プロローグ
昔々……それはもう、気の遠くなるほどの昔。
それまで平和に暮らしてきた人類の長い長い歴史を、根本から覆すような大きな『戦い』があった。
今の世に語り継がれる『天界大戦』である。
人間達を守る存在――『天使』と、人間達を悪へと招き入れる存在――『悪魔』との、まさしく世界を巡る大戦だった。
天使や悪魔は、それぞれが不可思議な存在であり、人間には及びもつかない力でぶつかり合った。彼らは海の上を駆け、大地を風のように走り、空を鳥のように飛びまわったともいわれている。
遠大な力を持つそれらのぶつかり合いは、当然、熾烈を極めた。
空には炎の雷鳴が轟き、大地は裂け川が生まれ、海は削り取られ島を作った。大戦当時と現在では、一部のごく古い土地を除いて、全く重なる場所がないという。地上も天上も冥界も、この世のありとあらゆる場所を巻き込んで行われた大戦は、100年以上の長きにわたって行われた。
天使たちは、地上を、人間を守るため。
悪魔たちは、地上を、人間を支配するため。
そんな相反する二つの勢力の間で――地上の人間達は、大多数が天使を援護することを選んだ。ただし、ごく少数は悪魔に味方する……もしくは、悪魔に操られ、傀儡となってしまっていた。あらゆるものを支配する悪魔の力は、それほどまでに強力だったのだ。
戦いは長引く。悪魔達はますます勢いを増し、地上に大量の魔物を放ち、人間達を確実に侵略していった。
天使の軍勢は、この状況を覆す切り札を模索した。
天界の英知の全てを用いて、人間達と協力し、辿りついたひとつの道。
天上の技術を用いた――『武具』の精製である。
天界にははじめ、地上の生物には理解出来ない謎の力があった。天使も悪魔も、その力を自由に操り、戦っていたのだ。
天使の軍勢は、これを人間の技術に当てはめることを考えた。
生き残った人間の中から特に清く、聡い者を選び出し、天上の技術を教え込む。そして、その技術を封じ込めた武器を、防具を作り、襲い来る悪魔の軍勢へと立ち向かっていった。
その、力強い援護も相まって、大戦は天使の軍勢の勝利で終わった。
不死の存在である悪魔を厳重に封印し、悪影響を防いだ。そして、傷ついた人類の為に地上へ降り立ち、手を取り合って復興を続けた。
一説には、天使と人間が交わり、子孫を残していたとも伝えられるが――未詳である。
そんな過程で、天使たちは人間に新たに知識を吹き込んだ。しかし、謎の力を活用するには、人類は早すぎたともいえる。誰一人として、その力を扱いこなせる人間はいなかった。
そこで、人間達はその技術を模倣し、人間の為に使いやすい形でまとめあげた。
これは革新的な発見であった。人類はこの新たに生まれた力を活用し始め、瞬く間に復興を遂げた。地上にわずかに残された魔物たちを、この力で撃退し、自衛的な力を手に入れたのだ。
天使たちは、人間達を守り通すと約束し、ひとまずは天界へと上って行った。
残された人間達は、その力を更に汎用的なものへと昇華させ、文化を次々に発展させていった――――。
○
「『そして、この力の源流を継ぎ、発展させていくのが、我々の使命なのである』……これが、現在まで語り継がれている、創世神話のいきさつである」
朝早くの家の中に、そんな言葉が響く。
石造りでありながらも、所々に木を用いたその家は、冷たさを全く感じさせない。机も、椅子も、明るい色の木で作られていた。
そんな木で作られた椅子に、小さな少女が腰かけている。
歳のほどは14、15か。まだ床に足が届かない、小柄な外見の少女だった。黒くつやのある髪を首の後ろで束ね、不思議な文様のあしらわれた袖広の服を着ている。明るい緑色の瞳と相まって、神秘的な雰囲気を朝の光に振りまいていた。
彼女は机に、一冊の分厚い本を広げていた。
その本には、この世界を形作った創世の神話が描かれている。この世界に居るものならば、ありとあらゆる人々が信仰する神々の記録だ。
少女は本をぱたむ、と閉じ、それから「うむうむ」と頷いた。
「やっぱり、神話は面白いねぇ。うむうむ、私達のやる気も、上がるってもんだよぉ」
