第二章-①
武器職人の弟子の朝は早い。
「んん~……」
窓から差し込む朝の光で、リィナは目を覚ました。
「ふわぁ」
小さく欠伸をして、大きく背伸び。
まだ、朝の鐘が鳴るまではしばらくありそうな時間だ。都合が良い、とリィナは思う。
「今日はやることがたくさんですからね」
窓から空に呟いて、よしっ、とリィナは息巻いた。
「おはようございます、お師匠様」
居間に出て挨拶をすると、レムが椅子に座り、分厚い本を読みふけっていた。机には同じような本が何十冊と積み重ねられている。古び、色褪せた本が塔のように積まれている様は、いっそ壮観ですらあった。
「おはよ~、リィナ」
「朝からご苦労様です」
「んむ~」
少し疲れたように笑いながら、レムは言った。
「私の持ってた古い文献も読んでみたんだけどねぇ。なかなかめぼしい物は、今のところ見つかって無いよ~」
「そうなのですか……やはり、魔武器の情報は掴みづらいものなのでしょうか?」
「ん~……まぁ、まだここまでしか読んで無いからねぇ」
レムは開いたページを指し示した。分厚い本の、まだ半分程だろうか。
「難儀してるよぉ」
そう言って、ふわわ、とレムは小さな口で大きな欠伸をした。
やはり、昔の文献では限界があるということだろう。魔武器やそれに関する伝承はいくらでも記されているだろうが、その在り処、となると話は別なようだ。
「なかなかの難題ですね」
「そうだねぇ~。私でもちょっとてこずりそうだよぉ」
でも、とレムは呆れるように、
「一度、承った依頼はこなさないとねぇ。一流の職人は、文句を言っちゃいけないものなのさ」
「その心は?」
「出来る人は、まず『どうやってやるか』『どうすればできるか』を考えるもの。逆に『どうやってもできない』『こういう理由だからできない』って言う人は、いつまでたっても出来るわけ無いんだよぉ」
眠気に負けそうな瞳の中に、一瞬だけ、鋭い光が宿った。
「私は職人・レム。いつでも、出来る職人でありたいなぁ」
「……ふふっ。やっぱり、お師匠様は凄いです」
時々、こうしてレムに対して心から感心することがある。ああ、この人の弟子でよかった、と思うことが。
リィナはくす、と微笑んだ。これだから、この人との仕事は、やめられない。
「でも、疲れるものは疲れるなぁ~」
そうして、また「ふあ~……っん~」と欠伸をするレム。
「やっぱり、こういうのは頑張り屋さんのリィナのほうにお任せしたいね。私には性に合わないなぁ」
「私も、出来れば実践主義なのですが……。武器を作っている方が、どちらかと言えば好きですよ?」
「ふふん、強がったって無駄なのだよぉ。リィナが本の虫だってことは、私が一番よく知ってるのだぁ」
「虫じゃないです。ただ、武器職人の勉強をするのに、お師匠様の技を見る以外は本を読むしかないのであって――」
「ふぁ~、疲れた。リィナ、お茶ちょうだい~」
「聞いてないですね……」
苦笑しながら、リィナは大人しく台所に引っ込んで薪をくべ始めた。
「……あれ? そういえば」
ぱちぱち、と音がし始めたところで、リィナは違和感に気付いた。
「今日は、朝食はいらないのですか?」
「んー。お腹が空いてる方が集中できるもんなんだよぉ、今日みたいな日はね」
今日みたいな日。
それは、今日がとても忙しくなる、という意味だろう。
単純な仕事の量の差ではない。問題はもっと根幹、そもそもの扱う仕事の種別によるものだ。なにせ、殆んど手がかりが無い状態で、一から情報収集をしなければならない。リィナ達が手を出そうとしているのは、まさに彼女たちにとっても未知の領域なのだ。
「今まで以上に、忙しくなりそうですね」
「そうだねぇ~」
リィナは水を火にかけながら、ほう、と天井に溜息をついた。ぱちぱち、と薪が燃える音が響く。
もともと、せわしく働くのが嫌いな訳ではない。むしろ、そういう雑用が好きだからこそ、今こうして職人を続けていられるとも言えるかもしれない。
「なにしろ、お師匠様は家事のひとつも出来ませんからね……」
はぁ、とリィナは溜息をついた。
何せ、あの性格だ。料理もしなければ、掃除もしない。ひたすらにのんびり、とことん我が道を行くような、レムはそんな人だった。
リィナがここに来てからは、だから家事をするのが自然なことになっていた。そして、それを楽しむようになっていったのは、勤勉な少女にとってはまさに自明の理。
