第二話
黒の支配する闇の中で、炎が燃えてあたりを照らしている。
視界に映る空間も例外ではない。だが、目の前には何かがいた。炎によって黒い影が浮かび上がり、数対の目が存在を誇示するかのように炎の出す光を反射する。獣だろうか、いや、獣にしては目の位置が高すぎる。
ただ、無性に恐かった。悪寒が全身に走る。それらを振り切るために、少年は叫んでいた。
闇の中を何かが走り、いくつかの影を吹き飛ばす。さらに叫ぼうとする瞬間、光る別の何かが自分に向かって迫っていた。それまでの悪寒以上の不快感が湧き上がる。何かが自分に突き刺さろうとしている。少年はそう感じていた。ぎゅっと目を瞑る。しかし、一向に痛みを感じない。むしろ、悪寒がなくなり、暖かい。誰かの腕に、抱かれていた。
「また、あの夢か…」
そう呟いて、アルトリウスは目を覚ました。時々、見る夢だった。
同じ夢を見るのだから、その原因に何か心当たりがあるはずだが、全くない。不思議な夢だった。
だが、今はそんな事を考えている余裕はない。すぐに身支度を整える。
しばらく着替えをしながらも、夢が頭から離れなかった。
「アルトリウス様、入ります」
ノックし、ドアを開けてティトゥスが入ってくる。
「半刻後、出立です。準備は・・・まだのようですね」
「俺の馬上具足が着難いのはお前も知っているだろう?手伝ってくれ」
そういわれると、ティトゥスが具足を持ち、着せる。
いつもの、慣れた習慣のようなものだった。
ティトゥスがいてくれるからだろうか、夢の事は、少しずつ薄れていった。
「アルトリウス様、東方辺境侯騎兵隊整列完了いたしました。」
兵舎から出てきたアルトリウス達に、将校が敬礼する。
敬礼を返し、簡易演台の階段を上った。
下馬して整列した兵士たちの顔を一人一人見回す。
「共和国の者たちがいつもの発作を起こしたらしい。しかも、今回のは重症のようだ。その発作のとばっちりを受けるのは西方侯らしい。西方侯といえば、我ら東方侯家とは犬猿の仲。無視してもいいだろうが、それでは西方侯の民が可哀想だということで、私に出陣の命が下った」
そこまでいい、また見回すと兵士たちが笑いをこらえているのが感じられた。一呼吸おいて、また話し始める。
「皆も知っているかもしれないが、今回の戦が私にとっての初陣だ。任された戦に負けることも、初陣を敗戦で飾ることも、私としては遠慮したい。そのためには、皆の力が必要なのだ。西方の民のため、私のために力を貸してもらいたい」
先ほどまでとは違う真剣なアルトリウスの面もちに、兵士たちは右腕を斜め前に突き出す東方式の敬礼で応じた。
演台の横に連れてこられた愛馬に飛び乗り、兵士たちの前を駆けながら叫ぶ。
「行こう、西方へ。行こう、戦場へ。乗馬せよ!」
アルトリウスの号令で、全員が馬上の人となった。
「東方侯近衛軍、進発!」
声が、軍営に響く。ニ千騎の騎兵軍が門を通っていく。
騎兵のみでの編成である。これなら西方侯領までは急げば補給部隊のことを考慮しても5,6日で到着できるだろう。兄からの情報によれば、共和国軍の主力が西方侯領に到着するのはあと約8日後らしい。到着しても、しばらくは睨みあうのが戦いの常である。調練を兼ねての行軍にしようと、ティトゥスと話をしていた。調練をしながらの行軍でも、十分に間に合うだろう。
東方侯の騎兵軍は、百騎ごとに一組で編成されている。それらを十組、つまり千騎を自分が指揮し、もう千騎をティトゥスに指揮させながらの調練行軍である。いつもは兄に率いられている兵士達も多いかった。戦闘までに彼らの心をどれだけ掌握できるのか、それがアルトリウスに課せられた課題だった。この課題の出来次第で、戦での働きも決まるだろう。
