第零話
馬蹄と車輪の音が、森の中に響き渡る。
十数台の荷馬車が道を疾駆し、それを馬に乗った男達が追っていた。
騎馬の男達の数は百数十人、盗賊である。
男達の顔に歓喜の表情が浮かぶ。荷馬車を御す者達のみなりや事前に入手した情報から、荷馬車の中身を知っていたのだ。
この荷をすべて奪い、荷物は売りさばき、御者は人質として身代金をとればかなりのもうけが出る。今晩飲む事のできるであろう美酒の味を思い浮かべ、そして御者達の恐怖に凍る顔を見て感じる残酷な喜びが彼らの表情を作り出していた。
やがて一団は森を抜け、草原に出た。
ここで囲みこめば一気に、そして簡単に勝負はつく。
歓喜の絶頂に達しそうになっていた彼らの表情は、次の瞬間には驚きに変わっていた。
御者達が商人とは思えない俊敏さで馬に飛び移り、馬と荷車を切り離したのだ。
一瞬で馬上の人となった二十数騎が剣を抜き、一塊になって盗賊の包囲から抜け出した。
呆気に取られた彼らであるが、残された荷車に近づいてさらに驚かされる。
価値ある品物で満載といわれていた荷馬車の中には枯れ草が敷き詰められ、外側にだけ高価に見える布地がそれを包み込むように置かれていた。
これは、罠だ!!
盗賊たちがそう気づくと同時に、彼らの周囲は重武装の兵士に取り囲まれた。
「お前達は包囲された、抵抗などせず、降伏しろ。われわれは東方辺境侯の軍である。」
兵士達の向こう側から、声がする。
今降伏したところで、所詮盗賊に待つのは刑死だけだ。
そう思う盗賊たちは迷うことなく馬に飛び乗り、包囲から抜け出そうと駆け出した。
しかし、それを見透かしたかのように歩兵達が大声をあげ、槍を突き出しす。
馬というのは、元来臆病な動物だ。ウサギが飛び出しただけで驚いてしまう。大声と兵士達の出す騒音、そして突き出される槍、馬が狂奔するのも当然であった。
棹立ちになった馬から振り落とされた者たちは槍で押さえつけられた。幸運にも振り落とされなかった十数騎が包囲を切り抜け、先ほどの森を目指して駆ける。
歩兵からならば逃げられる、森に入れば隠れる場所も、裏道も知り尽くしているのだから逃げ切れる。安堵しかけた彼らに、風のように現れた騎兵団、先ほど逃げ去った騎兵達が槍を持ってぶつかった。
瞬く間に、ほとんどの盗賊が叩き伏せられた。
ただ一人馬に乗ったまま残された男、盗賊の長と思しき男がそれでも逃げようとするが、彼の前に一騎が立ちふさがる。
走らせた馬の勢いをそのままに、男が騎士に手に持った槍を突き出す。
勝負、は一瞬で決まった。
槍の穂先が騎士に吸い込まれるのを確認したと思った男は不思議に思う。
何人も突き殺してきたが、その手応えがない。槍の穂先は見えないのだから突き刺さっているはずだ。
その次の時には、彼の意識は消えていた。
騎士が槍を切り上げて穂先を切り取り、振り上げた剣で男を両断していたのだ。
死んだ主を乗せたまま、馬だけが走り去っていった。
「歩兵の指揮、よくやってくれたな。」
盗賊の長を両断した騎士が歩兵にまぎれた男に話しかける。
「ありがたきお言葉。アルトリウス様こそ、騎兵の指揮といい、剣腕といい、相変わらずの見事なお手並みにございます。」
「つまらん世辞をいうなよ、お前は勝つとわかっていただろう?」
アルトリウスと呼ばれた男がふてくされたように応える。
「アルトリウス様に一騎打ちで勝てるのは兄君とお父上、他に帝国内では数人の豪傑方くらいのものです。」
さも当然といったように騎士がいう。
「もう一人忘れている。ティトゥス、お前だよ。」
そういって笑うと、アルトリウスはティトゥスの方を叩き、兵士達の方に歩いていく。
「それと、帝国本土での俺はアルトゥースだよ。理由は、くだらないがね。」
苦笑してアルトリウスはいう。
アルトリウスという名は、帝国語的ではなかった。
実際、エルフの伝承に登場する英雄の名前であるが東方辺境侯領では何の問題もなかった。
東方辺境侯家はエルフが開祖と言われる上に、東方辺境侯領には多くのエルフや、エルフとの混血者も住んでいるからだ。
だが、帝国直轄領の、しかも貴族内では話が違う。ヒューマンの純血の強い宮廷内では、エルフと思われる事はあまり好ましくないのだ。
父や兄の考えもあって、アルトリウスは帝国語風にアルトゥースと名乗っている。
いつもは帝国語で呼ばれることの多いアルトリウスだが、昔なじみであり、エルフであるティトゥスは本名で呼んでくれる。
それが、彼にはなぜか嬉しかった。
-帝国、諸侯領の中心都市にて-
「これはこれはアルトゥースさま、実にお早いおつきですな。
流石は帝国の剣とも呼ばれる東方辺境侯のご子息、始祖の再来とも呼ばれるだけあって、お見事でございます。」
でっぷりと太った貴族がもみ手をしながらアルトリウスの一団を迎える。
「諸侯領の治安を守るのが辺境侯軍の役目にございますゆえ。
しかも、帝都付近の諸侯領とあればすぐに退治するのが当然にございます。」
にこりと微笑を浮かべ、アルトリウスが応える。
帝国軍には皇帝直属の禁軍とは別に、辺境侯軍が存在する。
辺境侯軍は文字通り諸侯の中でも4人の辺境侯にのみ編成が許されている。
国境に位置するがゆえの特別措置である。
