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物語は幸せに終わらせる  作者: 成瀬 せらる
アルビレオの瞬き
8/20

宝石箱には星屑を 終

「おかえりなさい」


翌日になっても包帯は取れなかった。だけど医者に頼み込んで、自宅療養をもぎ取った。早々に荷物を詰め込み、迎えにきた執事に荷物を預けて馬車に乗る。頭をぶつけないように細心の注意が払われ、恙無く屋敷に戻った。


屋敷は静まり返って見えた。


いつもなら馬車の音を聞きつけて飛び出してくるリビエラも、姿が見えない。

執事が重い玄関の扉を開けると、エントランスホールでリビエラは待って居た。僕を見ると、目に涙を溜めてドレスのスカートを持ち上げて腰を落とす、淑女の礼を取った。涙声で言われた言葉は、いつものリビエラの言葉だった。


「ただいま。遅くなってごめんね。…寂しかった?」

「ええ、…とっても、とっても寂しかった」


リビエラは一言一言を噛みしめるように言った。リビエラの大きな瞳が瞬きをすると、涙が零れ落ちる。顎を伝って大理石の床に涙の雫が滴った瞬間にリビエラの涙腺が決壊した。


「ローエン…ッ!っ、ごめんなさい!私が、私が悪かったの…!」


リビエラは両手で顔を覆って、膝から崩れ落ちた。座り込んだリビエラはひたすらに泣いて、謝っていた。僕は理由が分からない。それでもリビエラが『泣いている』という現実が辛くて、苦しくて、どうしようもないほどに僕の胸を乱した。


「…どうして泣くの?…僕はまた何かしてしまった?」


とにかくリビエラに泣き止んで欲しくて、僕はリビエラを抱きしめる。リビエラは腕の中で震えて泣いていた。


「な、ナタリー様と、…ずっと、仲が悪かった、こと、し、知らなかったの!む、昔に、私の悪いわがままのせいで、引き離されて、しまっただけと、思っていたの…っ!」


そういえば、そんなこともあった。


ナタリーは昔から典型的な、貴族の権威を振りかざす嫌な女だった。平民だった母譲りの、気性の荒い人だった。それでも父は男の僕ではなく、ナタリーに爵位を継がせる予定だった。正しくは、ナタリーの婿となる男に、だ。ナタリーの婿を検討していたのは、僕がリビエラの婚約者、そしてデズモンドの友人兼側近として取り立てられたお陰で、爵位を継ぐよりは新しく男爵にでも叙される見込みがあったからだ。


ナタリーは、爵位を継げない僕を露骨に見下し、下僕として扱った。次の家長たる伯爵として。何の力もない僕には逆らう術が無かった。僕だけではなく、使用人達にもどうしようもないことだった。ナタリーによってリビエラと会う時間を制限されていることを、リビエラに告げると、幼いリビエラは嫉妬に燃えてこう命令した。


『お姉様と口をきいてはダメよ』


この命令のお陰で、僕はナタリーとわざわざ顔を合わせる必要がなくなった。父が、リビエラがそう言ったと聞くとすぐに僕をナタリーから引き離して別邸に囲い込んだからだ。リビエラの怒りがそのまま王に伝わるとマズイと思ったらしい。僕は素直に嬉しかった。以降僕と姉は別々に育ち、偶にしか顔を合わせることはなかった。残念ながら、父も母も僕たちには大した教育を受けさせなかった。僕はデズモンドの友人として同じように高度な教育を受けられたけれど、ナタリーは田舎で好きなように育った。だからナタリーはあんなに粗野なのだ。

そして、僕がリビエラ欲しさに国を裏切り、父から爵位を奪い取った所為で、爵位を得られない姉は日陰者になった。そこそこの資産を持つ貴族の後継者として求婚者の耐えなかった姉だったが、爵位が得られぬと分かると誰も見向きをしなくなった。姉は高いプライドが折れた怒りの矛先を、僕とリビエラに向けたようだった。


