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いつかのあなたへ


「遅い」

「…申し訳御座いません、陛下」


城に着くと、リビエラに会ったとみられる陛下が不機嫌そうに腕を組んで立ち塞がった。陛下には隣にマリア嬢を連れていた。2人とも寝間着に寝癖がついたままの姿だった。よほどリビエラが見たかったのだろう。リビエラの自殺願望も、陛下にとっては玩具の1つに過ぎない。陛下は僕とリビエラの結末で遊んでいる。


「…マリア嬢、今日はこちらにお泊りで?」

「たまたまですよ。アリシア様がお喋りしようって。…で、リビエラ様がいらして真夜中に叩き起こされました。でもアリシア様にリビエラ様には会っちゃ駄目って言われたから、部屋の前で待っていましたの」

「お前が出たら安心させてしまうだろう」


陛下とマリア嬢は、本当に仲良しだ。陛下は悪い顔をして笑った。すごく楽しそうだ。マリア嬢もつられてニヤッと笑った。当事者の僕は楽しくない。


「…この恩は必ず」

「期待しないで待っているよ。マリア、もう寝よう」


マリア嬢は白くなった空を見ながら諦めたように溜息を吐いた。


「朝ですよアリシア様。起きてください」

「じゃあリゼとジェシカも叩きおこすか」

「あの2人は寝かせてあげてください。ほらほら護衛のレイモンド様が半泣きで探し回ってますよ」

「護衛中にうたた寝してるのが悪いんだ」

「酒飲ませといてそれはないでしょう」


2人はくすくす笑いながら歩いて行った。僕は、静まり返っている謁見の間の扉を少し開けて体を滑り込ませた。


丁度リビエラはどこかへ行こうと振り向いたところだった。リビエラの顔は、とても穏やかだった。


「…次はどちらへ?」

「国へ…」


リビエラの声は消え入りそうだった。王女は気高さを失わずに、凛と背筋を伸ばす。本当に帰るつもりなのか?死なねばならないとはもう誰も言わないのに?


「…陛下も言ったでしょう?…貴女の首がないことなんて誰も気付かないと」

「いいえ。だって私は」

「…国庫を使い切ったのはデズモンド王子だけではありません。…貴女のお姉様も、お母上も、みんな浪費ばかりでした。その分を税金で回収しようとして…民の不満は溜まりに溜まり、反乱が起こるかどうかの瀬戸際。その矛先をこの国との戦争に向けて…完全に負けました。…負けて、王族の首を持って民を鎮め、この国の一部となって生きることになりました」


リビエラは歯を食いしばっていた。細い体が今にも泣きそうに震えている。僕は続けて問いかけた。


「…貴女は今まで一度でも、民を困らせるような悪逆非道な行いをしましたか?」

「貴方に酷いことをしてきたわ」


そうだっただろうか。僕が覚えている中で、リビエラのいう酷い仕打ちはただひとつ。婚約を解消すると言ったことだけだ。それ以外の我儘がリビエラの言う酷いことならば、僕には当てはまらない。


「…僕は、婚約者です」

「嫌々そうさせただけよ…私は我儘で手のつけられないお姫様だったわ」

「ええ、それは認めます。…我儘の多い姫でした。…ですが、それだけです。民を苦しめる人ではありませんでした。…尤も、それは無関心だっただけなのでしょうが。…でもそれが功を奏して…貴方は民の制裁の対象から見事に外れました」

「ほ、んとうに…?」


リビエラは邪悪ではない。リビエラの我儘の矛先はほとんど僕にしか向いていない。でもただ我儘なだけでは駄目だった。リビエラには改心させないと、いけなかった。見せかけではなく本心から善人だと思わせねばならなかった。そうでなければアリシア陛下は助命を許したりはしなかった。


「何故僕があんな詰まらない本を読ませたと思いますか」

「あの本は、貴方が私に?」

「彼らと同じでは貴女を救えなかった。貴女は違わなければならなかった。…貴女があんなに単純だとは思わなかったけれど」

「単純、だなんて、」

「あの話を真に受けて、牢獄で死のうとまでしておいて!」


リビエラは一歩退いた。僕が怒ったからだ。僕は息を吐いて、落ち着きを取り戻した。できるだけ穏やかにリビエラに問うた。


「…僕のことを避けるようになったのはどうして?」

「エリザに教えられて…私は私が恥ずかしくて堪らなかった…」

「エリザも僕も、そう思うような教育はしていない」


ただ善人であれと教えただけ。普通に親切に、普通に優しく、適度に慈善の心を持てと言っただけ。リビエラが何故そんなに過剰に受け取ったのかはやはり僕にはわからない。


「…貴女が心変わりしたとは思わなかったけれど、僕は気分が悪かった。…だから、敢えて牢獄に暫く入ってもらった。…たっぷり反省して、僕に助けられて、大人しく喜んで腕に収まると思った」