だが、これをただ放置すれば軍閥を生む事になる。
それを恐れた宮廷は辺境侯にある義務を与えた。
軍隊をもてない諸侯領、それと帝都付近の軍事的治安維持である。
各辺境侯は「派遣将校」という名目で一族の者を人質として直属軍に送るよう要請される。
派遣将校は禁軍の一隊を任せられ、治安維持の任務に当たる。
彼らに死んでほしくない辺境侯家は、そこにさらに辺境侯軍を付けるため、兵糧や兵士の派遣にかかる費用は馬鹿にならない。
このようにして辺境侯の力をすこしでも殺ぐことが目的の第一、そして帝都での暮らしやパーティーになれた派遣将校は気が付けば親帝国本土派になる。というのが目的の第二なのだ。
といった具合である。
今、アルトリウスが派遣されているのも帝都付近の治安維持の為であった。
彼の場合、マジメに任務をこなせばこなすほど、嫌気がさすものであるが…
「さて、捕らえた賊どもを引き渡していただきましょうか。兵士の皆様には宴席をご用意させていただきました。」
にこにこしながら貴族が言う。
「彼奴らは私の、帝国の財産を奪った大罪人、当然でしょう?」
続けていう貴族の言葉に対して、馬鹿なことを…アルトリウスは思う。
今頃、彼の秘密の私兵が盗賊どもの本拠に乗り込み、財宝を奪いに行っていることだろう。
そもそも、その財宝も彼が民からちょろまかしたものなのだ。
賊たちも、引き渡せば彼自身のの私的な奴隷にされるだろう。
この貴族の所業は、でっぷりと太った醜い姿を見れば一目で分かる。
「残念ながら、それは出来かねますな。賊とはいえもとをただせば陛下の民、それを無断で引き渡すなど、陛下の忠実な臣である私にはできぬことであります。」
アルトリウスは答える。
「しかしアルトゥース様…これは我ら諸侯との長い付き合いのなかで生まれたことにございます。それと、少しではありますが、御礼です…」
貴族は袖の中にそっと袋を入れようとする。
その手を押さえ、アルトリウスは言う。
「私に、私欲のために不忠をなせと?これ以上のお言葉は聞き逃がせませぬな。」
小声ではあったが、アルトリウスから発せられる気配は尋常ではなかった。
その気配に気圧され、貴族は押し黙る。
「それと、我らに祝宴は無用、すぐに帰営いたしますゆえ。」
それだけ言うと、アルトリウスはきびすを返し、出立した。
「それにしても、生意気な奴だ。東方のエルフもどきめ。
ま、おかげで祝宴の費用がなくなったわい。
奴隷どもを手に入れることはできなかったが、お宝が手に入ればよいわ」
にやにやと笑いながら、盗賊たちの本拠地を知らされた貴族が馬に揺られて行く。
既に手下が本拠地で見張りをしている。これで無用の邪魔は入らないはずだ。
「な、なんじゃこりゃあああああ!!!」
本拠に着いた貴族は叫び声を上げた。
見張りの手下は気絶させられ、縛りあげられ、財宝も運ぶのに価値不相応な手のかかるもの以外はすべて持ち去られている。
「辺境侯の妾腹ふぜいがあああああああ!」
顔を真っ赤にした貴族が怒鳴るが、どうにもならない。
アルトリウスが犯人であるという証拠はどこにもないのだ。
「はっはっは、あいつが悔しがっているのが目に浮かぶよ」
財宝を荷車に載せ、馬に乗ったアルトリウスが笑う。
彼が貴族と掛け合っている間、ティトゥスが指揮する辺境侯軍の一隊が捕虜にした盗賊に案内させ、本拠地に乗り込んでいたのだ。
貴族の手下を物陰に潜んだ兵士達が瞬時に倒し、縛り上げるとあとは悠々と運びやすいお宝を頂いて帰ってきたのだった。
「アルトリウス様、捕虜達は兄上様にお引渡しすれば?」
ティトゥスがたずねる。
「それはそうだろう、あの兄上の事だ、上手い事運んでくれるに違いないよ。」
アルトリウスは迷うことなくいう。
帝国軍の軍人であると同時に、宮廷の住人である兄を、アルトリウスはこの上なく信頼していた。
「しかし、腐っているな。貴族とやらは…」
「アルトリウス様…」
誰かに聞こえる、目がそういっていた。
「気にするな、トロイア語で話せば分かる奴はいない。」
トロイア語でいう。
「では、貴方が変えると?皇帝にでもなるおつもりですか?」
笑いながらティトゥスが言った、もちろん冗談である。
「俺に皇帝なんて、似合わないよ。願わくば、真に皇帝たる人に仕えたいものだな。」
背中を伸ばしながら、アルトリウスが言う。
「今の陛下も十分に英明な方だ、しかし、腐った貴族どもを一掃するには何かが足りない…」
ある意味では、今の皇帝を否定する言葉でもあった。
「私は、アルトリウス様にお仕えするのみです。」
どうあってもアルトリウスについていく、ティトゥスの目はそういっていた。
「ありがとう、ティトゥス。これからも頼りにしているよ。」
いつものように、しかし照れながらアルトリウスがティトゥスの肩を叩いた。
隊伍をしっかりと組み、しかし意気軒昂に進む彼らの先に、帝都がそびえていた。
帝都に戻り、野営地で皆と飲む酒と料理は貴族が用意した祝宴よりも楽しかろう。
そう思いながら彼らは帰途を辿るのだった。
なんとか、書き上げてみました。
よろしければ批評願います。
mixiもやっておりますので是非足をお運びください。
加筆、5月4日