「…君は悪くないよ。ナタリーのことを説明しなかった僕が悪い。済まなかった。…まさかここまで来るとは思わなかったんだ」


ナタリーのことを警告しなかったのは、僕の落ち度だ。リビエラは何も悪くない。


「ローエンの、たった1人のお姉さまだもの。私も仲良く、したかったの。今の私なら、できると思ったの。だけど、だけど…っ!」

「…あの人は君を追い出しに来たんだから、仲良くなれるはずがなかったんだ。仕方ないよ」

「でも、でもぉっ…」


泣きじゃくるリビエラの両手を掴んで、顔から離す。リビエラはやはり眠れなかったらしく、目の下に隈ができていた。


「…僕が怪我をしたのは、ナタリーの行動を見誤ったから。これは僕の自己責任。…リビーが気に病むことは何一つとしてないよ」

「でも、ローエンが、酷い怪我を、してしまって」

「…心配させてごめんね。ひとりぼっちになると、思ったんだよね?怖かったよね、本当に、ごめん」


相当怖がらせてしまったらしい。リビエラはやはりまだ震えていた。リビエラの額に口付ける。リビエラの恐怖は解れず、また泣き出してしまった。


「…君が昔、ナタリーと僕を引き離してくれたことを、僕は感謝していたよ。…言わなかったけどね」

「え、エリザに、聞いたわ…」

「そう。エリザは君になんでも話してしまうね」

「だって、ローエンが、話して、くれないもの」


リビエラはそう言ってまた涙を零す。僕はリビエラの眦にキスを落としながら言った。


「…ナタリーなんかの話をしてリビーが気に病むほうが、嫌なんだ。…君に暗い話はしたくない」


リビエラは泣き止まない。僕はリビエラを抱きしめながら、泣き疲れてきたリビエラの背を撫でる。


「…僕は君を心底愛しているよ。…陳腐な言葉を使うとすれば、世界を敵に回しても良いくらいにね」

「つ…月並み、だわ」


全くもってそうだ。リビエラは少し笑って、漸く泣き止んだ。








その後の話、というほどでもない。

実家に送還したナタリーに最低限の嫁入りの支度をさせて、予定通りヘンリー伯に嫁がせた。ナタリーは最後まで暴れていたけれど、それは僕の知った事ではない。父だけは無念そうだった、らしい。あんな娘でも可愛いのだろう。爵位を無理やり奪った僕よりは、ある意味で家に忠実なナタリーのほうが。

ナタリーは死ぬまでヘンリー伯に可愛がって貰えば僕はそれで問題ないし、もう関係もない。


リビエラにはナタリーのその後は教えていない。教えて嫌な思い出が蘇る方が、僕には嫌だった。


リビエラにはその代わりに、久しぶりにデズモンドに会わせた。家族が恋しいかと思ったからだ。デズモンドはこの5年ですっかり変わっていた。


「その…木こりね」


リビエラは、デズモンドの身体をそう評して目線を外した。5年前に蓄えていた立派な脂肪が筋肉に置換されている。デズモンドは腕の筋肉に力を込めてリビエラに筋肉を見せつけながら言った。


「サラがその方が好みだと言うからな」


デズモンドは、なんだかんだで愛妻家になったらしい。押し付けられた妻だけど、仲良くしているならそれで良いだろう。サミュエルの事業である鉄道が通った事でこの領土は住みやすく、それでいて活気に満ち溢れている。2人は居心地よく暮らせているらしい。