「わたし…」

「…でも君は、死を選んだ。…僕には理解できない。…それまでの君は、到底あんな所で死を選ぶ人間には見えなかった。…貴人には相応しくないけれど、きちんと世話はさせた。それなのに」


僕はただ、反省させたかっただけ。リビエラを殺したかったわけじゃない。ただリビエラが欲しかっただけ。僕は、根本的に間違えた。リビエラを見誤った。やり方を間違えていたのは僕だけど、リビエラを責めずにはいられなかった。こんなにもリビエラが変わってしまうなんて、誰が想像できただろう。


「…僕は猛省した。…二度と君を失わない。…でも君は人が変わってしまった。…誰なんだ、君は。どうして死を選ぶ?何が君をそうさせる?…余程裏切り者の僕が嫌なのか?」

「裏切り者だなんて、思っていないわ…」


リビエラは蚊の鳴くような声を上げた。


「あの時は、ローエンはとっくに死んでしまったと思っていた。来世での私はきっと素直で性格の良い人に生まれ変わって、今度はローエンに嫌われないようにしたいと、そう思っていた」


ああ、やはり。リビエラは、僕が何も言わなかったから、何も知らなくて。それでも僕のことを考えていた。


「ローエン、貴方の裏切りは正しい行いだったと思う。私の家族が民を深く傷付けていたのは、知っていました。止められなかった私にも責任を感じていて…」

「…君は何も悪くない」


末席のリビエラ如きに止められるわけがなかった。


「それでも責任を負うのが王族の役目です。…死の間際に貴方に会えて本当に嬉しかった。思い残すことがなかった。家族が1人また1人と死んでいくのを見るのが耐えられなかった。早く、死んでしまいたかった…」

「それは、申し訳ないことを、した」

「ずっと私は死なねばならないと思っていました。白状すれば、貴方の隣にいるといつも私の中の悪逆非道な王女の姿を隠せません。私は悪魔のような女です。家族たちと何も変わりません」


何が、何が悪魔だ。虫一匹殺せないような女のくせに。僕はリビエラを逃さないように一歩近付く。


「…リビエラ王女。貴方は自己評価が異常に低い。そのくせにプライドが高い。…無茶苦茶な人間です。…元々は自己評価の高いお人だったと記憶していますが、僕の教育で打ち砕かれてしまったのでしょう。…だからあなたはまだちぐはぐな中身をしている」

「それが」

「お気付きでしょう?貴方の首を欲しがる人はいない」


リビエラは答えなかった。

リビエラの歪みは、牢獄に入ることで急激に加速してしまったらしい。王族は死なねばならない、とリビエラは思い込みすぎた。プライドが高いリビエラは余計にそれを曲げられなくなった。自分の命に価値がないと分かっていて、それでもリビエラには1度言い出したことを曲げられない。


「でもプライドが邪魔をして、素直に生き延びたいと言えないのですね」

「…それは」

「知っていますよ、貴女が善人になりきれないことも、我儘なところも。…貴女の我儘なんて王子に比べたら可愛いものです。…それに、心根から真に善人などいないでしょう。貴女は普通の女の子です」


