サファイアの誘惑 7
「それで、お前たち話し合ったのか?」
「まあほどほどに」
女王陛下の執務室は、綺麗でこざっぱりしていた。品の良い調度品が並んだ居心地の良い部屋、という感じだ。私は女王陛下にソファに座るよう言い渡され、大人しく座った。ローエンは手慣れた様子でがさがさと机を漁り、紙の束を取り出す。私の隣に座って小さな文字が並んだ書類を眺めながら、女王陛下の問いに即答した。
「…サイン漏れです。こことここ」
「ああそれはどうも」
ローエンは陛下に書類を手渡す。陛下はさらさらとサインをしながら、書類に目を落とした。
「って、仕事をしに来たわけではないのだが」
「…すみません、つい癖で」
「今日くらいはやめてくれ」
「…暫く滞っていたのが気になりまして」
「お前の都合だろうが」
陛下はぶつぶつ言いながら書類を傍に片付けた。ローエンは手に持った書類を机に片付ける。
「喧嘩はどうなった、喧嘩は」
「…喧嘩しているところが見たくて呼んだんですか?」
「他に何がある?」
「貴女は人間として終わっている」
私はローエンがそんなことを言うものだから、恐怖のあまり顔が引き攣ってしまった。ローエンは目の前の人がどんな人だか分かっていない。この人は私の家族を、殆ど皆殺しにした人なのだ。自分の父の首を、顔色ひとつ変えずに落とした人なのだ。
しかし女王は、くすくすと楽しそうに笑っただけだった。
「私が仲裁役になってやろう」
「…結構ですので2人きりにしてくれます?」
「却下だ」
ローエンは深いため息を吐き出した。
「まずは…何だった?ああ、リビエラがお前に他の妻を勧めた件だ」
「…僕はリビエラ以外要らない」
「では後継はどうする?」
「…当てがあります」
ローエンはそう言って、沈黙した。
「さてリビエラ。ローエンに別の女を勧めたのは?」
「ひどい間違いだったと、今は思っています。でも、ローエンには子供が、必要でしょう?」
「ローエンには当てがあるらしいが」
女王の視線が、ローエンに注がれる。ローエンは面倒臭そうに言った。
「…実は、随分年の離れた弟がいるんだ」
「お、とうと…?」
「…父は遊び人でね。…我が家に正妻と、妾がいたのは知っているよね。…実は他にも、父には外に住まわせていた愛人が複数いて」
「愛人が複数…」
「そのうちの1人に子供が出来ていたらしい。父にそっくりだから、血筋は疑いようがない。…真っ当に育てば後継者にできる」
だけど、とローエンは続ける。
「…リビエラが子供が欲しいと言うなら、話は別」
欲しいかどうかで言うなら、きっと欲しいのだと思う。だけど私にはその資格がない。
「体のこともそうだけれど…私には王家の血が流れているから、子供は作れないわ」
私がそう言うと、女王陛下はこくんと頷いた。
「そうだな。私としては出来れば遠慮して欲しい。どうしても出てくるレジスタンスに、その子が旗頭として担ぎ出されてしまえば、私は立場上殺さなくてはならない。それは、悲しい」
その可能性はゼロではないし、私の存在がレジスタンスの旗頭として利用される恐れも、無くはない。ローエンがそれを非常に気にしているのも分かっている。
「それに私は自分1人守れないのに、子供を守れる気がしない。だから、私は…ローエンだけでいい。ローエンと私の2人きりが良い」
欲しい、欲しくないより、できるかできないか。私には親となる資格なんて、ないと思う。私は…見た目は大人でも、中身は子供だから。
「問題は解決したな」
「…そのようですね」
「一応補足をしておくと…ローエンがきちんと処理できるなら子供を作っても、構わない。リビエラに手一杯で子供を守れないというなら辞めておけ」
「…………覚えておきます」
間違いなくローエンは私で手一杯だ。
ローエンは固くそう言って、陛下に一礼した。
「あらみなさまお揃いで」
こんこん、とノックの音とともに扉が開かれた。マリア様がそこにいて、かつかつとヒールの音を響かせて入ってくる。そのまま私の隣に着席した。
「マリア、今後はリビエラが城まで遊びに来てくれるかもしれない」
「まあ。それは楽しみですね」
