第一章-①
世界はもともと、ひとつの国だったらしい。
どんなに速い馬で走っても、横切るためには一年以上かかると言われる広大な大陸に人々は国を作り、少しずつその数を増やしながら繁栄していった。
しかし、その国も、長い平和を実現するには至らなかった。
やがて人々は、思想の違い、利益の差などから争いをはじめる。たちまち国は分裂し、人々は世界中あらゆる場所へ時間をかけて広がっていった。新たな安住の地に新しい国を作り、それぞれが違う暮らし、違う文化を得た。
時には協力し、時には再び争いながら、人類の歴史は続いてきたのだ。
しかし――『天界大戦』を経て、人々は変わった。
自分達には、人間には、及びもつかない存在がある。その前では、自分達の行ってきた争いの、なんと小さなことか。
人々は争うことを、一旦はやめた。
人口を大きく失った人々は、地上へ降り立った天使と協力し、再び文化をもちなおすことに成功した。天使たちを、その主たる神々を信仰し、自分達の生活を持ち直すことに成功した。
だが、その後も人々はやはり争いを繰り返し、いくつかの国に分裂してしまった。
それでも、『天界大戦』のような大きな災厄に見舞われることなく――
ひとまずの、平和な時代を暮らしているのである。
○
そんな、いくつかの国のひとつ――ユナ王国。
北に海を臨み、広大で肥沃な土地と優れた文化を持つ他、優秀な騎士団を従えた強い自衛力も備えている。国を三つに分断するように枝分かれした大河が流れる、のんびりとした雰囲気の漂う国である。
その広大な川のほとり、王国東部の小さな町・エルス。
石造りの建物と、木のぬくもりを調和させた自然に溢れる町だ。
そんな町に、リィナとその師匠・レムは暮らしていた。
「よっこいしょ、っと」
朝の鐘が鳴ってから少し。
太陽の位置が少しずつ高くなるのに合わせて、リィナとレムは仕事始めの準備をしていた。
彼女たちがいるのは、普段暮らしている家と隣接した仕事場だ。
ちょうど人が5人は横になれそうな空間と、ある壁には木で作られた台の様なものがある。そこはちょうど窓のように開けていて、正面に大通りの様子を臨むことができる。
朝の始まりとあって、石で簡単に舗装された道路の上を行き来する人は少しずつ多くなってきていた。何人かで並んで歩く小さな子供に、白と青の修道服を着た修道女。それぞれの趣は様々だ。
そんな人々を横目に、リィナは重たげな木箱を積み上げ、レムは紙に何かを走り書きしている。
「お師匠様、この箱はどこへ?」
「ん~? どれどれ……ああ、これは裏の倉庫に置いといてねぇ。今日は多分使わないから」
「分かりました。何か倉庫から持ってきた方が良い物はありますか?」
「そうだねぇ……あ、31番の箱を持ってきてほしいかなぁ。ちょうど注文が入ってるから、リィナにはそれを手伝ってもらうよ」
「分かりました」
リィナはこともなげに返事をし、重たい木箱を持ち上げる。
レムは「うむうむ」と頷いて、紙にまた何かをさらさら、と書きこんでいく。
「今日も忙しくなりそうだねぇ」
レムは頷いて、木枠の窓から覗く太陽を見上げた。
しばらくしてリィナが「XXXI」と書かれた木箱を抱えて戻ってきた。
「よっこいしょ」
石の打たれた床にそれを置くと、ごどん、と重たい音がする。しかしリィナは特に疲れた様子も見せず、レムに尋ねた。
「えと、今日は何を作ればいいんでしたっけ?」
「ん~、まずは槍を20本だって。今日中に騎士団の人達が受け取りに来るから、昼までに済ませてねぇ。それが終わったら、今度は……こんな感じの短剣をひとつ」
「槍と短剣ですね。材料はこちらで?」
リィナが今しがたの木箱を指し示すと、レムは頷いて、
「そうだねぇ。それで50本分くらい作れるから、全然足りると思うよ」
「はい」
「あ、ちょっと待ってねぇ」
レムは木の板に乗せた紙を指でなぞり、
「この短剣の方は、例の赤いやつを混ぜて頂戴ねぇ」
「赤い……ああ、この間、お師匠様が拾ってきた?」
「そ。『火竜』の鱗と牙かな」
こころもち少し嬉しそうにレムは言った。
「これの依頼主さんは旅人らしいから。とびきり丈夫に作ってあげてねぇ」
「了解です。では、下の工房を借りますね」
「いってらっしゃ~い」
リィナは木箱を抱え、仕事場の奥の扉を開け、地下へと降りていく。
うむうむ、とレムは頷いた。
「働き者の弟子が出来て、嬉しいねぇ」
○
リィナとレムは『武器職人』だ。
武器職人とはその名の通り。剣や槍、盾や鎧まで、様々な『武器』を作り、仕立て、人々に売ることを仕事とする人々の事をさす。
だが。
ただただ剣や槍を作るなら、それは鍛冶屋の仕事。極論を言ってしまえば知識さえあれば誰でも出来てしまうことだ。
それらと武器職人とを区別するのには、もちろん理由がある。
「さて」
リィナは髪紐で長い金髪をひとつにまとめると、溜息をひとつ。
「始めましょうか。まずは……」
仕事場の下に置かれた地下室。石で囲まれたその部屋は、年中を通してひんやりと冷たい。広さこそ仕事場より広く、高さもリィナが手を伸ばして届かないくらいだが、その圧迫感から狭く感じられる。