「どんな事をするんでしょうか……ふふっ」
ぱちん、と薪が爆ぜた。
「ちょっとだけ、楽しみです」
今日のお茶は、普段の葉っぱに少しだけ違う葉を混ぜたもので淹れた。
「んむ」
本を傍らにどけてお茶を飲んだレムは、かっ、と目を見開く。
「なんだい、コレ? 眠気が冴えわたる様だよぉ」
「香りの強い薬草を混ぜてみました。気分がすっきりする効能があるらしいですよ」
「ほほぅ~」
こくり、こくり。静かにレムはそれを飲み干した。
「んん~、ごちそうさま。やっぱりリィナにお茶を任せるのは正解だねぇ」
「ありがとうございます。少しでも、お師匠様を手伝いたくて」
「素晴らしい心がけだねぇ。善き哉善き哉」
しみじみみ、とレムは頷いて、コップを置いた。
リィナも自分のお茶をちびちびと飲みながら、今日の行動について思案を巡らせていた。
リィナが任されているのは、古い文献の調査だ。レムが情報の整理を担当するなら、リィナは情報の収集が担当だ。魔武器についての伝承や伝記、少しでも多くを持ち帰らなければいけない。
「とりあえず、教会に行かないことには始まらなさそうですね」
こと、とコップを机に置く。リィナは机の端の本の塔を指し示して、
「お師匠様、その本たちはどうしましょう? 一応、持っていってみましょうか」
「ん~、そうだねぇ。是非お願いしたいかも」
のんびりとレムは返事をした。
「私が読むより、専門家に任せた方が良いだろうしねぇ」
「分かりました」
返事をしてリィナが立ち上がった時、きぃ、と扉が開く音がした。
「おはようございます」
一瞬遅れて、明るい男の声。リィナとレムは、同時にそちらへ目を向けた。
そこには、今回の『仕事』の依頼主が立っていた。
「おはようございます」
「おはようございます、リィナさん」
「ロロくん~。おはよ~」
「レムさんも、おはようございます」
依頼主の青年・ロロは相変わらず黒い外套を着ているが、フードは外している。白い顔が太陽に照らされ、表情を明るく見せていた。
紅い瞳も、昨晩見たより優しい色に見える。リィナはほぅ、と溜息をついた。
「お早いんですね」
「はい。やっぱり、少しでも多くの時間を調査に費やしたいですから」
「うむ~。若いっていいねぇ、元気が有り余るのはいいことだよぉ」
「若い、ですか……くふふ」
すると、ロロは歯を見せて笑った。
「それを言うなら、リィナさんには及びませんね」
「あら、そうでしょうか? ロロさんだって、随分とお若く見えますが」
「人は見た目によらないことが多いんですよ?」
片目を閉じて、無邪気そうにロロは言った。
「現に、貴女の師匠殿がいい例じゃないですか?」
「お師匠様はちょっと特殊ですから」
「ふふ~ん」
「褒めてないですよ?」
リィナの言葉にも、何故か得意げに胸を張るレム。ロロは軽く無視して、
「そんな訳で、僕も見た目ほど若い訳じゃないんですよ」
「はぁ」
「リィナさんの仕事熱心振りには、とてもじゃないけど、敵いません」
「恐れ入ります」
軽く頭を下げると、ロロはふふ、と小さくほくそ笑むように声を上げた。
「まぁ~まぁ~」
と、レムがのんびりとした口調で、
「ロロくん、まずは座りなよぉ。早速お話しようじゃないですかぁ」
「はい、失礼します」
「遠慮はしないでいいからねぇ。リィナ、出かける前にお茶出してあげなさい」
「はい、分かりました」
少しだけ嬉しそうに返事をし、リィナは再び台所へ姿を消す。
それを見送って、レムとロロは互いに目を見合わせた。
「本当に、働き者のお弟子さんですね」
「私の一番の自慢だよぉ。……本当なら、ロロくんとの仕事はリィナにやらせてあげたいんだけどねぇ」
「?」
「まぁー、私が有能すぎるから? リィナじゃ私の代わりは務まらないってことさぁ~。あは!」
「ふふっ、どうでしょうか?」
ロロは手を顔の前でゆっくりと組み、
「大は小を兼ねる。ただ、意思の強い小は、大を内側から引き裂きますよ」
「それも本望かなぁ。弟子に越えられて、悔しい師匠はいない。嬉しくない先達はいないよぉ」
「……なるほど、あの人の言った通りだ」
ロロは一人呟いて、それからまた笑顔を作った。
「レムさんの言う通りかもしれませんね。リィナさんは、貴女の代わりを務めることは出来なさそうだ」
