騒音メモリー
息が上がる。
駅に着いたから、駆け出した。
なるべく、人通りの多い道。
なるべく、ご近所の目を感じられる場所。
閑静な住宅街は避けて通る。
幸い、家の四方は小学校指定の通学路。
夕方を過ぎれば、部活帰りの中学生だって歩く路。
そんな場所に、居を構える我が家。
玄関を通過してしまえば、安堵の砦。
「たっ、ただいま」
もう、大丈夫。
「おかえりなさい」
「ママ!?珍しいね。仕事は?」
驚いた。
本当に珍しい。
「半休が取れたの」
嬉しそう。
「良かったね。……ねえ、由太は?部屋にいる?」
「あの子なら、予備校の体験入学に行ったわよ。今から誠治兄さんのとこに行くんだけど、アンタも来る?」
「行かない」
「冬馬くんが帰国したのは知ってるでしょ?顔でも見に行けば?」
善意が怖い。
ソレ、踏みにじって燃やしてしまいたい提案。
「眠いからいい。レポートやってたせいで寝不足なの」
「あら、そうだったんだ。母さんはせっかくだから、咲さんのお茶をおよばれしてくるわね」
「うん。行ってらっしゃい」
評判の洋菓子店の小袋をいそいそと携えたママはご機嫌。
根本的にお喋り好きで社交的な人だから、誠治叔父さんの後妻さんである咲さんとは、すごく馬が合うみたい。
確かに、叔父さん夫妻は世話好きで善意の人たち。
でも、誰が行くか。
あんな家。
それに、寝不足なんだってば。
由太が帰ってくるまでの間、少しだけ横になろう。
欠伸をかみ殺す私の脇を、ママがすり抜けて行った。
部屋に行くのはダルイ。
だからと言って、ソファーに座るなんて到底ムリだ。
「……」
叔父さん宅のそれは、アイツが出国して直後、深緑色の柔らかな素材のものに取って代えられた。
壁だって、いつも綺麗なオフホワイトで塗られるようになった。
真っ白だったな。
うちみたいに。
ああ、鮮明に思い出せてしまう。
記憶って、曖昧に薄れていくものじゃなかったの?
そんな状態であっても、冷たいフローリングに寝そべって頬をスリ寄せると、妙に落ち着く。
急激に、眠気の厚みが膨らむ。
「……おかえり」
玄関先で、由太とママが入れ違いになったのを、霞む意識がぼんやりと拾う。
安堵の波にさらわれて。
ここ数日の間は、本当に睡眠不足だったから。
そのまま意識を手放したみたい。
うと
うとと
夢を、見た。
『……真帆?』
『冬馬、宿題分からん』
『またかよ』
『教えてよ、ケチんぼ』
『カレシできたんだろ。一緒にやれば?』
『だって、カレシバカだもん』
『カレシをバカとか言うなよ』
『だって、冬馬のが大人だもんね』
『それ誤解。……おいで、隣』
『やった、助かるー!』
イヤだ。
待って。
ダメっ。
……お願いっ。
座らないでっ。
座らないでったら!!!
座ったら……。
イヤ!!!
夢の中で泣いた。
ワガママな私。
無知だった私。
憧れの人は、いつだって優しかった。
初恋相手だったカレシは、奔放で。
ひどく甘えただった。
ふわり、と体が浮き上がる。
そのまま、ふわふわと浮上して行く。
温かな何かと、拭われた涙に気がついて。
虹彩に光が触れた途端。
全身、五感、全てを制圧するかのようなアイツが。
私の視界をのっとった。
*




