あなたと醗酵したい。―降りかかる火の子の中で、パンッと反撃の狼煙をあげた悪役令嬢―
「おーっほっほっほっほ! 二次醗酵はもっとすごくてよ!」
――その日、多くの者が見た。
悲劇が醗酵していく様を――最高の醗酵力を持った令嬢の恐ろしさを――
「俺は真実の美味しさを知った。イースト、お前との婚約を破棄する!」
パン・オ・ルヴァン酵国第二王子のグルテンは、セレビシエ酵爵家のイーストに対し、婚約破棄を宣言する。
「つまり、その天然酵母の娘に絆されたと……?」
イーストは春豊ブランドの扇子を噛み、わなわなと怒りに震える。それは勝手な理由で婚約破棄されたからだけではない。
今日はクリスマス礼拝の日だ。学園の礼拝堂で行われる礼拝には一般の人々も訪れる。そんな場所でこのような発言が出たのだ。
「馬鹿馬鹿しいほどに身分不相応な装いをしている小娘のどこがいいのですか!」
男たちに守られるように囲まれている彼女が身につけているのは、白を基調とした質素ながらも上品な衣装だ。黄金に輝く菌糸で編まれた刺繍、ふんだんに使われた複雑なレースが、空気を含み優雅に揺れている。花嫁が着ていたのなら、祝福の言葉が思わず出てきそうなほど、純白のまぶしいドレスだった。
しかし、それは、神の子の誕生を祝う行事で浮かれているとしても、学生が着るには度を超した過剰装飾な礼装だ。
礼拝の場に各国の王族御用達の夢力ブランドを着てくるなど、学生という身分には不相応なうえに、場も弁えていない。
「おや、もしかして嫉妬ですか? 自分が持っていないからといって蔑むなんて、見苦しいですよ。このドレスは僕がこの日のために取り寄せました。礼拝堂に無垢のドレス。美しい彼女に、似合うでしょう?」
パネトーネ商会の成菌息子が、しゃしゃり出てきた。彼も彼女の取り巻きの一人だ。
「さすがパネトーネ商会だな。まるで女神のような美しさだ。このまま、婚姻の儀を行いたい程だ」
グルテンは満足げに頷いている。
「礼拝堂は夜会会場ではありませんことよ。これでは衣装があまりにも可哀想です」
「他人を見下すしかできない卑しい女に、この素晴らしさが分からないのだな」
彼らは、彼女がいかに素晴らしいか、褒めに褒め、称える。辺りは胸やけしそうなほど芳醇な空気に包まれる。
「その女を取り巻くあなた達もあなた達です! 立派な国を作る貴族として、衛生管理がなっていないわ」
グルテンの隣にいる女性が、高い家柄のご子息や見目美しい者たちと所構わず醗酵しているという話をイーストは知っている。
複数の異性と関係を持つことを恥もせず、どこの由来の酵母菌とも分からない子を成す可能性がある者を、尊き貴族の一員にする事は、到底許せるはずがない。
こんなことがまかり通れば、風味が乱れ、貴族社会が腐敗してしまうだろう。
「そんな汚わらしい事を平気な顔で許すなんて、信じられないですわ。不快ですわ」
「彼女が天然酵母だからといって、蔑まないでください」
「どんな障害も愛の力で乗り切ってみせる。潔癖すぎるこの国のあり方を変えるのだ」
取り巻きたちは、思い思いに不平不満を言う。
「なんて愚かなのでしょう」
彼女が天然酵母だから、疎んじているのではない。この国は実力主義、たとえ天然酵母でも努力しだいで一流になれるのだ。実際にこの国を建国したルヴァン様も元は天然酵母だ。天然酵母だからと言って、見下すのは愚の骨頂。
礼拝の場で、貴族としてあまりにも相応しくない振る舞い。醜聞以外の何者でもない。
「仕方ありません……これも国の伝統を守るため。あなたたちにはパンとなって頂き、この国の礎になってもらいますわ」
脈々と血統を純粋培養してきた一族の中でも「イースト」という名を名乗ることを許された令嬢は、乾燥させていた己の醗酵力を解放した。
「まずは一次醗酵ですわよ! おーほっほっほっほ」
膨れ上がる醗酵力。まだ一次だというのにその神々しい力は圧倒的だ。
「そ、そんな事をしてただで済むと……やめろ! そんな馬鹿な真似!」
「そんなことして、何になるんだ!」
「助けて! いやああああ!」
彼らは必死に抵抗したが、努力虚しく、すべてはパン生地の中に練りこまれた。
イーストの醗酵力に勝てる者など、この国にはいないのだ。
――パンの中にいる。
――バットエンド。
理不尽わがままだけれどどこか憎めない最強の悪役令嬢?が出てくる物語は、アンパンがバイキンを懲らしめる話に出てくる、食パン好きの赤いあの子だと思う。