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物語は幸せに終わらせる  作者: 成瀬 せらる
アルビレオの瞬き
6/20

宝石箱には星屑を 2

「お帰りなさい!」


家に帰ると、庭のお気に入りスペースから出て来たリビエラが飛びついて来た。1、2歩よろけながら抱きとめる。


我が家の庭は、リビエラが退屈しないように日々改良している。リビエラがお気に入りの場所は、小さな秘密基地のようになっている。

リビエラの髪に寝癖がついているから、きっとそこでしばらく眠っていたのだろう。


「ただいま。…代わりはない?」

「ないわ!」


リビエラは元気よく言い切った。

僕は侍女のエリザに荷物を預け、部屋まで歩きながら執事の報告を聞く。リビエラは大人しくダイニングに向かっていく。リビエラの背中はなんだか寂しそうだった。


「…新しく話し相手を探してやったほうがいいのかな」

「もしくは旦那様が屋敷から出ないかのどちらかです」


執事は本気だった。僕も、やろうと思えば仕事を家に持ち帰ることもできる。だけどそうしてしまうとリビエラを構い倒して仕事に手がつかないのは目に見えているし、仕事をしない僕を女王が許すとは思わない。僕の存在価値は、あくまで僕の能力を女王が高く買っていること、それのみだ。だからある程度の勝手が許されているだけのこと。女王が満足する程度に働かなければリビエラを養えない。


「…マリア嬢を四六時中レンタルするには幾ら掛かるだろうか」

「非現実的です。我が家の財政事情から申し上げて、月に5日ほどフルタイムで呼ぶだけで破産します」

「…ぼったくりめ」


マリア嬢は僕には法外な値段を要求する。そのぶんの見返りはもちろんあるが、それでも普通ではない。だけど、リビエラはマリア嬢の訪問を心待ちにしているし、マリア嬢が持ってくる品々が大好きだ。

マリア嬢は、もっと安くして欲しいならリビエラを自分の屋敷に来させろ、という。

なるべくここから出したくない僕は、だったら金を出す、と返す。


僕とマリア嬢の意地の張り合いは5年継続中だ。


「…他に秘密を守れる人を増やすのも、難しいな。…でもリビーに退屈させたくないし。…まだ本は好きかな」

「本はよく読まれていますよ。最近は庭に持ち込んで読んでいるようです」

「…もっと寛げるスペースを拡げよう」

「心得ました」


それから本棚も。うちに来る商人にはもっと本を持ち込むようにリクエストしてみるか。


「奥様は人見知りでいらっしゃいますから、人を増やすのは私もお勧め致しません」

「…そうだね」


リビエラの見知らぬ人に対する恐怖は、元を辿れば幼少期の過酷な城での生活…無自覚だろうが、相当の嫌がらせを受け、兄弟姉妹達から嫌われて来た所に起因すると僕は見ている。僕が紹介した人には比較的すぐ懐くのだけど、そうでない場合はかなり難しい。


「旦那様。姉君からお手紙が届いております」

「…捨てておいて良いよ。どうせまた金の話だ」


最近、姉から手紙が来るようになった。

ガーディンのカドガン領の運営は、基本的な方針を僕が、細かい部分の采配を僕の部下が行なっている。僕の家族もカドガン領の屋敷に暮らしていて、それなりに良い生活をしている。なのに、常に足りないと言う。部下には決して甘やかすなと言い含めているから、僕に直接手紙を送りつけてくるのだ。


「…昔のように贅沢三昧をさせるつもりはないとハッキリ言ったと思うんだけどね」

「妻ばかり甘やかして、という話のようですよ」

「…碌に稼ぎもしないでその言い草はないだろう。僕が稼いだ金を僕がどう使おうと誰にも文句は言えないはずだ」


僕がリビエラに貢ぐのは、あくまで僕が稼いだ金でのこと。僕が姉や父を養うのはあくまで義務があるからこそ。リビエラ以外に大枚叩いてやるほどの余裕はない。



翌朝、いつもと同じように眠ったままのリビエラを残して出仕すると、昼前にいつかと同じように執事が血相を変えて来た。僕は自分の執務室で書類に目を通しながら、女王の代わりにやって来たらしい将軍の相手をしていた最中だった。ラガソールの統治がどうとか、オーランとの国境付近の賊がどうとか。本来なら僕が将軍の所に出向いてする話をしていた。しかしながら、普段ならこの類の話は女王が将軍の代わりに来て話している。女王は暇なのか。