陛下が楽しそうに笑った。
「…来ませんよ。…陛下が怖いから」
「怖くないぞ?取って食ったりはしない」
「…一応リビエラの家族を奪ったのは貴女だということをお忘れなく」
「それはほら、もう水に流してくれないかな?私としても、デズモンドが私を殴った上に、大切なマリアまでも殴った時のお返しという事情があったのだし」
私は思わず口を開けて女王陛下を見詰めてしまった。まさか、お兄様がそんなことを?女性に手を上げるのは最低の行いだと、思っていたのに。
「…その話、リビーは知らないので黙っていてくれると嬉しかったのですが」
「済まない。素直に申し訳なく思う」
でも、いくら何でも仕返しが過激すぎる。私はやはり女王陛下にはなるべく近付かないようにしようと思ってしまった。
「その、…やや過激な所はあるが、意外と普通の人間のつもりなので、暇を見て遊びに来てくれると嬉しい。…リビエラと仲良くなりたいんだ」
「へ、陛下」
女王はがしっと私の両手を掴んで言った。
「リビエラのお兄さんは今でも大っ嫌いだけど、リビエラのことは絶対に大好きになるから。私を友達にすると、色々メリットが」
「アリシア様、ストップ」
マリア様が女王の肩を叩いた。
「貴女がメリットだなんだと言っていては友達になれません。ただでさえ見た目が怖いのに」
「でも他に売りがないんだ」
女王が至極悲しそうにいうので、私は少し笑ってしまった。マリア様も笑って、女王は困ったように眉を下げた。
「アリシア様はこう見えて寂しがりやなんです。私が最近忙しくて相手が出来ていないから、構ってくれる人が欲しかったみたい。リビー様、よければアリシア様の話し相手をたまにで構いませんので、していただけませんか」
「わ、私でいいのですか?敗戦国の、処刑済みの王女…ですよ。そもそも私には興味もない、かと…ばかり」
私がおずおずとそう言うと、女王とマリア様は困り顔で顔を見合わせた。
「えっと、負い目をもたせたことは素直に申し訳なく思う。それから昔、貴女が城に来た時にそう言ったのは謝る。…ごめんなさい。そう言わなきゃ貴女も引き下がれないと思って」
「あ、頭は下げないでください」
流石に頭まで下げられると怖い。
「さらに言い訳をしておくと、その頃は女王に成り立てで正直色々参っていて」
「アリシア様、ストップ」
マリア様がまた女王を制止した。女王は素直に口を閉じてマリア様を困ったように見つめた。
「ローエン様、リビー様を外に出したくないという問題は解決しそうですか」
「…リビーがそう望むなら、僕はサポートする。僕が危ないと判断したら、止めるけれど…今までのように全てを遮断したりはしない」
「でしたら、アリシア様を友達にしておくと誰も余計な詮索やお節介はして来ないと思います。幸いにもアリシア様はリビー様に興味津々で、仲良くなりたくて5年も手紙を送り続けていたような人です。リビー様がどうしても怖い、嫌だ、と思わないなら、一応友達候補くらいにしては良いのかと。外からだと、見た目も発言も怖いけど、友達として見ると意外と可愛らしい方ですよ」
結局マリア様は女王を友達とするのにメリットを述べた。何気に1番マリア様からの評価が残酷だと思った。
「私で、良ければ」
おずおずとそう言うと、女王はぱっと破顔して私の手を取った。
「やった!私のことは陛下じゃなくて、アリシアと呼んでね!」
「あ、でしたら私のことはリビーと」
「…どうしても?」
リビエラと呼ぶことに拘りでもあるのだろうか…今更王女時代の名前を呼ばれるとなんだか怖くなってしまうので、できればリビーと呼ばれたいのだけど。
「リビー様、どうしても、と言っておきましょう。この人ちゃんと言わないと引かないから」
「リビーでお願いします。絶対」
マリア様にそう囁かれて、私は素直にそう言った。女王は…アリシア様は、うぐ、と喉を詰まらせて、こくりと頷いた。
たしかに可愛らしい方、なのかも。
ローエンが気楽に接しているのも分かるような気がする。アリシア様も寧ろ、そういう遠慮のない態度を求めているように見えた。