壁に等間隔で設置された燭台の炎に照らされた31番の木箱を、リィナは開いた。
中に詰まっていたのは、何枚もの金属板。
それぞれやや青い色合いをしている。それぞれが簡単に同じ大きさに切り分けられ、木箱にすっぽりと納まっていた。
リィナはそれを1枚取り出し、まじまじと眺める。
大きさはリィナの肩幅と同じ程度。それを目と同じ高さに掲げ、細部の細かい傷でも見分けるようにじっと見入る。時折握りこぶしで、こんこん、と叩いてみる。
「なるほど」
そして、何かに納得したようにリィナはそれを傍らに置いた。
次に、白い小さな棒を取り出し、平らな石の床に何かを書き記し始める。 石灰を固めて作ったそれが描いていくのは、円に内接する正三角形を基調とした、複雑な魔法陣だ。古い言語で文字を書き込み、図形に記号を書き足していく。
まるで子供が落書きをするような滑らかさだが、リィナの表情は真剣そのものだ。まばたきをほとんどしないままに、さらに複雑なものへと変えてゆく。
「……うん、問題ないですね」
少し手を止めて、満足したように頷いてから――リィナは最後に、少しだけ付け足した。
基礎となる円の中心に、もうひとつ円を書き記し、中心に小さな十字。それをとびきり丁寧に終えてから、白い棒を置いた。
「後は、どんどん作っていくだけですね。よしっ」
呟いて、リィナは傍らの金属板を、円の中心に置く。そして、自分の両手の指をしっかり伸ばし、白い円の上に並べて置いた。
「……」
少し目を閉じて、集中する。
考えることは、何もない。ただ、心を落ち着かせるだけだ。
ほんの少し、時間が過ぎて――
「っ!」
力を込め、指からそれを流し出す。
すると、白い魔法陣は淡く発光し、線から線へとそれは連なってゆく。
最後に円の中心、金属板にそれは辿りついて――
金属板は光を帯びて、ひとりでに変形していく。
削れ、ねじれ、伸ばされて。やがてそれは、ある形に収束していく。
先端には、流線形の刃を。その根元からは長い棒が伸び、その端にはやはり金属製の鎚が形成される。ちょうどレムの身長と同じくらいの長さの、槍が形作られた。
青い光沢はそのままに、完全な『武器』が、そこにあった。
「よしっ」
リィナは笑顔で頷き、その槍を手に取った。重さも彼女が持ち上げられるほどだが、適度に重たい。武器にはそれなりの重量が必要となるものだが、問題はなさそうだ。
それを壁に立てかけ、リィナは魔法陣に目をやった。
「どんどん作っちゃいましょう」
これが、武器職人の仕事。
素材を元に、特殊な力で加工し、変形させ、武具に仕上げていく。
その特殊な力こそが、神話の時代から受け継がれてきた、天上の英知を人類が再現したもの――『魔術』と呼ばれる技術だ。
ただの無機物や生物の部位に、この『魔術』で力を吹き込むことで、実用性のある武器へと変質する。それをこなすのが、リィナ達の仕事なのだ。
そして、その真価は、槍などとは違う特殊な武器を作る際に発揮される。
「ふぅ」
リィナは手の甲で額の汗を拭う。
地下に潜ってから半刻ほど。すでに壁には、20本もの槍がずらりと並んでいる。全てが一様に同じ形状をしており、作りに全くムラがない。
武器職人、ひいては魔術を使う者は、総じて才能が物を言う。努力次第でその力を伸ばせることがあるとはいえ――魔術を扱えるかどうかは、先天的な才能に左右されることがほとんどだ。更にその中でも、上手く扱えるかは才能次第。魔術を扱う人間は、だから絶対的に少ない。
槍を作り終えたリィナには、まだ仕事がひとつ、残っていた。
「あとは……短剣、でしたか」
31番の木箱の蓋を閉めてどかし、代わりにもうひとつの木箱を取り出す。
『VII』と書かれた箱から取り出すのは、先ほどとは違う金属板だ。槍に使われた青いものとは違い、黒く光る石の様な板だ。しかし、叩いてみると確かに金属音がする。
そして、リィナによって皮の袋から取り出されたのは、赤い生き物の鱗の様な物体と、白く鏡のように表面が光る牙。
『火竜』と呼ばれる、炎を口から吐くとされる竜の体組織だ。
リィナはそれらを簡単にまとめて傍らに置き、目の前の魔法陣を手で払って消して新しく描き直した。
基本的な意匠は変わらないものの、細部は目に見えて違っている。しばらくして描き終えると、先ほどの素材を纏めて円の中心に置く。
そして、槍を作った時と同じように目を閉じ――意識を集中させる。
「……」
手を魔法陣に置き、
「んっ」
力を込める。
今度は、魔法陣を赤い光が包み、中心部では大きな変化が起こっていた。
金属板は浮かび上がり、短剣の形へ変形していく。『火竜』の鱗はまるで吸い込まれるようにその中へと消えていき、牙は粉々に砕けて、剣の表面にちりばめられていく。
しばらくして光は収まり、陣の中心には黒い短剣が静かに横たわっていた。
リィナはそれを手に取ろうとして、
「あっつ!」
それが予想以上の熱を持っていることに気付かず、手をやけどする。
ふー、ふーっとやけどした手に息を吹きかけながら、
「流石は『火竜』の素材ですね……持っている力が段違いです」
試しに、自分の髪紐をほどいてその短剣に投げてみると、
それは一瞬で、ぼっ、と炎に包まれて消えた。