「ほほう? その心は」
「貴女のように聡明な方は、なかなかいないでしょうね。たとえ、熱心な弟子であっても」
「分かればいいのだよぉ。そんな私が力になってあげようっていうんだから、期待していいよ~。仕事を裏切らないことは、保障しようじゃないか」
「頼もしい限りです」
「お待たせしました」
少しして、リィナがお茶を淹れて戻ってきた。ロロの前にこと、とコップを置く。
「どうぞ。お口に合うといいのですが」
「いただきます」
コップを持ち、それを口に運ぶロロ。その様子を、リィナは落ち着かなそうに見ていた。
「……うん。美味しいです」
「本当ですか? 良かったです」
「リィナのお茶は世界一ぃ、だからねぇ」
「せ、世界一だなんてそんな……。下手の横好きですよ」
謙遜しながら、リィナは慌てたように、
「さ、私はそろそろ行きますね」
「頑張ってねぇ~。ラウルちゃんにもよろしく頼むよぉ~」
「分かりました」
リィナはよいしょ、と傍らの大量の本を抱えて持ちあげた。高さはリィナの視界を遮るほど、ちょっとした塔のようだ。
「重くないですか?」
ロロが尋ねると、リィナは笑顔で返した。
「普段から、もっと重い物を運んだりしていますから」
「というと?」
「武器精製の為の金属板、魔物の皮膚や体組織、それらをしまっておく木箱……色々です。それに比べれば、古い本なんて、そこまで重いものじゃないですよ」
「外見からは想像できないですよ」
「人は外見によらないのです」
クス、と笑いながらリィナは言った。
ロロもそれを聞いて、声を出さないように笑う。
「では、行ってきます」
「気をつけてねぇ」
「よろしくお願いします」
リィナは本の塔を抱え、店を出て行った。
「……ふふ」
誰にも気づかれないように、してやったり、と目を細めながら。
○
「あら、リィナちゃんじゃない」
「おはようございます」
本を抱えて朝の町を歩くリィナに、道行く人々が挨拶を投げかける。
「珍しいわね、朝から外に出てるなんて。お仕事?」
「はい、そのようなもので」
「相変わらず頑張り屋さんなんだから。たまにはうちのお店に来なさいよ? ご飯とお酒くらいなら、御馳走してあげるから」
困り顔で言う彼女は、町で酒場を営む女主人だった。この町に来てからも、よく世話を焼いてもらったものだ。
だから、リィナも困り笑いで、
「それは、是非お師匠様に振る舞ってあげてくださいな」
と、返すのだった。
「おう、リィナのお嬢ちゃんじゃねぇか!」
「あら、おはようございます。お元気でしたか?」
威勢のいい声の男性は、獣の皮をなめして服にする仕立て屋。がっちりとした体格に、豪快な性格。まさに父親のような男だった。
がっはっは、と大声で笑うさまも、随分と見慣れたものだ。
「しかし、見るたびに美人になっていくもんだ」
「ふふっ、ありがとうございます」
「はっはっは。ウチのかみさんも、昔は美人だったのによぉ。今じゃがみがみとうるさくてな」
「それはそれは」
「お嬢ちゃんを見習わせてやりてぇもんだ。……ところで、どうしたい、そのやけにたくさんの本は?」
目を丸くして、リィナの両手に抱えられた本の塔を指さす。
「ええ、ちょっと調べごとを」
「へぇ、大変なもんだな。ただでさえ武器職人って、骨の折れる仕事だろう?」
「骨の折れない仕事なんてありませんよ。むしろ騎士団の皆さんのように、実際に骨を折ることがある訳じゃないんですから」
「がっはっはっは! そりゃあ面白い!」
空までこだましていくような声で、男は笑った。
「よいしょ、よいしょ」
そんな風に、町の人々と会話をしつつも、リィナは真っ直ぐに歩いていく。それほど大きくも無いエルスの町。そのほぼ中心部に、リィナの目的地があった。
トリニティ教団、という宗教団体がある。
ユナ王国のみならず、この大陸――ひいてはこの世界全域に広がる教団だ。かつて『天界大戦』で人類に希望をもたらした天使を神格化し、彼らの教えを人類に脈々と受け継いできた。いわば、神話の伝道師のような存在だ。
リィナは、そのトリニティ教団のエルス教会に向かっていた。
重厚な石造りに、高くそびえたつ鐘の塔。大きさこそ、そこそこの家、といった感じだが、まるで小さな城のような印象を振りまいている。
「よいしょ。よいしょ」