「…デズモンドは相変わらず単純馬鹿で安心した」


僕の周りには女王や将軍等難しい連中ばかり。デズモンドのように考え無しの馬鹿っぷりが最早懐かしい。後処理に振り回されていたあの頃が。


「これでも領の運用は俺様がやっているぞ?」

「…椅子に座っているだけなら馬鹿でもできるからね」


仕事をしているのはデズモンドの部下の方だろう。僕のように、基本方針だけ決めておいて細かい運用を部下に回しているのかもしれないけれど。


「5年ぶりだが、相変わらず仲が良さそうで安心した」

「お兄様に言われる筋合いはないわ。…ねえ、ローエン」


リビエラが吠えた。それからリビエラは隣に座る僕をじいっと見つめて、上目遣いでおねだりを始めた。


「お兄様と2人きりでお話ししたいの。いいかしら」

「………………………、いいよ」


そんな顔をされたら断れない。デズモンドなら話しても問題ないだろう。彼の妻と2人でお話し、というなら全力で止めるが。


僕は退室を求められたので、仕方なく出た。別室に案内され、暖炉の前で寛いでいると、無遠慮にノックもなしに誰かが入って来た。

首を曲げて見ると、そこには妙齢の女性が立っていた。

僕は瞬間的に立ち上がり、腰を曲げて礼を取った。女性は当然のように手を差し出す。僕は差し出された手に口付けをした。


「…お久しぶりです、サラセリア様」

「久しいわね、ローエン。相変わらずタイプじゃないわ」


アリシア女王陛下の妹だ。そして今はデズモンドの妻でもある。デズモンドの側近時代に少しは話をする間柄だった。彼女からはタイプじゃないだの何だのと言われて来ただけ、なのだけど。


彼女の母は悪人だったけれど、サラセリア様は意外と普通の女の子だった。普通というには、位と生みの母に相応しく傲慢で我儘で残忍な子供だったけれど。僕には似たようなリビエラの相手をしていた経験があるからサラセリア様の扱いには手慣れていたし、気にならなかった。


「お元気そうで何よりです」

「お前が結婚しているというのがとても不思議だわ。それもデズモンドの妹と。私たち義理の兄妹になったようなものなのね」


サラセリア様は、昔より随分草臥れた顔をしていた。サラセリア様は僕をじっと見つめて、質の良い洋服を品定めするようにゆっくりと見ていく。


「陛下は随分お前を気に入っていると聞いたわ」

「…そうですね」

「不思議なものね。本当なら私が王になっていたのに。何もかも狂ってしまったわ」

「…ここは決して悪い待遇ではありませんよ」

「それは百も承知よ。勿論女王には感謝しているわ。私とデズモンドがここで暮らしていられるのはあの人のお陰なのだもの」


サラセリア様は僕の隣に腰掛ける。サラセリア様のドレスは、リビエラのドレスとは明らかに質が違っていた。それなりに裕福に暮らしているけれど、僕たち程ではない。あくまで城からも社交界からも追い落とされた男爵位に相応しい程度の暮らしだった。


「でも、戻りたいわ」


サラセリア様はぽつりと零した。重くて苦しい言葉だった。


「ローエン」

「リビー。…話は終わった?」

「ええ、終わったわ。サラセリア様、御機嫌よう」


リビエラは淑女の礼を取った。サラセリア様は立ち上がって同じように礼を返す。サラセリア様がそんな風に礼をするのを見るのは初めてだった。


「リビエラ様、今の生活は楽しいかしら?」

「ええ、とても」


元王女達の会話は、どこかぎこちなかった。どこか噛み合っていなかった。


「お兄様を…デズモンドをよろしくお願いします。大馬鹿者ですが、あれでも私のたった1人の…血の繋がった家族なのです」

「…ええ、勿論よ」


リビエラは深く頭を下げる。サラセリア様は美しく微笑み、僕たちを外まで見送った。


馬車に乗り込むとリビエラは寂しげに微笑んだ。


「…もっとデズモンドと過ごしたかった?」

「お兄様と?冗談じゃないわ、5年に1回2時間程度で十分よ、馬鹿が移るもの」


辛辣だった。

なんとなく、リビエラの顔が今朝よりもスッキリしているように見えた。デズモンドと話したことが間違いなくリビエラの気を軽くしたのだろう。だったら、ここに来たのは正解だ。