二千騎が一つにまとまり、錐のような形で進んだかと思うと、アルトリウスの合図一つで二つに、千騎ずつに分かれる。さらに百騎一組ずつに分裂し、馬を少し駆けさせたと思うとまた一つに纏まる。時には反転させ、二つの部隊を交差させて馳せ違う。これら一連の動きを繰り返して、夕方まで進めるところまで進む。夕方になると野営に適した場所を探し、そこに野営陣地を作りながら並行して周囲に斥候を放った。敵がいるはずのない位置であるが周囲の地勢を知るためである事と、補給部隊に位置を知らせるためだ。補給部隊は夜になるころには出来上がった野営地に到着し、休む。普通に考えれば、強行軍である。それにも十分に耐えている。流石は精鋭と謳われる東方侯の騎馬軍だった。その結果として予定よりも早く、4日後の夜には西方侯領の軍営に到着していた。
「調練は十分。あとは、アルトリウス様がいかに使うかです」
ティトゥスが並走しながら微笑む。
「さすがは兄上の軍だ、わかっていたことだけど将校だけでなく、兵士たちの一人一人が精鋭だよ」
この軍なら、並の騎兵五千と対等の戦いができるだろう。そう思うとこみあげてくる笑いを止められなかった。
-西方侯軍、軍営地-
「アルトリウス、よく来た」
騎乗したままのアルトリウス騎馬軍の前に、馬に乗った一人の老将が現れる。禁軍の大将であるネーベルスタンだった。数人の供が付いているが、ほぼ単騎で来たようなものだった。
帝国では、皇帝からの勅命が無い限り、禁軍の司令官が戦場での総指揮を執る。その地の辺境侯であっても、指揮下に入る事については例外ではない。ネーベルスタンの将軍としての格からいっても、援軍に来るのが皇帝でもない限りは彼が今回の総指揮を執る事になるだろう。
その彼が単身で迎えに来るのだから、ネーベルスタンのアルトリウスに対する力の入れようは並ではないのだろう。
「叔父上、お久しぶりにございます。これは兄上からです」
言いながら、預かっていた手紙を渡す。ネーベルスタンはその場で封を開け、読み始めた。
「手紙の内容はもとから承知している。今回は、見ているだけでもいいんだぞ?」
ネーベルスタンが微笑を浮かべる。兄からの手紙の中身はやはり紹介状の類のようだ。
「いえ、叔父上。私は軍人としてここに参りました。なんなりと申し付けてください」
「ふむ・・・しかし、お前になにかあれば東方侯やジークフリードに申し訳がたたん。それに、お前には総大将の立ち位置も学ぶ必要があるのだし、な」
「叔父上、お気持ちは嬉しいのですが、総大将の見地は私には不要でしょう。東方には父も、兄もいるのです」
「私は、お前にはもっと大きくなる余地があると思うのだがね。まあ今回はいい、初陣なのだからな」
ネーベルスタンは笑いながら言った。
「明日から存分に働いてもらうが、その前に…」
先ほどまでの笑顔が消え、険しい表情になる。
「西方侯との宴だ。本当ならばそんな事をしているヒマはないし、兵士たちの規律を緩ませないためにも断りたいが…お前が来てくれて助かったよ。お前の挨拶に同行すると思えば耐えられる」
しみじみと、吐き出すかのように、ネーベルスタンは言った。
-西方侯領、軍営地-
軍営地は、夜にもかかわらず騒々しかった。騒々しいといっても、緊張している軍のそれではない。
アルトリウスとティトゥスは軍営の割り当てを部下の将校たちに任せ、ネーベルスタンとともに西方侯のいるという兵舎に向かった。ひときわ大きなその兵舎は、戦地に似合わぬ華麗さだった。
「ネーベルスタン将軍、遅いではないか。もう皆楽しんでおるのだぞ?」
赤ら顔の男が、酒盃を掲げる。西方侯である。
「ん~?なんぞ、何処かで見たようなのがくっついておるの?だれじゃ、おぬしの新しい従者か?」
西方侯はにやにやと、薄ら笑いを浮かべている。本当は、知っているのだろう。
「従者とはお戯れを。東方侯のご子息、アルトゥース殿です。援軍の先遣隊として、東方の辺境侯軍を引き連れて参られたのですよ」