僕の最後の教育はリビエラの高いプライドをへし折ることになった。リビエラは愕然と目を見開いて僕の宣告を聞いている。


「…紙の上では、貴女には死んでもらいました。獄中で発狂して死んだと。…だから首は無くて良いのです。…貴女はもう王女ではありません」


リビエラのプライドが崩れていく。死なねばならない理由がついに無くなった。リビエラはうわ言のように呟く。


「生きてて良いの…?」


貴女には生きててもらわねばならない。他ならぬ僕のために。


「…何のために僕がこの国の貴族になったと?…貴女を助け出し、求婚するためですよ」


全てはリビエラを幸せにするために仕組んだこと。僕が、リビエラと一緒に何不自由なく生きるため。

僕はリビエラに、ゆっくりと跪いた。リビエラの悲しいほど痩せてしまった手を恭しく取り上げ、それでも尚美しい人に可能な限り美しく微笑む。リビエラはまた泣いていた。


「…何もかも僕の不手際です。…貴女に大切なことを伝えていませんでした。…そうするだけの勇気が無かった僕をお許しください」


リビエラは荒く胸を上下させなから首を縦に振った。


「ゆ、るすわ、」


リビエラは王女の名残を見せて気丈に振る舞った。僕は、この日のために用意していた言葉をまたしても全て忘れた。どちらにせよ、大仰な台詞はこの場に相応しくなかった。僕は極めてシンプルな言葉を選んだ。


「…貴女を愛しています。…結婚してくださいますか」

「ええ、…ええ!す、するわ…!するに決まっているもの!」


リビエラの答えは、是。リビエラは僕に飛び込んできて、外套に顔を押し付けて大泣きした。鼻水まで付けられたけれど、構わなかった。マリア嬢に頼めばもっと良い外套が手に入るし、その時はリビエラにも一緒に選んでほしい。


そして僕は見つけてしまった。

謁見の間に覗き窓があることを。女王と薔薇が2人で交代しながら僕たちの顛末を覗いていることを。女王と目があって、女王は悪戯が失敗した子供のような顔をして逃げていくのを、僕は見た。



----------



「お兄様…太ったわね」


デズモンドとサラセリア様の領土に遊びに来た。婚約の報告に来ただけだ。一応、僕は元々彼の臣下だし、リビエラの唯一血の繋がった家族だし、来るのが礼儀だと思った。リビエラも喜ぶと思った。…が、リビエラはデズモンドの姿を見て軽蔑した視線を送った。


デズモンドの体重は軽く倍になっていた。コロコロになったデズモンドは、居心地の良さそうなソファに体を沈めてニコニコ笑っていた。


「お前は痩せたな!」


リビエラは凍てつく瞳で「そうね」と返した。


「…デズモンド、僕たちは結婚することになった」

「何を今更?」


…全くだった。デズモンドが不思議そうに首を傾げる。リビエラは二重顎が気になるのか、顎の下ばかり眺めていた。


「何がどうなってそんなに拗れたんだ?お前ら昔から相思相愛だった癖に」

「どこが?」


リビエラが聞き返した。僕は気まずくて目を逸らす。


「ローエンがお前に近付く男どもを何人社会的に抹殺したきたことか。父上がお前にもっと良い男を当てがおうとした時なんて!…王を脅した子供なんてこいつしかいないと思う」

「ローエンが?本当に?」

「…本当です」


リビエラが嬉しそうに笑った。やや誇張されているが、デズモンドの話は概ね真実だ。

リビエラに興味を示した貴族達には、密偵を放って得た後ろ暗い悪事を暴露しただけ。王にはリビエラに相応しいのは僕しかいないと言っただけ。断じて脅していない。リビエラが泣くかも、くらいしか言ってない。もしくは、父親でもリビエラに嫌われるかも、とか。


特に見所のない領土だったが、あのサミュエルがこの領土に何かしらの救いの手を差し伸べているらしい。アリシア様はお優しい、というより意味がわからない。何故自分を殺そうとしていたサラセリア様と、それから本気で嫌っていたデズモンドを生かしておくのか。

僕は王城に帰ってから、謁見を申し込んだ。意外とすんなりと通って、僕は久しぶりに陛下と顔を合わせた。僕は挨拶もそこそこに、ストレートにデズモンドとサラセリア様の生存の理由を聞いた。アリシア様はサラセリア様の母は処刑を待たずに自分で殺している。それくらいに、苛烈だったのに。


「何故って、サラセリアはそちらとのハーフだから国と国の架け橋として重要だし、デズモンドはそちらの王族がこちらに屈服した証として重要だもの。あの無能には子供を作るなって言ってあるから、表向き王族の血は途絶える。問題はない」


退屈そうにアリシア様は言った。


「尤も、隠れた王族がいるようだが?リビエラ以外の生存を私は許した覚えがない。お前はその詰めの甘さを自覚したほうが良い。リビエラのような悲劇を何度も引き起こされては困る。私はリビエラほど心優しいとはとても言えないから、お前の命で落とし前をつけさせる」