話を戻して。

執事はいつもの燕尾服の上を脱いで、汗を刺繍が施された清潔なハンカチで拭いながらぜいぜいと呼吸を荒くしていた。


「…リビエラに何かあった?」

「な、ナタリー様、がお屋敷に」


それだけで僕は立ち上がった。

ナタリーは、僕の実の姉である。ナタリー・カドガン。僕より4つ程年上、未婚。年ももう30近い、外見だけは立派な大人だ。そして誰に対しても姑のように小うるさい。

そして、王女としてのリビエラを知っている。


「将軍、話はまた明日にでも。僕は帰ります」

「陛下には僕から話を通しておきましょう」

「話が早くて助かります」


僕は手早く荷物を纏め、執事に押し付けた。将軍は直ぐに理解してくれた。将軍のせいでこの前は面倒を掛けられたし、その借りを返してもらったようなものだ。僕たちは持ちつ持たれつ。職場の人間関係は極めて良好…と思っておく。


将軍の好意で用意された軍用のありえないほど速い馬車に乗って急いで帰る。

家に駆け込み、促されるままサロンに入ると、困惑顔のエリザに給仕をさせる太った婦人がリビエラの定位置であるふかふかのソファに心地よさそうに座っていた。


「ナタリー」


僕が呼びかけると、婦人は二重顎をもたつかせながら顔を上げた。ニタリ、と笑ってリビエラの高い陶磁器の杯を掲げる。


「随分良い暮らしをしているね」

「それが何か?」

「誰に聞いても金がない金がないと言うのにこれは?遠い国からわざわざ取り寄せたカップだろう」

「言い方が悪かったようです。金はある。…だがあなたに使う金はない」


僕が手を振って合図をすると執事がサロンから粛々と出て行った。リビエラを探すためだ。

なにも知らないナタリーはソファに踏ん反り返った。


「ふん。あんたまだあの小娘に縛られてるみたいだね」

「…誰のことだか分かりかねますが」

「何故処刑された筈の王女が生き延びてるんだ?急に結婚すると言い始めたのに相手をいつまで経っても連れて来ないからどうなっているのかと思っていたんだ」


ナタリーは紅茶の杯を置いて、第二関節を通っていない華奢な指輪をうっとりと眺めた。


「…ッ、それは!」


僕が2年目の結婚祝いにリビエラに贈ったもの。リビエラが気に入ってほとんど毎日つけていたもの。よくよく見ると、ナタリーはリビエラの百合の形の髪飾りと、ネックレスもしていた。

僕が気色ばむとナタリーは嗤った。


「大方あの娘に結婚を迫られたんだろう。お前は昔からあの子の我儘には逆らえなかったのだし。今も我儘放題で逆らえないのだろう?家族を放ってあの子にばかりこんな高価なものを与えて」

「……」

「でも今のあの子には王位も無ければ身分もないただの小娘。追い出すくらい訳がない」

「…追い出す?」

「修道院にでも入れちまえばいいだろう?それか娼館に売り飛ばせばいい。見てくれは良いんだから高く売れるさ」


背を押せば僕がリビエラを手放すと、ナタリーは本気で思っているようだった。ナタリーは僕がどれほどリビエラを愛しているかも、リビエラを手に入れるために何をしてきたかも、僕がリビエラに犯した罪も、何も知らない。何も知らないのに僕とリビエラを引き離して、挙げ句の果てにはリビエラを売ろうとしている。

血液が沸騰しそうなくらいに煮えたぎっているのを感じる。頭が勝手にどうすれば目の前の豚に、生きてきたことを後悔させられるかの算段を始めた。


逃げ出そうとしたリビエラに結婚を迫ったのは僕だ。死のうとしたリビエラを無理やりここに縛り付けたのは僕だ。着きれないほどの衣装や遠い国から高い茶器を用意したのは強請られたからではなく、僕がそうしてあげたいからだ。


「旦那様」

「…リビエラは?」

「それが、」

「…エリザ、ナタリーを地下の倉庫に押し込んでおいて。それで?」


処分は後だ。執事がリビエラを見つけたようだったので、リビエラを優先した。ナタリーは随分前からここにいるようだから、きっとリビエラに何かしたはずだ。


「そもそも…どうしてナタリーをうちに上げたの?…君たち女王陛下ですら追い返すのに」

「それが、リビー様がどうしてもと言うので」

「…煩く来訪したから気付かれたか。…僕の姉なら仲良くしたいとでも思ったんだろうね」


実に最近のリビエラらしい行動だ。リビエラは王女時代を反省して、優しくなろうとしている。広い心を持とうとしている。


「…だけど今回ばかりは間違いだ」


僕はエリザに押されてサロンから追い出されるナタリーを冷たい目で睨んだ。


基本的に、我が家のすべての部屋の扉は解放されている。それは物置ですら例外ではない。唯一例外があるとすれば、僕が急ぎの用で仕事をしている最中の書斎だ。リビエラを構い倒しては意味がないので、わざと閉めている。

