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同居人の少女は改造されている  作者: はしもと
第三章 人を人たらしめるもの
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消滅



 群青は睦美の腕について話すことはなかった。睦美からもそのことについて群青に話しをすることはなかったので、二人はお互いがどこまで知っているのか把握出来ないでいた。

 睦美の腕が消えた千夏のものであること。その腕をつけた少女の保護者として今こうして一緒に過ごしていることは、本当に偶然なのだろうか。



 初めから怪しい仕事だとは思っていた。裏があることも薄々気付いてはいた。しかし、こんな形で闇が漏れ出すなんて群青は予想していなかった。

 この闇はどこまで溢れ出すのだろうか。この世界の全てを覆って、漆黒にして何も見えなくしてしまうのだろうか。



 睦美は群青の不安など御構い無しに、ベランダに出てタバコを吸っている。群青は蒸し暑い部屋の中からその風景を眺めている。ベランダも朝の時間とはいえ直射日光が強く、睦美の足元に真っ暗な影を落としている。

 睦美はタバコを指で挟んで、煙を長く吐いていた。睦美の半袖姿を初めて見た。まだ誰にも踏まれていないような新雪のように白くて繊細な腕が、袖から顔を覗かしていた。何一つ傷のついていない真っ白なキャンパスのようだった。



 睦美は誰かと会話をしているようだ。向いている方向から察するに、その相手は隣の部屋に住んでいるもみじだった。話が弾んでいるのか、睦美がタバコを片手に笑っている。

 睦美はこの家に来て、よく笑うようになったと思う。おそらく、様々な人と触れ合い自分の世界を広げたからだろう。



 この仕事を請け負った当時は後悔していたが、どうやら悪いことばかりでもなかったらしい。と、群青は今の睦美の姿を見てようやく思うことが出来た。

 この仕事を請け負ってよかったと。どんな形であれ、睦美が笑うことが増えてよかったのだと、そう思うようになっていた。



「群青さん、もみじちゃんから素麺もらっちゃった。実家から届いたんだって」

「じゃあ、今日の昼飯は素麺にしよう。もみじも呼ぼう」

「今日は今から学校でそのあとバイトがあるから夜まで帰らないみたいだよ」

 睦美は群青に素麺の入った木箱を手渡した。近所のスーパーで購入するようなものではなく、御中元で渡すような高そうなものだった。そういえば、もみじの実家は金持ちだったなと、頑丈そうな木箱を見つめながら群青は思った。




 *




 沸騰したお湯に素麺を二束投入する。菜箸で団子にならないようにほぐしながら掻き混ぜていく。ただでさえ暑い部屋の中が、サウナのようになっていた。換気扇を回してはいるが、それはただの気休め程度にしかならなかった。古びた換気扇は他の家電と同様に、ガタガタと軋んだ音を鳴らしている。掃除をしていなので、油でベトベトになっている。今度時間があるときにでも掃除をしなければならない。



 睦美はその間に冷蔵庫に入っている冷えた麦茶を取り出し、必要な食器類を机の上に並べていた。蝉の声が部屋の中までに響いて、逃げ場はなかった。どこまでも響く蝉の声もさようならを言う前に消えてしまうのだから、悲しいものだった。季節はいつも、いなくなってから変わったことを知る。

 麺を茹でた鍋を持ち上げようとして取っ手を掴むと、ネジが緩んでいたため外れてしまった。



「睦美、悪いんだけど棚の引き出しに入っているドライバー取って」

 ご飯の準備が終わり、テレビを見ていた睦美は渋々立ち上がった。引き出しを順番に開けていく。

「ごめん、どこにあるの?」

「右側の上から二番目の奥に工具セットみたいな青いケース置いてないか?」

 睦美は言われた通り、上から二番目の引き出しを開けて、中を漁った。

「あぁ、これね。プラスドライバーでいいの?」

「おう、サンキュー」



 ネジ穴にドライバーの先端を差し込み、クルクルと回して締めていく。十分にしまったところを確認すると、またドライバーを睦美に手渡した。

 素麺は少し伸びてしまっていた。ザルに流し込み、冷水と氷で冷やす。涼しげな和風のお椀に冷水と氷を注ぎ、最後によく冷えた麺を入れて、ようやく素麺が完成した。

 素麺用の出汁につけて、ひんやりと冷えた素麺を口に運んだ。部屋の窓際に吊るされている風鈴がふわりと風に煽られて、清涼感のある音色を優しく奏でる。

 麦茶を口にしたところで、睦美が群青に訊ねた。



「棚の引き出しに、女の人と群青さんが写ってた写真が入ってたんだけど、あれ誰?」

「……」

 群青は口の中の麺をゆっくりと咀嚼して、時間を稼いだ。睦美が黙って見つめてくるので、大した時間は稼げなかった。寝癖でボサボサに乱れた髪を一度だけかきあげて、群青は数秒の沈黙のあと、僅かに口を動かした。



「名前は七海千夏。オレの彼女だ」

「……え?」

 睦美の驚嘆の呟きが、扇風機の送風音に掻き回されて消えた。気付けば蝉の声が小さな部屋の中にまで響いていた。目の前のお椀に入っている溶けかた氷すら、沈黙を守っている。睦美はなんと返事をしたらいいのか分からず、群青の二の句を待った。それに気付いた群青は、アンニュイな笑みを浮かべて言葉を紡ぐ。



「……消えたんだよ。ある日突然な」

 群青がそんな風に笑うところを初めて見たので、睦美の心も同じように傷んだ。そんな顔をするなんて思っていなかった。これは思い出させてはいけない類の質問だった。訊ねる前に少し考えれば分かることだった。



 なぜ群青がこの写真を睦美には見えないところに保管していたのか。

 簡単なことだった。

 見られたくなかったのだ。知られたくなかったのだ。

 訊ねられたくなかったのだ。これは、そういう類のものだった。



「……ごめんね」

 初めての表情を作ったものだから、睦美もつられて今までに見せたことのないような気まずい表情を見せた。

 この一連の睦美の思考に気付いた群青は、いつもの笑みに戻した。

 いつもの能天気で何も考えていないような笑顔に。

 そんな笑顔は作り物だなんてことくらいは、今度はすぐに分かった。



「私……、ここにいない方がいいよね?」

「……勘違いするなよ」

 群青は机の上に肘をつき、その野暮ったい頭を支えた。



「……話始めると長くなるんだが、それでもいいか?」

「群青さんがいいのなら」



 群青はしばらく黙ったあと、窓の向こうの遠くの空を見つめながら話し始めた。ぽっかりと浮いた夏雲の横に飛行機が白い轍を轢いて飛んでいた。




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