宝石箱には星屑を 1
5年後のお話。
※強欲令嬢のネタバレ含みます。ご注意ください。
なんて詰まらない夜会。なんて詰まらない景色。
「ローエン様、背筋を伸ばして」
「…はあ」
ため息を吐き出して、背筋を伸ばす。隣には燦然と輝く太陽の如き淑女。名をマリア・ラインラルド女伯爵。莫大な財力と、他の追随を許さない美貌とセンス、それにこの国を治める女王の殆ど唯一と言ってもいい友人とくれば誰もが彼女のエスコートをしたがる。羨望の眼差しを一身に受ける僕の心は、非常に暗い。誰かにこの場を変わってほしい。僕は華やかな場所が嫌いだ。
「…いっそのことリビーと代わりたい」
「だったらリビー様といらっしゃれば宜しいのです」
「…リビーと?…あれが亡国の姫だと世間に知られたらどうなるか」
「そんなことはアリシア様がどうにでもしてくれます。リビー様はアリシア様のお気に入りですから」
「…だから余計に怖い」
マリア嬢の目線の先には、濃い茶色の髪を高々と結い上げた若き女王。敬愛すべきアリシア陛下。この世で最も恐ろしい女。…だと僕は思っている。
「あんな風に見せびらかしてしまえば宜しいのに」
「…僕には理解できない。…どうしてあの人は大切なものを態々人に見せるのか」
幸せそうに微笑む女王の隣には、眩しい金髪の青年。所謂女王の愛人だ。彼のお陰で最近の女王は異常に機嫌が良いし、気持ち悪いくらい寛容だ。逆に女王に心酔している護衛の騎士の機嫌は頗る悪い。
「…本当に辞めて欲しい。…僕は彼には早々に消えてもらいたい」
女の顔をした女王に吐き気を感じながら、僕は毒突く。マリア嬢は気の毒そうな顔をして陛下を見ていた。
「少しやり過ぎだとは思います。お兄様や夫も…扱いに困っていますから」
「少し?…あの男の領土がどれほど栄えたことか。あれが依怙贔屓に見えないと思わないのか?」
「私に突っかかるの辞めてもらえます?」
マリア嬢は不快そうに言った。僕はまた溜息を吐き出す。
「…はあ、リビーに会いたい」
「私だって家に帰りたいのは山々なのですから。ほら背筋」
「…伸びてるよ、ぅぐっ」
抵抗した瞬間にマリア嬢は表情を変えずに僕の背筋を殴った。見た目は華奢なのに、いつも僕を殴る一撃は重い。そういうところは彼女の兄にそっくりだ。
リビエラを夜会のパートナーにはとてもできないから、どうしても出席しなければならない時は、諸事情で『公式には』未婚のマリア嬢を連れて行く。マリア嬢も公式なパートナーがいないから、なんだかんだと言いながらも結局僕と行く。お互いにお互いを有効活用している、というわけだ。それにマリア嬢がパートナーなら、衣装に悩む必要もない。マリア嬢が自分の隣に並んでも可笑しくならないように気を使ったデザインのものを寄越すからだ。僕はマリア嬢の良い御客様だからこのくらいは当然のこと。
「では私は定位置に参りますので。はい解散」
「…お疲れ様でした」
マリア嬢は妹分のルース嬢を引き連れて陛下の隣へ。僕は壁際へ。お互いの定位置に別れると、僕は気合を入れて伸ばしていた背筋から力を抜いた。
「マリアの隣は気疲れするよね」
「…君の隣もね」
ルース嬢の義理の兄のサミュエルが僕の隣に立った。サミュエルは僕にワイングラスを渡す。
「…君の家のワイン?」
「違うよ」
「…じゃあ、いらない」
サミュエルの領土特産のワインは美味しい。すっかり舌が肥えた僕は、他所のワインでは満足できなくなっていた。
それに、飲んで酒臭くなるとリビエラが嫌がるし。
「…いつ求婚するの?」
サミュエルが、義理の妹をずっと目で追いかけているのでつい聞いた。サミュエルは楽しそうに笑っている。
「だってルースはまだ僕をただの兄だと思っているんだもの」
「ただの兄じゃないか」
