しし
まだ余熱が残る夏祭りを置き去りにして、二人は家路についた。カラン、コロンと湿気を含んだ熱帯夜を静ませる乾いた響かせる。いつまでも聴いていたい音楽のように、睦美は音をより一層響かせる。
カラン、コロン、カラン、コロン。
手元の金魚は何かを言いたげな口をパクパクさせている。赤い目が真っ直ぐに前を見ているようで、この先の自分の運命を見据えているようだった。街灯に照らされると、その身の赤い鱗はより一層透明感を増して美しさを維持した。
手を繋いだ。迷子になるからという理由で、でもまだ繋いでいる。もう迷子になんかならないのに。二人の手の中の汗が混じり合う。恥ずかしくて嬉しい。
指と指は、絡み合わない。親子のような握り方が、きっと今の二人の距離感を表しているのだろう。どうしてだろうか。いつかこの手を触れなくなる気がして、睦美は離すタイミングを見失っていた。群青の手は分厚く、指先は皮が硬くなっていて、その指先から紡ぐ音の旋律が今も聞こえてくるようだった。一体、今までどれほどの長い時間を一つのことに、この人は費やしてきたのだろう。
汗が滑る。
「群青さんって、汗っかきだね」
「え……、あ。まぁ……な」
群青の言葉は心ここにあらずだった。何か別のことを考えているように見えた。
「なに考えてるの……?」
睦美は何の気も使わず訊ねた。それこそ今日の天気を訊くように。
「なんでもねぇよ……」
「そっか」
睦美は群青にもらった金魚を目線の高さまで上げた。自分の宝物になった金魚を眺めて思う。おそらくきっと、自分でとっていたら、こんなにも大切に思えなかった。宝物のように思えた。それが不思議で、しかし決して嫌ではなかった。
「この金魚の名前何にしよっか?」
「金太郎……」
「えー、なんかやだ。ていうか、今てきとうに返事したでしょ」
群青はやっぱり何かを考えているようだった。今は話しかけない方がいいのかもしれない、と睦美は思った。なので、一人で金魚の名前を考えることにする。
そもそも飼育している金魚に名前って付けるものなのだろうか。金魚は水槽に複数飼いのイメージがある。愛好家やプロの人ならその中の一匹一匹に見分けがつくかもしれないが、私には到底出来ない。ということは、普通の一般人にもやっぱり難しいことではないだろうか。分からない。もう群青さんがつけてくれた『金太郎』でもいいような気がしてきた。本名『金太郎』で、呼ぶときは『金ちゃん』でいいや。
「金ちゃん」
睦美はさっそく金太郎を読んでみる。予想通り、金太郎からの反応はなかった。それでも二度、三度と名前を呼んだ。名前を呼べることが嬉しかった。
さっきまで屋台の中の一匹でしかなかった金魚が、群青からプレゼントされ命名されることで、睦美にとって、この世界で一番大切な金魚になった。
繋いだ手はやはり汗ばんでいる。さっきよりも、もっと。
「……群青……さん?」
「……」
このとき群青は、ある可能性について考えていた。
常識で考えるならば、こんなことはありえない。ありえるはずがないし、倫理的にあってはならないことだ。しかし、ただの杞憂であることを願えば願うほど、それはハッキリと輪郭を持って、この世界で主張する。存在感が増していく。
睦美にはバレないように振る舞わなければいけない。気づいていないふりをすれば、誰も傷つかない。これが事実だとすれば、睦美は一体、どんな気持ちになる……?
睦美の四肢が、消えた千夏の四肢に入れ替わっているなんて。
信じられるものではなかった。群青は今にも気が狂って嘔吐してしまいそうなところを、グッと耐え忍んでいた。睦美の会話にいつも通り答えられる余裕はなかった。
間違えるわけがない。何度となく握ってきた手だ。自分の手がこの世界で一番多く掴んだものだ。指の折れてしまいそうな細さも、爪の形も、掌の大きさも、僅かな力加減も全部、全部千夏と同じものだった。
心臓が飛び出してしまいそうだった。不安と緊張。夢であればどれだけよかったことか。ソレに気づいたとき、一番初めに持った感情は、恐怖だった。
自分の頭では処理しきれない現実が、群青の認識を破壊した。
ゆっくり、睦美にバレないように視線を手元に視線を移す。
もしも、本当にもしもこれが千夏の四肢だったとしたら、今繋いでいる睦美の右手の親指の付け根には、二つのホクロがあるはずだ。恐る恐る時間をかけて確かめる。
倒れてしまいそうだった。悪い予感は当たるものだ。睦美の右手には千夏と全く同じ位置に、同じ大きさのホクロが二つ並んでいた。
何度見てもそのホクロは消えてくれない。
汗で繋いだ手が離れてしまいそうだ。
それでももう二度離したくはなかった。だから強くギュッと握りなおした。
何も知らない睦美は、
「汗が気持ち悪い」
と、文句を言っていたが、群青の耳にはうまく届かなかった。