「西方侯閣下、アルトゥース=フォン=クラウディウスでございます。お久しゅうございます」
ネーベルスタンの紹介に応じ、アルトリウスが頭を下げる。丁寧な言葉とは裏腹に、二人の目は一切笑っていない。
「おお、思い出した。東方侯家のエルフもどきだ」
へらへらしたまま西方侯がいう。アルトリウスに対する罵倒であり、そして東方侯に対するそれと同義であるが、面と向かって言えるのは自分の絶対的な優位を確信してのことだろう。
「父上、失礼でしょう。エルフもどき…失礼、先祖がえりのしかも妾腹の若造とはいえ、折角援軍にきてくれたのですよ」
西方侯のそばにすわる青年・・・アルトリウスよりも若そうな男が言う。父上、というからには西方侯の子息なのだろうが、父親の発言に輪をかけて傲慢な台詞と態度だった。
「確かにそうだな。まあ、その援軍が役に立つかは知らないがな。はっはっは」
大笑いしながらひざを叩き、西方侯は杯の酒を飲み干した。
「せいぜい我らの足を引っ張らぬよう、死なぬように戦場のすみにでもおれ。陛下にはわしからよいようにお伝えしておくからの」
そういって西方侯が手をひらひらとさせる。出て行けということなのだろう。
こんなところにいるつもりもない。ありがたくその提案を受け入れよう。そう思う。
ネーベルスタンの率いてきた禁軍と、アルトリウスの騎馬軍の軍営は隣接していた。
それはネーベルスタンのはからいであると同時に、西方侯の意向でもあったようである。
西方侯の宴から出てきた彼らは軍営の一室で食事をとることにした。部下たちは禁軍が用意してくれた食事をとっている。いわば禁軍から歓迎の証である。
「西方侯め、誰に向かってあのような口をきくのか…」
顔を真っ赤にさせてネーベルスタン将軍が毒づく。
ネーベルスタンは普通はそのような罵詈雑言をはくような人物ではない。
彼は東方侯に心酔している。彼にとって、東方侯家への罵倒は天に唾するに等しい行為であるのだ。
「叔父上、落ち着いてくださいよ。西方侯は泥酔していたようですし」
「お前は何故そんなに落ち着いていられるのだ?あのような皆の面前で罵倒されて、悔しくは無いのか?」
ネーベルスタンの目がアルトリウスに向けられる。
このように率直に、激しく己の感情を出すことのできることはネーベルスタンの美質であると父が言っていた事をアルトリウスは思い出していた。
「あの侮辱は戦場にて撤回させます。武功をもって撤回させる、それこそ東方侯家の男のすることだと私は思います」
実のところ、当然ではあるがアルトリウスも激怒していた。ただ、幼いころから言われる陰口でもあったせいか、馬鹿馬鹿しい思いもする。が、やはり自分への罵倒の奥にある父への罵倒は許せなかった。
「だから叔父上、私は安全なところにいるつもりはありませんよ。安全な隅っこでは武功の建てようがありませんからね」
にこりと笑いながらアルトリウスがいう。
かたわらに立つティトゥスは、アルトリウスの怒りの激しさを痛いほどに感じていた。大貴族であると同時にヒューマン中心の宮廷で先祖がえりと呼ぶにふさわしい容貌と、魔力の気配を持つがゆえに、孤立しかねないアルトリウスが身に着けた護身術が今浮かべている笑顔だった。
「アルトリウス様はどこにいらしても危険ではございません。私も、東方の同胞も、貴方をお守りいたします」
ティトゥスの口から、つい、出た言葉だった。
「東方侯家は安泰なようだな、アルトリウス。君には忠臣がそばにいてくれている」
笑ってネーベルスタンが言う。将軍との会話に割り込んだからには叱責を覚悟していたティトゥスは驚くだけだった。
「でしょう?叔父上。私は恵まれているのですよ。この上なく優秀で大切な友人と上官と部下、それに野営での料理にね」
アルトリウスはそういって、料理を口に運んだ。赤くした顔色と最後につけた余計なひとこと、が彼なりの照れ隠しだった。