「ただ、兄に感謝してきたの。あの日ローエンを友達に選んでくれて有難う、って。そうじゃなければ私、今ここに居ないもの」

「…君が僕を見初めたのはデズモンドの友人候補を集めた日だったと記憶しているけど」

「でも兄が貴方を選ばなかったらきっと、婚約は認めてもらえなかったわ」

「それじゃ、僕も次に会ったらデズモンドには感謝の気持ちを述べておくことにする」

「ええ」


リビエラは薄く微笑んだ。


「それから、生きていて後悔していないか聞いてきたの」

「…何て言っていた?」

「『サラがいるから後悔しない』と言っていたわ。やっぱり兄妹なのね、私もローエンがいるからもう後悔しないと思っていたもの。…勿論、迷いも後ろめたさもあるけどね」


僕は、リビエラがそう思ってくれていたことに少し安心した。僕自身、リビエラが本当に幸せなのか、後悔していないと言い切れるのか、不安ではあった。決して善良な姫ではなかったけれど、王女として民に報いる気持ちが強かったリビエラが、こうしてのうのうと生きていることを辛くは思っていないだろうか、とは考えていた。未だに死にたくなるのだろうか、とか。


だけど、他ではない僕がいるからこそ、生きているのだと言われると、僕の方こそ救われるような気持ちだった。


リビエラの命を救うのも、繋ぐのも、それは間違いなく僕だ。僕以外には出来ない。王女の時より豊かな暮らしを送るリビエラを、僕のようにはきっと、いや絶対に誰も愛せない。

だけど、僕を救うことこそリビエラにしかできない。


「僕こそ国も家族も裏切ったけれど、リビーが側にいてくれるからこそ、その選択に間違いがなかったと思えるよ」

「感心したことにしておくわ」


くす、とリビエラが可笑しそうに笑った。

そんなリビエラが眩しくて、僕も小さく笑った。


「あら、笑ったわ」

「…僕だって偶には笑う」

「だって昔はずうっと仏頂面かムスッとしてたもの。なんだかこそばゆくて、嬉しいの」


リビエラは楽しそうに笑った。リビエラだって今の方がよく笑う。僕だってそれが嬉しい。


「有難う、リビー」

「何かした?」

「君が生きていてくれて、僕は心底嬉しいんだ」

「や、やだ辞めてよ、恥ずかしい」


リビエラは頬を赤らめて目を逸らした。


「それから、今回のことは本当に申し訳なかった。…僕の浅慮が招いた結果だ」

「それも辞めて」


僕が頭を下げると、リビエラは首を振って拒否した。


「私たち、夫婦なのよ。家族なの。何でも話し合って決めるべきだったわ。私には あまりにも力がないから、ローエンが全部背負いこんでくれてるのは理解してる。でも、もうそれじゃ駄目だわ。これからは何かあればきちんと話し合いをしましょう?」

「…君がそうしたいなら、善処するよ」


僕はリビエラに隣に立って一緒に戦ってほしいわけではない。僕はリビエラを守りたい。リビエラには要らぬ苦労をかけさせたくない。

だけどリビエラはもはやそれを望んでいない。リビエラは可能な限り隣に立とうとしている。僕は…そうしたくないのは山々だけど、今回の件もあるから一応は受け入れざるを得ない。

リビエラは最大限の妥協の言葉を聞くと、にっこり笑った。


「ありがとう、ローエン。私、ローエンには感謝してもしきれないくらいなのよ。本当よ?色々してくれているってことは、本当に理解しているの」

「…僕がしたくてしているんだ。…君はもっと我儘に僕に色々要求してもいいんだよ。贈り物でも何でも」


最近控えめになってきた我儘を僕が要求すると、リビエラは困ったように微笑んだ。


「だって最近は私が欲しいと言う前にローエンが揃えてくれるのだもの」

「…僕も堪え性がないな」


反省する気はないけど。


「思いついたら精一杯可愛くおねだりするわ」

「楽しみにしておくよ」


リビエラは嬉しそうに笑った。




一旦終了です。お付き合いありがとうございました。準備が出来次第、また番外編を投稿します。

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