サミュエルは天使と見紛うほどの美形だけど、中身が駄目だ。拾った少女を自分好みに育てて嫁にする計画はどうやら上手くいっていないらしい。
「…姉と慕うマリア嬢と婚約してた相手に、恋なんてするのかな」
「痛いところを突くね。そういえばルースは君の奥様とはまだ会ってなかったよね。一度会わせてみない?」
「…遠慮します。妻をなるべく人に見せたくありませんから」
「そうやっていつまでも女王陛下の誘いを躱していたら、実力行使されるよ?君の家、前乗り込まれたんでしょ」
「あれは別件。…あくまで僕がアルノルトの婚約者を匿ったから、陛下が回収しに来ただけのこと」
「あーあ、僕も見たかったのになあ」
何をだ。
ついこの前まで我が邸に滞在した客人は、非常に迷惑だった。マリア嬢の兄であるアルフォンス・ローレライ将軍の新しい腹心となった、アルノルトという青年の婚約者を無理やり押し付けられたのは記憶に新しい。陛下の考えが読み切れず全力疾走で邸まで帰ったあの日は文字通り最悪だった。僕はこれ以上陛下とリビエラを引き合わせるつもりがないから、陛下がこっそり僕の屋敷に来たというだけで恐怖する。
「アルノルトとも友達になったの?」
「…なるもんか。あれの婚約者は、まあ、嫌いじゃないけどね。…リビーも無邪気に喜んでいたし」
「君の価値判断は分かりやすいなあ」
同じことだろう。僕は態々口に出さずに心の中でそう言っておいた。アルノルトは確かに、良くできた彫刻かと見紛うほどの美形だ。女性が彼を見るとあまりの美しさにぽうっと惚けるのは良くあること。…リビエラがそうなるとは考えられないけれど。寧ろ考えたくない。
相変わらず微笑みを絶やさないサミュエルは、ワインをちびちびと飲んでいた。
「美味しくないね」
「だから飲まないんだ」
分かっていて何故そうするのか、僕には理解できない。
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「いつになったらリビエラと会わせてくれる?もう5年だぞ、5年」
「然るべき時が来れば考えますが。それにリビエラではなくリビーです。リビー・カドガン伯爵夫人」
僕の執務室に態々やって来た女王陛下が不満げに僕に問うた。僕は言い慣れた台詞を吐き出し、書類に目を落とす。
隣に愛人を侍らせてご機嫌そうな女王は、やはり言い慣れた台詞を吐き出した。
「私から会いに行っても良いのに」
「そんなことをするとリビーが驚いて体調を崩します」
「本当に、まだそうなのか?」
陛下は念を押すように言った。僕は慎重に言葉を選ぶ。
「…僕の罪は高々5年では償えませんから」
「その調子では子供も望めないな」
「…子供、ですか?」
「というより後継か?その辺りはどう考えている?ん?」
考えたこと、なかった。
僕が答えに窮しているのを察した女王は、これまた楽しそうに言う。
「別の女を迎えるか、養子を取るかのどちらかだな」
「…どちらも考えてはいません」
「子供は欲しくないのか?」
「…リビーとの子供なら、欲しいとは思いますが」
それでも強く望むほどではない。やっと僕とリビエラが2人で思うように生きていけるようになったのに、態々2人の時間を削るものを作るつもりはない。リビエラとこの世界の中で2人、それだけで十分以上。…それでも、後継、か。
「お前の妻になりたがる女は多い。何せ、私が直々に世間話をしに来る程に寵愛しているからな」
「…気持ち悪いこと言わないで貰えます?寵愛ではなく重用でお願いします」
「それはそうとして。後継が必要で新しい女を迎えるつもりがあるなら工面してやろう。ただし、リビエラを私に引き合わせるのが条件だ」
「それは…取引として成立しません。…僕はリビー以外を愛すつもりも、愛せる自信もありませんし。そもそもリビーを裏切ることはできませんから」
後継、か。