扉が開いているのは、リビエラが閉鎖空間を怖がるからだ。表面上は、リビエラは普通だ。しかし閉ざされた扉を見ると、リビエラ自身が無意識に扉を開けてしまう。そしてそれは、リビエラには自覚がない。それに気付いてからは、僕の方からなるべく開けておくようにした。それからカーテンも引かない。リビエラは暗いところを嫌う。そして寒い場所も。だからどんな部屋にも光がたっぷり入るように窓が備え付けられている。たとえそれが倉庫であろうと、だ。暗くなれば蝋燭が誰もいない部屋でも灯され、暖炉の火もリビエラが寒がらないように燃えている。


なのに。

物置としている小部屋の扉が閉ざされている。鍵がかかっている。


「リビエラ!」


錠を外し、部屋の扉を勢いよく開けて中を見回す。部屋は暗かった。この5年で一度も閉めなかった遮光カーテンがぴったりと閉じられていた。


リビエラは、うず高く積まれた木箱や紙袋などの荷物に紛れて部屋の真ん中で頭を抱えて蹲っていた。


「リビエラっ!」


リビエラを抱き起こす。リビエラの身体は、まるでバケツ一杯の水を掛けられたようにぐっしょりと濡れていた。所々に濡れた花弁が付いている。執事が直ぐにカーテンを開き、部屋に光が差し込む。光に照らされたリビエラの顔を覗き込むと、顔色は蒼白で、大きな瞳からはらはらと涙を零していた。


「わ、わたしが、っ、いけないの」


リビエラはガタガタと震えながら言った。


「ぃ、生きて、いる資格なんて、ないのに、贅沢をしているから、っうぁ」


リビエラは凍えていた。僕は強く抱き締め、リビエラに訊ねた。


「…あの女が君に水をかけてこんな所に押し込んだ挙句、そんなことを吹き込んだの?」

「っ、でも、ほ、本当に、そうなんだものっ!」


リビエラは泣きながら言った。


「し、死に損ないの、うぅ、王女。…まともじゃ、ない身体。ぅ…っ、ローエンの役に、全く立てない、ご、穀潰し。贅沢ばかりして、これじゃ…昔と、何も、変わらない」


リビエラはまた頭を抱えて泣き叫ぶ。


「ぁあっ!頭が、痛いっ!私、私…ッ怖いの!ローエン、助けて…っ!お母様が、お父様が!みんなが、私を、…待って、いる…!くっ、……はっ!息が、っ、く、息ができな、ッ」


リビエラは苦しそうに浅く呼吸している。襲い来る頭痛とショックから来る、過呼吸だ。僕は手慣れた動作でリビエラの背中を撫で摩る。


「…落ち着いて、なるべく息を吐き出して」


リビエラは苦しげに息を吐いた。まるで子供が泣いているように激しく嗚咽を漏らす。実際泣いているのもあって、過呼吸の苦しい症状が治まるのに時間がかかりそうだった。

僕はリビエラの頬に口付けし、宥めるように頭を撫でた。


「…君がどんな苦境に陥っても、絶対に僕が助ける。どうしても君が死なねばならないと言うなら僕も一緒に死ぬ」

「ロー、エ、」

「…君がいない人生なら要らない。君は僕を生かすのに十分以上に役に立っている。…君が生きているおかげで僕は楽しく過ごせる。君が贅沢をしているのではなくて、僕が君にそうさせて楽しんでいるんだ。…それにその身体は、僕のせいだよね。…何もかもリビエラが気負う必要はないよ」


リビエラの呼吸が緩やかになる。リビエラは儚く微笑んで、目を閉じた。そのまま意識を失った彼女の体を抱き締め、濡れたドレスを脱がせていく。執事が出て行き、入れ違いに入ってきたエリザがリビエラの着替えを用意して手早く着付けていく。


多分リビエラは起きたらこのことを覚えていない。いつもそう。


「あの女は明日までずっとあそこに。…僕はリビエラから離れない」

「畏まりました」


エリザはリビエラを心配そうに見ていた。僕が手を振って追い出すが、最後の最後まで名残惜しそうにリビエラを見つめていた。主人思いの良い侍女だ。


リビエラが魘されている最中に過呼吸を起こしたり、頭が割れそうだと叫ぶことは、稀にある。最近は随分落ち着いてきていたが、それでも過度のストレスを感じると強く発現するらしい。リビエラがいつも魘されている内容は、リビエラの譫言から窺うことしかできないが、いつもいつもあの牢獄で苦しんでいることだけは分かる。

これは僕の罪、僕の呪い。リビエラの中のどうやっても消せない記憶。身から出た錆。


「…また、間違えてしまった」


誰にともなく言った言葉は暗闇に溶けて消えた。



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