「リゼリア様のことをリゼ、レイモンド様をレイ、アルフォンスお兄様をアルって呼ぶようなものでしょう?なにがそんなに嫌なんです」
「短くして呼ぶのはどちらかと言うとそのほうが特別感があるからで、リビーの場合だとみんなリビーって呼ぶから、私としては詰まらないというか、特別感がないというか…」
ふ、とローエンが笑った。可哀想なものを見るような目でアリシア様を見ていた。
「ローエンはどう思う?人前で、自分がその人の特別だと思われるのは気分が良くないか?」
「…僕は大切なものは人に見せない主義ですので」
……たしかに。
ローエンは本当に大切にしているものこそ、1人で愛でるタイプだ。壊されたくないとか、人に見られると価値が減ると思っている節がある。ローエンがこっそりコレクションしているものは、私が見るのは許せるけれど不特定多数に見られるのは困るとぼやいていた記憶が…
もしかして、私もその対象に含まれている、のかも。
「ああ、だからリビーを外に出さなかったのか?」
「…それも1つの理由ですね。…単純にリビーが外に出れば独身貴族を惹きつけてしまうのは目に見えていたので嫌だというのもありますが」
「そうなの?」
私が訊ねると、ローエンは至極真面目に頷いた。
「…僕の贔屓目を抜きにしても、君は相当可愛らしいし、この国では顔も売れていないから独身の令嬢が現れたと思われる。君は群がる男の対応には慣れていない。なので、目新しく初々しい反応をする令嬢を独身の男が放っておくわけがない。…まさにそうなったよね」
「私…あれは苦手だわ」
「…心配しなくても、僕の妻だと分かればみんな引くよ。…女王の友人だと知られても、だけど」
そう、かな。少し安心する。
正直言って、男に囲まれるのは恐ろしい。目が怖い。
「…だから城で話しかけられたら、まずは名前を名乗って、女王に呼ばれたと言えばいいんだよ」
「それは鉄壁ですね」
マリア様が太鼓判を押した。
「…城に来るたびに僕にエスコートさせてくれると1番なのだけど」
「仕事しろ」
「…貴女にだけは言われたくない」
間髪入れずにアリシア様がそう言い、ローエンは恨めしそうに呟いた。
「私もローエンのお仕事を邪魔する気はないの」
「…そう」
ローエンは残念そうに言った。たまになら邪魔しても、良いと思うけれど。それが毎回となると話は別だ。
アリシア様たちと別れて、私は久しぶりに家に帰ることとなった。エリザが既に荷物を片付けてくれているらしい。
屋敷に戻ると、出迎えた半泣きの執事がぺこりと頭を下げた。
「おかえりなさいませ、奥様。お戻りを今か今かとお待ちしておりました」
「心配かけてごめんなさい」
素直に謝ると、執事は小さく笑った。私はローエンに連れられて、サロンに入る。サロンのソファに座り、ローエンがその向かいに座った。エリザが熱い紅茶を持ってきて、私とローエンの前にそれぞれ置いていく。エリザはなんだか嬉しそうだった。
「マリア嬢の屋敷は…ローズヒルズはどうだった?」
「とても美しい場所だったわ。名前の通り、本当に薔薇の丘って感じ。良い匂いがするの」
「…そう。楽しく過ごせたなら、良かった」
ローエンはそう言って微笑む。
「マリア様に言われて、治療をしていたの。あれ以来ずっと不眠で…悪い事ばかり考えていたから」
「……」
「治療は、わたしの恐怖が何かを探ること、だったわ。突き詰めていくとね、ローエンに捨てられることが心底怖かったらしいの」
私はローエンの顔が見ていられなくて、ふと視線を床に投げかけた。
「ローエンが私以外を選ぶことが、怖いわ。私なんて要らないと言われてしまえば…。バカよね、だったら尚更ローエンから離れずにいれば良かったのに」
「同じことを僕も怖がっていると、思う」
ローエンはふと、そう言った。
「…僕が生きている理由は、君だけなんだ。…リビーがいるからこそ、何でもできる。…リビーがいなければ、僕は…生きる意味が分からないだろうから、父のようになっていたかもしれない」
ローエンの父親は、私の知る限りでは変な人だ。領地の運営は上手だけれど、人付き合いも人間としての常識も普通じゃない。……もしかしなくてもローエンそっくりだ。