そのたった2文字の言葉は僕に要らぬ悩みとなった。父から奪い取った伯爵の地位は、僕にとってはただの手段だったが、其れなりの制約と責任を伴った。領土の運営は、今の所問題ない。ただ僕が死んだら誰が運営していくのか、指名しておく必要は、確かにある。今まで考えもしなかったことだ。誰も僕にそれを言わなかったのは、ただ僕が若く、そして妻がいたから。誰もがいずれ子が生まれると思っている。だけどリビエラにはその準備ができていない。そしてそれはきっとこの先も、できない。
「…………はあ」
リビエラに産ませられないから、僕には子供は要らない。リビエラがいればそれだけで十分以上に満足だ。だけどもしリビエラがそれを望めば?僕が徹底的に壊したリビエラの身体を、如何にして治すか。この5年で二進も三進もいかなかった身体を、誰がどう治せると言うのか。
僕の罪はあまりにも、リビエラに傷跡を残しすぎた。
「溜息は幸せを逃す」
「…元凶は黙っていてくれます?」
女王陛下は楽しそうに笑った。
「リビエラの身体のことだが、実際にはどんな具合なんだ?」
「…アルノルトの婚約者が来た日は、屋敷の案内をした程度で熱を出して丸一日起きて来ませんでした」
「それは確かに私と出会うだけでも緊張で熱を出しそうだな」
「…でしょう?ご遠慮ください」
女王陛下は、リビエラには刺激が強すぎる。
おそらく久しぶりの客人にはしゃぎすぎただけだろうけれど、リビエラが屋敷の案内をした後に倒れてしまったのは本当だ。疲れて熱を出してしまった。これはリビエラに案内を任せた僕の落ち度。また間違えてしまった。リビエラを苦しめるつもりは毛頭無いのに。
「お前、勿論アルノルトの結婚式には呼ばれているのだろう?」
「…招待状は届きましたが、不参加ですよ?…リビーを外に出せませんから」
「ふうん、残念。行けばリビエラに会えると思ったのに」
だから、行かないんだ。僕は黙っていた。しかし黙ったことで女王には僕の微細な苛立ちが伝わった。楽しそうに笑う女王を睨み、また書類に目を下げる。
「ステラさんと仲良くなりたいのはリビーが理由ですか?」
「それとこれは別。私は友達が欲しいだけ」
ステラさんは件のアルノルトの婚約者だ。こちらに滞在中はリビエラの話し相手を務めてくれた。リビエラはステラさんが好きだ。だから僕も、彼女のことは嫌いではない。
「…友達ならいるではありませんか」
「もっと欲しいというのは贅沢なこと?」
僕には分からない。気の許せる友人が1人か2人で十分だと思う。それ以上の友人は欲しくないし、付き合いの時間が増えてリビエラと過ごす時間が減ると困る。
「ローエンは相変わらず余裕がないな」
「…余裕がない?」
「リビエラにばかり多くを割いている」
「言いたいことは分かりますよ」
でも実際に、優先順位をつけるならリビエラが圧倒的に高く、その他がかなり低い位置にある。それは絶対に変わらないし、リビエラの占める割合も変えられない。リビエラこそが僕の生きる意味で、生きる目的で、そして生きる喜びだ。
「僕の全てはリビーに捧げていますから。リビーが死んだら生きている意味もありませんし」
「だからこそ私はリビエラと仲良くなりたいのだが?」
「…リビーは貴女を怖がっているのですよ」
だから会わせるわけにはいかない。リビエラを怖がらせたり、痛い目に合わせるのはもう懲り懲りだ。僕は彼女を真綿で包んで宝物のように大切に箱の中に仕舞い込んでおきたいだけなのだから。
それに女王がリビエラと友達になりたいというのも、リビエラを握ることで僕も握れるというだけの話。ステラさんも、アルノルトの手綱というだけのこと。
ただ打算的に友人を作るだけ。女王はそういう人だ。だからリビエラは握らせない。
僕が口を引きむすんでこれ以上の会話を拒否すると、女王はクスクス笑って帰っていった。