在を主張していて、対して植物たちは静かに、しかし悠然と生命の存在をこの世界に伝えていた。命の季節という名に恥じない、立派な夏の日だった。



 群青は一人で河川敷にいた。今と同じようにギターを弾いていた。違うことと言えば、群青はこの町に来たばかりで今のように知り合いはいなかった。いつの時代もこの河川敷は人で賑わっている。変わってしまった顔もあれば、未だに休日の度に遊びにくるような顔もあった。群青にはまだ全ての人の顔が同じに見えていて、数秒後には忘れていた。



 河川敷の上の道に、自転車が通った。後ろの荷台部分に子供用の椅子を設置して、親子が二人乗りをしている。麦わら帽子を被った子供が嬉しそうに父親の背中を見つめていた。

 群青はいつも通り、ギターの弦をチューニングして、そのあと誰もいないのに歌い出した。ボールをぶつけたり、野次を飛ばしたりする小学生はいなかった。



 誰にも聴かれなくとも、誰にも相手にされなくとも、誰にも存在を認識されなくとも、群青は歌った。夏の痛い陽射しに焼かれて、半袖からはみ出た腕が真っ黒に焼けていた。大量の汗が背中に張り付く。顎に汗が集まって、地面に溢れて、水の影を作っていく。



 来る途中のコンビニで買ったペットボトルが空になること、西の空に太陽が沈もうとしていた。真横から受けるまっすぐな夕暮れの光のおかげで、影が実態よりも大きく伸びる。周りにはもう誰もいなかった。それでも群青は歌うことを止めなかった。そんな群青の足元に、一つの影が触れた。だから、自分がいつの間にか下を向きながら歌っていたのだと気付いた。



 自分の影に重なった影を辿ると、女の子が立っていた。黒い髪の毛が夕日に透けて、オレンジの産毛を纏っているかのような暖かみがあった。連日この暑さだというのに、半袖の水色ワンピースを来た少女の腕は真っ白だった。その白さまるでこの世界に舞い降りたばかりの雪のようでは、色の濃い夏には不釣り合いだった。現れる世界を間違えてしまったような、強い存在感を放っている少女は、群青の歌が終わるのを静かに待った。



 群青が歌い終わると、その熱量に応えるように大きな拍手を、たった一人で起こしてくれた。群青が生まれて初めて自分の歌に送ってもらえた拍手だった。

 汗まみれの群青とは対称的に、少女は汗一つかかず涼しげな雰囲気を身に纏っていた。にっこりと満面の笑みを浮かべて、もう一歩群青に近づいた。それが話しをするための一歩だということに、少女の声を聞いてから群青は気付いた。



「唄を……歌ってくれるのですか?」

 少女は猫のように丸くて大きな目を、さらに大きく見開いた。物珍しいものでも見るかのように、興奮と不安が入り混じったような声で群青に訊ねた。少女の話し方はどこか気品があった。自分とは違う世界の人間だと、群青はすぐに気がついた。よく見ると、着ている水色のワンピースもしっかりとした布地を使っている。髪の毛からは、ふわりと自然な香りが漂ってくる。



 彼女はじっと群青を見つめて、返事を待っていた。そんなことを訊ねられたことが今までなかったので、一瞬返事が遅れてしまった。動揺を隠すために、バレないように一呼吸ついてから応えた。アーティストはどんなときも堂々として、みんなの光にならなけれないけない。という持論があるからだ。



「あぁ、歌うよ。聴きたいなら、いつだってここで」

 それを聞いた彼女は光に向かって開花する向日葵のように、満面の笑みを浮かべた。

「で、では歌ってほしいです」



 黒目がキラキラと輝いて、感嘆の意を体全部で表した。もう帰ろうかと思っていたところにやってきた謎の珍客は、プレゼントをもらった子供のようにそわそわしている。

 少女のリクエストに応えるために、群青はギターを構え、軽く咳払いをした。

 少女はまだ歌ってもいないのに、嬉しそうに拍手をした。今から群青が歌ってくれる。ただそれだけがとても素敵なことだとでもいうように、温かい拍手で迎えてくれた。




 *




「素敵な歌ですね!」

 彼女はさっきよりもさらに大きな拍手を送ってくれた。身を前に乗り出し、興奮気味に叩かれるそれは、暫くの間続いた。西日が眩しい。もうすぐ一日が終わろうとしていた。ひぐらしの音色が、沈みゆく空に響いていた。



「もう今日は終わりですか?」

「いいや、聴いてくれるならいつまでだってやってやるよ」



 彼女はそれを聞くと、嬉しそうに群青の目の前に腰を下ろした。季節外れのサンタクロースを待っているかのように、彼女は目をキラキラさせて群青がまた歌い始めるのを待った。

 群青はそれに応えるように必死に声を張り上げて歌った。今日喉が潰れて歌えなくなってもいいと思えるくらい、彼は力を出し尽くした。どれだけ歌っても、彼女は飽き足らず、次の曲を催促した。曲が始まる度に、曲が終わる度に、その度に大きな拍手で応えてくれるのだった。いつの間にか彼女の掌は叩きすぎで真っ赤になってしまっていたが、太陽の光が届かなくなった世界では分からなかった。



 彼女は拍手をしながら「天才です!」「プロの方ですか?」と、興奮ぎみに、聞いているこちらが恥ずかしくなるような言葉を使って、褒め称えてくれた。それは群青が自分は本当に天才なんじゃないかと、そう思わせてくれるほど、彼女の言葉には不思議な温かさがあった。

 すっかり月が高く登った頃、パトロールしている警察から注意をされてようやく二人だけのライブは終わった。演奏はしてもいいが、時間を守ってほしいとのことだった。指導が終わると、警察はパトカーに乗ってこの場を離れていった。



「怒られちゃいましたね……」

 あまり叱られた経験がないのだろうか、彼女は恥ずかしそうに頭を軽く掻いた。

「次はいつ歌うのですか?」

「いつでも歌ってやるよ。お前がオレの歌を聴きたいと思ってくれたときに」

「じゃあ、毎日がいいです!」

「おーけー」



 元々、歌うことしか能のない人間だったので、彼女が来ても来なくても毎日この場所で歌っているので関係なかった。それに加えて群青は心のどこかで、今はこう言っているが、そのうち飽きて来なくなるだろうと考えていた。

 年齢は同じくらいに見えるが、彼女には彼女の生活があって、きっと自分とは住んでいる世界が違うのだから。群青はこのとき既に高校を中退していた。

 しかし、その考えがバカなことだったと後になってから知ることとなる。

 彼女は元来た方向へ歩き始めた。

 その後ろ姿は、夜の色と混じって、とても儚く見えた。



「あ、そういえばお前名前は?」

「私……ですか?」

 彼女は首を可愛らしく傾げてみせた。

「私の名前は、七海千夏です。……貴方のお名前は?」

「オレは樋口群青だ」



 群青の名前を知ると、大きな目をパチクリさせたのが、暗闇の中でも分かった。

「おかしな名前だろう?」

 いつものことだ。笑われるのは分かっている。自分でもおかしな名前だと自覚している。しかし、千夏は夏の夜風に吹かれた髪に手を添えながら、



「とても綺麗な名前ですね」

 と、雑じり気のない透明な気持ちで彼の名前を褒めた。






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