リィナは本を大量に抱え、一歩一歩踏みしめるように歩いてゆく。そこまで重さを感じないとはいえ、さすがに高く積み上がった本の塔を崩さないように運んで行くのはそれなりの重労働だった。
「よいしょ……っと。ふぅ」
やがて、教会の入り口である扉の前に辿りついた。こげ茶色の木の扉からは、相当な年季の深さが窺える。その表面には、銀色の金属で作られた図形が埋め込まれていた。
十字架の中心に、正三角形を重ねた形。トリニティ教団に共通のシンボルだ。
リィナは本の塔を傍らに置き、こんこん、とドアをノックする。
「ラウルさーん。ラウルさん、いますかー?」
一瞬の間。
しかしその後、すぐに扉がぎぎぃ、と重たい音を立てて開いた。
「はい、どちらさまでしょうか?」
白地に青い線の入った、修道服に身を包んだ少女だった。
歳はリィナと同じか、少し低いくらいか。頭に被ったフードの隙間からは、銀色の髪が覗いている。少し癖のあるそれが、彼女の印象にほんの少しの幼さを与えていた。
「あら」
彼女は青い目を丸くし、それからやわらかく細めた。
「リィナじゃないですか。珍しいですね、教会に訪れるだなんて」
「こんにちは、シスター・ラウル」
ラウル、と呼ばれた修道女は浅く一礼をして答えた。
「何か御用でしょうか?」
「ええ、ちょっと仕事の一環で」
「あらあら。相変わらず大変ですね」
くすくす、と肩を揺らしてラウルは笑った。
「私なんて暇なもので。来客の一人もいなければ、こうして教会でひねもす退屈に過ごしているよりほかありませんからね」
「あら、偶然ですね。私も似たような職分なもので」
今度はリィナもくす、と笑い、
「お客様の一人もいらっしゃらないと、ずっとお茶を飲んでいるくらいしかすることが無いのですよ」
「ふふっ、ふふふ……。相変わらずリィナは、頭がいいですね」
ラウルはそうしてひとしきり笑ってから、リィナに背を向けて奥へ促した。
「どうぞ、入ってください。ちょっとした食べ物くらいなら御馳走しましょう」
「お構いなく……」
よいしょっ。本を抱えて、リィナは教会の中へ入って行った。
○
教会の中は簡素に作られている。
入ってすぐ、大きな広間がある。広間の中央には暖炉が置かれ、周囲には机と椅子。二十人ほどが一緒に過ごせそうな場所だ。左手には、二階へと続く階段。広間の奥にはミサの為の礼拝堂がある。
「どうぞ、座って待っててください」
ラウルはリィナにそう告げると、そそくさ、と奥の方へ駆けて行った。何かもてなしの用意でもしてくれるのだろう。
「ふぅ」
リィナはようやく椅子に座り、息を吐いた。
教会に来たのは、しばらくぶりだ。ラウルとはたびたび町でも顔を合わせるが、ここに来ることは滅多にない。リィナはトリニティ教団を嫌っている訳でもないが、別段、敬虔な信者という訳でもない。
町の人の中には、毎朝ここに来て祈りをささげる熱心な者もいるようだが、リィナはそれほどでも無かった。
教会の中は、お香のような香りと、少し黴臭いような匂いとが混じり合った、それでいて調和のとれた空間になっていて、なんだか懐かしいような気分にさせられる。大きな窓から差し込む太陽が、ぽかぽかと暖かいのは、それも手伝ってのことだろう。
「お待たせしました」
そんな事を考えていると、ラウルが戻ってきた。両手に木の皿を抱え、そこには小麦粉を練って焼いた焼き菓子のようなものがたくさん乗っていた。
「こんな物しかありませんが。どうぞ」
「いえ、ありがとうございます。いただきます」
リィナはひとつ摘み、かり、と噛んだ。うっすら、と感じられる塩のような味は、なにかの薬草だろうか。
「この間、商人の方が持ってきてくれたんです。なんでも、海の近くに自生する薬草らしくて、潮風を浴びてこのような味になるらしいですよ」
「へぇ……」
「もしよければ、お分けしましょうか? まだまだたくさん余っていますから」
「はい、是非」
ぽりぽりり。なんとも癖になる味で、リィナはいつの間にか三個も平らげてしまっていた。
「……もしよければ、作り方などをお聞きしても?」
「くす。もちろん構いません、私とリィナの仲ですからね」
「恐れ入ります」
さて、と世間話もそこそこに、リィナは話を切り出した。
「実は、ラウルさんや教会の知識をお借りしたいのです」