どこか気の抜けた口調で、少女は言った。
「ふふっ。お師匠様は本当に、そのお話が好きなんですね」
少女にそう語る、若い女性の声がする。
「おや」
少女が声の方向へ振り返ると、部屋の出入り口になっている木の扉のあたりに、その人はいた。
背は少女より、頭一つと半分ほど高いか。長く、美しい金色の髪を真っ直ぐに垂らし、柔らかく微笑んでいる。
「おはよ、リィナ」
少女の声に、リィナ、と呼ばれた女性が丁寧な口調で返す。
「おはようございます、お師匠様」
「ん。今日も素敵な朝だねぇ」
「そうですね~。何か良いことがあるかもしれません」
のんびりとリィナは答え、それから台所へと歩き出す。
「朝食、作りましょう。何か食べたいものはありますか?」
「いつものがいいな~」
「分かりました。味付けも、いつも通りで良いですね?」
「ん~」
机に突っ伏すように答えた少女に、リィナは苦笑する。
「お師匠様ったら、相変わらずのんびり屋さんですね」
台所のかまどに薪をくべ、着火剤となる木炭を並べる。
木の窓を押しあけると、朝の光がまぶしく降り注いだ。澄んだ空気も一緒に入ってくる。
「ん~……っ」
リィナは高い背を反らして、大きく伸びをした。
それから、青く澄んだ空を見上げ、
「本当に、素敵な朝ですね」
と、少女と同じことを口にした。
「今日も、何かいい事がありそうです」
朝食は、殆んど毎日同じメニューと決まっている。
麦をこねて作った焼きパンと、赤い色をした薬草のお茶。そして、山菜を数種類ほど、菜種油と塩で炒めた物だ。
「んん~。美味しいねぇ」
少女は山菜の炒め物を頬張りながら、満足そうに呟いた。
「お気に召したようでなによりです」
「んぐ。リィナの料理は世界一だよぉ。やっぱり私の弟子にして正解だったね」
「もう。私は料理の為に来たんじゃないんですよ?」
くすくす、と笑いながら、リィナはお茶をすする。
それに、少女も笑いながら、
「そうだねぇ。……もうリィナが来てから10年くらい経つのか。早いなぁ」
「そういえば……もう、そんなになるんですね」
パンをかじりつつ、リィナは思いを巡らせる。
「気付けば、私よりも大きくなって……こんなに美人さんになって、私は嬉しいよぉ」
「そうでしょうか?」
「うむうむ。毎日頑張ってくれてるからねぇ、そりゃあ綺麗になるよ」
「お師匠様の元で毎日働いて、毎日のように山菜を食べていればこうもなりましょう」
「なんだとー? くすすっ」
二人、笑いあいながら食事を続ける。
どこにでもあるような、ごく普通の朝の光景だ。傍目には、家族――姉と妹のようにも見えるだろう。
事実、彼女たちは10年間も共同生活を行っているのだから、半ば家族と言っても間違っていないのかもしれない。
しかし、二人には普通の家族とは異なる点がある。
「おや」
少女がふと、顔を上げる。
一瞬遅れて、がろーん、がろーん、と遠くから鐘の音が響く。町の中心にある教会の鐘だ。この町の人々はみな、この鐘を合図に一日を始める。
「もう時間ですか」
リィナは少し驚いたように呟いた。
「今日はちょっと、寝坊をしてしまったのかもしれませんね」
「んん~、そうだねぇ。リィナ、勉強熱心だもの」
「う、知っていたのですか」
「うん」
少女はにこにこ、と笑って、
「毎日遅くまで、本を読んで勉強しているものねぇ。そりゃあ、ここまで立派になるってもんだよ。本当に、出来のいい弟子だよぉ」
「うう、なんだか恥ずかしいです……」
「私に隠し事は出来ないよぉ~?」
「さ、さて」
リィナは顔を赤くしながら、食器を持って立ち上がる。
「も、もう仕事を始めましょう。お師匠様も早く食べて、食器を下げてください?」
「はいはい~。んふふ」
にまにま、と笑う少女に、リィナは溜息をつくのだった。
「アリアンローズ新人賞」の応募作品です。
女性向け、と言うことでちょっとラブコメも入れて見たいなぁ~と思っています。苦手分野です。
ほのぼのと神話の世界を解明していくリィナと愉快な仲間たちの活躍をどうぞです。