「…だから君に捨てられたらどうしようか、ずっと考えてた。…リビーに利用される人生なら、まだ良いかと思っていて」
「金銭面はどうにでもする、ってそういうことだったの?」
「もう会えなくても、嫌われても、それでも…どんな形でも君を守れるなら、それで良いと思って」
別れると言ったのは、私にそう言われる前にどうにかして繋がりを持ち続けようとした、から。
もし、それすらも拒否されていたら。
「…流石にリビーに捨てられたから死ぬなんて言わないけどね」
「あ、安心したわ」
「…リビーが負い目に感じるだろうから。…でも、そうだな。全てを拒否されていたら、多分僕は持っているもの全部捨てて、旅にでも出るよ」
「旅?」
「…そう、旅。…嫌いじゃないからね」
私とは今まで旅なんてできなかった。だから、なのかな。私は遠出が苦手だから、行きたいと言われても躊躇しそう。
「…そうだ、僕の弟、会ってみたい?」
「会えるの?」
「…後継とするなら、なるべく父から引き離して育てたいから、母親ごと此方に呼ぼうと思っているんだ。…母親も、父に無理やり手篭めにされたようだから、逃げたがっているし」
「ちなみに弟さん、おいくつ?」
「5歳。母親は23歳」
本当に歳の離れた弟だ…ローエンのお父様、元気すぎる。それに、母親が私と年がほとんど同じ…
「…当たり前だけど、下心はないからね」
「流石に疑ったりしないわ…」
うん、流石に、ない。
「…僕も2人にはまだ会ったことがないから、一度ガーディンまで出向いて、話をしてみてから考えようと思っている」
「あら、もう仲が良いのかとばかり思っていたわ」
「…まさか。…父にまた子供ができていたのは5年前から知っていたけれど、興味が湧いたのは後継問題が出てからだよ。君がいない間に、僕の部下に調べさせただけ」
でも、それなら、私も会ってみたいかも。
「…彼らの人となりがわからないから、僕が先に会って危険がないかを確かめておきたいのだけど、気になるなら一緒に会ってみる?」
「いいの?」
「…気になるでしょ?…困るとすれば、ガーディンで会うのが少し難しくなるくらい」
「アリシア様にどうにかしてもらえないか聞くわ」
「…リビー、暫く見ない間に強くなったね」
ローエンが遠い目をした。
アリシア様とはせっかくお友達になったのだから、頼ってみたい、なんて…
「なら、僕の方もプランを立てるよ」
ローエンは明るくそう言った。
これまでだったら何も言わずに1人で全部やってしまっていただろうけれど、こうして私の意図も汲んでくれるのが嬉しい。
「それから、私、ステラの結婚式に出たいわ」
「…君を行かせたくなかった理由は、単純に外に出したくないのと、陛下に絡まれる恐れがあること、ステラさんの夫に君が見惚れるところが見たくないから、なんだ」
「前2つはともかく、最後のは何?」
「…ステラさんの夫は…男の僕から見てもとんでもない美形だよ。…歩く彫刻みたいな」
「彫刻が歩いても格好良くはないわよ」
「…………………まあいいか。調整しておく」
ローエンは諦めたようにそう言った。
「ローエンがどうしても嫌だっていうなら、諦めてもいいのよ」
「とんでもない。…この一件は、流石に僕が狭量すぎた」
ローエンは首を振った。
「…マリア嬢に、結婚式に出席するのに相応しい衣装を用意してもらおう。…今日みたいに、ペアになっているものがいいね」
「ペア?」
よくよく見ると、私とローエンの衣装は対になっていた。黒地に黄色と金の刺繍が施されたローエンの衣装。対して私は、黄色地に黒と金の刺繍。
マリア様にはきっとこうなることが分かっていたのだろう。それか、いつでも私が舞踏会に出られるように、ローエンと私が対になる衣装を選び続けていてくれたのだろう。
彼女の優しさが、胸に染みる。マリア様には、私たちよりも私たちのことが分かっているとすら思う。
それはローエンも同じように感じていたのだろう。ローエンは目をゆっくり閉じて、ぽつりと零した。
「まったく、マリア嬢にはいつも勝てないね」
リビーが知る女王の評判は伝聞で、実際目にしたわけではありません。あと1話で区切り予定。