「…何のことやらさっぱりと。…全員処刑しましたよ。…それに、僕は詰めが甘いのではなく、損得を見ているのです」

「ふーん。お前が見逃した姫は隣の国の妃になるらしいが、それが我が国の利になると?」

「…あの国は我が国と戦争を望んでいませんから、姫を交換条件として属国にできるかと」

「じゃあそれはお前がやれ。…あちらが断るようならアルフォンスを連れて行け。どうせ取り込むつもりだったから、手段はどちらでも良い」


背筋を冷や汗が滑り落ちていく。アリシア様は何でもお見通しで、僕の回答すら多分分かっていた。最初から僕にこの仕事をさせるつもりだったのだろう。断れないように外堀を埋められていた。誰が好き好んで他国の侵略の交渉に赴くか?…僕は嫌だ。アルフォンス・ローレライ将軍は正直何考えてるか分からないから長時間一緒に居たくない。あれがマリア嬢の実の兄だというのも信じたくないくらいに、狡猾で計算高い男だ。


「話を戻そう。私がサラセリアの母を殺してサラセリアを殺さない理由だったな。それは、私が恨んでいたのはサラセリアの母君だけだからだ。あれさえ死ねば、あとはどうでもいい。本当のことを言うとサラセリアなんか生きてても死んでても、私の知ったことではない」


吐き捨てるように言って、アリシア様はコロッと表情を変えた。


「マリアには私の罪を言うなよ、嫌われたくないから」

「…サラセリア様の母君を、自殺に見せかけて塔から突き落とした件ですか?…言っても嫌いにはならないと思いますよ」

「どうせ知られると思うけど、時と場所くらい自分で選びたい」

「…黙っていたら永遠にバレないとは思いますが」

「事はそう単純ではないからな」


女王は含んだ笑いで誤魔化した。僕は聞き返そうかと思ったが、辞めた。多分教えてくれない。


帰宅してリビエラ、改めてリビーと少し話をした。結婚の話だ。どこで挙げたいか、とか。指輪はどうしたいか、とか。リビーはマリア嬢と相談する、と笑った。


「マリア様も結婚するんですって」

「…マリア嬢は婚約を破棄したところだけど?」

「ええ?でも、来年には結婚するって」

「………ああ、そういうことか」


僕はマリア嬢が結婚してはいけない人と結婚することを悟った。それならアリシア陛下の罪など、隠しようがないだろう。僕はマリア嬢を脅す良い材料ができたとほくそ笑む。リビーは不安そうに僕を覗き込んだ。


「…何も心配いりませんよ。…リビーは式のことだけ考えておいて」


よしよしと頭を撫でてリビーを寝かせる。リビーはあれ以来、暗い所と閉じた空間を怖がるようになった。特に地下には抵抗を示すし、夜の馬車も苦手だ。だから寝室を、前より広いところに移した。どうせ僕と共同で使うようになるのだから、それで構わないだろう。眠るときは蝋燭の明かりを常に付けて、僕が隣で眠ることで、ようやくリビーは安心する。魘されることはなくなった。


全てが元通り、というわけにはいかなかった。リビーの心の傷は完全には癒されず、僕がいないと魘されたままだし、足も長距離を歩くのは無理だ。髪の色も完全には戻らなかった。リビエラの黄金の髪は、リビーのくすんだ金になった。体が弱って体調も崩しやすくなった。

僕の罪はリビーに暗い影を落としている。僕のせいでリビーはいろんな行動を制限せざるを得なくなってしまった。

それでもリビーは幸せだと笑ってくれる。たとえこの先すぐに死んでしまったとしても、思い残すことがないくらいに幸せだと。それでは僕が困る。リビーがいない世界で生きていく自信がない。だから、僕のためにもリビーには末長く生きていてもらう。


僕の物語は、リビエラが隣にいる限り、幸せな結末となったと言える。


おまけ


謁見の小話

ア「お前、サミュエルと樽一個分もワイン飲んだって?」

ロ「…は?…そんなに飲めるわけないじゃないですか。…何本か貰って帰ったのでその分では?…リビエラと飲もうと貰ったのですが」

ア「この国の法律では20歳未満の飲酒は禁じられている」

ロ「アリシア様、おいくつでしたっけ。マリア嬢は?」

ア「どうやら法律は曲げる必要があるようだ」

ロ「そのようで」

ア「それもお前に任せる」

ロ「仕事してください」

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